2ー2ー8 種播きの歌

文字数 6,676文字

(さすが行動が早い。チャカドーグー、ミッダルト、諸々合わせて二桁以上の国に声を掛けて……いや、これはもう恫喝だね)
 感心半分、呆れ半分といったタンドラの声が、イェッタの意識に届く。
(独立惑星国家の間では、スレヴィアが銀河連邦構想を後押ししていると噂されることになる。お陰で私たちもやりやすくなるわ)
 オートライドの車窓に映る光景に目を向けながら、イェッタは唇の端に微かな笑みを浮かべた。
《原始の民》の降下四百周年を祝う祖霊祭は、ここ数年でも例に無い賑わいを、惑星スタージアにもたらしている。
 宇宙港からして訪れる巡礼客たちを出迎える手の込んだ装飾で彩られ、シャトルで地表に降りればもうそこから人混みが始まると言って良い。シャトルの発着場から祖霊祭会場の中心となる博物院に至るまでの道という道に軒並み出店が連なり、その間を祖霊祭の正装である白地の長衣をまとった人の波が埋め尽くしている。もっとも混雑自体は事前に予想されていたため、今回は博物院の招待客を乗せて走るオートライドのために専用の道路が確保されていた。おかげで博物院までの道程は、ロカが前回ディーゴと共に訪れたときよりもむしろスムーズであった。
 オートライドの運転席がロカの定位置であることは変わらない。だが後部座席に座るのはイェッタであることに、ロカは一抹の寂しさに似た、胸の奥をざわめかすような痛みを感じていた。
「ディーゴの記憶が呼び起こされるわ」
 ロカの心の動きを感じ取ったのであろう。バックミラーに映るイェッタの顔は、車窓の向こうで祖霊祭に湧く街中の様子を感慨深げに眺めながら、ぽつりとそう言った。
「よっぽど面倒くさかったのね。嫌々祖霊祭に出席したって記憶ばかりよ」
 そう言って思い出し笑いを浮かべるイェッタに、ロカが振り向いて苦笑を投げかける。
「あの頃のディーゴは、政治に関わること自体を嫌がっていたからな」
「その気持ちはよくわかるわ」
 イェッタは窓の向こうに目を向けたまま、ロカの言葉に頷いてみせる。その反応がロカにはやや意外だった。
「確か航宙行政に関わることを望んでいたのではなかったか」
「それはタンドラよ。イェッタ・レンテンベリは、元々政治に興味に持つような女ではないの」
「そうなのか。そういえばお前たちの口から、それぞれの過去を聞いたことは無かったな」
「いずれ、落ち着いたら教えてあげるわ」
 それきりイェッタは口をつぐんでしまったので、ロカもそれ以上詮索しようとはしなかった。
 オートライドは交通整理の行き届いた道を滑らかに走り続け、定刻よりもだいぶ余裕を持って博物院前の車寄せで停車した。イェッタたちの後に続いてきたオートライドからは、ヴューラーが長身を覗かせる。
「さて、いよいよね」
 ヴューラーは白地の長衣の裾を翻しながら、イェッタにそう声を掛けた。ヴューラーもイェッタも、そして彼女たちに付き従うロカたちスタッフも皆、既に祖霊祭の正装とされる白地に金の刺繍を施した長衣に身を包んでいる。
「入港待ちの間に掛けられるだけの声は掛けたけれど、どいつもこいつも曖昧な態度ばかり。根気強く説得して回るキューサック御大には、今さらながら感心するわ」
「今日の祖霊祭でスタージアが銀河連邦構想への賛同を表明すれば、それも変わります。あとしばらくの辛抱ですよ」
「私はあの老人ほど気が長くないからね。期待してるわ」
 ヴューラーは笑顔で頷いたが、その表情はまるで猛禽類が威嚇する様によく似ていた。そのまま博物院に向かって先に歩き出すヴューラーの後に、数歩遅れてイェッタも続く。
(市長は自分が緊張していることに気がついてないようだね)
 ヴューラーの背中を追うイェッタに、タンドラの思念がそう呟いた。
