第7話『No wonder』
文字数 2,170文字
「美味しそう……」
凄く良い香り。
こじんまりとした長机を挟んだ二人掛けのソファに、私とスワードさんは向き合って座った。遅れて入って来たフライア……さんが紅茶を淹れてくれる。傍で注がれる黄金色は、嗅いだことのない香りがする。
「……スワードさんは食べないんですか?」
「ええ。必要ありませんので」
「そう、ですか……」
スプーンもフォークもお箸も、全て私だけにしか与えられていない。ごくり、と唾を呑み込んで「どうぞ」と言う笑顔に頬を吊り上げた。
料理は、洋風だけかと思っていたけれどちゃっかり和風中華が混じっている。グローバル世界だ。机の上にグローバルが広がっている。
どれから手を付けようか……はっ、もしかしてグローバル料理にもお作法ってあるんだろうか!?ヤバイ、コース料理の基本すら抑えていない私が……グローバルの作法なんて知っているはずがない!
スワードさんが先にご飯を食べていなければ真似が出来たのに……!くう、悔やまれる!
「……お好きに食べてください。作法なんてありませんよ」
「は、はいっ……!」
ば、ばれてる……。
何度目だろう。頬の体温急上昇を感じながら、スープに口を付けた。
「……!美味しい……」
一口、二口、……もっと、もっと欲しい!
飢えた胃が、僅かな食事に目を覚ます。半ば無意識に私は次々と口に料理を運んでいった。
美味しい、美味しいよ、これ!
スープ、リゾット、お魚の煮物、お漬物、お肉!どれもどれも美味しい!無限に食べられる!
「美味しい……幸せ……死ねる……」
紅茶も美味しい!
料理の種類に合わせてフォークやらスプーンやらを変えることが、湧き上がる食欲に付いていけなくなった私は、そのほとんどを箸に運ばせていた。
嗚呼、頬が落ちる……。蕩ける……美味しい……美味しい……!
恍惚とした私を見つめて、小さく笑うスワードさんも紅茶は飲んでいる。
幸福感に包まれて、私はくらくらとした心地を味わっていた。腕輪を振り落とすように、足枷を置いていくように。
「……では、食べながらで結構ですので君が置かれた――泉が置かれた状況について、説明します」
「……んん~」
「……泉?」
「……はい?」
スワードさんは苦笑している。
「……この世界のこと、知りたくはありませんか?」
「……はっ!!すみません、お願いします」
はい、とスワードさんは頷いた。
私は傍に置かれたコップを傾けると、……おお緑茶だ。少し会釈して「お願いします」と言った。
「先程の結界……あれは魔術の中でも特に難しいとされるものです。あそこまで大掛かりな魔術の発動には、相当の準備及び影響が発生します。ですが……僕は、それに気づくことが出来なかった。君が落ちて来て初めて、僕は己の領地の内に他者の結界があることを確認出来たんです」
「……はあ」
「あれは泉の存在を隠すものでしたが、当時に大きな目印にもなってしまった。……ナール、という言葉を聞きましたね」
「はい。目が覚めてから、何度も」
スワードさんはカップを置いた。組んでいた足を解いて、私を真っ直ぐに見る。
「ナール、字にして、愚者と書きます」
「愚者……?愚か、者?」
「はい」
どういう意味?愚か者は愚か者だが、どうして私がそう呼ばれるんだろう。
「愚者はほとんどの場合において、黒を纏うと言われています。黒の髪に、黒の瞳……そして、この世界で黒は、罪の証明である色とされています」
「……それって、日本人が全て、当てはまってしまいますよ……?」
スワードさんは頷いた。
「ええ。泉のような方々は……円卓の騎士に見つかると、王城へと連れていかれます。そこで、陛下直々の沙汰を受けることになります」
……あの美味しそうな髪をした騎士も言っていたような。陛下のご意向……。
「……陛下……」
「罪を携えて落ちた者、愚者に下されるものは――死、以外にありません」
下がっていた目線が、あがる。真剣な眼差しを私に注ぐスワードさんを、見た。
「死……?」
死、……死、身近に、あったような。さっきまで、私と共にあったような気がするのに。ずっとこの安らかな心地の延長戦を生きていた気の方が、強い。ふらふらと心が解かれていく。
「ですが、問題ありません。幸運にも円卓に連れていかれることは僕が阻止出来ました!泉は何の心配もせずに、こちらに居て頂ければ……」
耳奥に、陶器の割れた音が響く。
そんなことに、気が行かない。今は引きずられる意識の行先が……暖かい春の野の様で……。
「……お疲れの様ですね。仕方ありません。泉は途方もない旅路を……なされたんですから……」
視界が薄らいでいく。視界いっぱいに、銀色の星が散らばっている。
「おやすみなさい……――――」
黒に染まる。思考の全て。
誰かが……深い意識の底で……叫んでいる……。ごめん、ね……なんて言ってるか……聞こえ、ないの。