2ー1ー3 ヴューラーという女

文字数 9,447文字

 多くの人々が集まることによってもたらされる活気と喧噪がセランネ区の特徴だが、官公庁が集まる区画、とりわけ市長官邸の周りはその他とは異なり、一種独特の落ち着きに包まれている。キューサック・ソーヤが官邸の主人となってからも、その傾向は変わらない。
 キューサックは惑星国家テネヴェの十五代目の市長に当たり、現時点で三期十二年と歴代最年長の任期を誇る。硬軟両面を併せ持つ老獪な政治家として味方からも敵からも一目置かれる彼は今、官邸の市長執務室で透過パネル端末に目を通していた。
「惑星同盟からの連絡船通信は、どのような用件でしょうか」
 執務用デスクを挟んだ向かいに立つロカ・ベンバが、控えめに尋ねる。するとキューサックは返事の代わりにパネルをくるりと回転させて、表示面をロカに見せつけた。
「送り主はまた、アントネエフですか。内容は……相変わらずですね」
 パネルを覗き込みながら、ロカが渋面を浮かべる。
「毎度異なる言い回しを考えつくのは感心するが、要約すればさっさと惑星同盟に加盟しろ、その一点張りだ。芸がない」
 キューサックも深い皺の入った顔に憮然とした表情を浮かべたまま、腰掛けていたモトチェアの背凭れに小柄な身体を預けた。弾みでモトチェアが微かに前後に揺れる。二年前から足腰を悪くしている彼は足代わりも兼ねて、ジャイロ・スタビライザーを搭載したモトチェアを愛用していた。
「とはいえこのタイミングでまた連絡してきたのは偶然ではありません。我々の惑星開発計画の頓挫が、惑星同盟にも知れ渡っているということでしょう」
「当然だな。ここまで騒ぎになっては隠し通せるものではあるまい」
 スタージアで執り行われた祖霊祭からディーゴとロカが帰還して、既に二ヶ月以上が経過している。
 これまで公には伏せられていた惑星開発計画だが、二度にわたる惑星CL4の有人調査が散々な結果に終わると、その調査結果まで隠し通すことは出来なかった。莫大な予算を投じて秘かに進められていたという計画の失敗を巡って、世論は推進派の糾弾へと過熱している。矛先が推進派議員だけに向けられている今はまだ良いが、キューサックもまた計画に与したしたことは間違いない。遅かれ早かれ、やがて彼の元にまで追及の手が及ぶだろう。
 だがロカはそんな予想を、確信した面持ちで否定した。
「市長まで非難されることは、少なくとも当面はないでしょう」
 なぜそう言い切れるのか。キューサックが視線で先を促す。
「補佐官が非公式ながら報道機関に対応しております。どういう伝手をお持ちなのかはわかりませんが、各社の上層部と接触して市長批判を封じる方向に誘導されているようです」
 思いがけないロカの報告に対して、キューサックは無言だった。ただ彼の片方の眉がわずかに跳ね上がったのを、長年仕えてきた秘書は見逃さない。ロカは主人に代わって感慨深げに感想を漏らした。
「祖霊祭から戻られてからのご子息は、精力的に政務をこなされています。こう申し上げては何ですが、以前に比べるとまるで別人ですね」
「今まで遊び呆けてばかりいたのだ。目を覚ますのが遅すぎる」
「ですが目を覚まさないままでいることに比べれば、雲泥の差ですよ」
 キューサックは憮然とした表情を崩さないまま、しばらく白い顎髭を右手で撫でていたが、おもむろにモトチェアをロカに向け直して尋ねた。
(せがれ)は何か改心するような切欠でもあったのか。祖霊祭ではアントネエフに怖じ気づいているだけだったと聞いたが」
「確かに完全に腰が引けていましたが、あの場では無難に挨拶を交わすことが出来ただけでも上出来でしょう。何しろ相手は惑星同盟の中でも三大勢力のひとつを束ねる大物ですから。如何せん役者が違いすぎます」
