第108話『愛離の天使に当てた手紙』Ⅱ
文字数 3,168文字
大人しくシリウスの後ろをついていけばよかった、とあらゆる視線を浴びながら思い直していた。だって、だって……!すれ違うメイドや執事や騎士が、微笑ましそうに、見るんだもん!!
頬から発火して頭が爆発しそう。空いている左手で仰ぎたい、許されるなら……!
しかし、窓ガラスの反射を見たら少し落ち着いた。
赤い絨毯の上をゆっくりと歩き寄り添い合うわたし達は、まるで絵画のようにあらゆる硝子に描かれていたから。消えては映り、移れば消える。女王と騎士の恋模様の彩りを濁すことは、随分と無粋に思われた。
「おはようございます。皇帝陛下、騎士団長殿」
「はい。おはようございます。……エリーシア様?」
気づけば目の前に大きな扉があった。両側に騎士がいる。……着いたの!?返事のテンポが遅れたからシリウスが私の顔を覗き込んでいるし!
「お、おはよう」
顔が引き攣っている気がする。早く扉を開けなさい。
そんな意志が届いてしまったのか、一礼の後に開かれてしまった扉。光が舞い込んで、僅かに目を細めた。その中に引かれた腕の力のまま、靴音を響かせて扉を踏み越える。
ベルベットな赤に統一された間に座っていたであろう皆が立ち上がり、深々と頭を下げていた。
惚けている場合では無い。頭を数回振って、息を吸った。
「顔を上げて」
驚いた。リアラがもういる――――。
「おはよう、皆。あー……ご飯、食べよっか!」
くすくすと笑いが起こる中に、一人だけ厳めしい顔でお世辞にも笑おうとしない男がいる。
……銀の短髪に橙の瞳。この中にいるということは……あの男がスワード!
嫌な心臓の音に冷や汗を浮かべて、わたしはどうも言葉を間違えて気がしてならないと笑いながら心で泣くしかなかった。
やっぱりご飯の味もしないや!ずっと見られてる気がするし!駄目なところがあるなら言葉で言いなさいよ言葉で!
……一旦、心を沈めたくて水を呷った。ようやく味がしてきたような。まだしないような……。
グラスを静かに置いて、この会食の間に集まった四人をバレないように見た。二人ずつこの長机に左右に座っているから、無駄に長い机に随分と大きな空白がある。私の右に、近い順にスワードとリアラ。左側にシリウスと……アルピリ。
「アルピリ?」
しまった。つい口に出してしまう。
咄嗟に口に手を当てても、……遅いようだ。アルピリは和やかに首を傾げてみせた。こ、れは何かを言わなくては……。
何を言おう何を言おう!?今日もイケ叔父具合に拍車がかかってるね!?どうして起きてるの?朝早くなった?違うじゃんなんか無難な、無難な――――!!
「アルピリ……のー……」
の――!?所有格!!
「のー……街……」
「トルーカに行きたいのかィ?俺っちの翼があればァー、今すぐにでも飛んで行ってやれるなぁ。そこの頭の固い騎士様の許可さえ取れるなら、朝食後にあ」
「出来ません」
シリウスの笑顔の一撃がアルピリに直撃した。
わたしが仕掛けたはずだが、結果的にアルピリが会話に沈められたようで……可哀想に。と思わなくもないけれど、今はご飯を食べましょう。
「まーじで頭が固いぜ騎士様ァ!その顔は『いいですよ』って顔じゃねェか!?」
「出来ません。エリーシア様は目覚めたばかりなんですから、まずは溜まっている書類を……」
「固い固い!準備運動もさせないつもりかィ?これじゃァ、明日は筋肉痛だねェー……。がんば、エリーシア皇帝陛下!」
「……ありがとう」
じゃあストレッチの相手になりなさいよ、とでも言いたくなったけど、まだ言える距離感じゃないな。言えるんだろうけど。
さあて、スワードさんのご様子は……あー……あ……。
もう食べるのやめてるね。もはや紅茶を飲んでいる。ってどうして目が合うの!?
