2ー3ー4 アントネエフ卿の困惑

文字数 6,954文字

 テネヴェが銀河連邦の本拠地として選定されて以来、この星の産業構造は大きく変化した。
 それまで主力だった農産業主体の一次産業に加えて、加盟各国の膨大な情報を処理しなくてはならない銀河連邦の本拠地機能を充実させるため、情報産業への需要が高まったのである。
 テネヴェ市政府はこの特需を逃さず、情報産業の振興へと力を注ぐことを決める。その効果は数年を待たずして覿面に表れた。
 電子情報機器の設計図(レシピ)を編み出す専門の現像技師は慢性的に不足し、設計図(レシピ)を元に部品を産み出す大規模な現像工房があちこちで建設され、部品組立工の賃金は鰻登りとなった。並行して電子情報機器を操作するソフトウェア開発も急速に進められていった。連邦発足から七年後に創設されたテネヴェ情報工学院は、ソフトウェア開発と電子情報機器専門の現像技能の育成に特化した、銀河系で初の教育機関である。
 テネヴェ発の情報産業の発展は、航宙と通商の自由が保障された銀河連邦域内に行き渡り、加盟国の生活水準を向上させることに大いに貢献する。
 遠からず、銀河連邦がエルトランザ、バララト、サカと同等以上の国力をつけることになるだろうことは、今や誰の目にも明らかだった。
「銀河連邦の創設十周年となるこの日を皆様と共に祝うことが出来るのは、心からの喜びです」
 今や銀河系でも屈指の情報産業都市となったセランネ区の、最高級と称されるホテルの大会場で、壇上のヴューラーが列席者に向かって声を掛けた。
 日中からテネヴェ中で催されていた銀河連邦創設十周年の記念式典は、各国代表や関係者を集めたこのパーティーをもって締めくくられる。ヴューラーの声は高らかと言うほど高揚しているわけではなく、だが威厳を伴った豊かな声量で、会場にひしめく人々の耳に(あまね)く行き届いた。
 かつてテネヴェ市長に就任した際に立った場所と同じ位置から、ヴューラーは手にしたグラスを掲げながら乾杯の号令を発する。時を置かずして列席者たちが唱和し、会場は一様に歓声で埋め尽くされた。
「誠にめでたい。感無量ですな」
 早速シャンパンを空けたピントンが、丸い頬をうっすらと紅潮させながら、高揚した声をかけてくる。イェッタはグラスを片手にしたまま、微笑を浮かべて応じた。
「少々気が早いのではないですか。ピントン局次長が感極まる瞬間は、このあとに控えてますよ」
「いやいや、それを言われてしまうと否定出来ませんな」
 額をぴしゃりと叩いて、ピントンは相好を崩した。わざわざ彼の内心を探らなくとも、その瞬間を待ち望むピントンの内心は誰の目にも明らかだ。
「しかしこう申し上げてはなんですが、事務局長からはもう少し睨まれるものかと思っておりました」
 ピントンがそう言って探るような目を向けるが、イェッタは微笑を崩さない。
「睨むだなんてとんでもない。銀河連邦の発展のためには、むしろ当然だと思っています」
「そう仰って頂けると心強いですな。今後も連邦のために、共に協力して参りましょう」
 丸々とした肉付きの良い手を差し出されて、イェッタの白く細い手が握り返す。にこやかな表情の裏で様々な思考を巡らせることが常のピントンが、今夜ばかりは裏表のない笑顔を浮かべていた。そんな彼を見ていると、いっそ微笑ましいとさえ思えてくる。
 壇上の脇に設けられた巨大な円盤状の投影装置には、銀河連邦創設からこの十年間の歩みを綴ったホログラム映像が流れていた。
 創設宣言を高らかに唱えるヴューラーの演説から始まる一連の映像は、関係者たちの働きについていささかドラマチック過ぎる演出が施されていた。だが銀河連邦の成立によって果たされた航宙法制の統一と銀河連邦軍の編成は、間違いなく特筆すべき業績だろう。
 最後に連邦軍の大艦隊が出航する様子を映し出したところで映像が終了すると、タイミングを見計らったかのように金髪の偉丈夫が壇上に姿を現した。
 バジミール・アントネエフがこの十年で果たした功績は、ある意味でヴューラー以上とも言える。
 アントネエフはローベンダール惑星同盟軍を丸ごと銀河連邦軍に充当せず、連邦域内の治安維持を目的とした保安庁とに分けて再編した。その成果は、域内の航宙事件・事故の発生率の劇的な低下という数字に表れている。
