3ー4 宇宙船『大風呂敷(ボンバスティカ)号』

文字数 9,392文字

 リバーが所有する貨物宇宙船『ボンバスティカ号』は、本来旅客機能を持ち合わせていない。最大乗員数は四名となっているが、四名分の個室など割り当てられるはずもなく、基本的にあらゆる生活空間が共有となっている。機体の大半は推進機能と貨物室(カーゴ・ルーム)に割り当てられた、効率重視の設計だ。
 ブライムとハーレの夫妻が、宇宙船(ふな)乗りと同じ環境でジャランデールまでの長旅を耐えられるとは思えない。そこでリバーは貨物室に積み込むコンテナを一個借り上げて、夫妻の客室とした。貨物船を旅客運用する際にしばしば用いられる手法であり、端から内装を客室として仕立てたコンテナというものが、既製品にも用意されている。
「ただ、この宇宙船(ふね)は普通の旅客船みたいな有重力区画がないんで、室内も無重力になります。そこら辺は気をつけてください」
 宙に浮かぶ夫妻の荷物を客室代わりのコンテナに運び入れながら、ビコはほかにも船旅中のルールを口にした。
「食事はここの現像機(プリンター)から取り出してください。あとシャワーとトイレの使い方は、ええと……」
「ああ、それは僕から説明しますよ。僕は何度か星間旅行の経験がありますから」
 困り顔のビコにブライムが助け船を出す。続いてハーレが礼を言った。
「ありがとうございます、ビコさん。私、こうして宇宙に出るのも初めてで」
 床面に張りつく磁石靴に未だ慣れない様子で、壁面の手摺りにへっぴり腰でつかまり立ちする姿を見れば、彼女が無重力初体験であるということは一目瞭然だ。荷物が宙を舞わないように固定しながら、ビコが笑いながら言う。
「奥さんは筋が良い方ですよ。俺が初めて宇宙に出たときは無重力って奴に慣れなくて、あちこちにぶつかったりともっと酷かったですから」
「そういえば見たところビコさんはまだお若いようですけど、失礼ですがおいくつなんですか?」
 何気ない話題のつもりで切り出したのであろうブライムの質問に対して、ビコは顎に手を当てながら考え込んだ。
「えーと、いくつってことになってたかな。確か十九か、二十か……」
 齢を重ねた老人ならともかく、二十歳前後の若者が自分の歳を忘れるなどということがあるだろうか。ブライムは一瞬訝しんだ後、どうやらその可能性に思い当たったように軽く眉を開いた。
「実は俺、貧民街(スラム)上がりなんですよ」
 そう語るビコの顔は、実にあっけらかんとしていた。
「お陰でいつ生まれたのかとか自分が何歳だとか、あんまりよく知らなくて。それで五年前だったかな、連邦市民の登録するときも年齢とか適当に書いちゃったから、うろ覚えなんですよね」
 ビコの語り口からは、厳しい環境で生まれ育ったことへの悲壮感など欠片も感じられない。ブライムが下手に気遣いせずに済んだのは、彼の屈託の無さのお陰だ。
「フーゴさんに宇宙船(ふな)乗りにならないかって声をかけられて、そのためには市民権が必要だからって、色々手配してくれたんですよ。その後、この『ボンバスティカ号』で働かせてもらえるようになりました。まだまだ見習いですけど」
「その、フーゴという方は?」
「ああ、この船の前の船長です」
 ブライムの問いにそう答えると、ビコは少々照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。
「『ボンバスティカ号』の前の船長と今の船長、ふたりとも俺の恩人なんです」
 その後全ての荷物を固定し終えたことを確認したビコは、夫妻に対してさらに二、三の注意事項を通達して、最後にこう言い足した。
「奥さんが世話になった導師様に恩返ししたいっての、よくわかります。俺も早いとこ一人前になって、ふたりに恩返ししなきゃって思いますから。今はまだ《オーグ》よりまし(﹅﹅)程度にしか思われてませんけど」
 その上でビコは片目をつむって「といっても貧民街(スラム)育ちの俺には《オーグ》とか、全然ぴんと来ないんですけどね」と笑った。
