第98話 回『神殺しの魔女』
文字数 4,312文字
ひたすらに。ただ真っ直ぐに。肺がはち切れても構わなかった。ただ、ただ、あたしは逃げ続けた。
嫌だったんだ。
現実を現実だと認識することが。信じ続けて生きてきたのに、其れに裏切られることが。
だから駆け出した。
頬に熱が走ろうとも、足が砕けて顔から滑っても、ひたすらに。
「認めない認めない認めない!!この国は、神の国のはずだ!」
闇夜にぽっかりと浮かぶ満月に向かって、あたしは吠え続けた。
「我らが父よ!あたしは、あなたを真摯に信じて生きてきた!聖書も何度だって読んだし、日曜日だって疎かにしたことなんてありません!なのに、なのに、どうして……!!」
悪臭がする。自分から、血の臭いしかしない。鉄臭い。べたべたする。
反して、息はあがらず、闇夜の森はよく見えて、足は軽い。風は撫でるだけで、花は散るだけで、人も自分から血を溢れさせて死んだ。
「あたし、悪魔なんかじゃない……!あたしは魔女なんかじゃない……!」
呪われるべきはあたしじゃない。呪われるべきはあいつらだ!
あたしを炙った奴ら!あたしに悪魔の烙印を押した奴ら!
どうして、どうしてこうなの!?火ならあの村に放ってよ!正しい罰を正しい形で下してよ!信じる者に報いを与えてよ!正しく、この目で見えるように!!
「ああ、ああ、あああああ!」
燃える。
森が燃える。さっき、あたしが走り抜けた森。
悲鳴が聞こえる。誰の悲鳴?人の悲鳴?なんで、こんなところに住んでるの?そりゃ住んでるか。あいつらだって、森を拓いて村を造った。
「まあ、これは酷い……。何人、死んだんでしょうね?」
「……誰よあんた」
森を滲んだ視界で眺めてたあたしの背後に、男が立っていた。片目を隠した微笑みの男。随分綺麗な服を着ている。いかにも貴族、……騎士?
「名を求める時は、自分から名乗るべきではないのでしょうか?」
あたしは口を開かなかった。
相手が剣を抜いたらどうしてやろうかな。あたしを殺そうとした神を騙る異端者共みたいに、体中から血を噴き出させて殺してやろうかな。
「 殺してやるといい。お前の怒りは、正当なものだ。お前の行いは正当なものだ。目には目を。主は、それを望まれる 」
……そうしてやろう。
「では、僕のことは使徒と呼ぶといいでしょう。きみに馴染の或る言葉と判断出来ましたので」
「……はは、使徒、ですって?」
「
不快だなァ、その笑顔。
むかつくなァ、使徒なんて……。神を騙る悪魔ども……!!
「おやまあ、これは負の許容量が壊れたというより……大罪が手を貸していますね」
「あんたも、あたしを殺しにきたって口でしょ」
「場合によっては、とお答えしたほうが君には良いみたいですね。……これ以上、神を殺されるのは困ります。よって、我らが主の命により
さらりと抜かれた銀の……剣――――。
「はあ、はあ、っ……ああ、ああ、ああああああああああああ!!」
「 お前の怒りを正しき力へ。……安心するといい、主はお前こそを見ている 」
ほんと、ほんとう、本当?
それなら、早く、迎えに来て。早く抱きしめて。可哀想に、って憐れんで……。
「大罪か……。骨が折れなければいいんですが」
「剣、怖い、怖い怖い怖い!!」
痛いけど、痛くないな。
辛いけど、辛くないな。
岩みたいな人間に無造作に投げられても、頭を打ち付けても、どんなに連れ込まれた部屋が暗くても、どんなに見下ろす瞳が冷たくても、別にもうなにも感じないな。
……嘘。何も感じない、は嘘。
感じている。一つだけを、明々と見つめている。
「……ここ、天国じゃないね」
「――……だとしたら、何だと言うんですか」
「地獄、あるいは魔界?」
言った言葉の響きに笑って、あたしはそうだそうだと続けた。
「神を騙る者がいて、楽園を謳う者がいる!それなのに伸ばす手には武器を持ってて、隙さえあればあたしを殺そうと腕を伸ばす!あは、あははは!またあたしを焼くのね?神に背いたと、隣人に害を与えたって嘯いて!!」
「……ナ、……人の子よ」
「ほぅら!!そうやって神の言葉を使えば神様になれるとでも思っている、その様がいやらしい!目の色が違うと異端なんだ、肌の色が違うと異端なんだ、言葉が違うと迫害の対象なんだよ!――わかる!?あんたの青い髪も、金の瞳も!全部全部!悪魔の証なんだ!!」
あたしは肩から笑ってみせた。
半分ほんとうにおかしかったのと、半分虚勢交じりの大根演技。それでも本当に見えない?だって虚も実も、本当のところ心は一緒でしょ?
