2-2-3 オーディール

文字数 6,023文字

 惑星の静止衛星軌道上に浮かぶ宇宙港に、医療施設が併設されているのには理由がある。往々にして、地上の重力から解き放たれた無重力空間の方が、治療成功率が高まるケースが多いのだ。タンドラも無重力空間での診察・治療を勧められており、彼女はスタージア宇宙港に到着するとそのまま附属医院へと入院する手筈となっている。
 宇宙船は先刻無事に入港し、乗客たちは下船を前にして気もそぞろだ。イェッタはタンドラに付き添って、彼女の安静な下船を見届ける役回りである。病人連れという理由により、ほかの乗客たちに先駆けて乗降口の先頭でモトベッドに寄り添う彼女の顔は、やや気分が優れないように見えた。
(落ち着かないね)
 モトベッドに身体を横たえたままの、タンドラの意識がイェッタに囁きかける。
(あんたも、さっきから感じているでしょう)
(ええ)
 イェッタは辺りを伺うように、何度も周囲に目配せしていた。
(この圧迫感は、なに)
 宇宙船を下りてアライバルゲートを通り過ぎる頃には、イェッタは目眩すら感じていた。
 ロビーをせわしなく行き交う大勢の人々の中にあって、三人は良くも悪くも注目を集めていた。大がかりなモトベッドと、その脇に付き従うように繋がれている医療用ロボット。そしてモトベッドを挟むように立つ、均整の取れた長身の精悍な黒人男性と、丁寧にひとつ編みにされた蜂蜜色のロングヘアをうなじに垂らす、美貌の白人女性という組み合わせは、人目を引くのに十分だった。
 特に特徴的な医療用ロボットと繋がった、ロボット以上に特徴的なタンドラのモトベッドは目立つ。単に奇異の目で見る者もいれば、ロカのように《オーグ》を連想して眉をひそめる者もいた。スタージアという星を訪れる人々は《原始の民》への信仰が篤いことが多いため、《原始の民》を追い出した元凶とされる《オーグ》を忌み嫌う割合も相対的に高い。
 だがイェッタが感じる圧迫感は、《オーグ》嫌いがタンドラに注ぐ嫌悪感とはまた別のものだった。圧迫感という表現が、そもそも相応しくないかもしれない。ただ、彼女たちに注がれる多くの意識の中にひとつだけ、飛び抜けて巨大な(・・・)意識がある。
(なんだか嫌な記憶が呼び起こされそうで、参ったね)
 タンドラの呟きには、言葉ほどには余裕がない。それはイェッタも同様だった。ふたりが《繋がって》以来、思い出したくもない記憶というものがふたつある。ひとつは言うまでもなくディーゴと引き裂かれた瞬間であり、もうひとつは――
「どうかしたのか、顔色が悪いぞ」
 気遣うようなロカの言葉が耳に飛び入り、足元から沈み込んでいきそうだったイェッタの意識が現実に引き戻された。
 一行は下船するとそのまま附属医院に直行し、タンドラのモトベッドを院内に運び入れ、先ほどイェッタが病状の説明を終えたところだった。既に予約していた通りに、タンドラは早速治療に入る。再び宇宙港のロビーに戻ったイェッタとロカは、地上へと降下するシャトルに乗り込むまでの時間を宇宙港のロビーで潰すことにした。タンドラと再会するのは、地上からこの宇宙港に戻ったときだ。
 スタージア宇宙港のロビーは天井一面にクリスタルガラスが張り巡らされて、その向こうに広がる惑星スタージアの姿を一望することが出来る。表面は大気の存在を匂わす白い雲と、磨き抜かれた水晶のように青い海が大半を覆い、その合間に人々の住まう緑や茶色の大地が見え隠れしている。
 かつて《原始の民》がそう呼ばれるようになる前の大昔に、《星の彼方》で暮らしていた惑星に似せて造られたというスタージアは、宇宙空間からの眺めの美しさもひときわだ。この眺望に魅入られて、思わず足を止める人々は多い。
 ロビーの所々に設けられた待合席のひとつに腰掛けて、イェッタはやや青ざめた表情のまま口元に右手を当てた。
「昨日、草案の見直しに夢中になりすぎて、あまり寝れなかったせいかもしれません」
 寝不足自体は嘘ではなかったが、宇宙港全体に蔓延する得体の知れない意識については、あえて伏せることにした。そもそもロカに対して、どうにも説明が難しい。
「シャトルの搭乗までは少し時間がある。手続きは私が済ませておくから、お前は少しここで休んでいろ」
「ありがとうございます」
 ロカはイェッタの言葉に無言で頷きながら、その場を離れようとしてふと足を止めた。
「そろそろ、その畏まった口調は改めてくれ」
 肩越しに振り返ってそう言うロカに対して、イェッタは小首を傾げる。
「そうは言っても、急に変えるのも不自然では」
「お前の片割れは滅法口が悪かったぞ」
 そのまま身体ごと向き直って、ロカはイェッタの目を見返した。
「イェッタ」
 ロカが彼女のファーストネームを口にしたのは、それが初めてのことだった。
「市長の退任後、私はお前の補佐に回る」
「伺っております」
