3ー7 スタージアンの返信
文字数 11,149文字
テネヴェからスタージアへの道程は、実に一ヶ月を要する長丁場となる。というのも《星の彼方》方面を背にして銀河系人類社会の突端にあるスタージアに対し、テネヴェはそのちょうど真逆の端に近い位置にある、いわば銀河系人類社会の端から端をたどることになるのだ。間には主要な惑星国家だけでもチャカドーグー、ローベンダール、タゴス、ミッダルト、エヴァラシオなどがあり、無人星系も合わせれば全部で三十弱の星系を通過しなければならない。
「俺、スタージア行くの、初めてですよ」
『ボンバスティカ号』がスタージアに向かって出港して以来、ビコの顔にはどことなく期待感に満ちている。
「銀河系人類の発祥ってこと以外、どうってことない星だぜ。むしろ巡礼客がぞろぞろ大勢いて鬱陶しいぐらいだ」
「でも普通の人はみんな人生で一度は行くんでしょう。俺は中等院もろくに通えなかったから、今さらながら行けるってことになんだかわくわくしますね」
「期待外れに終わらなきゃいいけどな」
リバーにしてみれば憮然とするしかなかった。積荷はわずかにメッセージ入りのメモリーチップ一枚。ベストのポケットに放り込んでおけば事足りるようなものを運ぶために、わざわざ銀河系の果てを目指すのだ。またしても貨物室 を空にしたままの航宙に、もはや貿易商人としての矜恃もへったくれもない。
だが破格の報酬が前払いされ、それとは別に実費も後日請求可という条件をぶら下げられて、今の『ボンバスティカ号』に断る余裕などあるはずもなかった。結局リバーは苦虫を何百匹も噛み潰しながら、フーゴの依頼を請け負ったのである。
「でもずるいですよ、船長。こっそりフーゴさんと会ってたなんて、俺だって色々と話したかったのに」
操縦席でコンソールに指を走らせているビコに愚痴られて、リバーは乗員 の背中を鬱陶しげに睨み返した。
「お前には留守番っていう立派な仕事があっただろうが。登録料の納付は本人じゃないと認められないし、ドック入りした宇宙船 を空にするわけにもいかねえんだよ」
「それはわかるんですけど。でも船長はあんまりテネヴェに立ち寄ろうとしないし、フーゴさんはすっかりテネヴェに腰を据えちゃって、俺が会う機会が全然ないんですよ」
ビコの文句もわからないではない。彼の言う通りリバーは独り立ちして以来、ほとんどテネヴェに関わる取引に関わってこなかった。そしてフーゴは彼以上の理由で、最早テネヴェの外に飛び出すことは出来ないのだ。ビコがフーゴに会うには彼の方からテネヴェに赴くしかないのである。
何よりどこの星に行くにしても、ビコは宇宙港のドックで留守番していることが多い。たまに地上に降りるのは、整備のために宇宙船を業者に預けるオーバーホールの期間ぐらいのものだ。フーゴの件を差し引いても彼が地上に降りたがるのは無理もなかった。
「わかったよ、次は俺が留守番してやる。スタージアに着いたら見物がてら、お前が地上に降りろ」
「いいんですか? ありがとうございます!」
そう言って振り返ったビコが、驚嘆混じりの笑顔を見せる。リバーは会議卓に片肘を突いたまま、空いた手を適当に振りながら彼の感謝を受け流した。
会議卓の上に落とされた彼の視線の先には、ちっぽけなピン状のカプセルがある。中にはメモリーチップが埋め込まれており、端末棒 の端に挿入すれば登録されたデータにアクセスが可能な、シンプルなものだ。
カプセルの横には小さくフーゴ・ラッセルフのサインが刻み込まれている。
いったいフーゴは博物院長に、どんなメッセージを届けるつもりなのか。スタージアにおける博物院長という肩書きは、対外的には惑星国家の代表級、もしくはそれ以上の意味を持つ。いくらフーゴが連邦通商局の幹部メンバーとはいえ、博物院長と直接連絡を取れる身分だとは思えない。
だがフーゴはそんなことはお構いなしといった体で、目の前のカプセルピンをリバーに押しつけた。彼のグレーの瞳は、博物院長に直接メッセージを送るという不自然さを、微塵も意識していないように見えた。
《スタージアン》を封じ込めるべく築き上げられた、銀河連邦の一員らしい振る舞いであることを隠そうともしなかったのだ。
「だからといってあのおっさんにまた会ったりしたら、そら見たことかと言われかねないからなあ」
かつて彼を博物院生に誘った博物院長の顔を、リバーは記憶の中から掘り起こす。終始穏やかな表情に徹した、浅黒い肌の壮年の紳士の名を、リバーは未だに思い出すことが出来ない。あれから二十年近く経つが、彼はまだ博物院長の肘掛け椅子に座り続けているのだろうか。だとしたらもうそれなりに高齢のはずだ。
だとすればあの博物院長は、きっと未だに落ち着き払った顔つきでいることだろう。紳士然としたまま齢を重ねた博物院長が、漆黒の天球図を背にして肘掛け椅子に腰掛けている姿を、リバーは容易に想像することが出来る。
あの広すぎる院長室で味わった薄ら寒い雰囲気を、わざわざ再び体験したいとは思わない。ビコを使いに出すことを決めたのは、そういう理由であった。
『ボンバスティカ号』がスタージア宇宙港に入港する前から、ビコは明らかに浮き足立っていた。
彼が銀河系中に浸透するスタージアへの信仰を持ち合わせているというわけではない。なにしろ伝説の化け物である《オーグ》の恐ろしさを説くような両親もいないまま、貧民街 でその日暮らしに喘いできた身だ。彼が気もそぞろなのは、噂に聞くスタージアへの単純な好奇心と、リバーからお墨付きをもらった市内観光への期待感からだろう。
「じゃあ博物院に行ってきます。なんかお土産でも買ってきましょうか」
久々の地上に興奮を抑えきれないビコに尋ねられて、リバーは顔の前で大きく右手を振った。
「土産とかいいから。そんなもん買う暇があったら、なんか商売のネタになりそうなもんでも見つけてこい」
リバーにしてみればここのところの強行軍を省みて、ビコに対するささやかな休暇を与えたつもりでもある。ついでに市場調査の練習でも兼ねられるなら御の字だ。とはいえスタージアで新しい商売が出来る可能性は薄い。
なにしろ銀河連邦が成立するよりもはるか昔から、銀河系中から多くの巡礼客が訪れる星である。ヒトもモノも往来は激しいが、あまりにも歴史が古すぎるため、旅客から物流までとうに大手が市場を掌握しているのだ。リバーたちのような零細貿易商人が食い込む余地は皆無に等しい。
