2ー3ー1 銀河連邦の樹立

文字数 11,225文字

 スタージア博物院長による劇的な表明によって一気に市民権を得た銀河連邦構想だが、同時に反対の声も公然と上がるようになった。その代表格はエルトランザ、バララト、サカの旧来の複星系国家たちである。
 彼らが反対するのはむしろ当然のことであった。なぜなら銀河連邦構想は、「独立惑星国家による共同体」を大義名分として掲げていたからだ。
「連邦加盟国は互いに平等な立場であることが求められます。独立惑星国家であることが加盟条件となるのは、むしろ必然でしょう」
 発足したばかりの銀河連邦準備委員会で、推されるままに委員長に就任したグレートルーデ・ヴューラーは、並み居る面々を前にして高らかにそう宣言した。彼女の言葉は列席者たちの惜しみない拍手と賛辞によって報われる。
 ヴューラーがこれほど強気に宣言出来たのには、無論わけがあった。
 銀河連邦への加盟を表明した国は、最終的に三十八カ国に上る。実に独立惑星国家の三分の二が手を挙げ、さらにローベンダール、スレヴィア、イシタナ、タラベルソら惑星同盟の構成国が、個別の独立惑星国家としての立場で加わっていた。
 彼らが惑星同盟としてではなく、個々に銀河連邦への加盟を表明したという事実が、そのほかの複星系国家への反証となった。銀河連邦への加盟を望むなら、既存の複星系国家体制の解体が条件である。そう言ってヴューラーはエルトランザたちの抗議を撥ねつけた。
「独立惑星国家による共同体」という名分は実のところ、ローベンダール惑星同盟だけを銀河連邦に取り込むために考え出された方便である。惑星同盟の脅威に抗するのではなく、その軍事力を丸ごと手に入れることは、ディーゴが提唱した当初からの銀河連邦構想の目的でもあった。
「〝銀河連邦〟という大きな餌を鼻先にぶら下げることで、〝惑星同盟〟という巣からまんまとおびき出す。ここまでは目論見通りだった」
 旧ディーゴ邸――今はイェッタとタンドラが住まう高層マンションの最上階フラットで、荒々しくソファに腰掛けたロカが発した言葉は、苦渋に満ちていた。
「だがその先はどうだ。奴らは〝銀河連邦〟という餌を、思うままに食い荒らしている」
「落ち着いて、ロカ」
「これが落ち着いていられるか」
 イェッタのなだめすかすかのような言葉が、かえってロカを苛立たせた。膝の上に両肘を乗せたまま、ロカの眉間に深い皺が刻まれている。
「先日の準備委員会で採択されたあれ(・・)はなんだ? 惑星同盟諸国は、向こう十年の連邦加盟負担金を大幅に軽減される、だと。そこまで奴らに譲歩しなければならないのか?」
「連中が保有する軍事力を銀河連邦軍に差し出させるには、それぐらいは仕方ないんじゃないかい」
「同盟軍という看板を、連邦軍に差し替えるだけの話だ。むしろ労せずして軍の中枢を握れるのだから、奴らにしてみれば大歓迎だろう」
 ローベンダール惑星同盟を丸ごと手中に収める――その策の負の部分が、まさに表面化していた。
 三十八の加盟国候補の代表が集う準備委員会では、惑星同盟諸国が将来の銀河連邦で主導権を握るべく、それぞれに派閥を広げようと暗躍している。中でもブリュッテル率いるローベンダール派とアントネエフ率いるスレヴィア派の両派は着実に勢力を伸ばし、ところどころで対立の気配を見せていた。そのくせ惑星同盟諸国全体の立場を守る際には団結するのだから、性質(たち)が悪い。
 テネヴェはスタージアという後押しを得つつ準備委員会の委員長の座に推されたこともあって、両派のいずれからも距離を取る立場を保っている。だがそれは裏を返せば、どちらにも属さない弱小勢力であるとも言えた。
 テネヴェを神輿に担ぎつつ、その裏で実権を握るという目的は、ローベンダール派もスレヴィア派も一致しているようだ。
「エルトランザが銀河連邦構想について出したこの前のコメント、知っているだろう」
