第49話『Amber eyes』

文字数 4,021文字

 朝起きて、制服に腕を通して、鏡の前でにっこり。
 違和感はない。少しのやり辛さは感じたけれど。

 下からママの声が聞こえる。早くしなさい、と言っているんだっけ。
 部屋を出ると欠伸をしている妹の後ろ姿が見えた。慌てて私も階段を降りていく。

「おはよう、真理、泉」

「おはよう~」

「おはよー……。パパは?」

 リビングに珈琲を飲んでいるパパの姿は無かった。ママはトーストパンを机に置いて、振り返らずに答えてくれる。

「もう出ちゃったわ。最近忙しいって言ってたじゃない?」

「あー……そうだったね」

 ううん、苦笑。
 嫌なことは朝から考えたくはない。頭を叩いて、私はトーストに齧りつく前に牛乳が入ったコップを手に持ってキッチンへ入った。

「砂糖使うの?」

「え?うん。……もしかして無くなりそう?」

「あ、ううん。違うの。最近使ってなかったから……」

「――――あはは。まだまだ大人には近づけなかったのである」

 咄嗟に視線をママから逸らすと、見事に真理と噛み合った。真理は何度か目を瞬かせた後、少し上機嫌な様子でパンに齧りついている。……眼鏡にパン屑付いてない?

「う、うま……。やっぱ北海道の牛しか勝たん」

「それ熊本」

「変えたのママ!?」

 冷静な真理のツッコミにママは笑いながら、牛乳パックを見せて来た。おおう、物の見事に漆黒のクマが笑っている。美味いなー!熊本ー!!
 なんて涙腺にきそうなほど暖かい朝を迎えていると、時計は8時を示していた。靴に鞄にスカートの長さに注意して、私は駆け出す。

「いってきまーす」

 真理は早くに出ちゃうから、私は焦り気味に一人で坂を下っていく。携帯は鳴っていない、時間も、このペースでいけば数分の遅れに、

「っ――!……実花?」

 突然腕を取られた。焦って振り向くと、肩を上げて息をする実花が私を見つめていた。

「……お加減は……いかが?」

「――――…………。…………ご、御機嫌よう?」

 昨日から何?その台詞。
 お嬢様ごっこ?貴族ごっこ?今どきの高校生が加減は如何かしらウッフーなんて言い合わないでしょ。どっかにあるお嬢様学園でも、最初の台詞は御機嫌よう、だよ、多分。

「…………。――おはよー!泉!」

「え!?お、おはよ……」

 無かったことにされた!?え!?私は弄ばれている!?もしかして湊と実花に弄ばれている!?
 一気に頬が紅潮する気分だ。私は実花の手を掴み返すと、さっさと待ち合わせ場所に向かおうと、

「ぶぉっふ!?っっ……もー!さっきから何!?次はみな…………すみません!大丈夫ですか!?」

 私の顔面を覆う位の物質にぶつかった私は、最初湊にぶつかったのかと思った。二人して何なんだ!と目を吊り上げて摩り減ったかもしれないお尻でぶっ飛ばしてやろうかと顔を上げると――、そこには疲れ切った顔で完全に動揺しきった瞳をゆらゆらさせた男の人が、日陰を造る巨木のように私を見下ろしていた。
 私は焦ってしまって、すぐにその口で謝罪を述べた。

「け、怪我とかしてませんか?ほ、本当にすみません」

「っはー、歩く時は前を見て歩きましょうね?泉ちゃん」

「……湊ぉ……」

 男の人の奥から、斜めに目を滑らせた朝から元気な湊が、愉快そうに頭の後ろで腕を組んで登場してきた。理由も無いけれど、ムカツクなー。

「泉も大丈夫?」

 実花が私の制服の埃を払いながら、心配げな瞳を揺らしていた。頷いて、もう一度男の人を見る。呆然としたように、……何を考えているかわからない男の人が、ただ私を見ていた。