「まあ、たまには自分で宇宙船の面倒見ておかないとな。あいつに任せっきりじゃ、さすがに不安が残るし」
ビコを早々に追い出して、リバーは停泊中の『ボンバスティカ号』のメンテナンス作業に取りかかることにした。
機体の清掃や各種機材の耐用度チェックはコンピューターや作業用ドローンに任せて、リバーが直接手配するのは各種消耗品の補充だ。推進剤や水、食糧から、痛んだ装甲やがたのきた配管から電子機器の補修交換まで、その項目は多岐に渡る。もちろんそのいずれもを万全な状態に出来ることはほぼなくて、チェック項目を見比べて優先順位をつけるところから始めなくてはいけない。
「トゥーランからテネヴェに向かうのに、推進器を酷使しすぎたなあ。そろそろ換装しないとまずいかもしれん」
会議卓上に展開させた複数のホログラム・スクリーンを、リバーは渋い顔で見比べる。この際だから推進器の換装代も実費に計上して、まとめてフーゴに請求してやろうか。どうせ今回の仕事はフーゴたち の特命案件、言ってみれば公言出来ない類いの依頼だ。法外な立替請求をしても、表立って文句も言えないだろう――
リバーが良からぬ顔でケチ臭いことを考えていると、耳朶に装着した通信端末 が着信の報せを告げた。今頃は博物院に到着しているであろうビコからではない、『ボンバスティカ号』のコンピューターからの連絡である。
「スタージア宇宙港湾管理事務局より連絡が入っております」という電子音声に、心当たりのないリバーは一瞬眉をひそめた。だが無碍に対応して良い相手でもない。リバーが通信を繋ぐよう指示すると、程なくして今度は妙齢と覚しき女性の声が耳に流れ込む。
「船籍ナンバーMDGTー〇四九七七一二三六六〇〇、登録名『ボンバスティカ号』の船長、リバー・シャフツィーですね?」
「『ボンバスティカ号』船長のシャフツィーだ。港湾事務局がいったいなんの用件だ?」
あからさまに不審げなリバーの口調に対して、声の主は声を立てずに笑った気がした。
「お忙しいところお邪魔して恐縮です。つい先ほどお使いの子から無事メッセージを受け取りました旨をお伝えすべく、《スタージアン》よりご連絡差し上げました」
リバーの左手が、思わず耳朶に触れる。通信端末 の輪郭を指先でなぞりながら、彼の鳶色の瞳は誰もいないはずの船内を無意識に睨 め回していた。
たかが港湾事務局の職員に、リバーたちがこの星を訪れた理由など知りようもないはずだ。だが通信端末 越しに聞こえる若い女性の声は、彼らの目的を正確に言い当てている。
それどころか《スタージアン》という名乗りまで上げられて、リバーは今置かれている状況を把握せざるを得なかった。
「……《スタージアン》てのは博物院生だけじゃないと聞いてはいたが、宇宙港も当然支配しているってわけか」
「さすが、ご理解が早くて助かります」
女性の声は努めて慇懃だったが、リバーには馬鹿にされているとしか思えない。自然、声にも険がこもる。
「わざわざ受領の連絡をくれるとはご丁寧なことだな。そんなもん、ビコからの報告で十分だよ」
「ビコはいい子ですね。院長室では随分と恐縮してましたよ」
「院長室にまで通したのかよ。そりゃ、あいつもびっくりしただろう」
「天球図を見上げて目をぱちくりさせてました。畏れよりも好奇心が勝り、何より凝り固まった常識や慣習からは無縁なところが好ましい」
博物院長が座する背後に、まるでその部屋の真の主かの如く中空に居座る漆黒の天球図が、リバーの脳裏に蘇る。博物院の南北の玄関ホールで静かに回転し続ける天球図とはまた異なり、頻繁な明滅に彩られたホログラム映像の球体を、ビコはきっとぽかんと口を開けながら見入っていたことだろう。
「ご想像の通りです。あなたはビコのことをよくわかってらっしゃいますね」
リバーの思考を自然に見通した上で発せられたのは、さながら母性すら彷彿とさせる声音だったが、彼に聞き取ることが出来るのは不穏な気配だけであった。
「用はそれだけか? だったらそろそろ切り上げさせて欲しいんだが」
「受け取ったメッセージの内容に興味はありませんか?」
女性の声の思わせぶりな物言いに、リバーは唇の端を微かに歪ませる。
「俺は今回、単なる連絡係だ。分はわきまえているつもりだぜ」
「そう仰らずに。あなたにも大いに関係ある内容ですよ」
「俺に?」
リバーがつい訊き返してしまったので、相手は興味ありと判断したのだろう。通信端末 越しに響く声は、おもむろに朗読口調で喋り始めた。
「『イェッタ・レンテンベリの記憶より百三十年の時を経て、《スタージアン》に申し伝える。銀河系人類社会を見守るという汝らの役目は、既に我々が引き継いだ。ついてはこれ以上 続けることをとどめ、ただ人々の信仰の対象として在り続けることを望む』」
「イェッタ・レンテンベリだと」
その名はリバーにも聞き覚えがある。中等院の講義で必ず教わる、銀河連邦樹立に貢献した歴史上の偉人のひとりだ。そんな著名な人物までもが、スタージアなり連邦なりにひそむ得体の知れない集団に関わってきたということか。
それどころか今の言葉の意味を鑑みるに、銀河連邦においてはイェッタ・レンテンベリこそがその中心だったのだろう。
通信端末 の向こうから響く声は、感慨めいた呟きを漏らした。
「懐かしい名前です。美しさと強固な意志を兼ね備えた、希有な女性でした」
「……お前たちは、そんな大昔のことまで記憶しているのか」
リバーの問いかけに含んだような笑みだけを返しながら、女性の声は朗読を再開する。
「『この伝言を携えしリバー・シャフツィーは、自身の類い希なる資質と奇縁により汝らと我らを知り得た者である。彼の者をいかに処するかは、汝らに委ねる』」
想定外の内容に絶句するリバーをよそに、女性の声は締め括りとなる口上を淡々と読み上げた。
「『テネヴェにて《繋がり》を保つ《クロージアン》より』――なるほど、彼らは《クロージアン》と名乗っているのですね。《スタージアン》と対になる言葉を選んだのでしょうか」
「そんなことはどうでもいい」
無意識に立ち上がりながら、リバーは思わず声を上げた。
「今のはなんだ。フーゴは俺の処遇をお前らにぶん投げたってことか」
「どうでしょう」