「ありがとう。船長さんには無理なお願いを聞いてもらって、本当に感謝してます」
 ハーレが微笑むと、ビコは負けじとばかりに白い歯を覗かせた。
「安心してください。船長はあの通り口は悪いですが、俺が言うのもなんですけど腕はいいんですよ。無事にジャランデールにお届け出来るってことは保証します」
 ビコが拳を握り締めて言い切り、ハーレとブライムは互いに顔を見合わせて頷き合った。彼がここまで信頼を寄せる船長なのだから、間違いない。この若者の裏表のない言動はそれだけで信用に足る、そう思わせる何かがある――
「ビコ、いつまでちんたらやってんだ! 《オーグ》以下の扱いになりたいか!」
「すみません!」
 耳元の通信端末(イヤーカフ)を通して浴びせかけられた怒鳴り声に、それまでのほほんとしていたビコは身体(からだ)全体で跳び上がった。
「じゃあおふたりとも、俺はこれで! 何かあったら呼んでください!」
 そう言ういや否やビコが客室のドアの枠組を蹴ると、その身体(からだ)はまるでミサイルのように無重力空間を突き進んでいく。若者の姿をあっという間に見失って、後に残された夫妻ふたりは呆気にとられるばかりであった。

 ミッダルトからジャランデールまで行くには、全部で九つの星系を踏破する必要がある。そのほとんどは有人惑星のない無人星系で、途中に存在する惑星国家は外縁星系(コースト)のひとつであるトゥーランのみ。ジャランデールはトゥーランよりもさらに奥にある、最近入植が始まったばかりの惑星だ。
 外縁星系(コースト)の開拓が緒についたのはちょうど十年前、ドリー・ジェスターに言わせれば直近の惑星開拓からおよそ百八十年ぶりのことである。当初は連邦当局の全面的な支援を受けて始まった惑星開拓運動だが、五年前にはトゥーランで初めての自治政府が樹立されて、外縁星系(コースト)初の正式な惑星国家が誕生した。
 そのことをリバーが知ったのは、銀河連邦第一とされる惑星国家テネヴェの宇宙港内でのことだ。当時『ボンバスティカ号』は連邦外の複星系国家のひとつバララトでの取引を終えて、テネヴェ・デキシング宇宙港のドックに停泊中であった。
「船長、外縁星系(コースト)で商売しようとかは考えないのか?」
 その頃はまだ『ボンバスティカ号』の乗員(クルー)に過ぎなかったリバーは、ブリッジ内のホログラム・スクリーンに流れるニュースを目にしてそう尋ねたものである。だが当時の船長フーゴ・ラッセルフは、ベープの煙を吐き出しながら首を横に振った。
「今の外縁星系(コースト)は当局に一から十まで保護された、まだよちよち歩きの赤ん坊だ。取引相手としては不十分だな」
 くすんだ金髪を短く刈り込み、鋭い眼差しの奥に覗くグレーの瞳に厳つい顔立ち。中肉中背ながら逞しい体躯を宇宙船(ふな)乗り御用達のボディスーツに包んで、その上から多機能ベストとカーゴパンツを着用するフーゴの外見は、いかにも海千山千の貿易商人といった出で立ちだ。
 そして彼の場合は見た目以上に十二分な実績を誇る、業界仲間からも一目置かれる存在であった。その面倒見の良さもあって彼を慕うものは多く、貿易商人協会に対しても一定の発言力を持つ有力者でもある。
 何かにつけ跳ねっ返りなリバーも、そんなフーゴにだけは頭が上がらない。
 集団に属することを嫌ったリバーが中等院卒業後に選んだ職が、身ひとつで宇宙を飛び回る独立貿易商人である。だがそういった人種が、経験も伝手もない少年を弟子入りさせることは少ない。門前払いを喰らい続けて途方に暮れていたリバーを雇い入れたのが、ほかならぬフーゴであった。
 以来、リバーはフーゴの下で真面目に働き続けてきた。実際のところ、フーゴのように実績も人格も備えた先達に師事することが出来たのは、リバーにとって幸運であった。フーゴの指導は厳しかったが、少なくとも理不尽だったり無茶だったりしたことはない。だから今回も、普段のリバーならフーゴの言うことにそのまま納得したことだろう。
