異 悲忠の騎士 Ⅰ
文字数 5,133文字
獣道――とは言えなくともおよそ人が通る道ではない野の道を駆けていたエリーシア一行は、丘を目指していた。しかし、その道を塞ぐ一人の少女によってその足を止めざるを得なかった。
その少女は木の幹に背を預け、浮かぶ陽を眺めていたようだ。まだ遠くを見ている瞳がエリーシア達に顔ごと向いていた。ぼやけた意識のまま、おそらくは……エリーシア達に声を掛けたのだ。
少女は頭を一度左右に振ると、木の影から出て来て微笑んだ。緩やかに細めた瞳の濁り切った金色を剥き出しにして、手を小さく叩く。
「すごいねぇ、ヨハネを倒せるなんて……ちょっと期待してもいいのかなぁ?」
エリーシア一行はあまりの不気味さに皆、表情を変えれず息を呑んでいた。この少女の微笑と言えない口元も、左右不揃いに細められた双眸も、あまりに不規則な拍手も――――全てが目の前にいる薄桃色の少女を飾るものだから。
皆一様に、警戒しか出来ない。
「……ルイーズ……?」
そんな中、声を掛けたのはエリーシア。
薄桃色の少女は、その問いに笑みの仕様を変えないまま「へぇ」と低い声を落とす。一度視線を鏡子へと、――鏡子は生唾を呑み込んだ。
「自己紹介がまだだったなぁーって思ってたんだけど! いらない? いらないの?」
こてん、と薄桃色の少女は首を傾けた。
そしてその時に見えた魔女に目を丸めると、彼女はけたけたと笑い始めた。
「わあ、わあ、わあ! ――ボク、覚えてるよ! えっと、えー……と……リベカさん!」
指をリベカに向け、薄桃色の少女は笑う。
その声の上げ方に不快感を滲ませたリベカは、眉を外からも見て取れるほどあからさまに顰めている。
「――あれ、あーれ? なんで魔女が二人もいるの? んー……、そしてなんで、」
薄桃色のカールのかかったツインテールは、少女の動きにそって緩やかにやわらかく揺れている。
エリーシア一行全員の顔を一歩一歩距離を詰めながら見つめて、その唇は笑みを浮かべながら、指を唇に当てながら――ルイーズは、目を細め言った。
「テミス様は、いないの?」
「――お前がそれを言うのか!?!?」
咆哮にも近いリベカの叫びと共に、彼女の身体が浮き上がる。それを待っていたかのように歓喜の鈍色を浮かばせたルイーズは、獣を抑えた竜に嫌悪感を露わにした。
「抑えて……っ! あなたじゃ円卓には敵わない!!」
「離してリアラ! こいつは、
リベカはもがく。
衝動のまま、この少女の身体を引き裂きたくてたまらないから。
あの日、降りしきる雨の様な悲しみに身体を冷やして震えていた最愛の友を、思い出さずには居られなかったから。
リベカは、目の前で何も失わずに立っているこの女騎士を八つ裂きにしたくてたまらないのだ。
「……サルース卿、ボクはさァ、卿だけは見逃してあげなくちゃいけないんだよねぇ」
ルイーズの黄金の瞳が低く唸る。
対するリアラは、口元を引き締めて目の眼光を僅かに細めた。
「条件付きなんだけど、なになに、簡単なことだよ。ボクと一緒に頑張って、この人たちを殺せばいい!」
「……どうして、でしょう?」
「それも簡単。――だって此処にいる
――――黄金の瞳が開かれて、色を残した。
「あはははは!! やるね、君、やるね!! すごいすごい! ボクの切り込みによく耐えられてる!」
「る、イーズ……!! やめて、こんな、こと、やめて!」
ルイーズの掌に何時の間にか握られた槍と、目には残らない速度で消えた彼女はその槍をリアラに向けて振り上げていた。
それに反応出来たのは――エリーシアだけ。
闇を纏う守り石が、辛うじてリアラから槍の軌道を避け、背後の木々に誘導していた。
身体を委ねたエリーシアは剣を左に向けながら、己の頬に剣が当たらない様抗うために腕が震えている。エリーシアには、ルイーズが本気を出していないことが感じ取れた。――でなければ、いくらアンスとてこの速度に反応は出来ない。安堵と共に浮かび上がる疑問。だが、そんなこと考えている余裕が……!