 ローベンダール惑星同盟は加盟各国の代表による合議制を敷いている。同盟戦争中は独立という目的のために一致団結していたが、いざ独立を果たした後は主導権を巡る派閥争いが激しい。独立後も惑星同盟が膨張政策を採用するのは、国民の目を外に向けることで内部対立を回避するため、という推測さえある。現在惑星同盟の主要派閥は三つあるが、アントネエフはその中の一つ、彼の出身国スレヴィアを中心にまとまるスレヴィア派を率いている。
「あの鼻持ちならん男に刺激されて、というわけでもなかろう」
「それは、帰国するまでは宇宙船の中でも特にお変わりはありませんでしたから、おそらく無関係でしょう。他に思い当たることといったら、戻られてすぐ新しいスタッフを雇い入れた点でしょうか」
「あの調査隊の生き残りか。名はなんと言ったかな」
「イェッタ・レンテンベリです」
 透過パネル端末の表面になにやら指先を走らせてから、ロカは再びパネルを回転させてキューサックに向けた。パネルには緩やかにウェーブした蜂蜜色の髪を両肩に垂らした、整った顔立ちの女の顔が表示されている。以前にも目を通したことはあるはずだが、キューサックは改めて女の顔写真をまじまじと見つめた。
「若いな」
 端末を押しやりながら顔を上げたキューサックは特に感じ入ることもなく、無難な感想を口にした。
「確かに(せがれ)好みの美人かもしれないが、たかが女ひとりで態度を改めるような、そんな殊勝な奴でもないだろう。それともこの女は政界に縁でもあるのか。レンテンベリという名は聞いたことがないが」
「いえ、調査隊以前は医者だったそうです。おそらくこれまでも政治に関わりはないかと」
 首を振るロカを、キューサックが釈然としない面持ちで見上げる。
「わからんな。そもそも(せがれ)はどこでこの女と知り合ったんだ」
「先日の調査隊の報告会では顔を合わせているでしょうが、ご子息が彼女を私設秘書に取り立てたのがその翌日ですから、それ以前から面識があったと考える方が自然でしょうね」
 キューサックはしばらく考え込むような顔つきのまま、オフィスの窓の外へと視線を移した。市長官邸の前には大きな緑地が広がり、中央には仰々しい彫像が屹立した噴水が設けられている。彫像のてっぺんから振りまかれる水の軌跡を目で追いながら、「まあ、これ以上詮索しても仕方あるまい」と呟いた。
「ここに来て使える手駒がひとつ増えたのだから、素直に喜んでおこう。その秘書のお陰で(せがれ)が心を入れ替えたというなら、今度会った時に礼の一言でも伝えれば良い。ほかにやるべきことは山ほどある」
「そうですね。取り急ぎ、午後の議会対策の方が喫緊です」
「惑星開発計画が失敗して多少は隙ができるかと思ったが、こちらに転ぶ議員がまだまだ少ない。相変わらずあの魔女がしっかりと手綱を握っていて埒があかん」
 キューサックは溜息交じりにそう言うと、モトチェアの手摺りの先のコントロールボールに指先を這わせた。するとモトチェアは小さな稼働音を唸らせたと思うとするすると動き出し、デスクをぐるりと回り込むようにしてロカの横で止まった。
「ヴューラーの手下については引き続き目を光らせろ。引き込めるようなら、多少の出費は構わん」
「かしこまりました。アントネエフへの回答はいかがしますか?」
 ロカの質問に対してキューサックは一瞬だけ眉をひそめた。
「わかっているだろう。仮に連中と手を組むことを決めても、議会にひっくり返されてはなんにもならん。奴と会うのは議会を取りまとめてからだ。せいぜい無礼にならん程度に返事を引き延ばしておいてくれ」
「かしこまりました」
 慇懃に頭を下げる忠実な秘書に軽く頷いてから、キューサックはモトチェアを執務室の扉に向けて動かした。観音開きの扉はモトチェアが近づくと、まるで官邸の主人を恭しく送り出すかのように音もなく左右に開く。その間を、市長が乗るモトチェアは微かな稼働音と共にくぐり抜けていった。