「だ、大丈夫ですか……?」

「あ、ああ……――うん。大丈夫、ありがとう」

 生気が、宿った気がした。
 その影になる瞳は、日本人の色では無い。空覆う葉桜の色よりも濃い色を顰めた髪が、風に揺れている。

「邪魔をしてしまって、ごめんね。じゃあ、また……」

「え?また……?」

 そうして、反対方向へとその人は行ってしまった。
 早く行こうと実花と湊に言われるまで、私はずっとその人が消えた方向を見ていた。

 腕を引かれる中でも、その人のことを考えていた。
 記憶の中に、あんな外国人風に男の人はいない。
 芸能人に似ているのだろうか。――だから、こんなにあの笑顔が…………。嬉しそうに笑うあの仄かな笑顔が、胸に残っているのだろうか。

「う~~ん!!も~~やだ――――ッ!!」



***

「はよー」

「湊!!次の試合は出てくれるんだよな!?」

「…………いいぜ!」

「…………そこをなんとかっ!!えっ」

 教室のドアを開けたらそうそう、湊が猛烈アプローチをくらっていた。拝まれた湊は最初、宙に白目を剥きそうなくらいふんぞり返ってたのに、急にピースまでしちゃってそんな笑っちゃって相手の男の子悩殺されてない!?

「いこ、実花」

「え!?え、……うん」

 実花を引っ張ってするりと教室に入った。日直じゃないな、よし。
 私は席に着くために実花から手を離して、机と机の間を一度ぶつかって進んでいるとその女の子は凛とした声を私に向けた。

「上山泉さん」

「…………おお、昨日の。鏡子ちゃん」

「…………おはようございます。上山泉さんの席は鏡子の前、ここですわ」

「……そうだったね!いやあいやあ、最近物忘れが激しくって――――あ、おはよう!」

 どすんっ、と自分でも動揺しきった声が丸わかりな調子で席に座った。嗚呼、どうしようどうしようどうしよう!!
 私、本当に、記憶が――――。
 記憶が、ないみたいだ。

 じゃあ、どこからあるの?どこまで過去を遡れば、私の記憶はあることになるの?
 カレンダーを見る。初夏に傾いたまだ肌寒い季節に、制服の変更はない。でも、でも……。私の記憶に、この席の配置は無い。
 湊はまだ喋っている。実花は――――。

 音がするくらいに視線が絡まって、私は咄嗟に鏡子ちゃんへ振り返った。鏡子ちゃんは視線に気づいて、本を閉じて私を見つめた。

「……上山泉さん。覚えていますか?」

「泉でもいいよ?」

「……上山さん。記憶に留めていらっしゃいます?」

 眉間に皺が寄っている。私は頭を掻きながら、頷いた。

「放課後だよね?わかった。湊と実花には言っておくから」

「ええ、お願い致しますわ」

 嗚呼、今日は本当に嫌な日だ。
 捲るノート、知らない板書ばかり。見通す教科書、どこまで進んだの。知らない課題は、私の文字でやり遂げられていた。

「……」

 一人、教室と言う集団の中で、一人。
 穏やかな季節が運ぶ色彩と、私の頭を高速で掻き回す雑音が相反しあっている。上がる心拍数を隠すように深呼吸をすれば、湊と実花の目が私に向いている心地がする――――。

 


「どうしちゃったんだろ、私…………」

 荒ぶった胸を鎮めるように、私は箒を持って隅を掃いていた。実花と湊には言えなかった。余計な心配をかけたく……というか、何故か話そうと思えなかった。どちらかと言えば、話したく――――。
 首を振る。どうかしている。私は、昨日からどうかしている。体調でも悪いのか、もしかして熱でもあるかもしれない。

「いた……」

 いつのまにか握りしめていたペンダント。その跡がくっきりと、私の掌に残る。

「外さないと……」

 チェーンを両手で持って、首を下げて、ペンダントを引き上げようとした。手が止まる。少し嫌な、このままでも別に、という思考が浮かんで、首を振る。
 引き上げる。顎から、鼻から、目から離れて――――この、手に。私から離れたペンダントが、赤い光を返していた。