(無理も無いわ。いくらスタージアが協力を確約したと報告を受けても、目の当たりにするまでは実感が湧かないでしょう)
(私だって、実感が無いのは同じだけどね。どんな演説をするつもりなのか、この耳で直に聞くことが出来ないのは残念だけど)
 タンドラももちろんスタージアまで同行しているものの、今回も前回同様にスタージア宇宙港の附属医院に待機を兼ねて入院している。治療の経過を診るという名目だが、本当の理由は博物院で催される祖霊祭に参加出来る人員には制限があるためであった。まさか地表に降りてタンドラひとりで過ごすのも却って不便ということで、代わりに診察を兼ねた入院を決めたのである。
 再び空の上で待ちぼうけを喰らう羽目となって、いかなタンドラでも不平が口を突いて出た。
(招待客のほか一名までしか同行出来ないなんて、博物院も随分とケチ臭い話だよ)
(申し訳ありません。会場が旧式なもので、収容人数に限りがありまして)
 タンドラのぼやきに応じたのはイェッタではない。
 未だ成人には程遠い、微かな幼さを伴うその声は、かつてスタージア宇宙港でイェッタと問答を交わした少女オーディールのものであった。
 ヴューラーの後をついて博物院の廊下をゆくイェッタのまなじりが上がる。一方で直接の思念のやり取りは初めてとなるタンドラは、興味深げな感情を表にした。
(あんたがオーディールかい。なかなか顔を出さないから、待ちくたびれたよ)
(タンドラ・シュレス、あなたとは前回の治療の際に、十分以上に交流出来たはずですが)
(麻酔で朦朧としている状態の頭を一方的に引っ掻き回すのは、交流とは言わないんだよ)
 オーディールの挨拶を乱暴に断じながら、タンドラの口調には言葉ほどの嫌悪感は込められていない。むしろ《スタージアン》との思念の接触を待ち望んでいたような、好奇心が端々に覗いている。
(なるほど、あんたたち相手との精神感応的なコミュニケーションも、《繋がって》いる者同士のそれと、それほど変わらないんだね)
(我々も、我々以外の存在との精神感応的な交流という経験はあなたたちが初めてですが、《繋がって》いない以上は発声によるコミュニケーションとそこまでの違いは無いかもしれません)
 オーディールのもっともらしい言葉を聞いて、タンドラが呆れ混じりに言う。
(よく言うわ。あんたたちは私たちの無意識まで見透かしているっていうのに、私たちはこの、思念のやり取り以上にあんたたちの考えを知ることは出来ないんだよ。大違いも甚だしい)
(それはその通りですが。でもおふたりの精神感応力に制限を掛けているのは、あなた方のためでもあるんですよ)
(どういうこと?)
 そう尋ねたのは訝るタンドラではなく、警戒心も露わなイェッタの思念であった。
(もしあなた方が私たちの深層まで覗き込もうとしたら、そのまま私たちと《繋がって》しまいます)
 至極あっさりとしたオーディールの答えに、タンドラもイェッタも言葉を失う。絶句したままのふたりを意に介さず、オーディールの声が念を押すように語りかけた。
(今日の祖霊祭、しっかりと目に焼きつけて下さい。きっとおふたりの役に立つものをお目にかけますよ)
 そう言い残すと、オーディールの思念はイェッタたちの感知の及ばない、範囲外へと掻き消えてしまった。恩着せがましいような、それとも親切めかしたような最後の一言が、耳朶に残る。
「イェッタ、どうした。市長を追わなくていいのか」
 心配そうなロカの声が耳に飛び込んで、イェッタはふと我に返った。気がつけば、博物院の中で足を止めて立ち尽くしている自分がいる。彼女の周りを多くの招待客たちが次々と追い越していくのを見て、イェッタは取り繕うようにロカの顔を見返した。