「お前の中にディーゴが混じり、生き残っているという言葉を信じて、私はお前を支えていくつもりだ。だからお前もディーゴと同じように、私に口をきくときは対等以上であってくれ」
 それがロカなりの気持ちの切り替え方なのだということが、イェッタには当然理解できた。未だ整理のつかない内心を押し殺して、彼はここまでイェッタたちのサポート役に徹している。タンドラの回復については確約できずとも、せめてその程度の要望には応えないわけにはいかなかった。
「わかったわ。じゃあ手続きはよろしくね、ロカ」
 イェッタの言葉に改めて頷いてから、踵を返したロカの長身が、ロビーの人混みの中へと紛れていく。彼がしっかりとした足取りを取り戻したことを確かめて、イェッタは少なからず安堵した。
 ディーゴに捧げようとした忠誠心が行き場を失って、ある意味キューサック以上に平常心を失っていたのがロカだった。目の前で苦しむディーゴに対して、何も出来ずに最後を看取ることになってしまったのだから、彼の精神がどれほど深い傷を受けたかは想像に余りある。イェッタに対しても含むところがないわけがない。
 しかしそんな内心も隠し通せないということを知ったのは、ロカにとって必ずしもマイナスではなかった。そうでなければ彼は己を面従腹背へと追い込んで、早晩胃壁に穴を空けることになっていただろう。下手に装う必要がない、思うままに口をきくしかないという状況は、彼がストレスを抱え込む可能性を軽減しているとも言えた。裏表のない態度であり続けることが、同時にイェッタに誠実に対することにもなる。ロカのそんな考え方がディーゴにとっては眩し過ぎて、また羨ましかったのだということを思い出す。そしてそれはイェッタにとっても好ましいものに思えた。
「気分が悪いの、治りました?」
 突然傍らから声をかけられて、イェッタは思わず小さく悲鳴を上げた。
「ああ、ごめんなさい。驚かすつもりはなかったんです」
 幾分幼さを感じさせる、少女の声だった。
 イェッタが振り返ると、隣りの席にはいつの間にか小柄な人影があった。明るい茶色の髪を頭の上で団子のように結わいた、見たところ十代半ばぐらいに思える少女が、ちょこんと腰掛けている。少女の身体を包む長衣はサイズが合わないのか、彼女の背格好にはゆったりしすぎているように見えた。白地の長衣の裾に編み込まれたライトブルーの刺繍は、彼女がスタージア博物院に入って何年も経っていない、まだ博物院生になったばかりであることを示している。
 いったい、この少女はいつから隣りに座っていたのだろう。にこにこと笑いかけてくる少女を眺めている内に、やがてとてつもない違和感がイェッタを襲った。
 いつの間にか――そんなことが有り得るだろうか?
 惑星クロージアの調査から帰還して以来、周囲の人間の意識、感情は、耳を塞いでも目をつぶっても、否応なしに感知してきたのだ。
 ましてや見知らぬ他人がこんなすぐ側に近づいてきたことに、全く気がつかないことなどはなかった。
「ディーゴ・ソーヤ氏のことは残念でした。彼はなかなか興味深い思念の持ち主だったのですが」
 少女がディーゴの名を口にして、イェッタが表情を凍らせる。同時に彼女が共有していたディーゴの記憶の中に、目の前の少女の顔が残っていることにようやく思い当たった。
 一年近く前、祖霊祭の懇親パーティ会場でディーゴに水を差しだした、博物院生の少女。そのときディーゴは、少女との二言三言の会話に、微かな違和感を覚えていた――
「そんなに警戒しないで。ちょっとばかりあなたの精神感応力を抑え込んだだけですから。でないと、こうして近づくことも出来ないでしょう?」
 屈託のない笑顔のままに少女が口にした台詞は、イェッタが全身を総毛立たせるのに十分だった。半開きになった唇の間から、言葉が出てこない。そして少女の思考を読み取ろうとしても、何も感じられないということに気づく。
 半ば恐慌状態に陥りかけたイェッタの顔が、少女の小さな両手にそっと挟まれた。
「驚かないで下さいね」
 少女がその言葉を囁くように唱えた途端、イェッタの意識は跳躍した。

 跳躍した、としか言いようがない。
 イェッタの身体は、この宇宙港ロビーの待合席にある。だが彼女の意識は彼女の身体を置いてけぼりにして、宙に飛び出してしまった。
 それとも、身体が動きを止めたまま、意識だけが先走っているとでも言えば良いのだろうか。自分自身の身体も含めて世界中が時を止めたのに、その様子を眺めうる状態という方が正確かもしれない。
(その表現は、なかなか的確です)
 イェッタの意識の頭上から、まるで降り注いでくるかのように声がした。
 声の主を求めて天頂方向に意識を向けると、そこには果たして先ほどの少女の姿があった。
 ロビーが無重力状態になってしまったわけではない。だとすれば少女は自力で宙に浮かび上がっているということになるのだが、不思議なことにイェッタにはそれが当然のことに思えた。なぜなら彼女自身がロビーの床から自然に離れて、少女の目線と同じ高さにたどり着いてしまったのだから。
