第11話『会いたい』
文字数 6,290文字
ここ数日、毎日のように宮廷魔導士たちがスワードを訪ねて来ている。忙しそうだな。……戦争、してるって言ってたもんなあ、と私は薔薇園から来訪者を眺めていた。
スワードの庭園――薔薇園は、広大だ。その全てが赤色なので私がアリスを想像するのも無理はないだろう。まあ、あの世界だったらこの白亜の城を真っ赤に染め上げないと女王から首を飛ばされるけど、と一人で笑っていると薔薇の緑に紛れた深い緑が、ぴょこぴょこ蠢いた。
「……」
どう見ても、あの髪は……アスティンさん、だよなあ……。どうしたらいいんだろう。知らないふり……気づかないふり?そもそもアスティンさんは私に気付いているんだろうか?……どうするのが正解かなあ。
「アスティン殿!」
「やあ、デリン。よくわたしがここに隠れていることがわかったね」
「……丸見えでしたから。急ぎ団長にお伝えしたいことがあります。団長にお取次ぎ頂けますか?」
アスティンさんは少し考えるように間を置くと、残念そうに首を振る。
「無理……かな。わたしが聞こう」
デリン、と呼ばれたその人は頷いた。
「王城に、愚者が一人運ばれたと連絡が入りました」
「……特徴は?」
「え?お嬢様……より髪が長い少女で、名は確か――」
「安藤実花、だろう」
我に返ると、私は庭を飛び出していた。
「レ、レディ……」
心臓がうるさい程存在を主張している。血液が頭蓋骨を隈なく駆け巡って、私を強く非難する。
「安藤実花……実花が、王様の下へ連れて行かれたんですね」
デリンさんは見てわかるほどに困惑した。私は答えを引きずり出したくて、一歩出る。
「助け、ないと……助けないと!」
「レディ!お待ちを!」
私は駆け出した。心臓がうるさい、五月蠅い!!早く走れ、私、ああ、何故、何故、実花の存在を今思い出すの!?実花、実花――!!
スワードへ会いに行かなくちゃいけない。異邦人の私では、王様と渡り合えるはずもないと思ったから。
スワードなら助けてくれる。私に何の見返りも求めずに手を差し出してくれた――そんな彼を、私は信じている。
走った。城を走る。途中出会うメイドさんや、執事さん達に謝りながら、スワードがいると示された部屋のドアを開け放った。
「泉……どうしたんですか?そんなに慌てて……」
「っ、スワード……スワード!」
息も上手く吸えずに、駆け寄ってきてくれたスワードの服を掴んで床に膝を付いた。
「実花が、実花が王都に連れて行かれちゃった!!」
「実花……?」
肺が苦しい。早く伝えたい気持ちが先走りすぎて、私の舌が回らない。
「友達なの!大切な、友達なの!!このままじゃ殺されちゃう!!」
スワードの目が変わる。私の肩をしっかりとその掌で包むと、「誰か!」と扉を見ていた。
呼吸が整うまでスワードは私の背を擦る。メイドが持ってきた水を飲みながら、アスティンさんと同時にデリンさんが駆けこんで来た。
「愚者が陛下の下に運ばれたと聞きました。詳しくお聞かせ願えますか」
「勿論です、団長」
スワードが私から離れていく。咄嗟にその袖を掴むと、スワードは柔らかく私の手を解いた。
「彼と話をしてきます。泉は此処で少し休んでいてください」
「……すぐに、お城へ行かないの?」
「……アスティン」
「スワード!」
立ち上がる私をアスティンさんが塞ぐ。
「泉さん。わたし達は待つことしか出来ないんだ。落ち着いて」
「……スワード、……実花を助けて、くれるよね?」
スワードは顔だけを私に向けると、笑った。
「ええ。僕を信じてください」
扉はあっけなく閉じられる。私は襲い来る不安から身を守るために、ひたすらに守護石を握りしめていた。
アスティンさんが隣に腰かける。橙色の瞳が私を覗き込むけれど、膝を抱えてそれを拒絶した。
一時間は経過したように思う。それなのに、スワードはこの部屋の扉を開かない。開くのはメイドばかり。お茶だとか、お菓子だとかを運ぶメイドばかりだった。
私はそれに一つも手を付けなかった。早く結果が知りたい。今すぐにでもスワードを問い詰めたい気持ちを、必死に石を握りしめて抑えていた。
「……遅い」
呟いた言葉は、傾いた陽が同意する。顔をあげたら、さらに射光が私を包んだ。
血のように赤い、――血の、ように。
立ち上がろうとした私の左手を、アスティンさんが掴む。その瞳が、動くなと言う。
「……スワードは、まだ話し合っている、と?」
アスティンさんは、目を逸らした。
「すぐに王城に乗り込むことは、難しいんだ。陛下が愚者を確認しているのなら、張ったりは通じない。泉さんの時とは状況が違うんだよ」
「……それって、スワードにも難しいって言いたいんですか?」