姿の見えぬ相手は今度こそ音に聞こえるよう笑みを漏らしながら、曖昧に答えをはぐらかす。
「でも文面通りに受け取れば、そういうことなんでしょうね」
「ふざけるな。だからって俺がおとなしくしてなきゃいけない謂われはねえ」
「無理矢理宇宙船 を出そうとしても無駄ですよ、リバー・シャフツィー。私たちの力はあなたが思う以上です。この星系にある限り、あなたの『ボンバスティカ号』でさえ私たちの支配下にあります」
憐れみさえ匂わせる声を振り切るように、リバーは操縦席に飛びついた。目の前のコンソールに指を走らせ、モニタ類をひとつひとつ凝視する。だが、いずれも無駄な足掻きであるということを思い知らされただけであった。
「……お前ら、俺をどうするつもりだ」
リバーの頭の中に想定されるのは、《スタージアン》に《クロージアン》という異能の集団の存在を知った、自身が排除される可能性であった。
よくよく考えれば、その可能性こそ真っ先に思い浮かべるべきであった。この世界の秘密を知りすぎたリバーを、フーゴは己の手を汚さずに始末するため、《スタージアン》の元に送りつけたのかもしれない。
そんな思惑も知らずにのこのこと首を差し出しに現れたリバーは、《スタージアン》にしてみればさぞ滑稽だったろう。自ら博物院長の前に姿を見せなかっただけ、まだまし に見えただろうか。
「それはいくらなんでも想像の飛躍ですよ、リバー・シャフツィー」
操縦席の中で脂汗を浮かべるリバーに、《スタージアン》は穏やかに語りかけた。
「考えてみてください。あなた以外にも私たちの存在を知る者はいるでしょう」
「俺以外?」
「たとえばドリー・ジェスターは、あなたよりも前から《スタージアン》を知っています。ですが私たちが彼女を排除しようとしたとでも思いますか?」
声の言う通りであった。ドリー・ジェスターは《スタージアン》の存在を深く認識し、それどころか彼らの精神感応力の要となるN2B細胞を不要のものとすべく、オルタネイトまで開発してみせた。リバーよりもよほど旗色鮮明な、《スタージアン》を目の敵にする人物だ。
「あなたの思念をたどることで、オルタネイトなる新薬が開発されたことを知りました。先天的にN2B細胞を欠いたため生まれ育った星に縛りつけられてきたという人々は、そのお陰で宇宙へと飛び出す可能性を与えられたのです。ドリー・ジェスターは私たちの予想を見事に上回った、これがどれほど素晴らしいことかわかりますか?」
そう語る《スタージアン》の声は、気のせいか胸を躍らせているかのように聞こえた。
「私たちは《星の彼方》から旅立って以来、この銀河系人類社会を何百年もの間見守ってきました。ヒトひとりにとっては永遠にも思える時の流れの中で見聞きした、数多くという言葉ではとても足りないほどの様々な出来事を、今でもつぶさに思い出すことが出来ます」
「何百年だと……」
さりげなく口にされた年月の長さを反芻して、リバーは呻かざるを得なかった。
銀河系人類は、《原始の民》のスタージア降下を起点とすれば既に五百年以上の歳月を刻んできた。《星の彼方》から三百年の旅程を経てスタージアを見出したという伝説が本当ならば、八百年以上になる。それだけの時間をかけた人類の歩みを、《スタージアン》は一から見届けて、その全てを記憶に収めているというのか。
「最初はこのスタージアという荒野を開拓し、人類の生活基盤を築くことに明け暮れる百年でした」
リバーの想像をあっさりと肯定する形で、《スタージアン》の声は過去に歩んできた人類の歴史を語り出す。
「やがてスタージアを飛び出した人類は、数多 の星系を開拓してそれぞれの社会、文明を築き上げていきました。彼らはときに協力し、またときに相争いながら、銀河系にヒトの繋がりを広げていったのです」
「歴史の講義なら勘弁してくれ。中等院時代から眠くてたまらなかった記憶しかない」
滔々とした語りに対してリバーはせいぜい強がってみせたが、《スタージアン》はくすりと笑うのみで話を続ける。
「それまでの歴史も十分多様性に満ちていましたが、我々の想定を超えるということはなかった。ところがおよそ百三十年前、人類はそれまでとは異なる進化を見せます。精神感応力を得た人々――《クロージアン》が我々 という存在を認識し、脅威を覚え、封じ込めることを目的とした一大組織――銀河連邦を築き上げました。このときの我々の驚きと喜びといったら、とても一言では言い表せません」
喜びという言葉を耳にして、リバーは思わず首を傾げた。
「お前たちの言うことが理解出来ん。封じ込まれて喜んでる場合じゃねえだろう」
「銀河連邦の樹立は、人類が我々の想像を超える発展を遂げた、その第一歩です。もはや人類は我々に見守られるべき存在ではなく、我々にも予想のつかない歴史を刻み始めた。これを喜ばずにいられましょうか」
その声から伝わるのは、生まれたときから育て上げてきた子供が、ついに自分の背丈を上回ったことに相好を崩す親としての感慨そのものだ。
「そして今、ドリー・ジェスターによってオルタネイトが開発され、先天性N2B欠損者も自由に宇宙に飛び出せるようになった。しかも彼らの中には《スタージアン》とも《クロージアン》とも異なる、天然の 精神感応力者がいるというじゃありませんか。そんな存在が世に出ることを、我々は欠片も予想出来ませんでした。最早我々には、今後の人類の未来を予測することは不可能でしょう」
人類が己の手の及ばない域に達したことを、喜びをもって受け止めている。《スタージアン》の視点は人類の成長を全面的に肯定する、保護者としてのそれであった。
もし彼らの言うことが本当なのであれば、悠久の時を経て見守り続けてきた人類の進化を喜ぶのもわからないではない。だがどこまでも人類と異なる立場に在るかのような物言いは、リバーの神経をざらりと逆撫でする。
「この銀河系には未知の領域が無限に広がっています。人類はきっとこれからも銀河系を切り拓き、遙かな繋がりを広げていくのでしょう。その先には我々の想像もつかない発展があるであろうことを歓迎しているのです」
「そいつは良かったな」
《スタージアン》の長々とした口上が一段落したところに、ぼそりと吐き出されたリバーの呟きには、少なくとも感動はこもっていなかった。
「じゃあ、お前たちが《スタージアン》である必要はもうないってこった。《クロージアン》とやらの言い分を聞いて、おとなしく解散すればいい」