 セランネ区の繁華街の中でも、とりわけ高級な店が建ち並ぶ一角の、地下へと降りる階段の先にぽつんと飾り気のない無地のドアがある。その簡素な見た目に相違して、ドアの奥は入口で厳重なチェックをパスしないと入店できない会員制のクラブとなっており、往々にして相応の身分の人々が密やかな会談を持つための場として利用されていた。入店の条件は様々にあるが、最も重要なのは店のオーナーであるグレートルーデ・ヴューラーが承認した人物であることだ。
 もっともこの店がヴューラーの持ち物であるということは、関係者の中でもごく一部の者しかいない。
 そもそもこの店の存在を知る者自体が少ないが、彼らにも店のオーナーはあくまで独立した個人であり、どの勢力とも結びついていないと思われている。己の名前を出すことなくこの店を立ち上げ、政財界の秘かな社交場として育て上げたことにより、利用者の情報を様々に吸い上げる。ヴューラーは情報源を悟られぬよう細心の注意を払いながら、これらの情報を上手に使って現在の地位を築き上げた。今やキューサック・ソーヤ市長の第一の対抗馬と目され、口さがない連中には『テネヴェの黒い魔女』と呼ばれるようになった彼女の、礎とも言えるのがこのクラブだ。
 今夜、ヴューラーは客として店を利用していた。店員の大半も彼女が真のオーナーであるということを知る者はいない。ヴューラーはあくまで上客のひとりとして、連れと共に奥の個室をあてがわれていた。
 用意された個室は、人数に比べて相当に広かった。大きな勾玉型の変形テーブルを囲むように、革張りのゆったりとしたソファが配置されている。ソファの奥にはさらにカウンター席まで設けられ、その後ろの棚には何本もの酒瓶がずらりと並んでいた。現像機(プリンター)による再現ではない、取り置きの酒が用意してあるのは結構な贅沢だ。
「今日の議会の様子を見る限り、市長派はどうやら手詰まりのようだね」
 棚に並んだウイスキーの瓶のひとつを手に取り、いくつかのグラスに注ぎながら、小太りの中年の男がそう言った。
「我々を籠絡しようと様々な工作を仕掛けてきているようですが、思った通りにいってないのでしょうね。惑星開発計画中断の責任問題も、あやふやに済まそうとしている嫌いがある」
 カウンターのスツールに腰掛けた若い痩身の男は、そう答えると手っ取り早くテーブルの現像機(プリンター)から取り出した蒸留酒で喉を潤す。
「計画そのものは市長の承認も得て実行したものだし、扱いに困っているところはあるでしょう。この調子でいけば、議会日程を乗り越えることは出来そうです」
 ソファに腰掛けた短髪の女は、中年男からウイスキーの水割りが入ったグラスをふたつ受け取ると、そのひとつを斜向かいの席に座るヴューラーにそのまま手渡す。だがヴューラーはグラスを受け取ろうとはせず、咥えていた特注の長いベープ管を口から離すと、大きな白煙を吐き出した。
「手詰まりなのは私たちも変わらないわ」
 蒸気の煙が晴れたその先には、微細に編み込まれた長い黒髪とチョコレート色の肌が特徴的な、大柄な女性の顔があった。深紅に染まった長尺のストールが、彼女の長身を包み込むようにゆったりと巻きつけられている様が、ただでさえ人目を引くヴューラーの姿を一層際立たせる。ヴューラーは背格好だけでなく顔の造作も全体的に大ぶりだが、中でも強力な眼光を放つ大きな目は、明らかに笑っていない。むしろ不機嫌さが滲み出ている彼女の表情に、残る三人はそろって肩をすくめた。
「惑星開発計画が中断されたことで、今後テネヴェが独立を保ち続ける手段は限りなくゼロに近くなった。市長は計画中止と共に惑星同盟との具体的な交渉に入るつもりだっただろうけど、それに代わる手段方策を提案出来ない限り、最終的にはその道しか残されていないということになる」
