第8話『紅の守護石と深緑の男』
文字数 4,385文字
凛とした青年の声に、少女は大きな紅い瞳を大げさに細めていじけた様子を醸し出していた。幼さを残す顔立ちであるのに、洗練されていると感じさせる身体の動き。青金の髪は絹糸の様に空に舞っていた。
青年は少女を抱き上げると、自らの腕に座らせる形で抱きなおす。
「……お前にこうして抱いてもらわなきゃろくに移動できないなんて、……下手に見られたら笑いものにされるわ」
「そんなことありませんよ」
「そうですよ、きっと今の――――様なんて、――――様と認識してもらえません」
「リアラ!お前ね……ってわたしもそう思うから、反論できないじゃない!」
「安心しろ。俺の――――に不躾なことを言うやつは即刻地獄に堕してやろう」
「ああ、それはいいですね」
「まあ!いつの時も、陛下付の男たちは怖い怖い……」
四角に囲われた庭で、四人は穏やかに微笑み合う。一人の男に抱かれた少女は、頬を年相応に紅潮させながらも、他の三人と対等に渡り合おうと必死だった。しかし、他の三人は自然と少女を受け入れる。
少女から見て取れるのは……唯、唯……幸せという笑み。
ゆっくりと、視界を開ける。陽が、カーテンの隙間から顔を覗かせて、私にほんのりとした暖を与えている。起き上がった背に広がる髪が邪魔だろうと思って髪を撫でると、私は自分の髪の長さを思い出して手を止めた。ベッドをいくらか這って、もふもふ絨毯に足の裏を付けた。暗い室内に明かりを入れようと、私は分厚いカーテンに手を伸ばし、一気に開ける。カーテンに阻まれない陽の光は、眩い位の白い――――、
「あ"っ、や、やあ泉さん!おはよう」
深い緑の髪色をした、男が……窓から身を、乗り出していた。
「…………」
「……おち、つける、かな?」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「ひええええええええええええええええええええ」
叫び声をあげた私はカーテンを男に投げつけて後方に身体を投げ飛ばした。ごろりと絨毯を転げ回って、ベッドの足に頭を打つ!痛い!
鈍い声を上げても、今はこの不審者から距離を取らなければいけない!自分の身を守れるのは自分だけだ!
「ちょ、泉さん!待って!」
誰が待つか!
少し振り向くと、男は部屋に侵入している!脳内にアラームが鳴り響いて、中枢神経が多分逃げろって言ってる!!!
必死にベッドの上に乗り込むと、弾力性が良いために思い切りベッドに私は顔を減り込ませた。
「違うんだよ!わたしは変な人じゃ無く……!泉さんわたしの話を――って、危ない!」
男は同じようにベッドに乗って来た!急いで身体を起こして転がってでもベッドから降りようとしたら、ずるりと腕が滑って顔面から床に――っ!
「お、おお……危機一髪……危なかった、ね?」
ベッドに知らない男から組み伏せられて、腕まで掴まれている。
喉が、鳴る。見えるはずのベッドの天蓋が、オレンジ色の瞳をした男の顔に塗り替えられて……。
「……イア」
「あ、だめ、それは」
「フライアさあああああああああああああああああああんっ!!」
力の限り叫ぶと、私は目を閉じて顔を背けた。すると扉を壊したかと思えるほどの破壊音が鳴り、身体に掛っていた重力が吹き飛ぶ。その時と同時に、男の「ぶえぶっ」という声が聞こえた気がした。
「どなたでしょう……答えなければ、殺します」
フライアさんの鋭い声が聞こえると、私はようやく身体の力を抜くことが出来た。震える身体を起こしてフライアさんの背後に近寄ってみると、
「……今のは良い蹴りだった。フライアの現役時代を思い出すね……」
フライアさんが息を呑んで、その男の髪を掴みそのまま引き上げた。そしてその男の顔を覗き込むと、フライアさんの態度が打って変わる。
男は笑っていた。頭を深く下げて膝を付くフライアさんに、遠慮する様に手を振っている。
フライアさんが跪くほどの男だ。……きっと、この城の……。スワードさんの、関係者?
「申し訳ございません。アスティン様……」
適当な謝罪に聞こえる。胡坐を掻いて床に座り、蹴られた部位を撫でる男に早々と跪くのを止めると、私の目の前でフライアさんは一礼する。
「おはようございます、――お嬢様」
「おじょう、さま!?」
「はい。この男は不審者では御座いません。……アスティン様、あのような行いは今後一切、お止めください」
「うん。それは、ごめんね。スワードが女の子を拐したって聞いたから、早く見たくて」
「如何なる理由も受け入れられません」
「あ、あの……」
フライアさんの背後から、私はそろそろと前に出る。男は害の無い笑顔を浮かべると私に手招いた。
「スワードさんの……ご友人、ですか?」
「ううん、……友人かと聞かれたらすごく返答に困るね。わたしはー……そうだな、あえて言うなら……スワードの小間使い」
小間使い?
困惑してフライアさんを見ると、フライアさんは笑って私を前に促した。……笑った、フライアさんが笑った!