リバーの言葉に対して、通信端末 の向こうの声はすぐには応じなかった。しばしの間を空けてから発せられた声には、それまでの興奮気味だった声音に穏やかな口調が取って代わっている。
「……この百年間目立った争いがなかったのは、間違いなく銀河連邦の成立に因るところでしょう。彼らにしてみれば、この銀河系人類社会の支配権は《スタージアン》から《クロージアン》に移ったものと、そう考えても無理はありません」
「まるで違うとでも言いたげだな」
「だって、彼らは根本的に勘違いしているんです。我々は銀河系人類社会を支配したことなど、一度も無いんですよ」
思いがけない《スタージアン》の訴えは、リバーに肩透かしを食らわせるのに十分であった。困惑気味の声を耳にして、リバーの脳裏に浮かんだのは、未だに姿かたちもわからない声の主が大袈裟に肩をすくめる様である。
「あなたも知っているでしょう。我々はスタージア星系の外に影響力を振るうことは出来ない。それは《クロージアン》も同じです。彼らもまたN2B細胞を介した精神感応力で《繋がる》以上、その力はテネヴェ星系の外まで及ばない」
「それは、しかし一緒に出来るもんじゃない。だいたい実際に銀河系の主導権を握っているのは――」
「銀河連邦がこの銀河系を実質支配しているとは言えるでしょう。ですがそれは必ずしも《クロージアン》による支配を意味するわけではありません。《クロージアン》は確かに連邦の中枢を牛耳っているのでしょうが、連邦という政体を手足の如く扱えるわけではない。連邦はあくまで独立惑星国家の連合体です。個々の加盟国――それこそこのスタージアにだって、それぞれの思惑がある。にも関わらず彼らが銀河系を支配していると錯覚し続けるなら、いつか足元を掬われることになる」
そこで声は一息区切ると、小さなため息を吐き出した。
「私たちが銀河系を支配したことがないというのは、同じ理由です。だから《スタージアン》で在ることをやめるつもりはありませんし、その上で彼らのメッセージには応と答えましょう。元からして銀河系を支配した覚えなど無いのですから」
「はっ」
ついにリバーは堪えきれずに、大きな声で呆れかえってみせた。
これ以上彼らとの通信に付き合う気にはなれなかった。おそらくフーゴ、いや《クロージアン》とやらも、《スタージアン》が素直に勧告に従うとは思ってもいまい。あのメッセージは単なる意思表明に過ぎないのだ。
結局狐と狸の化かし合いのようなやり取りに、フーゴはただ利用されたに過ぎない。それどころかこうまで舞台裏を明かされるのは、彼のことを取るに足らない存在だと見做している証しだ。
実際その通りなのだろう。自分が彼らに立ち向かうところなど、リバー自身にも想像出来なかった。そしてつまるところ《スタージアン》も《クロージアン》も、リバーのことをどうこうするつもりは毛頭ない。
リバーにとってはその確証が得られたことだけが、一連の会話で得られた唯一の成果であった。
「そろそろ切り上げさせてもらってもいいか。まだ宇宙船 のメンテの途中なんだよ」
「つれないですね、リバー・シャフツィー。かつて仲間にと見込んだ相手にそこまですげなくされると、さすがに傷つきますよ」
「どの口がほざくんだよ。こっちはビコが帰ってくるまでに片づけておかないと、船長の面子が立たねえんだ」
「ビコですか。あの子はいい、実に良い資質の持ち主です」
そう呟かれた《スタージアン》の声には、ビコに対する隠そうともしない興味が露わだった。不吉な予感に襲われて、リバーは思わず操縦席の天井を仰ぎ見た。
「あいつはまだ半人前のガキだ。あんたたちのお眼鏡にはかなわねえよ」
だが《スタージアン》はリバーの言葉などまるで聞こえないかのように、ビコへの言及をやめようとしない。
「下手に教育を受けていない分、常識や偏見に囚われるということがない。それこそ《オーグ》すら恐れず、むしろ人並み以上の好奇心も持ち合わせている。《スタージアン》に求められるべき条件を兼ね備えた人材です」
「おい、ふざけるな!」
操縦席から乱暴に立ち上がって、リバーは大きな声を張り上げた。
「ビコは俺がフーゴから預かったんだ。手を出すんじゃねえ!」
彼以外に誰もいないブリッジの中で、リバーは手を振り回しながら吠えた。《スタージアン》や《クロージアン》には太刀打ち出来ないと、つい先刻まで諦観しきっていたことなどは、とうに頭から吹き飛んでいる。
それ以上にリバーの脳裏を占めていたのは、フーゴとの別離であった。
その背を追い続けてきた師を《クロージアン》に奪われただけでなく、手塩にかけてきた弟子までをも《スタージアン》に強奪されることなど、耐えられるはずがない。
腹の底から湧き上がる激情に任せて、見えもしない相手に罵声を浴びせ続けていたリバーの耳に、やがてくつくつという押し殺した笑声が響き渡る。
「よほど彼が大事なのですね」
「うるせえ、余計なことはいいから、さっさとビコを解放しろ!」
「安心してください。ビコにはとっくに振られてしまいました」
振り回していた拳を途中でぴたりと止めて、リバーはしかめ面のまま尋ね返した。
「振られた?」
「院長室に招いた際に声をかけたものの、あっさりと拒否されました。あなたの下でまだまだ学びたいことがあるそうです。そこまで慕われるとは羨ましい限りですよ、リバー・シャフツィー」
するとリバーはゆっくりと腕を下ろしながら、脱力したように会議卓に手を突いて、やがてよろよろとスツールに腰を下ろした。
「そうか、断ったのか、ビコの奴。あの野郎……」
振り乱した赤毛を掻き上げながら、リバーの口から安堵の言葉が漏れる。すっかり勢いを削がれた彼に、《スタージアン》の穏やかな口調の声がかけられる。
「今後人類はますます未知の領域に広がっていく。それは何らか未知の存在との接触の可能性も孕んでいます。そもそも《星の彼方》に住まうという《オーグ》など、その最たるものでしょう。せめて《オーグ》が余計な手出しをしないよう、《スタージアン》は《星の彼方》を見張り続ける存在として在り続けますよ」
声の言うことがどこまで本気なのか。緊張感の糸が切れたばかりのリバーには、最早どうでも良いことであった。