「銀河連邦とは詰まるところ、ローベンダール惑星同盟の拡大に過ぎないっていう、あれ?」
 モトチェアを揺らしながら答えるタンドラに、ロカが自嘲混じりの目を向ける。
「準備委員会からして、既に奴らが幅を効かせているんだ。言い得て妙だと、思わず感心してしまったよ」
「彼らにしてみればそうでしょうね」
 テーブルを挟んで向かいの席に腰掛けていたイェッタは、頷きつつ長い脚を組み替えた。
「あながち間違っているわけじゃない。実際のところ、単なる惑星同盟の拡大と考えている輩が大半じゃないかしら。そしてこのごたごたに乗じて己の勢力を伸ばしてやろう、ともね」
「そんな暢気なことを言ってられるのか」
 イェッタにもタンドラにも、特に焦った様子は見受けられない。ロカは思わずソファから立ち上がり、理解に苦しむといった顔でふたりを見下ろした。
「私は、このままでは銀河連邦は奴らに乗っ取られてしまう、と言っているんだ。ヴューラーは単なるお飾りに成り下がり、テネヴェは結局奴らの風下に立つことになる」
 ロカの切実な叫びは、だが相変わらずふたりの心には響かないようだった。むしろ苦笑すら浮かべて、イェッタが再びなだめるような口調で声を掛ける。
「いいのよ、ロカ。惑星同盟に半ば牛耳られるのは想定内。ヴューラーも、キューサック御大だって言ってたでしょう? 準備段階から結束を乱すよりは、ある程度連中の好きなようにやらせる方が余程まし(・・)だって。まずは銀河連邦を立ち上げるのが先決よ」
「それにしたって限度があるだろう。奴らがああして派閥争いに興じるのを、いつまでも放っておけというのか」
「その代わり連中さえ納得させられれば、準備委員会での話も早い。現にローベンダール派とスレヴィア派には事前に了承を得ていたお陰で、連邦の基本体制案もすんなり通ったわ」
 イェッタの言う通り、準備委員会の中で勢力争いが激しさを増す一方で、来たるべき銀河連邦の体制は着々と整備されつつある。
 最高議決機関としては各国の代表から成る銀河連邦評議会を設け、一方で執行部門として航宙・通商・安全保障に加えて財務の四局を設置する。四局の上には執行部門を統括する常任委員会が設けられる。常任委員会は前述の四局長に無任所の常任委員長を加えた五名で構成され、委員長・四局長も含めて、連邦評議会議員の中から投票によって選出される。ただし発足当初に限り、常任委員は準備委員会の構成メンバーの中から選ぶことになった。
 これらの体制案そのものについては事前の根回しが功を奏して、特に異議を唱えられることもなくそのまま準備委員会で採択された。むしろ各派閥とも、事実上銀河連邦を取り仕切ることになる常任委員会のポストを巡る方向に力を注いでいる。
 常任委員長の座については準備委員長を務めるヴューラーを引き続き選出することで、各国間では暗黙の了解がある。だが銀河連邦の各部門の長にして常任委員というポストは、各派閥とも喉から手が出るほど欲するところであった。
「四局長のひとつでも、せめて中立派が占めることは出来ないか」
 テネヴェ派に、とまではロカも言い出せなかった。そもそもテネヴェと表だって与するような星が、準備委員会には存在しない。あえて言うならスタージアだが、あの星の代表が積極的に四局長の座を窺うとはとても思えなかった。
「無理だろうね。まあ、やりたい奴にやってもらえればいいよ」
 タンドラの言い方はぞんざい過ぎて、ロカはほとんど絶望的な表情を浮かべた。
 彼の懸念はイェッタもタンドラも承知していたが、同時にどうしようもないし、どうするつもりもなかった。タンドラの言葉はことさら突き放した言い回しというわけではなく、本音をそのまま口にしたに過ぎない。
「ただしひとつだけ、連中に譲れないものがある」
 それまで投げやりにすら思えたタンドラが、心持ち表情を引き締めてそう切り出した。ロカは既にソファへと力なく長身を埋めて、意気消沈した目つきを寄越す。