 三人の顔を見比べながらそう言い終えると、ヴューラーはようやく短髪の女からウイスキー入りグラスを受け取った。微かにグラスを揺らし、氷同士がぶつかり合う音色に耳を澄ましてから、おもむろにグラスを呷る。喉をごくりと鳴らしてアルコールを体内に注ぎ込んでから、ヴューラーは再び三人に顔を向けた。
「たとえ市長に取って代わったとして、その後の展望がなければ結局は惑星同盟に呑み込まれて終わりよ。議会で晒し者にならずに済んだからといって、安心している場合じゃない」
 ヴューラーの鋭い視線に射すくめられて、三人ともグラスを手にしたまま口をつぐむ。ストールの下で長い脚を組み替えながら、ヴューラーは内心で嘆息していた。
 この三人は彼女が率いる会派の中でも比較的有能なはずだが、それもヴューラーの指示あってのことだ。彼女の会派は議会でも最大勢力を誇るが、強引に会派を拡大してきた反動か、彼女に面と向かって意見する人材に乏しい。
 ヴューラーは一向に発言のない三人の顔を見比べつつ、ベープ管の吸い口を唇に挟む。
 対等に相談できる人材が欲しい。それが彼女の目下の悩みであった。
 室内に漂う空気とは裏腹に情感豊かな楽曲が室内に響く中、沈黙を打ち破ったのは、彼女の左手の中指に嵌められた指輪型の通信端末だった。ベープ管を唇から離し、控えめな電子音に合わせるかのごとく微かに明滅する光点に触れてから、ヴューラーは左手の甲を口元に寄せた。
「お楽しみのところ申し訳ありません、ヴューラー様」
 通信の相手は、彼女がオーナーであることを知る数少ないひとり、この店のマネージャーであった。店内では顔を合わせることすら控えようとする彼から、直接通信があるのは珍しい。
「何かあったの」
「ヴューラー様の招待で来店したと申される方がいらっしゃっています」
「私の招待?」
「はい。イェッタ・レンテンベリと伝えればわかるはずだ、と」
 マネージャーの声が告げた名前を聞いて、ヴューラーは軽く目を見開いた。同時に目の前の勾玉型のテーブルの上に、若い女性の立像を映したホログラム映像が浮かび上がる。ウェーブのかかった蜂蜜色の長い髪に、端正な容貌の若い女性。ヴューラーを除く三人も、映像を見て銘々に反応する。
「こちらの女性です。いかがしましょう?」
 マネージャーの問いにしばし間を置いてから、ヴューラーは「いいわ。お通しして」と答えた。
「正気ですか? この女は、今や市長側の人間ですよ」
 短髪の女が驚きと共に領袖の顔を振り返る。中年男も女の言葉に頷いてみせた。だが彼らの反応に対して、ヴューラーはベープ管の先を個室のドアに向けて見せた。
「せっかく集まってくれたところ悪いけど、今夜は皆、お引き取りちょうだい」
「一対一でお会いになるつもりですか? それはいくらなんでも不用心です。せめて私だけでも」
 そう申し出た痩せぎすの青年は、冷ややかな眼光を注がれて表情を硬直させる。
「私の言うことが聞こえなかったのかしら?」
 否も応もない。畏まりながら三人が個室の外へと退去すると、入れ替わるようにしてイェッタが姿を現した。ヴューラーはソファにふんぞり返りながら、彼女をその大きな目で凝視する。
 見るからに派手なヴューラーとは対照的な、地味なパンツスーツという装いにも関わらず、持ち前の美しさが損なわれていない。
 それ以上にヴューラーの凝視に対して一向に怯む気配がないところが、彼女の興味を誘った。
「一ヶ月以上も前の招きに、今頃応じてくるとは思わなかったわ」
 ベープの煙と共に吐き出されたヴューラーの言葉に、イェッタは正面に立ったまま笑顔を返した。
「遅くなりまして申し訳ありません。色々と立て込んでいて、時間がかかってしまいました」
 とってつけたような口上をぬけぬけと口にされて、ヴューラーは我知らず微笑した。そのままベープ管の先で斜向かいの席を指し示すと、イェッタは勧められるままに腰を下ろす。