 今や〝銀河連邦軍の父〟 〝銀河連邦保安庁の父〟として、彼の名声はヴューラーに勝るとも劣らない。
 銀河連邦内部における派閥争いでも、三年前にドーロ・ブリュッテルが死去したことによりローベンダール派は求心力を失い、アントネエフが率いるスレヴィア派が主流を占めつつある。
 そして今夜、彼は生涯の頂点を迎えようとしていた。
 壇上ではヴューラーが、トレードマークとなった銀の薔薇を象ったベープ管を両手に抱えるようにして、アントネエフを待ち構えている。列席者が注目する中、ふたりが立ち並ぶ様子はヴューラーの市長就任時の一幕を想起させたが、その立場は明確に異なった。
「アントネエフ卿、銀河連邦常任委員長の座を託します」
 そう言ってヴューラーが両手で差し出したベープ管を、アントネエフはまるで王冠を賜るように恭しく受け取った。
「このバジミール・アントネエフ、ヴューラー常任委員長が今日まで築き上げてきた功績を胸に刻みつつ、銀河連邦のさらなる発展に邁進することを誓いましょう」
 銀の薔薇を天井に向けて突き出しながらアントネエフが高らかに宣誓すると、会場には再び歓声が湧き上がった。
 長年仕えてきた主人の晴れ姿を目の当たりにして、ピントンが目尻にハンカチを当てている。その姿を見て、ロカの黒い精悍な顔立ちはあからさまに不服そうだった。
「本当にこれで良かったのか」
 小声で不平を口にするロカを、イェッタが苦笑混じりにたしなめる。
「ほかに手はないでしょう。旧惑星同盟諸国に負担金軽減期間の終了を説き伏せられるのは彼しかいないわ。その報酬が常任委員長の座というなら安いものよ」
「ヴューラーも良く納得したな」
 アントネエフの常任委員長就任は、二期十年の任期を務めて改選のタイミングを迎えたヴューラーが、常任委員長と連邦評議会議員の引退を宣言したことによるものだ。この時点で次代の常任委員長候補と言えば、アントネエフを置いてほかはいなかった。もちろん引退を宣言する直前に、ヴューラーが旧惑星同盟諸国の説得をアントネエフに確約させたのは言うまでもない。
「どのみち彼女もそろそろ潮時と考えていたみたいだし。ちょうど良い頃合いだったのよ」
「しかしお前はどうなるんだ。アントネエフが常任委員長となれば、事務局長に指名されるのはピントンに決まっている」
 ロカの懸念は当然、というより衆目の一致するところであった。ピントンは相変わらず銀河連邦随一の能吏であり、またアントネエフの腹心である。新たな事務局長に就くのは、彼以外に有り得ない。
「それはあなたも知っての通りよ。ヴューラーは私のことを次の連邦評議会議員に推挙すると言っているし、私も受けるつもり」
「それにしたって、事務局長として連邦に関わるのとは雲泥の差だ」
 銀河連邦の中枢に関与する機会は、事務局長の方がはるかに多い。だがイェッタの顔に落胆はなかった。壇上を降りた瞬間から列席者に囲まれるアントネエフと、その傍らに控えるピントンに向けられた琥珀色の瞳に、険しさはない。
「ロカ、あなたとの付き合いも、もう十年以上になるのね」
 唐突な台詞を口にするイェッタの横顔を、ロカは戸惑うように見返した。
「もう、そんなになるか。そう言われるとあっという間な気がするな」
「その間、私はいっつもあなたに怒られてばっかりだった気がするわ」
「怒ってるわけじゃない。突然だったり不可解なことを問い質しているだけだ。それが私のやり方だし、そのままであれと言ったのはお前だろう」
「その通り、それでこそロカ・ベンバだわ。だから信用してるのよ」
 イェッタは頷きながらロカに振り返る。そして彼女が口にした台詞は、ロカを唖然とさせるには十分な一言であった。
「アントネエフもピントンも同じ。ふたりとも、もう私たちの敵じゃない。そろそろ彼らを仲間と呼んでも良い頃だわ」

 闇夜の中に煌々と照明を灯しながら聳える超高層ビル高層階の一室――銀河連邦常任委員長の執務室で、窓際に立つアントネエフは不機嫌な顔で目の前の光景を眺めていた。
 当初、セランネ区のホテルを丸ごと借り切ってスタートした銀河連邦常任委員会本部は、数年後にはセランネ区中心街区から数キロ離れた、海沿いの広大な敷地へと移転した。連邦評議会ドームと併設する形で建設が進められた、後に『連邦区』と称されることになるセランネ湾の一画は、その全てが銀河連邦関連の施設で埋め尽くされている。
