第79話『上山姉妹』Ⅰ
文字数 3,662文字
「ううう、ええええ!気持ち悪い……胃の中がぐるぐるする目の前もくらくらする……」
「門が開かぬ。……泉!酔っておる場合では無い!」
ぐらぐら揺さぶられて、ストップストップ今胃袋に全集中してリバースを我慢しているんだから本当に待ってよ!!と、玄武の腕を掴んで――ついでに我慢する為に握りしめる仏の役割もしてもらって――私は落ち着きを取り戻した。
焦点が合うと、玄武くんの苦笑いが目に入る。
「……大丈夫っぽい。ありが――……!?外!じゃん!」
「外!なのだ」
森の頂上じゃない!ここ、教会の外だ!
後ろを振り返ると、高い門が閉じられている。奥に教会が見えて、試しに揺する門は僅かにも浮かずに、ひんやりとした温度のみを伝えてくる。
玄武が宙を登ろうとした――その気配を掴み取って、腕で再び彼を繋ぎ止めて、私は首を振った。
「……少しだけ、私に時間をくれないかな」
「……?……もしや、家に帰りたい、と?」
「戻るから!少しだけ話をしたら――いや、家族は家にいないのかもしれないけど、少しだけ、家に寄ったらすぐに此処に戻るから……!!」
玄武くんは少しの時間私を見つめて、首を横に振った。
「危険だ。怪異に絶好の機会を与えるに、相応しい行為だ」
言葉に詰まった。
そんなことは、わかっている――――。
「でも……」
「月は直に満ちる。ことが終わった後に、お会いになれば良い」
「……そう、だね。怖いことに巻き込まれるのは、もうさんざ」
「――――お姉……お姉ぇ!!」
急に左肩を掴まれて、置き去りにされる玄武くんの残像。長い髪が空気に揺れて、よく知る黒い瞳が、目の前に見開かれている。
「……真理……!」
「……お姉だ。はぁー……んー?何だったんだ、あれは……?」
眼鏡を上げながら怪訝な顔をしたかと思えば、私から手を離し一人で首を傾げている我が妹が、目の前にいた。少し乱れた息を整えながら、私の背後を見つめている。
「散歩?日曜日の昼から、教会の付近まで?馬鹿じゃん、変な勧誘に捕まるよ?」
「……真理!急に人の肩を掴んでおきながら、そういうこと言うんじゃないの!」
「はいはい。――で?お姉、これからコンビニ寄るの?寄るんでしょ?じゃあさ、ケーキ買ってほしいなぁー……杏仁豆腐でもいいよ!」
ぐいぐいと迫る真理を横目に、私が玄武くんを見ると、玄武くんは仕方がないと溜息をついて頷いた。正直、少し助かったと思った。だってこれで、私は家に帰る口実を得たんだ。
後ろを振り返ると、もはや私が立っていた日常は、普通は、随分と遠くにあるのだと思う。それでもきっとそれは、後ろを振り返らない限り、もしかしたらまだ近くにあるのではないだろうか。ううん、もしかしたらこうやって、まだ私の手の中にあるのではないだろうか?
背後から見つめてくる瞳の意味に気付いていながら、私は真理の手を取って歩き出した。
「ざーんねん。お財布は家にあります。さあ、帰ろ?」
「えー!?ここまで来た意味~~!お姉のケチ、どうせポケットにICカード持ってるんでしょ?」
「それは真理じゃん。キーホルダー見えてるし」
「……無いよ?」
「いやいや、あからさまに隠すとか、下手か!」
――もう一つだけ、想像もしたくないもしもの話をするのなら。
これが、最後の日常の一時になるのかもしれないのだろうか。
妹と歩く傍ら、僅かに手に力が込められた気がして真理を見る。真理は瞳を私へと移して、少し唇を尖らせた。
「あーあ。シックスの杏仁豆腐、食べられると思ったのになぁ~」
「真理さあ……自分もお小遣い貰ってるんだから、自分のお金で買いなよ。あー、それか金欠なんだ。だからこんなふうに、妹になってるの?」
二回握る手に力を籠めると、真理は左手を大きく振り回しながら否定する。
「違うし!違うし馬鹿姉!――ふんっ、お姉は能天気だからいいよね!」
「ハイハイ。まだ今度買ってあげるから」
「……はじめからそう言えばいいんだよ」
「生意気だなぁー」
二人けらけら笑って、真昼の道路を歩く。
少しのこそばゆさを感じているのは……私だけではないはずだ。
それはそのはず、私と真理は特別仲が良い姉妹というわけではなかった。
真理が幼い頃は、それは可愛い妹が少しうざったく感じるくらい後ろを付いて来たり、友達との遊びに出掛ける私と離れたくないと泣いたりする場面もあったけれど、物心……というか、反抗期が来ると態度は180度回転したものだ。