つい、嬉しくて勢いよく男を見た。男も嬉しそうに笑うものだから、気まずくって私は男の前に座り込む。
「あの、スワードさんのお知り合いだと知らずに……失礼しました」
「いやいや。わたしの方こそごめんね。大の男に組み敷かれたら警戒…………するよね。粗相を働いたようだ……ごめんね……」
「あ、いえ、こちらこそ……」
二人して引けない謝罪に埒が明かず、結局の所土下座をしてしまった。顔を上げても相手が頭を下げているものだから、私も下げ直す。そしてまた上げても下げているものだから、ずっと、ずーっと土下座をお互いに繰り広げていた……らしい。
「アスティン、泉は此方へ落ちたばかりなんです。……あまり驚かせないでやってください」
「うん、ごめんね。反省はしているよ、きちんと」
パンを頬張りながらアスティンさんは頷いた。背後で立つスワードさんが溜息を吐く。……ちなみに私もパンを頬張っているのだ。美味しい。
フライアさんは少し離れた場所に立っていて、スワードさんは昨日と同じように紅茶のみを飲んでいる。……もう朝ごはん食べたのかな?
……にしても、この……アスティンさんが言っていた、スワードさんの小間使いというのは絶対に嘘だ。小間使いなら、主人を立たせて自分はソファに座りパンを頬張ったりしない……と思う。
「わたしのことをそんなに見つめて……恋でもしちゃったかな」
「……えっと、アス……ティンさんは、ええと……」
「恋人はいないよ!下界では噂されてたみたいだけど――」
「アスティン」
スワードさんの低い声が飛んでくる。アスティンさんは胸を叩きながらパンを飲み込むと、私に綺麗に向き直った。
「ごめんごめん。改めて自己紹介をしよう。わたしの名は、アスティン。この領地の主であるスワードの補佐をしているんだ。よろしくね」
手を差し出された。
「領地の主……スワードさんって、もしかして……領主様、なんですか……!?」
「うん、そうだよ。よろしくね」
「す、すみません!!そんな偉い人だとは……いや、こんなすごいお城持ってるし決して舐めてたわけでは……す、スワード様!」
「わたしの……おてて……」
立ち上がってスワードさ、様に頭を下げた――が、やんわりと防がれる。下に白銀の髪と……橙の瞳が見えた。
「……君は僕に頭を下げる必要も、敬語を使う必要もありません」
「どうして……ですか?」
スワード様は、にこりと笑った。
「君はもう、愚者の上山泉では無いからです」
「……え?それは、どういう……」
「言ったでしょう?僕の娘――君はこの、グリームニルの娘となった。だからこそ、君は円卓に従う必要も無ければ、僕のことを『スワード様』などと呼ばなくていいんです」
「でも、それは言葉の綾で!」
「陛下に言葉遊びは通じません」
言葉の重さを感じた。
皆の目が、真剣な色を帯びる。
「陛下……」
愚者を捕まえて、殺すという。
不安から、ドレスの裾を握りしめた。
「受け入れて……いただけますか?」
スワード様は、私の手を取った。私の視線を受け止めて、優しい橙色が柔らかく微笑む。
少しの戸惑いがあった。でも、それを覆い隠す程に、この両手が暖かい。……ぼう、っとして気がつけば私は頷いていた。橙色の瞳が嬉しそうに笑う。いいんだ、これで……良いのだと。
「良かった。……フライア、アレを」
フライアさんが小さな包みをスワード様に手渡す。スワード様は跪いたそのまま、私にその包みを開いた。
「……石?赤い……」
「
「ロードナイト?タツナミソウ?」
スワード様は銀色のチェーンを持ち上げる。朝陽を受ける赤い石は、キラキラと輝きを放つ。
「この赤い石を、薔薇輝石といいます。そして、この中に掘られている花の名を立浪草と言うんです。……願いを込めて作りました。泉、君に護りと幸運があれ、と」
スワード様の腕が、身体が、顔が近づいてくる。つい身構えた私の首筋を擽って、この石は私に掛けられた。
「いただいていいんですか?」
「うん、勿論だとも。泉さんを護るようにと造られた石だからね。……この領地の宝だから、肌身離さず付けているんだよ」
アスティンさんの笑顔に必死に頷いた。
「ありがとう、ございます……」
嬉しくって、石を手の中に握り入れた。すると、ほんのりと暖かみを持つ。目を閉じて温もりを感じると、胸に知らず居た蟠りが、息を顰めていくよう。
「この守護石を証として、君は僕の娘となった。さあ、呼んでください。僕の名を」
「……え」
「お嬢様」
「泉お嬢様ー」
皆の期待の籠った目が集まる。恥ずかしくって、それでいて少し嬉しくって。
私は何の違和感も抱かぬまま、求められた言葉を口にする。
「……スワード」
「はい」
「……フライア」
「はい」
「……アスティン、」
「うんうんっ」
「――さん」
「えっ!?」
朝の応接間に、明るい声が響く。扉に近づくあの魔導士は、その明るさに叩こうとした腕を降ろした。踵を返そうとした先に――、幼い少女が此方を覗いているのが見えた。
魔導士は、ローブを深く被ると再び宛がわれた部屋に戻る。その目は、決意を固めたその色を帯びてその少女を通り過ぎた。