「そのためにはビコにも仲間に加わって欲しかったのですが、残念です」
「《オーグ》なんてお伽噺に出てくるだけの化け物だろう。そんなもんに付き合わされたら、ビコもいい迷惑だ」
力なく答えるリバーに、穏やかな声がふと笑いかけたように思えた。
「我々が《スタージアン》で在り続けることすら、人類の多様性のひとつです。それは《クロージアン》も然り。《クロージアン》にはそう伝えて下さい」
そんな言葉、誰がわざわざ伝えるか。そう答えかけて、いつの間にか通信が途絶えていることにリバーは気づいた。
耳朶の通信端末 に手を触れ、顔を左右に振ってブリッジの中を見回しても、既に《スタージアン》の気配は感じられない。宇宙船のコンピューターは船外清掃と機材の耐用チェックに関する報告を、黙々とモニタ上に吐き出し続けている。《スタージアン》から呼びかけられる前と変わらない、静かな電子音だけが響き渡る室内で、リバーはしばらく動き出すことが出来なかった。
不意に通信端末 に新たな連絡が入って、リバーは自分でも驚くほどびくりと肩を震わせる。おそるおそる通信を繋いだ彼の耳に飛び込んできたのは、ビコの能天気な声であった。
「船長、ちゃんと博物院長にお届けしてきましたよ!」
聞き慣れた陽気な声を耳にして、リバーが思わず声を詰まらせる。そんな彼の内心など露知らぬビコは、興奮気味に捲し立てた。
「聞いて下さいよ、船長。俺、博物院生にスカウトされちゃったんですよ! 船長と一緒ですよ! でも、もちろん断りましたけどね。俺は『ボンバスティカ号』の乗員 ですからって。聞いてますか、船長?」
胸の奥から大きく息を吐き出したことを気取られぬよう、リバーがビコへの返事を口にするには、なお幾ばくかの時間が必要であった。
「俺、スタージア行くの、初めてですよ」
『ボンバスティカ号』がスタージアに向かって出港して以来、ビコの顔にはどことなく期待感に満ちている。
「銀河系人類の発祥ってこと以外、どうってことない星だぜ。むしろ巡礼客がぞろぞろ大勢いて鬱陶しいぐらいだ」
「でも普通の人はみんな人生で一度は行くんでしょう。俺は中等院もろくに通えなかったから、今さらながら行けるってことになんだかわくわくしますね」
「期待外れに終わらなきゃいいけどな」
リバーにしてみれば憮然とするしかなかった。積荷はわずかにメッセージ入りのメモリーチップ一枚。ベストのポケットに放り込んでおけば事足りるようなものを運ぶために、わざわざ銀河系の果てを目指すのだ。またしても
だが破格の報酬が前払いされ、それとは別に実費も後日請求可という条件をぶら下げられて、今の『ボンバスティカ号』に断る余裕などあるはずもなかった。結局リバーは苦虫を何百匹も噛み潰しながら、フーゴの依頼を請け負ったのである。
「でもずるいですよ、船長。こっそりフーゴさんと会ってたなんて、俺だって色々と話したかったのに」
操縦席でコンソールに指を走らせているビコに愚痴られて、リバーは
「お前には留守番っていう立派な仕事があっただろうが。登録料の納付は本人じゃないと認められないし、ドック入りした
「それはわかるんですけど。でも船長はあんまりテネヴェに立ち寄ろうとしないし、フーゴさんはすっかりテネヴェに腰を据えちゃって、俺が会う機会が全然ないんですよ」
ビコの文句もわからないではない。彼の言う通りリバーは独り立ちして以来、ほとんどテネヴェに関わる取引に関わってこなかった。そしてフーゴは彼以上の理由で、最早テネヴェの外に飛び出すことは出来ないのだ。ビコがフーゴに会うには彼の方からテネヴェに赴くしかないのである。
何よりどこの星に行くにしても、ビコは宇宙港のドックで留守番していることが多い。たまに地上に降りるのは、整備のために宇宙船を業者に預けるオーバーホールの期間ぐらいのものだ。フーゴの件を差し引いても彼が地上に降りたがるのは無理もなかった。
「わかったよ、次は俺が留守番してやる。スタージアに着いたら見物がてら、お前が地上に降りろ」
「いいんですか? ありがとうございます!」
そう言って振り返ったビコが、驚嘆混じりの笑顔を見せる。リバーは会議卓に片肘を突いたまま、空いた手を適当に振りながら彼の感謝を受け流した。
会議卓の上に落とされた彼の視線の先には、ちっぽけなピン状のカプセルがある。中にはメモリーチップが埋め込まれており、
カプセルの横には小さくフーゴ・ラッセルフのサインが刻み込まれている。
いったいフーゴは博物院長に、どんなメッセージを届けるつもりなのか。スタージアにおける博物院長という肩書きは、対外的には惑星国家の代表級、もしくはそれ以上の意味を持つ。いくらフーゴが連邦通商局の幹部メンバーとはいえ、博物院長と直接連絡を取れる身分だとは思えない。
だがフーゴはそんなことはお構いなしといった体で、目の前のカプセルピンをリバーに押しつけた。彼のグレーの瞳は、博物院長に直接メッセージを送るという不自然さを、微塵も意識していないように見えた。
《スタージアン》を封じ込めるべく築き上げられた、銀河連邦の一員らしい振る舞いであることを隠そうともしなかったのだ。
「だからといってあのおっさんにまた会ったりしたら、そら見たことかと言われかねないからなあ」
かつて彼を博物院生に誘った博物院長の顔を、リバーは記憶の中から掘り起こす。終始穏やかな表情に徹した、浅黒い肌の壮年の紳士の名を、リバーは未だに思い出すことが出来ない。あれから二十年近く経つが、彼はまだ博物院長の肘掛け椅子に座り続けているのだろうか。だとしたらもうそれなりに高齢のはずだ。
だとすればあの博物院長は、きっと未だに落ち着き払った顔つきでいることだろう。紳士然としたまま齢を重ねた博物院長が、漆黒の天球図を背にして肘掛け椅子に腰掛けている姿を、リバーは容易に想像することが出来る。
あの広すぎる院長室で味わった薄ら寒い雰囲気を、わざわざ再び体験したいとは思わない。ビコを使いに出すことを決めたのは、そういう理由であった。
『ボンバスティカ号』がスタージア宇宙港に入港する前から、ビコは明らかに浮き足立っていた。
彼が銀河系中に浸透するスタージアへの信仰を持ち合わせているというわけではない。なにしろ伝説の化け物である《オーグ》の恐ろしさを説くような両親もいないまま、
「じゃあ博物院に行ってきます。なんかお土産でも買ってきましょうか」