思い出しちゃったら笑いそうになる。顔を背けて、深呼吸をした。
変わらなかったことは……怖いことが嫌いなこと、くらい?お化け屋敷に入る時は、反抗期を迎えても私にぴったりとくっついていたっけ。心霊番組を見ると「そういうの見てると、ほんとに来るんだから!」って言いながらずっとリビングに居たな、あはは。
今にして思うと、真理は見えていたんだろうか?幼い頃も、何も誰も居ない方を向いて怖がっていたし。最近はめっきりそういう様子は無いけど……。
鏡子ちゃんが居るくらいだからなあ、そうかもなあ。
「ねえね、真理」
「んー?」
「真理ってさ、妖怪とか見えるの?」
「見えないよ?何言ってんの……。高校生なのに厨二病かよ」
「……――バーゲンダッシュ、買ってあげない」
「お姉の方が子どもじゃん!!こんなん!!」
笑いながら角を曲がると、真理が突然立ち止まった。何だろう――と真理が見る向こうを見ると、街から出る黒い霞が濃霧のように掛ってて、昼の明かりをわたしにだけ隠している。
上手く真理と同じ街の風景が見えない。話を上手く合わせられるだろうか……。
「どうしたの?」
「……何か、怖い」
「……どうして?」
真理が私の右腕に寄って来た。確かに街の負素は濃いが、怪異が出ているようには見えない。
「さっき、ここに来たときは……人が沢山いたの。子どもとか……親とか……。でも今……一人も、いない、から」
「帰ったんじゃない?ほら、お昼だし」
「私がさっきここ通ったの、十分前とかだよ!?」
息を吸った。重い空気が肺を満たす。
周りを見渡す振りをして玄武くんを見ると、空を見上げていた玄武くんが小さく口を開いた。
「疾く家に戻れ。――嫌な予感しかせぬ」
「真理。家に戻ろう」
「同感!走るよ!お姉!」
手を離して走り出した。お互い道は知っている。
家の門を突き飛ばす勢いで明けると、一気に酸素が肺に入ってくる。息が格段し易い。膝に両手を置いて、思いっきり息を吐き出した。
真理は鍵を引き抜いた後、戸惑いがちな目で私の――横を見た。
「……真理?」
「……えっと」
「……。――娘」
玄武くんはしばし真理を見つめた跡、一気に距離を詰めた。私が驚くのと同時に、真理は勢いよく玄関に背中をぶつけた。
「やはり、見えておるなあ」
「やっぱり見えるんじゃん!真理!」
「へ、え!?お姉も、見えるの!?このお化け!」
「――お化けでは無いわ。仔細は後に教えてやる。今は家の中に入る、それが先!」
「大丈夫よ!玄武は悪いお化けじゃないから!さあ、早く家の中へ!」
「ええ、うううう!もう知らないから!お祓いはお姉がやってよね!?」
家に入るなり、真理は靴を投げ捨てていきなり戸締りを確認し始めた。両親が居る形跡はあったが姿は無く、点きっぱなしのテレビ、まだ水に濡れているシンク、お茶が満たされたコップ……それら全てが、異常事態を告げている。
「もー!パパもママもどこいっちゃったんだろ!」
「何処かに行ったようには……見えないけど……」
「はあ?いないじゃん、ってことはそういうことじゃん!……まあいいや、扉は全部閉めたし、怖いものはこれで入ってこれないよ」
真理は長い髪をポニーテールに束ねて、椅子に勢いよく座った。
「……確かに。この家、一種の要塞になっておるな」
「……要塞?」
二人して首を傾げた。玄武は深く頷く。
「全ての外に繋がる扉を閉めることで、この家に護りの術が発動した。真理、といったか?お主、いままでもこうしてきたな?」
真理は、一瞬目を逸らして、「まあ」と固く頷いた。
「なんか、窓とか閉めるとさー……お化け、いなくなるんだもん」
「お化け!?」
「お姉、やっぱり見えてないじゃん!」
「い、今は見える……だけで前は見えなかったんだもん」
玄武は呵々と笑う。
「とにかく!これで大丈夫だよ!……で?この男の子は何?お化けじゃないんでしょ?じゃあ何?」
玄武はにやり、と口角を歪めると宙に浮いたまま真理の至近距離に近づいた。つい背を倒した真理を見て、更に笑う。
「……ん~……守護霊、ということにしておこう!」
「……ほんとぉ?」
「げにげに。事実、お主はわしを見ても気分がわるーくなったり、寒気が走ったり、しないであろう?」
「……確かにぃ~!」
いえーい、と手を合わせた彼らは今の会話で打ち解けたようだ。現に真理は「
こんな能天気で良いものか……と悩んで、私は溜息を吐いた。