 だがそのときの彼は、どういうわけか素直に引き下がる気にはなれなかった。
「だけど最近じゃ大手が幅を効かせて、今まで通りの取引だけじゃ回らなくなってるって、そう言ってたのは船長じゃねえか。だったらトゥーランでも自治政府が出来たことだし、そろそろ外縁星系(コースト)に目を向けてもいい頃合いじゃないか」
『ボンバスティカ号』のブリッジ内中空に浮かぶホログラム・スクリーンには、トゥーラン自治政府の初代長官となった年配の女性が、人民に向かって手を振る光景が映し出されていた。政府庁舎前の広場に集まった人々は、長官の姿を見て一様に歓喜の声を上げている。その熱狂ぶりはトゥーランの、引いては外縁星系(コースト)が秘める活力を体現したもののように、リバーには思えた。
「あんだけ活気があるんだから、行ってみればなんかありそうなもんだけどなあ」
 そう呟いたリバーに、フーゴが若干からかうように声をかける。
「俺の言うことが信じられないか、リバー?」
「嫌な言い方するなよ。そういう意味じゃない」
 リバーが顔をしかめながら振り返ると、その視線の先でフーゴがどこか愉快そうな笑みを浮かべていた。
「だとしても、お前がそこまで俺の言うことに頷かないのは珍しいな。そろそろ独り立ちしたくなってきたか」
「独立したいのは山々だけど、まだ宇宙船(ふね)を買う頭金さえ貯まってねえ」
 自分の宇宙船を持って独立すること自体は、リバーも前々から公言している。というよりも貿易商船の乗員(クルー)とは、大なり小なり独立することを夢見るものだ。リバーも例外ではない。
「もう少し酒を慎めば、頭金ぐらい貯まる程度の給料は払っているはずだぞ。今、どれぐらいあるんだ」
 リバーが指を折りながら数え上げた貯金額を告げると、フーゴはベープ管を器用に指に挟んだまま四角い顎先に手を当てた。船長が何を思案しているのかわからず、リバーが訝しげに眉根を寄せる。
 やがて顎から手を外したフーゴは、ベープ管の吸い口を咥えて一息吸い込むと、大きく水蒸気煙を吐き出した。無重力空間の中に生まれた白煙の固まりは、形を崩しながら排気口に吸い込まれるように流れていく。白煙のほとんどがブリッジから掻き消えたのを確かめてから、フーゴはリバーの鳶色の瞳を見返した。
「まあいいだろう。リバー、お前の貯金全額で、この宇宙船(ふね)を売ってやる」
 フーゴの申し出にリバーはあんぐりと口を開けて、返事をするまでしばしの時間が要った。
「……何言ってんだかわかんねえよ、船長」
「なんだ、『ボンバスティカ号』じゃ不満か? さすがに最新型には及ばないが、こいつだってメンテを怠らなければあと二十年は保つぞ」
「そういうことじゃねえよ!」
 振り上げたられたリバーの拳がホログラム・スクリーンを擦り抜けて、ブリッジの壁に叩きつけられる。太い眉先を跳ね上げて、リバーの顔には怒気が充満していた。
「この宇宙船(ふね)を手放して、あんたはどうするんだ」
「実は少し前から、協会役員への就任を要請されている」
 そう言って再びベープ管を咥えたフーゴを、今度はやや青ざめた顔でリバーが見つめ返す。
「なんだよ、それ。あんた、宮仕えに転向しようってのか」
「ここのところ外縁星系(コースト)に食い込もうと逸る連中のトラブルが相次いで、そろそろ洒落にならないらしい。そういう輩をなだめるのに力を貸して欲しいって言われてんだよ」
 つい先ほどまで外縁星系(コースト)での取引を口にしていたことを思い返して、リバーは押し黙るしかなかった。
 新天地である外縁星系(コースト)には無尽蔵のチャンスが秘められているのだろうが、同時に同じ数だけの落とし穴も潜んでいるのだ。そのことをわかっていたから、フーゴは慎重な態度を取ったのだろう。
 そして血の気の多い業界仲間を説き伏せるには、人望の篤いフーゴは適任である。協会が彼に目をつけたのは、当然の人選だとも思う。
 だが、だからといってリバーが納得出来るかといえば、それは全く別の話であった。