「なんだ。奴らに譲っていないものが、まだ残っていたか」
「銀河連邦の本部所在地よ。本拠地はここ、テネヴェでなくてはならないわ」
 今度はイェッタが、身を乗り出しながらタンドラに同調する。このふたりが一心同体の身であることはわかっているが、それにしても揃って畳みかけるような物言いに、ロカは首を傾げた。
「本拠地か。確かに発起人である我々には主張する権利があると思うが、果たして今の準備委員会が聞き入れるかどうか。地理的には加盟国全体の中心に当たるローベンダール辺りが推されそうなもんだが」
「駄目よ。本拠地はテネヴェ、これだけは譲れない」
 思った以上に頑なに主張されて、ロカはソファに腰掛けながら我知らず後退っていた。テーブルの上に両手をついてまで強調するイェッタとは対照的に、タンドラはモトチェアの向きをゆっくりとロカに向けながら冷静に告げる。
「テネヴェを本拠地とする前提で、私もイェッタも準備を進めている。もしほかの星になったとしたら、銀河連邦があるべき姿に到達するまで十年は遅れてしまう。ロカも、これについては絶対条件のつもりで、忘れないでおくれ」
 タンドラの言葉は淡々としているが、言葉の裏にこもる熱はイェッタと大差ない。ふたりから有無を言わさぬ圧力を感じて、ロカはその理由もわからないままに頷かされた。

 銀河連邦準備委員会の開催会場は、各国間でその都度持ち回りとなっている。今回の会場に指定されたのは独立惑星国家のひとつ、ミッダルトであった。
 ミッダルトは歴史だけで言えば、エルトランザやバララトと同じく初期開拓時代に入植された星である。だが近隣に入植可能な惑星を発見することが出来ずに、単独の惑星国家として今日まで永らえてきた。銀河系人類社会での国力レベルは微々たるものだが、その歴史の古さから各国からはそれなりの敬意を払われている。
 会場に選ばれたのはミッダルトの最高学府のひとつ、ミッダルト中央科学院の会議場であった。ミッダルトは国内の産業に秀でたものがない代わりに、学術研究を主とした人材開発に力を注いでいる。中央科学院のほかにも法学院、工学院といった学び舎が多く整備されており、各国からの留学生も少なくない。
「成熟した独立惑星国家が目指すべき、ひとつの形ね」
 ミッダルトの政府関係者に案内されながら、中央科学院の構内を闊歩するヴューラーが、周囲に聳える校舎を見渡してそんな感想を漏らした。
「単独でまとまるなら有りでしょう。テネヴェでもミッダルトの技術者の手を借りる場面は多いですし」
 ヴューラーに半歩遅れて続くイェッタが頷きつつ、すれ違う学生たちの姿にどこか懐かしそうな目を向ける。
「初期開拓時代からの歴史があるからこそね。エルトランザやバララトとも友好を保っているから、惑星同盟も遠慮がある。それほど危機感を覚える状況には思えないけれど、ミッダルトは比較的早い内から銀河連邦構想に理解を示していた。なぜかしら?」
「やはり限界を感じているのではないでしょうか。人材開発に力を入れるといっても、単独では限りがあります。積極的に留学生を受け入れている点を見ても、国外との交流を重視しているのだと思われます」
 なるほど、とヴューラーが答えたところで、先を行く案内人がこちらを振り返って、構内でも目立たない、やや小ぶりな建物への入館を促す。そのまま案内人の後をついていくと、やがて通されたのはそれほど広くはない、だが結構な調度品で奢られた応接室とおぼしき一室であった。
 応接室の中でヴューラーとイェッタを出迎えたのは、銀河連邦準備委員会のミッダルト代表、ステッド・ジェスターである。ミッダルトの外務長官という要職を務める、白髪混じりの金髪を撫でつけた壮年の紳士は、知性を感じさせる穏やかな笑みを浮かべながら、ふたりと交互に握手を交わす。