 文字通り巨大なドーム型の形状を取る連邦評議会とは対照的に、常任委員会本部が収まるのはテネヴェでも最も高い超高層ビルだ。高層階から一方に目を向ければ、情報産業都市として栄えるセランネ区の活気に満ちた街並みが、反対側にはセランネ湾の両端に突き出したふたつの岬に囲まれるようにして、穏やかな海面が広がっている。
 既に陽もとっぷりと沈んで、遠くに行き交う船舶の灯り以外には真っ暗な海面と、生憎の曇天で海面以上の漆黒ぶりが際立つ空に、アントネエフの青い瞳は向けられていた。
 齢も五十代の半ばに差し掛かりつつあるアントネエフは、真っ直ぐな背筋に分厚い胸板や隆々とした腕周りを見てもわかる通り、その壮健ぶりは未だ衰えることがない。だが目尻や口元、首筋に表れる皺の数は、気がつく度に少しずつ増している。
 肉体的に、というよりも精神的に年齢を重ねたのだということは、いかに頑健をもって知られる〝銀河連邦軍の父〟であっても自覚せざるを得ない。
 アントネエフはしばらく親指と人差し指で両の目を揉み込んでから、再び顔を上げた。一瞬、目に映る景色がぼやけて空と海の境界が滲んで見える。だがすぐに回復した視力で、微妙に質の異なる漆黒を横一文字に区切る水平線の存在を確かめてから、アントネエフは窓の外の光景に背を向けた。そのまま執務席に腰を下ろし、デスク上の透過パネル型端末に目を向ける。
 端末に映し出されているのは、今日の連邦評議会で採決された議案の一覧だ。その一番上に表示されているのは、『銀河連邦加盟各国の教育課程へのスタージア巡礼研修の義務化案』であった。
「なんだ、これは」
 遡ること数日前、執務室で提出予定の議案一覧に目を通していたアントネエフは、その議題に気がついてそう呟いた。
「なんでしょう?」
 執務卓の前の応接用ソファに腰を下ろしていたピントン事務局長が、主人の言葉に気づいて首を伸ばす。
「スタージアへの巡礼研修を、各国の中等院生に義務づける、だと。提出者は……」
「複数の評議会議員の連名で提出されたものですな。取りまとめているのはレンテンベリ議員です」
 因縁浅からぬ相手の名前を聞かされて、アントネエフの太い眉がわずかにひそめられた。
「レンテンベリか……」
「彼女に対して思うところがあるのはわかりますが、議案自体には何か問題があるでしょうか」
 暢気な顔で尋ねるピントンを、アントネエフは鋭い目つきで見返した。
「内容そのものはどうこう言うものではないが、加盟国の教育課程への口出しなど、内政干渉と見做されないか」
 十年目を迎えた銀河連邦の権威は年々増しているが、その主目的はあくまで加盟国間の協力と調整とされている。加盟各国の内政については不問であることが、発足当初の理念のひとつだ。だから加盟国の政体も王制・貴族合議制・民主共和制など様々な形態が存在するし、連邦評議会議員の選出方法も各国に一任されている。
 教育制度も当然各国の専権事項のはずであり、そこに干渉するような議案は物議を醸しかねない。
「それは確かに、仰る通りですな」
「レンテンベリがどうなろうと構わないが、評議会にいらぬ騒動を持ち込まれるのも気に食わん」
「なるほど、なるほど。しかしバジミール様、この議案で評議会が揉めることはないでしょう」
 屈託なく断言するピントンに、アントネエフが訝しげな目を向ける。
「なぜそう言い切れる」
「おそらく彼女もバジミール様がご懸念されているようなことは想定していたのでしょう。先ほど連名でと申し上げましたが、その数は三十三人。これだけの公式な賛同を事前に得ているのですから、評議会が紛糾する可能性は低いのではないでしょうか」
 ピントンの指摘を受けて、アントネエフは改めて端末の画面を覗き込んだ。
 議案提出者はイェッタ・レンテンベリの名を筆頭に、確かに全部で三十三名分ある。銀河連邦はこの十年でさらに三カ国が加わり全評議会議員数は四十一となったが、それでも採決に掛ければ間違いなく可決される数だ。
「むしろ、連邦が加盟各国に影響力を行使するための、足がかりとして利用するべきかと存じます」