久々の地上に興奮を抑えきれないビコに尋ねられて、リバーは顔の前で大きく右手を振った。
「土産とかいいから。そんなもん買う暇があったら、なんか商売のネタになりそうなもんでも見つけてこい」
リバーにしてみればここのところの強行軍を省みて、ビコに対するささやかな休暇を与えたつもりでもある。ついでに市場調査の練習でも兼ねられるなら御の字だ。とはいえスタージアで新しい商売が出来る可能性は薄い。
なにしろ銀河連邦が成立するよりもはるか昔から、銀河系中から多くの巡礼客が訪れる星である。ヒトもモノも往来は激しいが、あまりにも歴史が古すぎるため、旅客から物流までとうに大手が市場を掌握しているのだ。リバーたちのような零細貿易商人が食い込む余地は皆無に等しい。
「まあ、たまには自分で宇宙船の面倒見ておかないとな。あいつに任せっきりじゃ、さすがに不安が残るし」
ビコを早々に追い出して、リバーは停泊中の『ボンバスティカ号』のメンテナンス作業に取りかかることにした。
機体の清掃や各種機材の耐用度チェックはコンピューターや作業用ドローンに任せて、リバーが直接手配するのは各種消耗品の補充だ。推進剤や水、食糧から、痛んだ装甲やがたのきた配管から電子機器の補修交換まで、その項目は多岐に渡る。もちろんそのいずれもを万全な状態に出来ることはほぼなくて、チェック項目を見比べて優先順位をつけるところから始めなくてはいけない。
「トゥーランからテネヴェに向かうのに、推進器を酷使しすぎたなあ。そろそろ換装しないとまずいかもしれん」
会議卓上に展開させた複数のホログラム・スクリーンを、リバーは渋い顔で見比べる。この際だから推進器の換装代も実費に計上して、まとめてフーゴに請求してやろうか。どうせ今回の仕事はフーゴ
リバーが良からぬ顔でケチ臭いことを考えていると、耳朶に装着した
「スタージア宇宙港湾管理事務局より連絡が入っております」という電子音声に、心当たりのないリバーは一瞬眉をひそめた。だが無碍に対応して良い相手でもない。リバーが通信を繋ぐよう指示すると、程なくして今度は妙齢と覚しき女性の声が耳に流れ込む。
「船籍ナンバーMDGTー〇四九七七一二三六六〇〇、登録名『ボンバスティカ号』の船長、リバー・シャフツィーですね?」
「『ボンバスティカ号』船長のシャフツィーだ。港湾事務局がいったいなんの用件だ?」
あからさまに不審げなリバーの口調に対して、声の主は声を立てずに笑った気がした。
「お忙しいところお邪魔して恐縮です。つい先ほどお使いの子から無事メッセージを受け取りました旨をお伝えすべく、《スタージアン》よりご連絡差し上げました」
リバーの左手が、思わず耳朶に触れる。
たかが港湾事務局の職員に、リバーたちがこの星を訪れた理由など知りようもないはずだ。だが
それどころか《スタージアン》という名乗りまで上げられて、リバーは今置かれている状況を把握せざるを得なかった。
「……《スタージアン》てのは博物院生だけじゃないと聞いてはいたが、宇宙港も当然支配しているってわけか」
「さすが、ご理解が早くて助かります」
女性の声は努めて慇懃だったが、リバーには馬鹿にされているとしか思えない。自然、声にも険がこもる。
「わざわざ受領の連絡をくれるとはご丁寧なことだな。そんなもん、ビコからの報告で十分だよ」
「ビコはいい子ですね。院長室では随分と恐縮してましたよ」
「院長室にまで通したのかよ。そりゃ、あいつもびっくりしただろう」
「天球図を見上げて目をぱちくりさせてました。畏れよりも好奇心が勝り、何より凝り固まった常識や慣習からは無縁なところが好ましい」
博物院長が座する背後に、まるでその部屋の真の主かの如く中空に居座る漆黒の天球図が、リバーの脳裏に蘇る。博物院の南北の玄関ホールで静かに回転し続ける天球図とはまた異なり、頻繁な明滅に彩られたホログラム映像の球体を、ビコはきっとぽかんと口を開けながら見入っていたことだろう。
「ご想像の通りです。あなたはビコのことをよくわかってらっしゃいますね」
リバーの思考を自然に見通した上で発せられたのは、さながら母性すら彷彿とさせる声音だったが、彼に聞き取ることが出来るのは不穏な気配だけであった。
「用はそれだけか? だったらそろそろ切り上げさせて欲しいんだが」
「受け取ったメッセージの内容に興味はありませんか?」
女性の声の思わせぶりな物言いに、リバーは唇の端を微かに歪ませる。
「俺は今回、単なる連絡係だ。分はわきまえているつもりだぜ」
「そう仰らずに。あなたにも大いに関係ある内容ですよ」
「俺に?」
リバーがつい訊き返してしまったので、相手は興味ありと判断したのだろう。
「『イェッタ・レンテンベリの記憶より百三十年の時を経て、《スタージアン》に申し伝える。銀河系人類社会を見守るという汝らの役目は、既に我々が引き継いだ。ついてはこれ
「イェッタ・レンテンベリだと」
その名はリバーにも聞き覚えがある。中等院の講義で必ず教わる、銀河連邦樹立に貢献した歴史上の偉人のひとりだ。そんな著名な人物までもが、スタージアなり連邦なりにひそむ得体の知れない集団に関わってきたということか。
それどころか今の言葉の意味を鑑みるに、銀河連邦においてはイェッタ・レンテンベリこそがその中心だったのだろう。
「懐かしい名前です。美しさと強固な意志を兼ね備えた、希有な女性でした」
「……お前たちは、そんな大昔のことまで記憶しているのか」
リバーの問いかけに含んだような笑みだけを返しながら、女性の声は朗読を再開する。
「『この伝言を携えしリバー・シャフツィーは、自身の類い希なる資質と奇縁により汝らと我らを知り得た者である。彼の者をいかに処するかは、汝らに委ねる』」
想定外の内容に絶句するリバーをよそに、女性の声は締め括りとなる口上を淡々と読み上げた。
「『テネヴェにて《繋がり》を保つ《クロージアン》より』――なるほど、彼らは《クロージアン》と名乗っているのですね。《スタージアン》と対になる言葉を選んだのでしょうか」
「そんなことはどうでもいい」
無意識に立ち上がりながら、リバーは思わず声を上げた。
「今のはなんだ。フーゴは俺の処遇をお前らにぶん投げたってことか」
「どうでしょう」
姿の見えぬ相手は今度こそ音に聞こえるよう笑みを漏らしながら、曖昧に答えをはぐらかす。