「それにしたって、いくらなんでも急すぎる」
 ようやくリバーが絞り出した抗議の声にも、フーゴは小さく頭を振った。
「お前にとって唐突な話だってのはわかる。だけど協会の要請を受けた時点から、俺はずっと考えてたんだよ。お前もそろそろ自分の宇宙船(ふね)を持って、貿易商人として独り立ちしてもいいんじゃないかってな」
「だって、じゃあテネヴェで引き受けた仕事はどうすんだ。ほっぽり出すのかよ、あんたらしくもない」
「そいつはお前が引き継いでくれ。もちろん報酬はお前のもんだ。リバー船長の初仕事だよ」
「ふざけるな」
 リバーの口調には怒り以外にももうひとつ、口惜しさが入り混じっていた。
 これまで貿易商人の師と仰いできた男からあっさりと宇宙船(ふね)を降りることを言明されて、その事実にこそリバーは衝撃を受けていた。フーゴ・ラッセルフという男は死ぬまで独立貿易商人であろうとするに違いないと、そう彼は思い込んでいたのだ。そのフーゴが躊躇いもなく愛用の宇宙船(ふね)を手放して、地上に腰を据えるという決断を下したことに、リバーは到底納得出来なかった。
 ただフーゴがここまで言い切る以上、彼に翻意を促すのは難しいということもわかっていた。フーゴはほかの同業者に比べれば紳士然としているが、一度決めたことを簡単に撤回しないという点は、誰にも勝る。この数年彼の一挙手一投足を見てきたリバーは、誰よりもそのことを理解している。
 結局リバーの胸の内に深く刻まれたのは、フーゴ・ラッセルフという男を偶像化してきた彼の想いが裏切られたという、やりきれない感情であった。
 その後フーゴに弟子入りさせてやれとビコを紹介されて、いよいよリバーは師匠から突き放されたと思わされずにいられなかった。『ボンバスティカ号』を買い上げる際にフーゴの申し出を無視して、協会からの融資を受けて市場の査定価格通りの金額を叩きつけたのは、せめてもの彼の意地であった。

「こんなに凄い景色だなんて、どれだけ見ても見飽きません」
 窓枠につかまって、船外に広がる光景に見入るハーレが感嘆の声を上げるのは、これで何度目だろうか。
「星明かりもひとつひとつ大きさも色も違うし、途方もない星雲が広がって見えることもあれば、まるで暗黒の闇もある。宇宙がこれほど表情豊かだとは思いませんでした」
「ちゃんとした旅客船なら、立派な展望室もあるんですけどね。ここの窓じゃ小さくて済みません」
 操縦席から振り返ったビコの言葉に、ハーレがとんでもないと首を振る。
「これ以上大きな窓から見たら、広すぎて目を回しそうです」
「僕たちこそブリッジにしょっちゅうお邪魔して、迷惑じゃありませんか?」
 ブライムが遠慮がちに尋ねると、今度はビコが大きく手を振った。
「あのコンテナ客室は外が見れませんからね。いつまでもあそこに籠もりっきりじゃ退屈でしょうし、全然構わないですよ。ねえ、船長?」
「ああ、そうだな」
 夫妻が窓に顔を寄せるその後ろで、会議卓に着席するリバーの返事は、まるで上の空だ。先ほど超空間航行を終え、自動操縦に入った宇宙船の監視をビコに任せて、リバーは会議卓上に展開したホログラム・スクリーンをひたすら睨み続けている。
 ミッダルトを発進した『ボンバスティカ号』が超空間航行を終える都度、ブライムはハーレの体調を確認した。既に宇宙空間に飛び出してから一週間以上が経つが、今のところハーレに宇宙線障害の兆候は表れていない。若干の宇宙酔いは見られるものの、概ね体調は良好である。
「オルタネイトの効果は予想以上です。この一週間、ハーレの体調は至って順調そのもの。この調子でいけば、船長さんにご迷惑をかけることもないだろうと言えますよ」
「そいつは良かった。ジャランデールまでようやく折り返しに来たところだからな。何事もないなら結構だ」
 ブライムの上機嫌な報告に、リバーは顔も上げずに相槌を返すだけであった。
「私たちが用意した金額では、まだ不足だったでしょうか?」