「好きなものを頼みなさい。なんだったらそこの棚から選んでもいい」
 ヴューラーが促すと、イェッタは「お言葉に甘えて」と答えて傍らの現像機(プリンター)を操作した。程なくして中からシードルの入ったグラスを取り出し、そのまま顔の前まで掲げる。
「改めて。お招きくださいまして、ありがとうございます」
 ヴューラーも飲みかけのウイスキー入りグラスを掲げて、形だけの乾杯の挨拶を交わす。ふたりそろってグラスを軽く呷り、改めて目を合わせた。
「まさか声を掛けた次の日に、市長補佐官の元に転がり込むとは思わなかった」
 そう言ってヴューラーはグラスを片手に揺らした。残り少ないグラスの中で、半分以上溶けきった氷たちの音が小さく響く。
「報告会の直後に補佐官からお誘いを頂きました。調査隊が解散して不安定な立場でしたから、私としても渡りに船だったんです」
「あのぼんくらがそこまで女に手が早いとは、誤算だったわ」
「ぼんくらと仰いますが、この店にヴューラー議員がいらっしゃることを知ったのは補佐官のお陰なんですよ」
「へえ、そいつは驚いた」
 まるで信じてないという顔で、ヴューラーは薄い笑みを浮かべる。
「親の脛齧りの代名詞みたいな男だと思ってたから、本当なら大したもんだわ」
 ヴューラーの態度に身じろぎひとつ見せず、イェッタは小さく微笑を浮かべた。シードルに口をつけて濡れた唇が、室内の抑えめの照明に照らし出されて艶やかに光る。琥珀色の瞳から放たれる躊躇のない眼差しは、ヴューラーには久しくない経験だ。数秒の間流れた沈黙の後、先に口を開いたのはイェッタだった。
「補佐官はあなたの想像以上に様々なことをご存知です。たとえば……」
 グラスをテーブルの上に戻しながら、イェッタは上目遣いのままいかにも思わせぶりに言った。
「このお店の本当の持ち主がどなたかということも、ご存知ですよ」
 途端にふたりの間に大きな蒸気の煙の塊が割り込んだ。視界を遮るかのように生じた白煙が、やがてエアコンディショニングから吹きつける微風によって晴れ渡ると、ふてぶてしいままのヴューラーの顔が現れる。彼女は相変わらず唇の端に微かな笑みをたたえていたが、言葉を発するまでにはなお少しの時間を要した。
「……そいつは驚いた」
 そう言うとヴューラーはソファから上体を起こし、ベープ管をテーブルの上に置いた。ふたりの距離がその分縮まって、改めて見返した先にある美しい女の顔が、ここに来てからまだ一度も微笑を崩していないことに気づく。
「このままあなたの実家に圧力をかけ続けようかと思っていたところだけど、それぐらいでこたえるたまじゃなさそうだ」
「父も兄もただの善良な農家に過ぎません。どうかご容赦いただけるようお願いします」
「今さらね。まどろっこしい会話は抜きにしましょう。用件はなんなの」
 するとイェッタは微笑を掻き消し、両手を膝の上に乗せて畏まった態度へと改めた。
「本日はディーゴ・ソーヤ市長補佐官の代理人として伺いました。補佐官は現状を打開するために、ヴューラー議員との会談を求めています」
 イェッタの申し出に、ヴューラーは大きな目を細めて尋ね返した。
「補佐官と会談?」
「はい」
「市長ではなく?」
「市長補佐官と、です」
 長身の女は腕を組みながら、再びソファの背に身体を凭れかけさせた。眉間にはいささかの失望が漂っている。
「補佐官ごときとの会談なんて、私にメリットがないわ。こう見えても忙しい身なの」
 そう言ってヴューラーは冷ややかな視線をイェッタに放った。並みの人間なら心臓を鷲づかみにされるかのような気分になるところだが、イェッタは怯む様子を見せない。
「今現在も惑星開発推進派への糾弾報道は過熱しています。このままですと推進派を束ねてきたヴューラー議員の立場も危うい。補佐官はそのことを危惧しています」
