第12話『もたげられた意志』
文字数 2,343文字
私は身体を起こした。顔に掛る邪魔な髪を掻き上げて、目を擦る。少し小腹が空いたので何か胃に入れようとベッドから降りた。
先程から目に金色の糸がチラつく。何度も目を擦ってみたが、取れる気配が無い。鏡を見に隣の部屋まで行くのも億劫だった。再び眠れば違和感も消えるだろう。
不本意な目覚めに頭は鈍っているはずなのに、どこか冴えている思考がある。変な気分……と、机に置かれていたピッチャーに手を伸ばした。そのまま水を飲み干すと、グラスを置きながらわたしは背後に声を掛けた。
「こんな夜中に、何の用?」
「嗚呼、やっぱり気づいてたんだ」
その声はアスティンさんだった。わたしは振り返り、夜の帳に顔を隠すアスティンさんを見上げた。
「……聞きたいことが、あってね」
「覗けばいいのに」
「憚られたんだよ」
わたしはアスティンさんに掛けるよう促した。しかしアスティンさんは逆にわたしに座れと言う。特に拒む理由も無いので、わたしは座らせてもらった。
アスティンさんは木櫛を手に持つと、私の背後に回って私の髪に手を触れる。
「それで、何が聞きたいの?」
「……彼女を、助けに行くのかなって。貴女は――どうしたいの?」
「……どうも出来ない」
「泉さんは、どうしたいの?」
「助けに飛び出していきたいわ。今すぐにでも」
「スワードの目を掻い潜って抜け出すのは、至難の業だよ」
わたしはアスティンの手を取った。
「……お前は何をしに来たの?」
「……うん。泉さんが望むならわたしが連れ出してあげようと思って、意志を問いに来たんだけど……まさか、ここまで目覚めが早いとは気づけなかったなあ。もしかしなくても、それのせい、かな」
アスティンは、わたしの首に掛る石を見つめた。私はそれを手に取ると、頬を寄せて微笑んでみる。
「ええ。けれど完全では無いし、完全にするつもりもない」
「彼らはそうは思っていないみたいだけど……」
「アスティン。――終わってしまった事には、分別を持つべきよ。誰であろうとも。お前はそれをきちんとわかっていると思っているわ」
「買い被りすぎですよ」
「……わたしは、再び眠る。アスティン、お前にやってもらいたいことがあるの。いいわね」
「……わたしに出来るかなあ」
ぐらりと、頭が傾いた気分。徐々に沈む意識の海の中で、私は海面に出ようと手を伸ばした。けれど、意識はぐちゃぐちゃに粘土を混ぜ合わせるように混濁していく。聞こえていた音、理解できない言葉、全部が全部殻を閉じていく。
私は、力なく目を閉じて揺蕩うことにした。
「泉、おい、泉!」
「は、はい!」
勢いよく目を開けた。「いっつ!」勢いが良すぎて机に膝をぶつけた!痛い痛い!と目を開くと、湊が私の馬鹿さ加減に呆れていた。
教室は既に陽が暮れていた。赤い夕陽が、窓から私達二人を射抜くように差し込んでいる。
「やっと繋がった……探したんだぜ?」
湊は安堵した様に胸を撫で下ろすと、目の前に席に腰から座り込んだ。丁寧に座って貰えなかった椅子と机が、衝撃で揺れている。
「はあ?ずっと此処に居たよ」
湊は複雑そうな表情を浮かべて、私の手を伸ばして――そのまま、雑に髪を押さえ付ける。
「な、なに!?」
犬のように撫でられて誰が喜ぶかー!両手で湊の手を掴まえると、湊はその瞳を悔しそうに歪ませたまま言った。
「……泉。――ごめん」
「……大丈夫?」
話の容量が掴めない。湊がいつもの調子じゃないことだけはしっかりとわかったから、私は湊の手を頭上からゆっくりと降ろした。
「……今日はもう帰ろっか。実花を呼んでくるよ。湊はここで待って――……湊?」
立ち上がり、横を通り過ぎようとした私の手を湊は離さない。行こうにも行けない私は、湊に困惑した。
「ああ。必ず、――帰る」
湊の瞳が、紫を帯びているように見えた。
突然、窓の外の光が強くなる。思わず腕を上げた私に引きずられて立ち上がる湊はそのまま――私を強く抱きしめた。
「みっ、みな、」
「実花を見つけろ。――そのままスワードの屋敷に居座るな!」
「え、なに、を」
「必ず、必ず迎えに行く。いいか、泉――絶対に、実花を見つけろ!!」
強い閃光。白い白い太陽の――いいえ、これは何の光?
解かれた身体、感じていた温もりは――ベッドの中で冷え切った。
けれど、耳元に残された言葉は鮮明に私の中にある。始めてこの世界で目を開けたように思う。守護石を握りしめて、私はベッドを出た。
顔を洗って、フライアさんがいつも施してくれるスキンケアをした。服を自分の意志で広げて、包まれる。いつもより動きやすい服にしよう。広がりの少ない、この服を。白と赤で彩られた町娘のような比較的素朴な服。――これでいい。
ベルは鳴らさない。ピッチャーの横に置かれていた櫛を取って、髪を撫でつけた。そこまで乱れていなかったから早々に私は自室の扉を開ける。
「……アスティンさん」
「おはよう、泉さん」
窓から風を受けて外を見ていたアスティンさんが、私に答えを求める瞳を向ける。
私は頷いた。手を伸ばして――この心を告げる。
「私を……王都へ連れて行ってくれますか」
アスティンさんは、この手を取ると恭しく膝を付き頭を垂れる。そのまま唇が甲へ落ちると――橙の瞳が笑った。
「名に懸けて」