「……そう、だね」
手を振り払う。一歩二歩、距離を開ける。アスティンさんも立ち上がった。
「救われて、守られている命をみすみす危険に晒せって、泉さんは言うのかい」
「――私は、自分が幸運だから仕方ないと、実花は不運だから仕方ないと、言えません」
「泉さん!スワードが今対策を練ってくれているから!待とう、わたし達に出来ることはそれだけだよ」
「待てません!こうしている間にも、実花の喉元には槍が突き付けられているかもしれない!……アスティンさん、私だって、スワードがもう少し遅かったら、死んでたんです。この一秒を争うんです、実花の命は!」
「それはスワードも承知しているよ」
「じゃあ、どうして!どうしてスワードは、来てくれないんですか!!」
アスティンさんに当たっても仕方ない――彼の顔が伏せられた時、ひどく後悔した。
「……ごめんなさい。スワードに、聞いてきます」
僅かに開かれた扉。入りかけたメイドさんが驚きの声を出す。私はそれに何も答えずに、長い廊下を駆け出した。
目の前が潤む。今この瞬間にも実花が恐怖の淵にいると思うと――自分を責めずにはいられなかった。
実花は剣道を習ってさえいるが、弱い女の子なんだ。私よりもはるかに繊細で、守ってあげなくちゃいけない女の子なんだ。私では無く、実花の方が――このドレスも似合うだろう。
スワードが魔導士と話すなら、右の奥の部屋だ。案の定、フライアさんの後ろ姿が見える。私は涙を拭うと、走る速度を緩めないまま扉を押しこんだ。
「泉!?待っていてくださいと、僕――――」
「スワード!お願い、お願いすぐに王都に向かって!!」
「完全に後手に回ってしまいました。すぐに、とは……」
「……もしかして、王都にスワードが慌てていくと、やっている戦争、とかいうものに火がついちゃうの?」
後ろに立っていたデリンさんが息を呑む音を聞き逃さなかった。私はスワードから手を離すと、自分の胸に手を当てる。
「それなら、私一人を王都に連れて行って」
「泉!」
スワードの叱咤の声が飛ぶ。自分が愚かな言葉を口にしていることなんて重々承知だ。
「王都に愚者が一人増えるだけでしょ。スワードに迷惑なんてかけない!スワードが動けないなら無理は言わない、私を連れて行ってくれるだけでいいの!」
「……フライア。泉を、自室へ。少し頭を冷やすといい」
「かしこまりました」
「スワード!?」
フライアさんが、想像も出来なかった力で私を引きずる。出来得る限りの抵抗として、私は床に這う。それでもフライアさんの力の方が何倍も強い!
「お願い、お願いスワード!!実花を……実花を見捨てないで!!私だけ生き残っても……私、私!!スワード――――っ!!」
泉が無理矢理退室させられた部屋の中で、スワードは短く息を切った。デリンはあまりの光景に肩の力を抜くことが出来ない。
「……スワード様」
「……まざまざ殺せ、と言われるとは思いませんでしたね」
己が主君の瞳が、怒りに染まっているのを久しぶりに見たとデリンは思う。諦観を形にしていた生き様を忘れる程の、生の色だったから。
「シリウスは、なんと?」
「部屋に籠っておられます。まだ見てもいないでしょう」
スワードは少しの安堵の息を吐くと、昇りかけた黄金の月を睨んだ
「観測出来なかった……些か、厄介だな。宮廷魔導士全員と話がしたい。移動しましょう」
デリンを伴って、スワードは部屋を出る。下る城の地下――、そこに王城にいる宮廷魔導士たちと対話が出来る部屋がある。円卓の騎士が冠する名と同様の円卓があり、そこにスワードとデリンが腰掛けると、一人二人と水滴が水となり、人型となり、人となった。
「離して、離してフライア!!」
「お許しを、マイレディ……!」
フライアが私を部屋に押しこんだ。すぐに鍵を閉めて、フライアは扉の前に立ち塞がる。
解放され、しかし更なる不自由に放り込まれた私はフライアを睨んでしまった。
「お嬢様……どうか、ご理解ください。あの王は、残虐で…………とても恐ろしいのです」
「それなら……猶更、行かないと……!」
「私共は、お嬢様を失うわけには参りません!」
「私だって、実花を失うわけにはいかないの!――わかってるよ!フライア達が私を大切に思ってくれてること、すごくすごくわかってる!だからわかってよ!私にとって連れて行かれた愚者の女の子は、それくらい大切なの!」
「……解り得ません。私共にとって、お嬢様同等など……お嬢様はお一人しかおられない。そうでしょう?」
つまり、は――――この人達にとって、私以外の愚者はどうとでもなれ、ということ?
なに、なに、なに?なぜ、そう言いきれる?この私に、そこまでの価値があると?