エリーシアによって弾かれたリアラの手もまた、震えていた。
――見えなかった。わからなかった。
エリーシア様、貴女が助けて下さらなければ私は確実に、死んでいました。
……確実に、首が落ちていました。
「すごぉぉい……君、――あの魔女と瓜二つなんだね……」
槍から手を離さないまま、黄金の瞳がエリーシアを覗く。彼女の金色に底知れぬ闇を感じて、エリーシアは身を震わせた。アンスは「距離を取る」と一言告げると、エリーシアの身体を木とルイーズの間から瞬時に出しルイーズの後方で剣を再び構えさせた。
ルイーズは一度脱力したように首を傾けると、一気に槍を引き抜き――振り返りざまに笑った。
何とも可愛らしい笑みで……しかし、瞳の色があまりにも狂気に浸みていた。
「アスティン、リアラ、鏡子は下がりなさい。――リベカ、補助で良いわ。動いて」
顔を顰めた鏡子とは反対に唇を噛み己の弱さを自覚したリアラは、力強く――半ば無理やり頷いた。アスティンは鏡子の腕を取り「さあ、行こう」と促すが鏡子は目を見開いたまま首を横に振った。
「安倍さん」
「いいえ。――鏡子が戦場に居なくて、誰があの子を守るというのでしょう」
ルイーズは鏡子を望んでいる。
それは、先程から頻繁に視線が交じり合う鏡子が一番強く感じていた。
「鏡子はあの子と契約したのですわ。……だから、最後まで」
苦しい吐息を一度漏らしそうになったアスティンの息を一瞬だけ止めたのはリアラだ。
ルイーズを射止めていた鏡子の目からリアラは見えないが、既に後方へと足を進めていたリアラは鏡子を射抜く眼差しで見、言った。
「――まさかこの私が傍観の為に、エリーシア様を死地へ残すとお思いですか」
アスティンは久々に氷の様な戦慄を感じた。
ならば鏡子が浴びるこの空気は、どのくらいに痛いのだろう。
「下がりなさい。――人間、安倍鏡子」
鏡子の顔が見えるアスティンが、ちらりと鏡子の顔を見ると――その瞳は悔しさを湛えていた。
唇はどちらの意味を取って震えているのか。
鏡子は一度深く息を吸うと、勢いのまま踵を返す。――敵に背中を見せることに成ってしまったが、勢いは止められない。幸いにも鏡子が敵に背を晒すとなろうとも、そちら側にはリアラの視線が向いている。
「よく耐えた。偉いよ、安倍さん」
頭を優しく撫でられるその下の眼は、強い光を静かに灯した。
「どうするのエリーシア。――二連続で円卓とかどこの御前試合? って話なんだけど」
「……わかってるもん」
「もん、もんって!」
瓜二つの容姿の少女二人は同じ直線状に立つ。
一歩踏み出せば落下するかの如く恐怖の中、リベカは吹き出してしまった。――その空気を読んだように、目の前のルイーズもまた笑みを浮かべた。
「……一応、聞くけどさ」
エリーシアは武器を再び構えた。ルイーズはそれに頷いて、彼女も槍を構えた。
リベカは喉に湧く感情を飲み込んで、薄ら笑いで聞く。
「案、は?」
「――――ないわよ!」
「いいの!? もうボク、動いて良い!? じゃあ、じゃあ――――殺し合おう!」
エリーシアの覇気がルイーズには始りの音に聞こえた様で、嬉々とした声と共にルイーズの身体が飛び上った。舌打ちをしたリベカは咄嗟に右方へ身を投げ上空から己を視認できない様にする。
またエリーシアは左方へ身を投げ、その場には誰も居ない。
それなのに、ルイーズは最頂点に達し下りながら愚直にも見える真っ直ぐさでその地面を目指した。
頭を下として、槍を下として、――重力による速さを加速させながらひたすらに落下していく。
アスティンと鏡子を背に隠したリアラは、落ち行く彼女を固唾を飲んで見ていた。
矛先が陽を受けて煌いた。
――――リアラは右手を瞬時に出し、「私の背後から出ないように!」と短く言葉を飛ばすと
円卓とは王が所持する一方的な
各時代、各世界に生まれ落ちた資格有る者を王自らが見初め召し上げられた――人の殻を纏った力だ。
だから、常識的に円卓に勝てるのは三人のみ。
一人、――勿論主である王。