 そう言いながらピントンはソファから立ち上がり、主人が着席する執務卓の前まで歩み出る。アントネエフは太い腕を組みながら、なおも低く唸っていた。
「……常任委員長に就任してからこちら、ずっと考えていることがある」
 アントネエフの独白めいた語り口に、ピントンは黙って耳を傾けた。
「私は銀河連邦の常任委員長であると同時に、スレヴィアの領主でもある。両者の利益が相反する場合、私はいずれを優先するべきなのだろうか」
 連邦が加盟各国の内情にまで口を出すようになれば、いずれスレヴィアにもその影響は及ぶ。イェッタたちが提出したこの議案がその契機になるとしたら、取扱は慎重にならざるを得なかった。
 採決はあくまで評議会議員全員の投票によって行われるとはいえ、彼らも常任委員長の意向を完全には無視出来ない。評議会でこの議案についてどのような態度を示すべきか、アントネエフは決断しなくてはならないのだ。
「バジミール様は、既にご自身の中でその答えを出されています」
 執務卓の前に立つピントンが、穏やかな表情と穏やかな口調で、そう答えた。
「以前のバジミール様であれば、迷うことなくスレヴィアを優先させていたはずです。それが今、銀河連邦の利益とスレヴィアの利益にそれぞれ価値があるとお考えです。そのこと自体、バジミール様にとって銀河連邦が意味あるものであるということでしょう」
 あくまで丁寧な物言いはいつものピントンのものだ。だがアントネエフは、忠実な部下の言葉に、名状しがたい違和感を覚えた。言い知れぬ()を感じる。
 そう思って端末から顔を上げると、彼の目の前にはピントンの福々しい顔があった。
「銀河連邦にとっての利益はそのままスレヴィアの利益です。そう考えれば、自ずと答えも見えてくるのではないでしょうか」
 ピントンの視線はアントネエフの瞳からさらに身中に及び、脳裏の隅々まで覗き込んでいる。やがて意識の片隅をふと後押しされたような感覚が、アントネエフを襲った。
 思わず目を閉じて頭を振る。
 そして再び瞼を開いたアントネエフの顔には、先ほどまでに比べて清々しい表情が浮かんでいた――
 今日、加盟各国の教育課程においてスタージアへの巡礼研修の義務化を進める議案は、満場一致で可決された。議案提出者に名を連ねなかった者も、討議の冒頭で常任委員長が積極的な賛意を披露したことによって、賛成に投票したに違いない。
 ピントンの言う通り、この議案の可決は銀河連邦の権力を強化する最初の一歩になるだろう。
「なぜだ?」
 執務室に戻った瞬間から、アントネエフは何度呟いたかわからないその言葉を口にした。
 なぜ、自分はあれほどまでイェッタ・レンテンベリの議案に賛成してみせたのか。
 ピントンの言葉に頷くところがあったのは認めよう。銀河連邦は今や個々の惑星国家たちの共同体という意味以上の、強大な存在になりつつある。そして自分はその頂点に立つ常任委員長だ。スレヴィアという一個の惑星国家を超える判断を下したとしても、不自然ではない。
 だがそれにしても、まるでイェッタに迎合するかのような演説を垂れた自分が、自分で信じられなかった。
 あのような公式の場で、果たしてそこまでする必要があったのか。常任委員長が賛成するらしいことをそれとなく仄めかす程度で十分だったのではないか。現在の銀河連邦は四局長全てアントネエフの息がかかった者たちで占められ、ヴューラーの時代とは比べるべくもない、アントネエフ常任委員長一強の様相を呈している。彼の指先ひとつで銀河連邦は意のままになるはずなのに。
 思いつく限り最大の権力を手に入れたはずのアントネエフの胸中に、浮かんでは消えることのない漠然とした不安が広がっていく。
 彼の背後の分厚い窓ガラス越しには、波間に漂っていた船舶の照明もいつの間にか消えて、星明かりひとつない闇夜と暗い海面が織り成す暗黒が充満していた。
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シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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