「ミッダルトへようこそ。もうひとりの客人も、間もなく到着すると連絡がありました。しばしのお待ちを」
 既にジェスターと何度か顔を合わせているイェッタは、彼が柔和な表情の裏で冷静に計算を弾き出すことの出来る、芯の通った政治家であることを知っている。愛想の良いキューサック・ソーヤというのが、彼女のジェスター評だ。
 ヴューラーとイェッタが革張りのソファに腰掛けて間もなく、重厚な黒塗りの扉が開き、ジェスターの言うもうひとりの客人――バジミール・アントネエフの堂々たる体躯が姿を見せた。
 金髪の偉丈夫はヴューラーとイェッタの姿を認めて、形ばかりの詫びを口にする。
「既にお揃いでしたか。これは失礼した」
「私たちも今、着いたばかりです。時間もありませんことですし、早速話に入りましょう」
 準備委員会の開催に先駆けての会合は、当然極秘裏の非公式なものだ。といっても同様の非公式会談はあちこちで行われているはずで、準備委員会が催される度に付随する定番の光景でもある。
 今回の会合はヴューラーからジェスターを通じて呼びかけられたものであった。ミッダルトは当初からテネヴェの立場に理解を見せつつも、アントネエフの圧力によってスレヴィア派に数えられている。テネヴェにしてみれば、アントネエフとの間の緩衝材としてはうってつけであった。
「本日お集まり頂いたのはほかでもありません。今日の準備委員会の議題である、銀河連邦の本拠地選定についてお二方のご意見を伺いたく、ジェスター長官にこの場を設けて頂きました」
 ヴューラーの挨拶を皮切りに、その場の四人がめいめいに無言で視線を交わす。最初に口を開いたのはジェスターであった。
「それはよろしいですが、代表でもないレンテンベリ議員が同席されているのはなぜでしょう? いや、彼女が準備委員会の事務方を務めているのは承知しておりますが」
「言葉足らずで申し訳ありません。今日の彼女は、証人・説明役として同席しております。差し支えなければ彼女の口から説明させたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
 ヴューラーがそう断ると、ジェスターは小さく頷きながらアントネエフに視線を向けた。アントネエフもまたイェッタに顔を向けて、無言で先を促す。イェッタは軽く頭を下げてから口を開いた。
「先日、我が国の前市長キューサック・ソーヤの下に、ローベンダールのブリュッテル卿から私信が届きました」
 ブリュッテルの名を持ち出され、アントネエフの太い眉がぴくりと跳ね上がったのを視界の片隅で確かめつつ、イェッタは話を続ける。
「いわく、銀河連邦の本拠地としてローベンダールを推薦したい。ついてはテネヴェの支持を取りつけたい、とのことです」
 アントネエフとジェスターが顔を見合わせる。ローベンダールが本拠地に名乗りを上げるのは予想していたことだが、テネヴェに直接支持を求めてくるとは思っていなかったのだろう。
 キューサックとブリュッテルが余程親交を深めていたことを知って、男たちの内心に焦りがよぎる。
 ふたりの思考に差がないことを確かめてから、イェッタはヴューラーに視線を送った。ヴューラーもイェッタの合図を見て取って、向かいの席に座る男たちに向かってずいと顔を突き出した。
「最初に申し上げると、テネヴェはローベンダールを本拠地とすることには反対です。理由はふたつあります」
 そう言ってヴューラーは右手を前に翳し、まず一本、長い人差し指を立ててみせた。
「ひとつ。エルトランザ、バララト、サカの複星系国家三国は、銀河連邦をローベンダール惑星同盟の拡張版であると非難しています。ローベンダールを本拠地とすると彼らの非難に整合性を与え、今後の外交関係に悪影響を及ぼすことが考えられます」
「その理屈だと、惑星同盟諸国はいずれも本拠地候補から外れることになりますな」