「ごめんなさい。少しぼうっとしていた」
 そう言って再び歩き出すイェッタに、ロカが気遣うように声をかける。。
「もしかして出席者たちの考えを、少しでも読み取ろうとしていたのか」
「まあ、そんなところよ」
「無理をするな。いくらお前でも、こうも大勢の頭の中を一度に覗こうとしたら、混乱もするだろう」
 ロカの言葉に頷きつつ、イェッタは先を行くヴューラーたちを追って足を速めた。
 祖霊祭会場となる屋外ステージは、下半分を地下に埋めた、巨大な立方体の建物だ。中に入ると三方が階段状の座席に埋め尽くされ、舞台のある一方を見下ろす格好となる。
 ヴューラーとイェッタたちの席は舞台の側から見て正面からやや上段の辺り。観覧するには絶好の位置だ。逆に言えば、周囲から注目を集めやすい配置とも言える。
 場内にはおそらく万を超える数の参加者が、それぞれの席で式典の開始を待ちわびていた。立方体のすり鉢の中は、参加者たちの思念に埋め尽くされ、充満している。そのどれもが何らかの特徴を備えて、ひとつとして同じ色を用いずに描かれたモザイク状の点描画のように、イェッタの周りを隙間なく取り囲んでいた。仮に全てを明確に読み取ろうとしても、ロカの言う通り混乱するだけである。
 着席すると同時にイェッタが注意を配ったのは、彼女たち自身に特別な悪意が注がれていないかどうか、その一点のみ。だが少なくとも明確な負の感情を察知することは出来なかった。《スタージアン》は何らかの意図をもってこの位置に配したのだろうが、どういう意図なのかまではわからない。わからないという事実が、かえって不安にさせる。
 イェッタがもどかしい思いでいる内に、四百周年を迎えた記念すべき祖霊祭の式典は厳かに幕を開けた。
 満天の星空の下、舞台の上で繰り広げられる式典の内容は、二年前にディーゴが目にした記憶に比べてはるかに壮麗に仕上げられていた。
 冒頭で登場する山車は、ディーゴの記憶では一体だったはずが、今年は三体に増えている。その飾り立て方もひときわ豪奢で、二年前のそれとは比べものにならない。煌びやかに装飾された三体の山車が競うように動き回る様に、観客たちが感嘆の声を上げる。
 やがて山車が定位置に落ち着くと、舞台の袖から舞妓たちが次々と姿を現した。舞妓たちが身にまとう演舞用の長衣は深紅と紫、そして濃紺の三組に分かれて、山車の周りを縫うようにして一糸乱れずに舞う彼女たちの優美さを一層引き立てる。
 一連の演目に合わせて流れる荘厳な演奏が、舞の動きと見事に同調して、見る者たちを夢見心地へと誘う。もとより私語など許される雰囲気ではないが、観客たちは誰もが息を呑んで舞台の上に神経を集中させている。優雅で、それでいて激しい踊りを披露した舞妓たちは、最後に舞台の中央に固まって一斉に膝をついた。
 彼女たちに合わせて、演奏も一時止む。
 やがて楽曲の調べが再開されると、舞妓たちは散り散りになって舞台の端へと去っていった。後に残ったのは中央にぽつんと焦点の合った照明と、その中にたたずむひとりの人影だった。
「あれは……」
 イェッタの口から思わず声が漏れる。隣りに座るヴューラーから一瞬視線が注がれるが、イェッタの注意は舞台の上に集中していた。
 照明の明かりに照らされて舞台に立つのは、つい先ほど彼女の頭の中に思わせぶりな言葉を残した少女、オーディールであった。
白地に金と銀の刺繍が施された長衣の上に、紫のローブを羽織ったオーディールは、会場の客たちに向かって己への注目を促すかのように、舞台の前端にまで歩み出る。言われるまでもなく、観客たちの視線がこぞって少女に集中する。演奏に合わせて、会場に向けて訴えかけるかの如く両手を広げたオーディールは、透き通るような声で歌い出した。

