第134話『いつだって、届かないもの』
文字数 3,887文字
「語るな。……不愉快だ」
「――はっ! 笑えないや」
―――確かなる殺意を、私の嫉妬に注ぐ。注いで注いで混ぜ合わせたら、私へ返してね。そうしたら、この身は……!
遥かな高みへ昇るのだから!
「シリウス! 貴方が奪ったその身体は!!」
駆け出して薙ぎ払う。ふわりと花のように浮かび上がるあの子の身体へ、右足を軸にしてもう一度嫉妬を振る。槍先の小ぶりの鎌は、小さな部位を刈り取ることにこそ相応しい。
「こんな仕打ちを受ける為に生まれたんじゃない!!」
あの子の髪を数本掠め取っただけ。――行け! 地を蹴って落下に身を委ねるシリウスへ向かい私は飛ぶ。空気の抵抗なんて知らない。そんなもの、上回ればいいだけだ!
「許さない、許さない! シリウス、お前だけは!」
「……っ」
シリウスの鈍りを逃さない。目が開く。嫉妬が笑う。私では無く嫉妬が武器を手に取る。つまりは、私を嫉妬が動かした。笑い声、嫉妬の笑い声が小さく聞こえて、赤い絵の具が矛先に、ついと伝う。
腕を掠めた嫉妬の指先は、シリウスの肉を抉り取った。ドクン、と……槍が振える。甘味なる血の滴りに狂喜する嫉妬が、頬を染めて嬌声を上げている。
地の上で向かい合う私達。シリウスは左腕を一瞥すると、小さく息を吐いた。
「これは、彼女が望むことか」
「……は?」
「今の
――こいつ。
―――――こいつ! ああ、あああ、あああああ!!
元凶共が、ああ、なんて、なんてことを聞くのだろう! さも平然と、さも風が凪いだ海の様に! 嗚呼、ああああ、ああああ! 心が、心が踏み荒らされて……!!
望んでいるとでも私が思っているのだろうか! 滑稽なことだ、残酷なことだ! 私が何故剣を取り、神に牙を向くのか――わかっていない!!
「……あの子達が望んだことを握りつぶしたのはお前達でしょ!? その手で、その目で、殺したくせに! ――私から、奪ったくせに! なに、なんなの!? どうしてそう平然としていられるの!? なんで!? なんで!? 私はこんなにも苦しいのに!」
「…………」
見つめるのは、血の様に赤い瞳だけだ。
見つめるのは、不毛な赤い瞳だけだ。
「……これは、私が望んだことだよ」
シリウスの瞳が一度、動いた。嫌悪? 嫌悪かなぁ? ただただ敵意の二文字が、私に忍び寄る。私は貴方の敵意を、不本意に美味しく食べてあげるだけ。
「
シリウスは口を開かない。向けられた剣が、私の喉を狙う。
「貴方達が……お前達が護りたい世界を奪って壊してあげる! 私の世界を奪ったのだから、当然でしょ!? そうじゃないと納得できない! 足し引きがゼロにならない! 実花と湊の命は、そんなに軽いものじゃない!!」
天高く刈り取るモノを掲げて、肩を引いた。奪い取る芽吹きを、刈り取る生命に、狙いをつけて。
「奪ったら奪われるものだよ。―――ねえ、シリウス=シャンカラ!」
大地を蹴った。振り上げた槍を翳す前に、私は急停止して後ろへ飛び上る。突かれた切っ先を下に見て、シリウスの背後へ回った。私の髪は軌道を描かないが、シリウスの髪はわかり易く体の軌道を描いている。
そういえば、あの時――――わたしは背後から貫かれて広間に落ちた。口から零れる血液と、
不毛、―――不毛、かあ。
悲しい、言葉だ。
「見切られていますねぇ、流石は陛下の剣と言ったところでしょうか……あはは」
地に着く私の方が、一手先を進んでいるはずだ。その道理ならば、私の方が早く駒を前に出せて、私の方が早くシリウスを追い詰められるはず。それなのに、既にシリウスの目は私を見ていた。
背後を突く私の矛先を小手で舞う剣の先で軌道を僅かにずらしてしまう。たかが小手先の小さな動きの癖に、私の身体は逆らえない。嫉妬が舌打ちをする――「陛下ぁ」その声に、私は彼女から手を離したその動きを悟られない様に、腕を背後に回し突進する。狭間に腰を低く下げて、シリウスの攻撃を頭上に流した。私は空の手に土を掴むと、至近距離に滑り込んだことを利用して左手でシリウスが剣を持つ方の手を取った。
「っ、」
「遅いよ!」
昂揚感。
――獲物が、足を斬られ呻く様を目にした勝者の空腹感。
それが満ちて、私は笑みを我慢できないで、私を幾度と無く映し閉じ込めた瞳に向けて土を放った。
「――――!? ううっ!!」
痛いだろう痛いよね当たり前だよねその身体は人間である実花のものなんだから!!