「でも文面通りに受け取れば、そういうことなんでしょうね」
「ふざけるな。だからって俺がおとなしくしてなきゃいけない謂われはねえ」
「無理矢理
憐れみさえ匂わせる声を振り切るように、リバーは操縦席に飛びついた。目の前のコンソールに指を走らせ、モニタ類をひとつひとつ凝視する。だが、いずれも無駄な足掻きであるということを思い知らされただけであった。
「……お前ら、俺をどうするつもりだ」
リバーの頭の中に想定されるのは、《スタージアン》に《クロージアン》という異能の集団の存在を知った、自身が排除される可能性であった。
よくよく考えれば、その可能性こそ真っ先に思い浮かべるべきであった。この世界の秘密を知りすぎたリバーを、フーゴは己の手を汚さずに始末するため、《スタージアン》の元に送りつけたのかもしれない。
そんな思惑も知らずにのこのこと首を差し出しに現れたリバーは、《スタージアン》にしてみればさぞ滑稽だったろう。自ら博物院長の前に姿を見せなかっただけ、まだ
「それはいくらなんでも想像の飛躍ですよ、リバー・シャフツィー」
操縦席の中で脂汗を浮かべるリバーに、《スタージアン》は穏やかに語りかけた。
「考えてみてください。あなた以外にも私たちの存在を知る者はいるでしょう」
「俺以外?」
「たとえばドリー・ジェスターは、あなたよりも前から《スタージアン》を知っています。ですが私たちが彼女を排除しようとしたとでも思いますか?」
声の言う通りであった。ドリー・ジェスターは《スタージアン》の存在を深く認識し、それどころか彼らの精神感応力の要となるN2B細胞を不要のものとすべく、オルタネイトまで開発してみせた。リバーよりもよほど旗色鮮明な、《スタージアン》を目の敵にする人物だ。
「あなたの思念をたどることで、オルタネイトなる新薬が開発されたことを知りました。先天的にN2B細胞を欠いたため生まれ育った星に縛りつけられてきたという人々は、そのお陰で宇宙へと飛び出す可能性を与えられたのです。ドリー・ジェスターは私たちの予想を見事に上回った、これがどれほど素晴らしいことかわかりますか?」
そう語る《スタージアン》の声は、気のせいか胸を躍らせているかのように聞こえた。
「私たちは《星の彼方》から旅立って以来、この銀河系人類社会を何百年もの間見守ってきました。ヒトひとりにとっては永遠にも思える時の流れの中で見聞きした、数多くという言葉ではとても足りないほどの様々な出来事を、今でもつぶさに思い出すことが出来ます」
「何百年だと……」
さりげなく口にされた年月の長さを反芻して、リバーは呻かざるを得なかった。
銀河系人類は、《原始の民》のスタージア降下を起点とすれば既に五百年以上の歳月を刻んできた。《星の彼方》から三百年の旅程を経てスタージアを見出したという伝説が本当ならば、八百年以上になる。それだけの時間をかけた人類の歩みを、《スタージアン》は一から見届けて、その全てを記憶に収めているというのか。
「最初はこのスタージアという荒野を開拓し、人類の生活基盤を築くことに明け暮れる百年でした」
リバーの想像をあっさりと肯定する形で、《スタージアン》の声は過去に歩んできた人類の歴史を語り出す。
「やがてスタージアを飛び出した人類は、
「歴史の講義なら勘弁してくれ。中等院時代から眠くてたまらなかった記憶しかない」
滔々とした語りに対してリバーはせいぜい強がってみせたが、《スタージアン》はくすりと笑うのみで話を続ける。
「それまでの歴史も十分多様性に満ちていましたが、我々の想定を超えるということはなかった。ところがおよそ百三十年前、人類はそれまでとは異なる進化を見せます。精神感応力を得た人々――《クロージアン》が
喜びという言葉を耳にして、リバーは思わず首を傾げた。
「お前たちの言うことが理解出来ん。封じ込まれて喜んでる場合じゃねえだろう」
「銀河連邦の樹立は、人類が我々の想像を超える発展を遂げた、その第一歩です。もはや人類は我々に見守られるべき存在ではなく、我々にも予想のつかない歴史を刻み始めた。これを喜ばずにいられましょうか」
その声から伝わるのは、生まれたときから育て上げてきた子供が、ついに自分の背丈を上回ったことに相好を崩す親としての感慨そのものだ。
「そして今、ドリー・ジェスターによってオルタネイトが開発され、先天性N2B欠損者も自由に宇宙に飛び出せるようになった。しかも彼らの中には《スタージアン》とも《クロージアン》とも異なる、
人類が己の手の及ばない域に達したことを、喜びをもって受け止めている。《スタージアン》の視点は人類の成長を全面的に肯定する、保護者としてのそれであった。
もし彼らの言うことが本当なのであれば、悠久の時を経て見守り続けてきた人類の進化を喜ぶのもわからないではない。だがどこまでも人類と異なる立場に在るかのような物言いは、リバーの神経をざらりと逆撫でする。
「この銀河系には未知の領域が無限に広がっています。人類はきっとこれからも銀河系を切り拓き、遙かな繋がりを広げていくのでしょう。その先には我々の想像もつかない発展があるであろうことを歓迎しているのです」
「そいつは良かったな」
《スタージアン》の長々とした口上が一段落したところに、ぼそりと吐き出されたリバーの呟きには、少なくとも感動はこもっていなかった。
「じゃあ、お前たちが《スタージアン》である必要はもうないってこった。《クロージアン》とやらの言い分を聞いて、おとなしく解散すればいい」
リバーの言葉に対して、
「……この百年間目立った争いがなかったのは、間違いなく銀河連邦の成立に因るところでしょう。彼らにしてみれば、この銀河系人類社会の支配権は《スタージアン》から《クロージアン》に移ったものと、そう考えても無理はありません」
「まるで違うとでも言いたげだな」
「だって、彼らは根本的に勘違いしているんです。我々は銀河系人類社会を支配したことなど、一度も無いんですよ」
思いがけない《スタージアン》の訴えは、リバーに肩透かしを食らわせるのに十分であった。困惑気味の声を耳にして、リバーの脳裏に浮かんだのは、未だに姿かたちもわからない声の主が大袈裟に肩をすくめる様である。