「いずみーゴミ持ってきて~」

「あ、はーい!」

 そのまま制服のポケットに入れておく。家に帰ったら、壁にでも掛けようかな。
 綺麗なペンダントだ。……誰から、貰ったんだっけ…………。

「……かけてたんだから、大事なもののはず」

 息を長く吐いて、私を呼ぶクラスメイトの下へ小走りに行く。不思議と、不安な事を隠して笑うことは上手く出来ていた。

 教室に戻る帰り、実花と湊が階段の踊り場下で話しているのを見た。私が駆け寄ると、二人は笑って手を振り返してくれる。そこでスピードを落としたけれど、実花は私が近づくまで私を笑顔で見ていた。

「あのね、今日の帰りのことなんだけど先に帰っててくれる?」

「ぶうー、俺は助っ人だから元々帰れねぇ。実花ちゃん、一人で帰ること出来るかなー?」

「えー!どうして?泉何か学校に用事でもあるの?」

「そうそう。鏡子ちゃんとちょっと、ね」

 実花は両手を握りしめると、一度目線を下に落としてそのまま見上げてくる。

「あたしもいちゃ駄目?」

「うーん……別にい」

「……い?」

 待て。待てよ。実花に鏡子ちゃんをぶつける……――――うーん!混乱、混乱を呼び混乱、阿鼻叫喚!?

「……実花にはまだ早いかもしれな」

「聞きましたわよ」

「……鏡子ちゃん」

 げえ、と音を漏らすと後ろから鋭いビームが飛んできている感じがすっごいする!!やばい!御口チャック!!

「失礼、今日一日……もしくは数日、上山さんを鏡子にお貸しくださいませ。お願いいたします」

 鏡子ちゃんは風を切って私の目の前に立つと、嫋やかな動きで頭を下げた。長い髪房が肩からするりと垂れ下がる。

「お、おお」

「え、えと!大丈夫だよ、学校を案内――してもらうんだよね?ちょっと寂しかっただけ……だから!大丈夫!あたしだって大人だもん」

 実花と湊は高速で頷き合っていた。私は少し笑って、うんうんと頷いて――少し頭を傾げた。こんなにあっさり行くとは。少し拍子抜けだ。
 予想では、実花は――。

『あたしだって学校案内できるもん!それにそれに、あたしも鏡子ちゃんのこと知りたいなぁ。……駄目?泉……』

「ぐ、いいよ……」

「何に許可を出しているのですか?上山さん」

「は!?」

 気づけば、そこには私達二人だけだった。はあ、と溜息を吐いた鏡子ちゃんは私の横を素早く擦り抜けもう階段上ってる!?

「ちょ、待ってよぉー!」

 み、実花と泉が私を置いて先に教室に戻っている……!ゆ、ゆるさーん!!お陰でチャイムギリギリじゃんかー!!
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登場人物紹介

・上山泉(かみやま いずみ)

 街の市立高校に通う、今年3年生になった女子高生。勉強は中の中、体育も普通。自慢と言えば、美人な実花と色々有名な湊との幼馴染であることくらい。同じ高校に入学したばかりの妹がいる。

 愚者の一人。何も知らず何もわからずに振り回されている。護衛のアスティンをかなり心配している。

・佐倉湊(さくら みなと)

 泉と同じ高校に通う。実花とお似合いだ、と密かに囁かれる程の顔と身体能力を持つが勉強はあまり目立たない。男女分け隔てなく接し、締めるところは締める手腕で教室の主導権を握っている。未だ女子からの告白が絶えず、それが遠まわしに泉を傷つけていることを実花に何度も指摘されている。

 愚者の一人。単独行動を厭わない。この世界でもあの世界でも、取捨選択を迷わない。

・安藤実花(あんどう みか)