 ジェスターの指摘はもっともだった。アントネエフは辛うじて無表情を保っている。ふたりの表情を見比べながらヴューラーは二本目、中指を立てた。
「ふたつ。ローベンダール惑星同盟のいずれかの国が本拠地となった場合、同盟諸国間の軋轢は避けられません。この件でしこりを残せば、今後の銀河連邦の運営に支障を来します。アントネエフ卿であれば、ご理解頂けるでしょう」
 ヴューラーの大きく黒い瞳が、アントネエフの青い目を窺う。市長の目は探るように見えて、実際には目の前のスレヴィア領主を挑発している。だがアントネエフはヴューラーのそんな態度が不快ではないらしく、むしろ喜色すら浮かべていた。
「だからテネヴェを本拠地に推せと?」
 張り出した顎先をゆっくりとした動作で撫でながら、アントネエフが確かめるように問う。対してヴューラーは突き出していた右手を収めて、ソファの背凭れに長身を預けた。片頬が心持ち引き攣って見えるのは、会心の笑みを抑え込んでいるのか。それとも動揺を見せない相手へのささやかな不満か。
「話が早くて助かります」
 瞼を伏せて、ヴューラーがアントネエフの言葉を肯定する。すると今度はアントネエフが、自分の番と言わんばかりに身を乗り出した。
「市長、私はまだ是とも非とも言ったつもりはない」
「と仰いますと?」
「回りくどいやり取りはどうにも苦手でね。単刀直入に言おう。四局長のひとつ、航宙局長には、このジェスター長官を推薦したい」
 アントネエフは大きな手で、隣りに座るミッダルトの長官を指し示した。指名を受けたジェスターが、穏やかに頷く。アントネエフが示した交換条件は、ヴューラーもイェッタも半ば予想していたことであった。だがイェッタが瞳を細めてふたりの思考を覗き込むと、スレヴィアの領主にはさらにしたたかな目算があることが読み取れる。
「そして私は安全保障局長に立候補するつもりだ。市長には是非、その後押しをお願いしたい」
 分厚い胸板に手を当てて、金髪の偉丈夫がヴューラーに迫る。言葉以上の他意を見事に隠し通したアントネエフの振る舞いに、タンドラの思念が感心したような一言を漏らした。
(その上で航宙局次長、実務のトップにピントンを任命させるつもり、と。なかなかどうして、考えてるじゃないの)
(ジェスターは完全にお飾り扱いね)
 アントネエフは航宙局と安全保障局のふたつを、実質的に支配するつもりなのだ。ローベンダール派と手打ちした結果、四局長のポストはお互いに分け合うことになったらしい。だが手に入れたふたつの局の実権は、確実に手中に収めておきたいということだろう。
 ジェスターの終始穏やかな表情の裏には、お飾りの立場へと追いやられる己への自嘲が窺える。
「いかがでしょう、ヴューラー市長。市長の推薦があれば、我々の希望が通る可能性が高まる。当然、我々もテネヴェを本拠地に推す。お互いに益のある話だと思いますが」
 諦観をおくびにも出さず、ジェスターはこの場をまとめ上げることに専念する風を装っている。スレヴィアとテネヴェ、双方の橋渡し役を務めることで存在感を保とうとする彼の計算は、独立惑星国家の指導者であれば誰もが身につけざるを得ないものだ。
 一歩間違えればテネヴェもあっという間に同じ立場になるだろう。いや、傍から見れば既に同じ立場に見えるのかもしれない。
 ヴューラーは沈黙している。果たしてここからどれだけ交渉の余地があるのか、それともこのまま承諾すべきか、悠然とした態度の裏で逡巡していた。彼女自身は冷静な計算のつもりでいて、そこに至るまでの思考は、図らずもジェスターと同じ筋道をたどっている。いかにテネヴェで女帝として振る舞うヴューラーであっても、未だ独立惑星国家の指導者という枠からは抜け出せていない。
 タンドラの思念が、イェッタに警告する。
(良くないね。小国の迷いを、この脳筋は見逃さない)