「何か?」
「食事はもういいの?」
「必要性を感じない」
「今は――でしょう?」
リアラが横から顔を出した。スワードは眉を顰めている。
「今は?」
「はい。スワードは研究に息詰まった時に暴食するのです。あら、陛下には黙っていたほうが良かった?」
「……別に」
まあ、とわたしも笑った。なんだなんだ、案外親しみやすいところもあるのかも。
そう思えれば、不思議と舌に味が乗って来た。金の匙で救うミルク色のスープも舌触りがよく、脂身に似たコクがとてものど越しが良い。こんなに美味しいのにいらないなんて、人生の半分は損してるねスワード!
「はぁ、お腹いっぱい……。ねえ、リアラ。明日からはパンと牛乳でいいよ。こんなに食べたら太るし」
「はい。かしこまりました」
お腹を撫でながら立ち上がると、やはり腹部の重さを感じる。少しでも消化を促したくてお腹を撫でていると、耳元で男の笑う息を感じた。
うわ、来る。妊娠何カ月目ですかー?って言うあいつの顔が!
「あのねぇいくら食べても太らないあ――――……アルピリ、何その顔」
「いぃーえ?わたくしでよろしければ、背負って運んでさし上げ」
「わっ!あ、スワード……もう行っちゃったんだ」
アルピリの気持ち悪く上がった口角が全てを語らない内に、扉が閉じられた音が響いた。肩を揺らして驚くと、この場にスワードが既にいない。うるさかったのかな……と不安に思っていると、シリウスが己の胸元に手を当てて頭を下げた。
「この後はリアラがご案内します。陛下は御目覚めになられたばかりですから、どうかご無理はしないようにお願いします」
上げた顔に見下ろす目が心配ですと語っていた。わたしは笑いながら髪を甲で払うと、大丈夫よと伝える。そうして和らいだ目に此方が安心した。ふうん、そっか。これが、恋人ってやつね……!
「陛下。城内を歩いているので、顔を緩めないでください」
「ふふっ……ごめん」
「蜜月後だから余計頬っぺた緩むンだよなァ?」
「アルピリはうるさい」
「辛いぜ……」
リアラだけが部屋についてい来ると思っていたが、アルピリも一緒に来てくれた。しかし私室には入らないようで、先に執務室で待っているようだ。今日は先に取り掛かって欲しい案件が一つあるから楽しみにしておけ、と言って手を振って消えた。……楽しめることならいいんだけど。
「え、また着替えるの」
「当たり前です!今の御召し物は朝食用ですから」
「朝食用……。別にこれでいいよぉ」
「いいえ、いけません。さあ、腕を上げて!」
胸の前で腕をクロスにして抵抗しても、ドレスは一枚の布であったかのようにするりと足元に解けてしまった。目を開いてひとりでに脱げてしまったドレスを見てリアラを顧みれば、肩を竦めている。
「どうそ、お好きに……」
もう抵抗はしません。サレンダーです。とリアラを迎え入れるポーズよろしく腕を広げた。そのまま優しく抱きしめられるように巻き付く布は心地よい衣擦れの音で結び止まり、胸元がきちんと締まるドレスに形を変える。先程までの赤!という色合いではなく、グレーの近いホワイトというシンプルな調整に変わった。それでいて光の具合で微かに青にも緑にも見え、音もなく息を吐いて鏡に映る自分を見つめている。髪を結うか?とでも言いたげに髪房を持ち上げたので、首を横に振った。謁見の予定が無いのなら、このまま身軽……
立ち上がり歩き出すと、まあ歩き難いことはない。パニエがわたしの歩幅に合わせて自分で避けている……?わけないか。
「待たせたわね。話を聞くわ」
「肩凝らないように、回したほうが良いンじゃ?」
「……そんな話なの?」
執務室に入り自分の椅子に座る。その右にリアラが立ち、机を挟んだ真正面にアルピリが立つ。アルピリはわたしの目の前に紙を一枚置くと、胸を動かして息を吐く。
「平時なんて、もうねェな。話を――いいや、命の選別をしよう。エリーシア」