武力そのものは円卓に凄まじく劣っていたが、彼女に剣を向ける円卓など考えるだけで無駄というもの。彼女が悪政に奔ろうとも、円卓だけは最後まで彼女の玉座を守るだろう。そういうものだ、彼らは。
一人、――武力を核として創造された王の剣、シリウス。
彼は彼女の中に秘められた武を抽出して造られた存在であるのだから、純粋に強い。それ故に彼女により円卓を纏める地位につき、それがやがて王の側近としての地位を持つ羽目になってはしまったのだが、強い者であり彼女から信頼を寄せられる者であるならば良し、と考える円卓により彼女とは違った忠誠を捧げられていた。
そして最後は――魔、法、つまり人の世が捨てたあらゆる神秘を核として創造された王の盾、スワードである。
彼は円卓と直接的な関わりを持っていない。彼は宮廷魔導士団、という円卓とは別側面の組織を纏め上げる――簡単に言えば、シリウスとは対になる存在である。そのために彼もまた、純粋に強い。剣を持ち法術の類を禁じられればスワードは円卓に劣り、負けさえするだろう。しかしスワードは剣を持ち戦う為に造られたのではない。彼は全属性全魔法術を身体に湛えるべし、とされた存在なのだから魔法術面で彼より劣る円卓に負ける筋合いはない、というものだ。
したがって、今この場に狂気に染まる
居ない。ヨハネが示した様に――円卓は、エリーシアに気付かないのだからその線は消える。
エリーシアは、彼らと剣を交えるたびに実感させられるのだ。
わたしは確かに、死んだのだと。
肉体は勿論、彼らの世界で、彼らの常識の内で――わたしという存在は居るはずがないのだ、と。
彼らに切れる最大のカード、エリーシアは既に存在しないカードになったのだからそれを掲げても笑い飛ばされるだけなのだ。
だから、彼らと剣を交えるのならば――殺さなければならない。
少なくとも、心を支えるこの柱は不可欠だ。
第一、円卓も倒せないようならこの先に待ち受ける彼に―――――、
傷一つ、付けることは叶わないだろう。
思考が罅割れる。気づけないままに、元に戻っていく。
ルイーズが大地へ向ける矛先が、あと寸前で突き刺さる。リベカとエリーシアは咄嗟に木の上に昇った。アスティンが鏡子を抱き、リベカが僅かに前に出た。
鏡子の瞳が開かれる。アスティンが鏡子へ覆いかぶさる。
僅かに食い込んだ矛先、その点を中央にして、緑色の線が円を走り描かれた。
ルイーズは地面を崩落させようとした。結果的にこの全てを葬り去れるだろう最短の手だ。
リベカは彼女の降下の途中に、数ある解の内の一つにたどり着いた。
故に、ぶつかり合うのでは無く受け止めることを選択した。
一つの矛が起こした大地へのノック。その衝撃を我が竜の権限をもって、生命の一とする。
命の花が次に綻ぶだろう。ならば未来を掴む蔓を伸ばせ。絡めとり、縛り付け、――搾取せよ。
「んぐうっ……!!」
あとの要らない余波は、我が身体で受け止めることにする。
「っっ、うう……!!」
まあ、こんな痛み。エリーシア様が背負っていらした全てに比べたら、なんて、柔い……!
「アスティン様!!」
アスティンの身体の隙間でその光景を僅かにでも見ていた鏡子は、咄嗟に彼の腕を掴んでその場から距離をさらに稼いだ。
地に縫い留められた少女騎士は、嫌な笑顔を浮かべたまま宙の身体を降ろそうとして――――。そして、その脇から――ふたつの黒が飛び出した。
「沈めぇぇええええええ!!」
叫びと共に飛び込んだのはリベカで、
「ヘレル!!」
命を刈り取ることに長けた武器を手にしたのがエリーシアだ。
瞬時に事を理解したルイーズは、決して視野を狭めないで声を漏らした。
身体は動かない。目下に誰も居ないのに、何故か視線を浴びているようだ。左右の二人は今にも己を殺す勢いで――嗚呼、嗚呼、楽しい! 楽しくて仕方がない!! 身体が歓喜に震える! この奥が疼く! 狂おしい! 愛おしい!! 嗚呼、嗚呼!
「嗚呼!! たまらないよ!!」
元々はこの一槍に込めた力。
それをルイーズは、全身に巻き戻し周囲に魔術陣を描くことによって、爆発させた。