なぜ、なぜ……?あの三人の中で一番の非才は、私なのに。
「私以上に優れた人間なんて、いくらでもいる!愚者一人が欲しいなら、実花を選んでくれたっていいじゃない!」
崩れ落ちた。溢れ出る涙を止める能力も、私には無いのだろう。
いつも、いつも隅で羨んでいた。私に無い能力ばかりを持ち合わせた大好きな二人を。何処かで挫けろと願っていた。いつも私の前を歩く大好きな二人を。
でも、もし、もし――――。三人の内、一人を間引けと言われたのならば、その鋏に首を預けるのは私であれ、とも強く願っていた。
嗚呼、どうしたら、どうしたらいい?実花が死んでしまったら、湊に合わせる顔がな――――……。
湊。
佐倉、湊……。
泣き喚く思考の奥、冷静さを整えて私を冷ややかに見つめる目があるそこで、大切な物を拾う。
懐かしさで、涙が溢れてくる。今この瞬間に至るまで、思い出せなかった名前を思い出せて、嬉しいと心が笑う。
涙が、止められない。
結局、私が倒れ込んでからフライアさんはずっと私の背を擦っていた。ベッドに腰かけて、その膝に私の頭を乗せると、遠慮がちにこの頭を撫ででくれる。
その間にも、執事やメイドたちはこの部屋に軽食を運んでくる。フライアが私に食べるかどうか聞くけれども、食欲がわかないので断り続けていた。
いくら経ったのだろう。おやすみになられますか、という言葉にも首を何度振ったのだろう。その時は、唐突に訪れた。控えめに叩かれた扉、その小さく開かれた隙間に白銀の髪と橙色の瞳が見える。
「入っても……構いませんか?」
「……どうぞ」
重い身体を持ち上げた。フライアが私の髪を少し撫でつけると、スワードが座るための椅子を準備し始める。
ある程度完了したところで、私達は腰を降ろした。
「まずは、謝罪を。本来ならば泉を混乱させないために、順を追わなければならなかった情報を、一番に君に与えてしまった。……これは完全に僕のミスです。申し訳ありません」
私は目を伏せていた。
「泉のご友人――安藤実花さんを、確かに王都にて確認しました。大丈夫、まだ陛下には会われていない」
「ということは……!実花まだ、無事?」
「ええ」
ソファから落ちそうになるくらい、安堵した息を吐いた。生き返る心地だ。首を完全に背もたれに放りだすと、「はしたないです」とスワードの嬉しそうな声がする。
「ご安心ください。王城に駐屯している宮廷魔導士に、安藤実花さんと接触するよう言いつけてあります。接触出来次第、陛下の目を誤魔化すことが出来るよう此方も策を練ります」
「……王都には、やっぱり行けない?」
スワードは首を振る。
「出来ません。一兎を得る為に、一兎を犠牲にしてどうします」
「……そう、だよね。わかりました。実花を――お願いします」
私は、深く頭を下げた。
悠長すぎる。このままでは、実花を失うかもしれない。その可能性の方が、現時点では高いだろう。
先程のフライアの言葉で痛感した。この城の者達は――もはや他の愚者がどうなろうと、知った事では無いのだ。私がいる、それが重要なのだろう。
「それにしても……泉には冷や汗をかかされました。一つ、忠告を。――この世界で、安易に人の言うことを聞き入れないで下さい」
私は首を傾げる。スワードは紅茶を飲むと、肘を付いてあやふやな笑みを浮かべた。
「アスティンに情報をもらったでしょう。――全く、あれは……」
「アスティンさんが、どうかしたの?」
「……アスティンは、本……知識……情報を司る者です。僕達諸侯に限りなく近い存在ですが、僅かに軸を逸らした者。アスティンが、王城に愚者がいるという情報を知り得た……だからあれは、本を開いた。そして泉に情報を与えた……。はあ、あれが確かな情報を引き出したからいいものの、常にそれが正確であるとは限らない。泉はこの世界に不慣れだ。十分に注意した方がいい」
私は、よくわからないと首を傾げて笑った。素直に大きく頷くと、スワードは満足したように微笑んで立ち上がる。
「それでは、今晩は失礼致します。安心して眠ってください。――良い、夢を」
「おやすみなさい。スワード」
フライアもスワードに続いて退室した。私は窓から見える黄金の月を見ながら、拳を握りしめる。
どうせ見るなら、幸せな夢がいい。何の不安も無く、三人で見る夢が良い。
守られているのは、幸せだ。で、あるならば、守られていない実花は不幸せなの?嗚呼、聞こえる。実花の泣き声が……ずっと、ずっと、この夜の奥深くから助けを求めている。
私はスワードを信じている。私はアスティンさんを信じている。私はフライアを信じている。
だからこそ――――、待っているだけでは駄目だとも強く感じている。怠惰は平和の中でのみ、許されるものだ。
何か……何か方法を見つけなければ。数パーセントでも多く、実花を助けられる方法を。