第33話『fool baby』 Ⅱ
文字数 1,998文字
「……此処は……」
浮かび上がるように瞳を上げると、目の前に昏い赤の天蓋がある。身体を包む柔らかい布団……ベッド?ベッドだ、柔らかくて、沈み込まないくらいには固くて、肌触りが良くて、控えめに言ってめちゃくちゃ気持ちいいベッドで、私は目覚めた。
身体をゆっくりと起こすと、体重を支えていた手の甲に金色の糸が落ちる。その糸が髪であると自覚して、私は自分の頭を撫でつけた。そのままベッドを降りて、白んだ思考の儘、目の前の扉を開ける。その右にある巨大な姿見に映った自分を見て、私は笑った。
「この……姿は……」
青金の髪を身体に這わせた、紅の瞳を持つ女。
あの城で見た肖像画よりも少しだけ幼いその姿を見て、名前をなぞろうとした途端に立てないほどの頭痛が襲う。
「うっ、っっ……」
「陛下!!」
地に落ちて割れた音と共に、緑色のドレスが揺れるのを見る。見上げると其れは侍女服の様で、赤褐色の髪をした緑の女性が――見覚えのある――その瞳を揺らしながら私の肩に触れた。
「無理をしないでください……!ほら、まだ熱があるではありませんか!……さあ、此方へ」
痛みに答えることが出来ないで、私は再びベッドへ戻る。横に成りたくないと首を振る私に溜息を吐くと、おでこに手を添えられた。そこから光が見える。……嗚呼、少しだけ取れた頭痛に、万全を期した気持ちが沸いてくる。
「駄目です。全然、駄目ですからね」
「……はい」
余程私がしょんぼりしていたのだろうか、その人は視界を右往左往させると「はあ、」と溜息を吐いた。
「薬師を呼んでまいります。楽になったら……久しぶりに、外に行きましょうか」
「……スワードは?」
「勿論。呼びますよ」
良かった、と笑うとその人は馴染みある笑顔を浮かべてくれた。
ふと、息を吐くとふらりと視界が揺れる。くらくら、ゆらゆら、浮かされた頭で私は思う。次を思う。視線を上げると開かれた扉に表れるその人を思う。私が思う、その人を。
「エリーシア様……!」
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ。見えた色が銀色じゃないと驚く束の間に、その人は片膝を付いた。
「お加減大丈は如何夫ですか?」
「……え?」
嗚呼、どうしよう、おかしい。
視界が揺れている。これが揺れている。色が混じる。声が混じる。二人が一人となって二つの言葉を吐いている。
「エリーシア、様?」
金になって橙になって青になって銀になる。長い短い髪は揺れて揺れずに私が揺れる。
「やはりやっぱりこれは如何してまだ本調子――――」
俯いて、耳を塞いだ。その行為に手首を掴まれる。音が重なって不協和音が鼓膜を揺らして気持ちが悪い。視界を上げても、誰が誰でこの人がどの人か見えない。
首を振っても音が高低を繰り返し言葉になってくれない。まるで叫びの中で耳を塞ぐように、私は髪で世界を覆った。
止まってくれと願うしか出来ない。止んでくれと願うしか出来ない。頭の中で歪む騒音に耳を塞いでも、耳に奥で鳴るのだから取れはしない。それでも、それでも押さえ付けてないとより大きくなりそうで不安で堪らなくて――――!
黒さえも揺れる世界で私に目を開けと言うその者を、見た。
「大丈夫――――ですか?」
「大丈夫――――か?」
「……あは」
駄目だ。私。おかしいんだ。
そう思うと、納得して抑えられない。眩んだ目先が、歪んだ耳奥が、淀んだ唾液が笑いを誘う様だ。その深度が重くなる程に、目の前の彼は二重の中で血相を変えていく。痛いほどの呼び声は、私の身を通り抜けて空へ消えた。
気づけば、私は笑うことを止めて雲海を見下げていた。花園に腰を降ろして、この身体を――――。
「スワード……」
弱弱しく笑う、彼に預けて。
「……お気づきですか」
目の下の隈が病的に濃い。伸ばした手を取る指先が、震えている。
「……私」
「大丈夫です」
言葉を被せてまで、彼は私の思いを封じ込めたいと切に瞳が返す。痛い思いが、握られた手を通して私に染み渡る。
「大丈夫です。貴女は、大丈夫です!また、目を開けると会えますから。僕が必ず一番最初に、その瞳の中にいますから。だから……」
「ずっと……繰り返すの?」
この光景を、この結末を、物語を最初に戻すように繰り返すと少女が囁く。その答えを確かめる為に、私は目の前の彼に問う。
その瞳が大きく揺れて、歪む。耐え難い悲しみが鼻奥を貫く痛みに耐えるように、顔が歪む。
……嗚呼、繰り返すのだろう。あの夢のように。何度も、何度も。
『……そう』
「そう」
引いていく意識は沖へ流れるだろうか。
『悲しまないで』
「……悲しまないで」
『泣かないで』
「……泣かないで」
そのまま流れていけば、私も貴女達の一つになる?
「――――ずっと、傍にいるから」
――――ええ、ずっと傍にいてあげましょう。お前がそれを、今、望んだのよ。わすれないで、ね。まつまい。
あら、あら。そう、ようやく……その姿を、りかいしたのね?