「取ります! 取ります――――その首ぃっ、わたくしこそが、アナタに代わる!!」
槍から姿を変え、己を持つ嫉妬が投げられた空に形を描く。彼女は紅潮した頬に塗る紅を求め、源である首を狙った。
「……ふっ」
「……っ!」
「――――見えない、それが……何だ?」
彼女は頬と、唇差す紅を欲しがった。
わたくしはね、アナタに向けられた視線全てをこの身体を鋳造する素にしたのよ。
「あああああああっ!! 痛い、痛い! いや、いやああ! 陛下ああ!!」
「――っ!
微睡みながら、ずっと聞いていたんですよ、わたくし。アナタが陛下から愛を囁かれる言葉を。陛下の唇から零れる桜色の吐息を。陛下がアナタに零す甘い――雫を。ああぁ、あぁ、羨ましい。わたくしも、欲しいな。陛下のそれが、欲しいなぁ! だって、だって、それって、その愛は、それを独占出来たら、……わたくしを超えるモノなんて何もないでしょお!?
だから、アナタの赤を欲したんです。―――なのに、目の前に広がるコレは、騎士の血では、ありませんね? こんな穢れた汚い色、わたくし達以外に持っているはずがありませんよぉ……あは、あははは。
「……あれ、あれえ……? 本当に嫌ですぅ、本当に! この光景、何ですかぁああ……!? まるでわたくしが、陛下を脅かすケモノみたいに!」
血濡れた嫉妬が、立っている。そして私の横に、――シリウスが立っている。
私の身体とシリウスの身体。その二つが同じ方向を向いている。嫉妬の血濡れた身体が、私達の方を向いている。ただそれだけで、彼女の本質は暴走する。
シリウスは私の腕を掴んで引き寄せている。そのせいで、離れられない! 嫉妬に言葉が届かない以上、近づいてあげないといけないのに!
そうやって動けない焦りが、頭の中をぐるぐるぐるぐると掻き混ぜて……、嫉妬を見た時には、もう。
彼女は、嫉妬に狂ってしまっていた。
「陛下、わたくしの、陛下、わたくしの……わたくしの陛下なのにぃぃぃいい!!」
「シリウス離して!!
急に突き飛ばされた――木の幹に受け身も取れず打ち付けられて、地面に顔が打ち付けられる。まだ肉体を持つと錯覚している脳が、身体を動かせない。しかし、音は――聞こえる。蹂躙される肉の音、ただ暴力に呑まれる声。
立て、立て、立て!! 痛みなど無い!! 死に値する怪我などしないッ!! 早く、早く動いて! でないと、私の、憎き神に向ける武器が――――……え? 一瞬、ほんの、瞬く間、流れ星よりも少ない時間に、私の意識、引き摺られて。滲む視界、離れたくなくてしがみつく。私を、私自身を引っ張る白い手、手? 怖い、やめて、構わないで! 来ないで、嫌だ!!
顔をあげた時には、既に嫉妬の身体は焔の灰の様に身体の端が崩れていた。宙にぶらりと浮いた身体、フードがはだけた顔には―――羨ましそうな瞳だけが向いていた。
決着は、一瞬でついてしまった。――恐怖。
先程の昂揚感は、感じたのでは無く、感じさせられた? ――恐怖が。
この男は、……私で遊んでいたの? ――――
「陛下の……愛はいらなかったんでしょう……なら……なら……わたくしに……ちょうだいよ……!」
「……」
「陛下……わたくしの、あなた……わたくしだったら……どんなときでも……陛下を……愛して―――」
「
嫉妬は、その言葉を言い掛けて地面に叩き落とされて息の根を止められた。嫉妬の身体を貫いていた剣を宙で勢いよく引き抜いて、落ちた身体に――首に、剣を深く刺し込んで捻じり上げ、殺した。
嫉妬の身体は灰に成った。まるで、炎が燃え尽きた薪の様に汚い煤を蒔きながら風に消えていく。シリウスの服にこびり付いた彼女の血も、黒い煤となって風に流されていく。
シリウスが振り返る。栗色の緩やな曲線を描く髪だった煤汚れた髪と、返り血が頬紅の様に付く紅の瞳を私に向ける。そして、紅の瞳が――僅かに歪んだ。
「陛下」
私を、背後から包み込む女がいる。
「危険です」
「……」
私は、穢れた霞に身を溶かした。
その中で、震えている。