 種を播きましょう
 君が進み 見出した先
 夢に見るは 黄金色の波

 オーディールが唱えるのは、イェッタが幼少期から散々親しんできた『種播きの歌』だった。農業を営む彼女の実家では、子守歌代わりによく聞かされてきた童謡だ。骨の髄まで染みついているはずの歌を耳にして、だがイェッタの顔に浮かぶのは懐かしさではなく、驚愕の表情だった。

 種を播きましょう
 繁る森を 切り拓き
 浸たる沼沢に 土を盛り

 本来は長閑で陽気なリズムに乗せて歌われる曲だが、まるで別の歌のように厳かにアレンジされた演奏が、会場の隅々まで響き渡る。
 そしてオーディールが抑揚の効いた豊かな声量に乗せて、一言一句歌い上げる度に、会場の空気はあからさまに変化していった。
 会場にひしめく観客たちの、ひとつひとつに歴とした差がある雑多な思念が、オーディールの歌と共に一斉に同じく姿を変えていく。それまでひとつとして同色が存在しなかったはずの、モザイク状の点描画は、少女が歌い続けるにつれて瞬く間に単色へと塗り潰されていった。

 種を播きましょう
 腰を曲げ 土に祈り
 一握の種籾が 芽吹くと信じて

 オーディールが歌い終えると間もなく、会場に盛大な拍手と歓声が湧き起こった。
 彼女の歌は素晴らしいものだったかもしれない。だがイェッタはその素晴らしさをそのままに受け止めることは出来なかった。
 耳をつんざくような拍手も歓声も、全てオーディールの歌に誘導された結果であることを、嫌というほどわかっていたからだ。
 万雷の拍手に見守られながら、オーディールが舞台から退場する。その間際、少女は間違いなくイェッタの顔を認めて、そっと笑みを零した。
(祖霊のご加護があらんことを)
 脳に直接届いた少女の声に対して、身じろぎすることも出来ない。
 万を超える群衆の精神すら操る術を、イェッタたちに披露すること。それこそがオーディールの言葉の真意だったと知って、イェッタは心臓をじわりと握り締められるような感覚に襲われる。
 オーディールの退場の後に現れた博物院長は、式典を締めくくる口上の最後に、銀河連邦構想について言及した。独立惑星国家が互いに手を取り合い、銀河系人類社会の輝かしい未来を構築するために、銀河連邦の成立を願うと表明したのだ。
 そして旗振り役として、テネヴェ市長グレートルーデ・ヴューラーの名を挙げた。
 博物院長がヴューラーの名を口にした瞬間、特等席に座る彼女に集中した出席者たちの視線は、押し並べて好意的なものばかりであった。既にオーディールの歌によって《スタージアン》の言うなりになっていた各国代表が、博物院長の言うことに異を唱えるはずもない。その後の親睦会でイェッタは、ヴューラーに挨拶しようと殺到する各国代表を終始捌き続ける羽目となった。中でも真っ先に駆けつけたのが、よりにもよってアントネエフである。驚くべきか失笑を堪えるべきか、イェッタはせいぜい無礼にならないよう対応するのに苦労した。
(この連中は皆、《スタージアン》に《繋がった》わけじゃない)
 イェッタに劣らぬ動揺を抑えつつ、タンドラの思念が指摘する。
(ただ、この場限りの精神感応的な方向付けをされただけだよ。スタージアを離れれば、いずれ連中の熱狂は醒める)
(それでも、その熱狂の記憶を保ったままに本国に帰還する人々も、一定以上はいるはずよ)
 イェッタは今回の祖霊祭がもたらした成果を、冷静に見極めて、活かさなければならない。
(いずれにせよ博物院長が銀河連邦構想に賛同し、この場に集まった各国代表の全員――あのアントネエフですら、これを支持した。この事実は覆らない。これで銀河連邦発足に向けた具体的な準備を、各国を巻き込みながら進めることが出来る)
 決然と言い切るイェッタに、タンドラも頷く。だがふたりとも、それ以上の思考を口にすることはなかった。互いに《繋がり》合っている以上、言わずともわかりきっていることとはいえ、あえて言葉にするにはイェッタもタンドラも、お互いに躊躇いがあった。
 銀河連邦構想の実現に向けた大きな一歩――それ以外、あるいはそれ以上に獲得してしまったものを、ふたりともまだ己の中で消化し切れていなかった。
 オーディールがまざまざと見せつけた、他者の精神に自在に干渉する力。
 偶然にディーゴと《繋がった》ときのような、迂遠な手段は必要ないのだ。その場限りに心の動きを誘導する程度から、無意識の底まで絡めとって《繋がる》ことまで、願うだけでよい。ただそれだけで、他人の心に思うがまま干渉することが出来ると知って、イェッタもタンドラも戦慄するほかなかった。
 あまりにも安易なその術は、《スタージアン》の少女の透明な歌声と共に、ふたりの脳裏に否応なしに刻み込まれてしまったのである。
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登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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