「私の身を案じてくれているっていうの、あのぼんくらが」
「補佐官は、今後のテネヴェの未来のためにはヴューラー議員のお力が必要、と考えています」
 イェッタはあくまでも真摯な態度を保ち続けたまま、ヴューラーの顔を真正面から見据えている。この女の言葉を額面通りに受け取って良いものか。彼女の顔に浮かんでいるのは先ほどから取り繕われた表情ばかりで、どうにも肚の内が窺い知れない。ヴューラーは慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「わからないわね。私が補佐官と会えば、テネヴェに明るい未来が開けるとでも?」
「少なくとも、その第一歩を踏み出すことが出来ます」
 そう言ってイェッタは一息区切り、心持ち身を乗り出した。一瞬伏せられた瞼が再び開かれると、彼女の琥珀色の瞳には、今までにない強い感情が込められていた。
「頓挫した惑星開発計画に代わり、惑星同盟とも対等な立場を築きうる新たな構想について、是非ともヴューラー議員と胸襟開いて話し合いたい。それが補佐官の真意です」
 ぽっと出の市長補佐官の、その代理ごときが口にするにしては、大仰な話だった。
 大言壮語と一笑しても良かった。だが笑い飛ばしたところで、代案がないこともまた確かだ。
 それ以上にイェッタが初めて見せた、剥き出しの想いを露わにした表情が、ヴューラーの視線を釘付けにした。
 相手の迫力に気圧されてしまったのだということに気がついたヴューラーは、それと悟られぬようにベープ管を探す。視線を落とさないままテーブルの上に手を這わせるといつの間に手に取ったのか、イェッタの手の中のベープ管が、吸い口をこちらに向けて差し出された。
 無言で受け取ったベープ管を咥えて大きく吸い込み、斜めに顔を逸らして細く煙を吐き出してから、ヴューラーは視線だけをイェッタの顔に向けた。
「大きく出たわね」
「恐れ入ります」
 そう答えるイェッタの顔には、既に冷静な表情が舞い戻っている。癪ではあるが、一瞬でもこの女の表情に呑まれてしまったのは事実だ。ヴューラーの肚は決まった。
「いいでしょう。あのぼんくらがどれほどの大法螺を吹くつもりか、確かめさせてもらうわ」
「ありがとうございます。補佐官も喜びます」
 イェッタは安堵して笑顔を浮かべたが、ヴューラーの目にはあくまで意識しての振る舞いにしか映らない。テーブルからグラスを手に取ったイェッタが、残ったシードルに口をつける。その様子を複雑な表情で眺めていたヴューラーは、グラスから口を離したイェッタに対しておもむろにベープ管の先を突きつけた。
「ひとつだけ訊いておきたいことがあるの」
 ベープ管の先で、グラスを手にしたままのイェッタがこちらに顔を向ける。
「なんなりと」
「ここまでの話、補佐官なんて関係ない、本当は全部あなたの入れ知恵なんでしょう?」
 多少なりとも虚を突かれた表情が見れるかもしれない、というヴューラーの期待はかなわなかった。その代わりに微笑未満の笑顔を浮かべながら、イェッタは小さく頭を振る。
「とんでもない」
 そう言ってグラスをテーブルの上に戻すと、イェッタは身体ごとヴューラーに向き直って言い足した。
「補佐官と私は一心同体です。私の言葉は補佐官の言葉そのままと受け取っていただいて、間違いありません」
 自信でも確信でもない、ただありのままの事実を告げるときの、淡々とした口調だった。
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登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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