(私たちは今、思念のみで意思の疎通を果たしています。この姿も、元の身体的特徴を思念が象っているに過ぎません。肉体的・物理的な媒介を経ないため、意思の交換速度はあなたが想像する何百倍も速い。必然的に周りが時を止めているように見えることになります)
 目の前で軽やかに浮かぶ少女――彼女の言う通りなのであれば少女の思念からは、少なくとも敵意は感じられない。
 少女が何者なのかは想像もつかないが、会話が通じない相手ではなさそうだ。
 そうは言っても警戒まで緩めることは出来ず、イェッタは肩に力が入ったままに少女に対して身構える。少女はそんなイェッタの態度を気にする風もなく、宙に浮かんだ状態で長衣の裾を摘まみ上げ、器用にお辞儀してみせた。
(初めまして、イェッタ・レンテンベリ。タンドラ・シュレスは先ほど治療が始まって麻酔状態に入りましたから、ちゃんとお話しできるのはあなただけということになりますね。私の個人名はオーディールです。私たちにとって個々の名前はあまり重要ではないんですけれど、なければないであなたが困りますからね)
 少女がイェッタやタンドラの名前を知っていることなど、今さら驚くほどのことではない。おそらくタンドラが意識を失い、ロカが席を外したこのタイミングを狙って接触してきたのだろう、ということも推察できる。
 そんなことよりもイェッタが引っかかったのは、〝私たち〟という少女の一人称複数形だった。
 それはつまり、宇宙港を訪れて以来押し潰されそうにすら感じる巨大な意識、思念は大勢の思念が集まって形を成したものであり、この少女はその集合の一部であるということを示唆している。
 全く根拠のない、一足飛びに導き出された結論だったが、イェッタは直感的に自分の憶測が正しいと確信していた。
(私たちというのは、この宇宙港にいるあなたのお仲間たちのこと?)
(宇宙港だけではありませんよ)
 オーディールと名乗った少女はそう言うと、右手を伸ばして宇宙港ロビーの天井一面に広がる窓ガラスを指し示した。
 ガラス越しに見えるのは宇宙空間に浮かぶ、白雲と海面と大地に彩られた惑星だ。今は大気の流れも動きを止めて、白と青と緑と茶色がマゼンダ状の紋様となって見える――いや、それだけではなかった。
 直接目に見えるはずがない、だがイェッタには間違いなく感じ取ることの出来る、思念の動きがある。それもひとつだけではない。何百何千どころではない、俄には数え切れないほどの動きを、イェッタは感知した。
 そもそも静止衛星軌道上にある宇宙港から惑星を眺めて、生物の活動などわかるはずがない。仮に認識できたとしても、ただの人間であれば、この宇宙港のロビーで彫像のように固まって見える多くの人々たちと同様に、ほとんど動きを止めて見えるはずだ。
 にも関わらずイェッタの意識野は、スタージアの地表上で多くの思念たちが蠢いている様子を認めることが出来た。
 ほとんど時が止まったに近いこの状況の下、あの惑星上で確実に動きを見せている思念の数は、果たしてどれほどに上るのだろう。
(スタージアの人口はおよそ二千三百万人になりますが、その大半は互いに《繋がって》います)
 唖然としてスタージアの地表に見入るイェッタを尻目に、オーディールが淡々と説明する。
(これほどのヒト同士の《繋がり》は、ヒトだけでは維持することは出来ません。そこで我々はヒト以外に機械とも《繋がり》、計算資源として活用しています)
(機械とも《繋がって》いる、ですって)
(ええ。ちょうどタンドラとあなたが《繋がり》を保つために、医療用ロボットを利用しているいるように、です)
 オーディールの何気ない指摘に、イェッタの切れ長の目が見開かれた。
(私たちも、機械と《繋がって》いると。そう言うのね)
(今さら初めて知ったような素振りを見せても、私たちには意味がないですよ)
 まるで不出来な生徒を諭すような口調で、オーディールは人差し指を立てながらそう言った。
(惑星クロージアで重傷を負ったタンドラを治療するために、生命維持装置を彼女の身体に直結することを厭わなかったのはイェッタ、あなたではないですか)
 少女の声が、冷静に指摘を続ける。大人というにはまだまだ足りない幼い顔立ちには、さながら年季の入った老婆のような、落ち着き払っている上に少々意地の悪い笑みが浮かんでいた。
(命を保つためには《オーグ》になることも躊躇わないという資質は、タンドラ・シュレスではなくあなた、イェッタ・レンテンベリのものです)
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登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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