 彼女が指摘する通り、獰猛な肉食獣並みの嗅覚を備えたアントネエフは、獲物が見せる弱気に敏感だ。たとえ将来の銀河連邦常任委員長相手でも、一度格下と見做したら以後、どんな小細工も受けつけなくなってしまうだろう。アントネエフにはあくまで対等な立場であることを、知らしめなくてはならない。
 この男には強気な態度を保ったまま、泰然自若とした態度で頷いておけば良い。そう、イェッタが強く願う(・・)――
 その途端、それまで細められていたヴューラーの目が、おもむろに大きく開かれた。
「結構ですわ、アントネエフ卿」
 ヴューラーは目を見開いたままに、大きな口の両端を上げた。彼女の唐突な笑顔を目の当たりにして、アントネエフが一瞬困惑の表情を見せる。その隙を逃さないかのように、ヴューラーは彼の顔の前に勢いよく右手を差し出した。
「お互いに益のある話、もっともです。スレヴィアとミッダルト、そしてテネヴェで、来たるべき銀河連邦を牽引していきましょう」
 彼女の右手が握手のために差し出されたものだと知って、アントネエフも促されるように右手を出した。アントネエフとの握手の後には、すかさずジェスターとも握手が交わされる。男たちはヴューラーの突然の承諾に戸惑ってはいたが、ともあれ十分な成果を得られたことに満足して、会談は終了した。
 三者三様に納得しているはずの光景を見るイェッタの琥珀色の瞳には、だが安堵だけではない、複雑な感情が混在していた。

 オーディールが唱えた『種播きの歌』を、ふたりは今や生来の能力のように体得している。正確には、精神感応力の本来の使い方を思い出した、と言うべきかもしれない。
 相手の心を読み、いくつもの思考や感情の存在を把握して、その中のひとつを後押しする。ヒトの精神に干渉するということは、つまりそういうことだ。
 どんなヒトの精神にも、数え切れないほどの選択肢が存在する。彼女たちがそれまで駆使してきた読心能力は、その選択肢の大小や強弱を理解するためにあった。
 それだけではない。彼女たちの精神感応力には、その先を促すことが可能なのだ。
 沢山の選択肢の中から任意のひとつを摘まみ上げて、そのヒトの精神の表層まで押し上げる。それがどんなにささやかのものであったとしても――例えるなら深海では米粒大に過ぎない気泡が、浮かび上がるにつれて直径を増し、海面に達する頃には大きな泡となってやがて爆ぜるかのように、精神への干渉とはかくも容易い。
 そのことを、彼女たちはそれまで意識していなかった。
 だが今となっては意識してなかっただけであるということは、イェッタもタンドラも自覚している。
(最初にディーゴを魅了出来たのも、ヴューラーやキューサック御大を説得出来たのも、きっと無意識にこの力を使っていたせいなんだろうね)
 タンドラが吐き出した言葉には、自省以外にも言葉に出来ないやり切れなさが滲み出ている。ヒトの精神に及ぼす干渉力までも自分たちの能力なのだと開き直るには、まだタンドラもイェッタも割り切れていなかった。
 中央科学院近くのホテルの一室で待機しているタンドラに対して、イェッタの思念は努めて冷静に振る舞おうとする。
(含むところはあるけれど、今はこの力を活かすしかないわ。むしろ、今使わないでいつ使うの?)
(そうだね。今がその時なのは確かだ)
 イェッタの目の前では今、各国の代表が集う準備委員会で、まさに本拠地に関する採決が行われていた。候補地として挙げられたのはやはり、テネヴェとローベンダールだった。委員会の運営役であるイェッタはヴューラーの背後の席に着席したまま、各国代表たちの思考を探ることに専念する。
(二十対十八。テネヴェが僅差で上回っているわ。無理矢理色分けすれば、だけど)
 代表たちの中には周囲の顔色を窺いつつ、直前まで決断を迷う者も少なからずいる。まさに強国の間で上手に立ち回ろうとする、独立惑星国家の計算そのものだ。
(チャカドーグーは?)