「殺してやるから」
「ナール!!今すぐ理解しろ、とは言いません。今すぐ許せ、とも言いません。しかし、我々の言葉に耳を傾けるくらいの努力をしたらどうなんですか!」
「いいえ?――殺してやる、そう決めたんだよ。ううん、そう天の主からお告げがあったから」
「……今、何と」
呆気に取られる騎士風の男を目の前にして、あたしは立ち上がった。
周りの騎士達はどよめている。しかしながら、ただ二人だけ――あたしを冷静に見つめていた。
「あたし、一度殺されたの。主の言葉を自分たちの慰めにしか使わない奴らの慰めとして、殺されたの。手足を縛られて……身体を触られて……火を……」
強く拳を握ると、手首を縛る鎖が朽ちた。
だから僅かに後ろに足を動かして、窓の堀に触れる。
「でも、見て!あたしを見て!あたしは復活した!灰の中から、もう一度生まれた!……嗚呼、主よ。我らが父よ、その声を、あたしは第二の者として、しかと務めを果たします……!」
月明かりを呑んで、あたしは振り返る。暗闇に立つ者を、見下す。
「あたしを魔女と呼んだやつらは焼いた。あたしを打ったやつも焼いた。あたしを助けるふりをして、あんた達を呼んだから、森を焼いた。……あたしはね、魔女じゃないよ。あたしは、聖女なの。聖なる炎から生まれた女、リベカ・レンプ――精々覚えておけ!そして隅で震えていろ!」
あたしが両手を掲げると、その円をなぞるように焔が灯る。煌々と頬を照らし、牢を照らし、漆喰に艶を与え、蛇のように床を伝う。
「手を出すな。……大罪の力か、陛下にまずはお伝えする。一人、走れ」
息を吸って、吐いた。その呼気にも火花が咲く。
まるであたしが炎であるかのよう。いいえ、あたしは炎だ。
全てを焼き、地を慣らし、原初の姿に還し、父に返上する天の審判。
「面白い。
「スワード!?何故ここに」
「陛下の命だ。――女、真後ろの壁を突き破って逃げてもいい、と俺は言っている。さぁ、どうする」
唐突に入って来た銀髪の男が、面白いことを言う。戸惑っている隣の男と反比例して、どうもこの世界もあたしの世界同じく、救えないらしい。
「その姿なき真意に、あなたが気づかれますように」
と小さく祈って、あたしは飛び出した。
「わあ、びっくりした。煤だらけの黒猫が迷い込んできて、やけに大きいと思ったが……少女だったとは」
「痛い……離して!!」
「そりゃ痛いだろう。こんなに擦りむいて、汚れて……ああ、すまないね。手を離すよ」
ふいに飛び込んだ森の奥で、左手を突然掴まれたと思ったら急に引きずり込まれた。抵抗することも叶わずに目を開ければ、眩しいくらいの顔面が目に入ってよく見えない。
見えたころには、風も無くただ緑が生い茂るぽっかりと空いた空間にあたし達二人は立っていた。
あたしを引きずり込んだのはこの女か。銀……とは言えない灰色の紙に、黒の……黒?っぽい色をした瞳の女。
「さあ、こちらへおいで。手当とお風呂……あと睡眠かな。ああ、そうか、食事……まあ色々とやろう。もうすぐ陽が暮れる、寒いのはお互い嫌だろう?」
無警戒の笑顔に、好都合だと笑いそうな頬を堪えて手を取った。
さあ、この女もどうしてやろう――。
満天の空。そこに浮かぶ星屑を背に、彼女は咳をした。
軽い咳だと彼女自身油断したんだろうけど、その唇の先には血が滲んでいる。
あたしの視線に気づいたのか、彼女は向けた瞳を滑らせると隠すように手で拭った。
「エリス、もう……部屋に戻ろう?」
「大丈夫よ。もう少しだけ、こうやって空を見ていたいの」
「でも、もう寒いよ。ユースティも心配するし」
「でも……」
もーう、しょうがないなぁ!とあたしはエリスの近くにふらつきながら近寄った。木造の屋根の上は歩きやすいけど湿気ですぐ滑りやすくなる。エリスの手も借りて近くに腰を降ろすと、そのまま首元を抱き締めた。
「なに?くっつきたいの?」
「こうすればあったかいでしょ!」
「ふ、ふふ!あなた、本当にあのリベカ!?」
「うるさいなぁ!」
じたばたするエリスを抑え込んで、あたしも空を見上げた。炎の登らない、煤を天蓋としない素の夜空を。エリスと一緒に見つめていると、エリスが小さく囁く。
「……リベカ。聞いてくれる?わたしの、秘密」
どき、とした。秘密を持っているのは、あたしも同じだったから。
「わたし、もうすぐ――――」
***
空の向こうにあるという紅影殿。そこに、あなたは眠っているという。
いま、起きている?それともまだ、揺られている?
「エリーシア……」
あたしはあの子と同じ愚者で、あの子と同じように突然この世界で目が覚めた。違うことは、あの子の方がちょっぴり最初の環境が恵まれているくらい。まあ、現状を足し引きしたらあんまり変わらないかも。やっぱり保護者がユースティな時点で、かなりプラス?
でも、拒否権を感じられていないなら……。
「リベカ。また、ここにいたのか」
草木を分ける音がして、水面に灰色の髪と紫の瞳が映り込む。その表面越しにあたしと目を合わせて、その女神は微笑んだ。
「ユースティ……。バレンは、泉は、どうして抵抗しないんだろう」
「……それも自由意志だ。私達は、バレンの意志を操作していない」
「わかってる!わかってるけど……。やだな、ちゃんとあの日に覚悟してたんだけど。最悪ー……ネズミやモルモットなら、まだ楽なのに……」
ひらひらと手を振って、ユースティの肩に身体を預けた。そのまま目を閉じると、屋根の上の夜空がまだしっかりと蘇るよ……エリーシア。
ねえ、エリーシア。あたし、迷ってなんかない。ただちょっと弱気になっちゃっただけ。あんたの友達として、あたし達は絶対にあんたを救うから。
あんたが安心して朝日を迎えられるように、……何度も何度も繰り返すから。
エリーシア、今はゆっくり待ってて。
いつの日か。柔らかい頬で、おはよう、って笑って……。