「あなたも知っているでしょう。我々はスタージア星系の外に影響力を振るうことは出来ない。それは《クロージアン》も同じです。彼らもまたN2B細胞を介した精神感応力で《繋がる》以上、その力はテネヴェ星系の外まで及ばない」
「それは、しかし一緒に出来るもんじゃない。だいたい実際に銀河系の主導権を握っているのは――」
「銀河連邦がこの銀河系を実質支配しているとは言えるでしょう。ですがそれは必ずしも《クロージアン》による支配を意味するわけではありません。《クロージアン》は確かに連邦の中枢を牛耳っているのでしょうが、連邦という政体を手足の如く扱えるわけではない。連邦はあくまで独立惑星国家の連合体です。個々の加盟国――それこそこのスタージアにだって、それぞれの思惑がある。にも関わらず彼らが銀河系を支配していると錯覚し続けるなら、いつか足元を掬われることになる」
そこで声は一息区切ると、小さなため息を吐き出した。
「私たちが銀河系を支配したことがないというのは、同じ理由です。だから《スタージアン》で在ることをやめるつもりはありませんし、その上で彼らのメッセージには応と答えましょう。元からして銀河系を支配した覚えなど無いのですから」
「はっ」
ついにリバーは堪えきれずに、大きな声で呆れかえってみせた。
これ以上彼らとの通信に付き合う気にはなれなかった。おそらくフーゴ、いや《クロージアン》とやらも、《スタージアン》が素直に勧告に従うとは思ってもいまい。あのメッセージは単なる意思表明に過ぎないのだ。
結局狐と狸の化かし合いのようなやり取りに、フーゴはただ利用されたに過ぎない。それどころかこうまで舞台裏を明かされるのは、彼のことを取るに足らない存在だと見做している証しだ。
実際その通りなのだろう。自分が彼らに立ち向かうところなど、リバー自身にも想像出来なかった。そしてつまるところ《スタージアン》も《クロージアン》も、リバーのことをどうこうするつもりは毛頭ない。
リバーにとってはその確証が得られたことだけが、一連の会話で得られた唯一の成果であった。
「そろそろ切り上げさせてもらってもいいか。まだ
「つれないですね、リバー・シャフツィー。かつて仲間にと見込んだ相手にそこまですげなくされると、さすがに傷つきますよ」
「どの口がほざくんだよ。こっちはビコが帰ってくるまでに片づけておかないと、船長の面子が立たねえんだ」
「ビコですか。あの子はいい、実に良い資質の持ち主です」
そう呟かれた《スタージアン》の声には、ビコに対する隠そうともしない興味が露わだった。不吉な予感に襲われて、リバーは思わず操縦席の天井を仰ぎ見た。
「あいつはまだ半人前のガキだ。あんたたちのお眼鏡にはかなわねえよ」
だが《スタージアン》はリバーの言葉などまるで聞こえないかのように、ビコへの言及をやめようとしない。
「下手に教育を受けていない分、常識や偏見に囚われるということがない。それこそ《オーグ》すら恐れず、むしろ人並み以上の好奇心も持ち合わせている。《スタージアン》に求められるべき条件を兼ね備えた人材です」
「おい、ふざけるな!」
操縦席から乱暴に立ち上がって、リバーは大きな声を張り上げた。
「ビコは俺がフーゴから預かったんだ。手を出すんじゃねえ!」
彼以外に誰もいないブリッジの中で、リバーは手を振り回しながら吠えた。《スタージアン》や《クロージアン》には太刀打ち出来ないと、つい先刻まで諦観しきっていたことなどは、とうに頭から吹き飛んでいる。
それ以上にリバーの脳裏を占めていたのは、フーゴとの別離であった。
その背を追い続けてきた師を《クロージアン》に奪われただけでなく、手塩にかけてきた弟子までをも《スタージアン》に強奪されることなど、耐えられるはずがない。
腹の底から湧き上がる激情に任せて、見えもしない相手に罵声を浴びせ続けていたリバーの耳に、やがてくつくつという押し殺した笑声が響き渡る。
「よほど彼が大事なのですね」
「うるせえ、余計なことはいいから、さっさとビコを解放しろ!」
「安心してください。ビコにはとっくに振られてしまいました」
振り回していた拳を途中でぴたりと止めて、リバーはしかめ面のまま尋ね返した。
「振られた?」
「院長室に招いた際に声をかけたものの、あっさりと拒否されました。あなたの下でまだまだ学びたいことがあるそうです。そこまで慕われるとは羨ましい限りですよ、リバー・シャフツィー」
するとリバーはゆっくりと腕を下ろしながら、脱力したように会議卓に手を突いて、やがてよろよろとスツールに腰を下ろした。
「そうか、断ったのか、ビコの奴。あの野郎……」
振り乱した赤毛を掻き上げながら、リバーの口から安堵の言葉が漏れる。すっかり勢いを削がれた彼に、《スタージアン》の穏やかな口調の声がかけられる。
「今後人類はますます未知の領域に広がっていく。それは何らか未知の存在との接触の可能性も孕んでいます。そもそも《星の彼方》に住まうという《オーグ》など、その最たるものでしょう。せめて《オーグ》が余計な手出しをしないよう、《スタージアン》は《星の彼方》を見張り続ける存在として在り続けますよ」
声の言うことがどこまで本気なのか。緊張感の糸が切れたばかりのリバーには、最早どうでも良いことであった。
「そのためにはビコにも仲間に加わって欲しかったのですが、残念です」
「《オーグ》なんてお伽噺に出てくるだけの化け物だろう。そんなもんに付き合わされたら、ビコもいい迷惑だ」
力なく答えるリバーに、穏やかな声がふと笑いかけたように思えた。
「我々が《スタージアン》で在り続けることすら、人類の多様性のひとつです。それは《クロージアン》も然り。《クロージアン》にはそう伝えて下さい」
そんな言葉、誰がわざわざ伝えるか。そう答えかけて、いつの間にか通信が途絶えていることにリバーは気づいた。
耳朶の
不意に
「船長、ちゃんと博物院長にお届けしてきましたよ!」
聞き慣れた陽気な声を耳にして、リバーが思わず声を詰まらせる。そんな彼の内心など露知らぬビコは、興奮気味に捲し立てた。
「聞いて下さいよ、船長。俺、博物院生にスカウトされちゃったんですよ! 船長と一緒ですよ! でも、もちろん断りましたけどね。俺は『ボンバスティカ号』の
胸の奥から大きく息を吐き出したことを気取られぬよう、リバーがビコへの返事を口にするには、なお幾ばくかの時間が必要であった。