 泉と同じ高校に通う。街一番と言っても過言では無い程の美貌を持つ。しかもないすばでぃ。しかし、本人は自分の容姿を理解しているものの、興味が無くいつも泉を飾ろうをしている。幾度と無く男子を振ってきたために、もはや高嶺の花となってしまった。

 愚者の一人。強固となった意志で、その人の隣を離れない約束を更に固いものとした。

・安倍 鏡子(あべ きょうこ)

 最近泉たちの街に引っ越して来た、転入生。自信に溢れ、それに伴う実力の持ち主。日本に残る陰陽師達の頂点に次期立つ存在。

・玄武(げんぶ)

 鏡子が従える『十二神将』の一柱。四神の一柱でもある。

 幼い外見に反した古風な口調。常に朗らかな表情であるので、人の警戒を躱しやすい。

・スワード=グリームニル

 三大諸侯の一人、東の諸侯。銀の髪と橙の瞳を持つ優しい風貌の男性。愚者である上山泉を保護し、その身をあらゆる危険から守ろうと奔走している。

 宮廷魔導士団の団長であり、魔法術を司る。橙の瞳を持つ全ての者の頂点に立つ。

・アスティン

 東の諸侯、スワードの側近的な存在。深緑の髪と橙の瞳を持つ柔和な性格の男性。知識を司る。

 泉の護衛……と本人は胸を張っているが、どうにも……。

・フライア

 東の諸侯、スワードの筆頭侍女。ダークブロンドの髪と橙の瞳を持つ女性。外に対し感情を見せないが、内に対しては凛とした姿の中に微笑みを見せる。アスティンのお陰か、戦闘能力の高さが伺える。

・バレン

 青を混ぜた金色の髪と、薄桃色の瞳を持つ可愛らしい少女。声と容姿、仕草に雰囲気――少女を見る少数の者達は、心臓を貫かれたような痛みを思い出すだろう。

・アレウス

 円卓の騎士であり、騎士団の長。ミルクティーの様な、と形容された髪と金の瞳を持つ男性。伏せ目がちな目と、低い声が相まって不気味さを醸し出している。

 特定の人物に対して、執着を持つ。

・ヨハネ

 円卓の騎士。序列第二位。ブロンズの髪に金の瞳を持つ、笑顔を絶やさない男性。かの使徒ヨハネと同一人物である。

 殺しをもはや厭わない。

・リアラ=サルース

 三大諸侯の一人、西の諸侯。赤銅色の髪に緑の瞳を持つ女性。

 現在においては些か感情の起伏に疎い様に感じたが、過去においては……?

 

 緑の瞳を持つ者の頂点に立つ、一人。


・アルピリ=サルース

 三大諸侯の一人、西の諸侯。赤銅色の髪に緑の瞳を持つ初老の男性。竜の姿を持つ。

 主に風を支配下に置いており、癒しの全てはサルースから発生している。


 緑の瞳を持つ者の頂点に立つ、一人。

・巫女(みこ)

 濡羽色の髪に、愚者を示す色の瞳の女。一目でわかる巫女服を身に纏い、古風な口調で話す。弟である巫に公私を叩きこんで長年立つのに、上手く分けられない様子にそろそろ手刀だけじゃ物足りないのか…と真剣に悩んでいる。

・巫(かんなぎ)

 濡羽色の髪に、愚者を示す色の瞳の少年。古風な装束を身に纏っているように泉は捕えているが、その服は身のこなしの軽やかさを助けるように出来ている様子。舞が得意で、昔はよく姉の演奏と共に神楽に立っていた。公私を別けることに拙く、すぐに己の意とする呼び方を口にしてしまう。

・エリーシア

 先代の王にして、初代。

 その大いなる力で、三千世界を創造したと言われる。

・シリウス=ミストレス

 神々が住まう国にて、その頂点に座す神王。

 冷酷な紅の瞳に、地を這う紺碧の髪。

 枯れ果てた神々の庭を、血で、雨で、濡らし続ける。

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