(一応ローベンダールに投票するって話はついているらしいけど、案の定まだ迷ってる)
(じゃあ、テネヴェに入れるよう後押ししてあげて。チャカドーグーには悪いけど、ローベンダールの怒りの矛先を引き受けてもらおう)
 タンドラの指示にイェッタは内心で頷きつつ、チャカドーグー代表の精神に干渉する。彼の中ではどちらの選択肢も五分五分に近いレベルだったので、どちらかに意識を傾けるのは簡単な話だった。同じように逡巡している代表たちの精神に手を伸ばして、イェッタは次々と彼らをテネヴェに投票するよう仕向けていった。
 採決の結果はテネヴェに二十三票、ローベンダールに十五票が投じられ、イェッタたちの思惑通りに銀河連邦の本拠地にはテネヴェが選定された。採決後にローベンダール代表がチャカドーグー代表を見る目には、露骨な敵意が込められていたことまで織り込み済みだ。
(いっそ毎回こうして干渉出来るなら、楽でいいんだけど)
 イェッタが思わず漏らした言葉に、タンドラの思念が諭すように言った。
(私たちの手が届かない場面は必ずあるよ。だから、今日のようなアントネエフやジェスターへの事前の根回しも、こうして決を採る形式も必要なんだ。結果的に私たちが干渉することになったとしてもね)
(そうね、わかってる。言ってみただけ。私たちの手が及ぶ範囲は、まだまだ狭い)
 己に言い聞かせるように、イェッタは呟いた。
 閉会に向かいつつある準備委員会の会場のざわめきの中で、イェッタは少しだけ瞼を閉じる。銀河連邦を発足させるに当たり最後の課題をクリアして、後は具体的に準備を進めていくだけとなった。にも関わらず、長い睫毛が伏せられた彼女の顔に、晴れやかな表情はなかった。
 ここまで全力で駆け抜けてきたが、一段落を迎えたところでイェッタの胸中に湧き上がったのは、銀河連邦とは全く関係のない、ささいなことであった。
(ねえ、タンドラ)
 そう尋ねる彼女の思念からは、どこか弱々しささえ感じられる。
(ロカもそうなのかしら)
 ホテルの一室の中で、タンドラはすぐには返事が出来なかった。それは彼女自身考えないようにして、だが心の奥底でずっと引っかかっていた疑問だったからだ。
(私たちを支えていくという、あのロカの言葉も、やっぱり私たちが無意識に干渉したからなのかしら。私たちのこの力が、ロカにあの言葉を言わせたのかしら)
(……どうなんだろうね。ヒトの精神に干渉した痕跡ってのは、余程露骨なものじゃない限りは読み取れない。ましてやあの頃の私たちは、この力を意識してなかった。今さらロカの心を覗いてみても、確かめることは出来ないだろうね)
(彼は私たちの中にディーゴが残っていることを信じている、と言ったのよ。だから私たちを支えると。その言葉すら私たちが言わせたのかもしれないのだとしたら、私たちは他人の何を信じればいいの)
 タンドラは答えられない。イェッタと一心同体の彼女に、答えられるはずもない。そしてイェッタがぽつりと口にした言葉もまた、タンドラの想いと等しかった。
(私たちはもう、《繋がった》者しか信じることが出来ないのかもしれないわね)

 ミッダルトで開催された準備委員会からおよそ三年後、銀河連邦はついに正式に発足する。
 発足当初の加盟国は三十八。連邦評議会および常任委員会本部はテネヴェに設置され、初代の常任委員長にはテネヴェ市長を辞したグレートルーデ・ヴューラーが選出された。
 イェッタ・レンテンベリも銀河連邦発足と同時にテネヴェ市民議会議員を辞任し、常任委員長の輔弼機関となる銀河連邦事務局の初代局長に就任することとなった。
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登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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