 眉間に皺を寄せてぶつぶつと呟いていたリバーが、ハーレの不安そうな声を耳にしてようやく顔を上げる。当座の資金繰りに頭を悩ませていることを見抜かれて、リバーはいささか自嘲気味の笑みを浮かべた。
「そういうわけじゃねえよ。ただ、頂いた前金は推進剤代やコンテナ代に消えちまったから、肝心の協会の登録料の支払いが後回しになったのがな。出来れば先に払っておきたかったっていう、まあこっちの都合だ」
「ジャランデールに着いたら、協会の支部から振り込めばいいじゃないですか」
 操縦席でコンソール上のモニタをチェックしながらのビコの言葉に、リバーが曖昧な表情で頷く。
「あいつの言う通り、俺の気にしすぎだ」
「最初からまとめてお支払い出来れば良かったんですが、残額は向こうで出迎えてくれる私の父が用立てしてくれることになってまして」
「わかってる。あんたが気に病むことじゃない」
 リバーは手を振ってハーレのこれ以上の謝罪を撥ねつけると、会議卓上にセットされていた端末棒(ステッキ)を拾い上げた。その動作と同時に、卓上に浮かんでいたホログラム・スクリーンが掻き消える。手にした端末棒(ステッキ)をベストの内ポケットに差し込んで、リバーは向かいに座る夫妻の顔に鳶色の瞳を向けた。
「ジャランデールで待つってことは、あんたの父親は入植者か。あんたたちもジャランデールに移住するつもりなのか?」
 その問いかけは、リバーにとってことさら重要性があるものではなかった。正直なところ、リバーはふたりの事情を必要以上に探るつもりはない。ただ彼らがジャランデールに伝手があるというなら、事前に仕入れた以上の現地情報でも聞けるかもしれないという、その程度のつもりで口にした話題である。
 だがリバーの質問にハーレはきゅっと口元を引き締めて、思った以上に真剣な面持ちで首を縦に振った。
「村全体で移住する予定です。そもそも私の村はミッダルトでも特に辺鄙なところで……どれぐらい辺鄙かというと、近くに中等院もない、教育はホログラム映像による通信講義で済まされるような田舎です」
「そいつはなかなかだな。しかし、そうか。そういうことか」
 どうやら彼女はこの歳になるまで己の体質に気がつかなかったらしいことを、リバーはずっと不思議に思っていたのだ。だがその理由が、彼にはようやく理解出来た。
「中等院に通ったこともないってことは、スタージアへの巡礼研修にも行ったことがないんだな。普通ならそのときにわかるはずだ」
「ええ。私がこの体質に気がついたのは、ほんの数年前のことです」
 小さく苦笑しながら、ハーレは話を続けた。
「村では主に畜産で生計を立てていましたが、最近は外縁星系(コースト)産の安い食糧に押されて生活が立ち行かなくなってきました。それならいっそ村ごと外縁星系(コースト)に移住してはどうかという話になったんです」
「なるほど」
 外縁星系(コースト)で発掘されたレアメタルに痛い目に遭わされたばかりのリバーには、他人事とは思えない話である。
「そこで移住先として選ばれたのが、外縁星系(コースト)の中でも入植が開始されたばかりのジャランデールでした。父はひと足先にジャランデールに向かって、村のみんなが移り住む先も決めてきたのですが……」
「そこであんたのその、N2B細胞欠損が発覚したってわけか」
 無言で頷くハーレの横で、ブライムが妻の言葉を引き取った。
「N2B細胞欠損があるのはハーレだけじゃありませんでした。八十人あまりの村民の内、程度の差こそあれ九人もの村民に欠損が認められたんです」
「なんだそりゃ。N2B細胞欠損てのは、そんなによくあることなのか」
「そんなわけがありません。だから僕もジェスター師も驚きました」
 N2B細胞がなければ、星間移動という宇宙空間での長時間活動には耐えられない。当然ながら彼女は治療を求めるが、どこの医院でも匙を投げられるばかり。途方に暮れた彼女が最後に飛び込んだのが、ドリー・ジェスターのいるミッダルト総合学院附属医院であった。
「僕たちもちょうど、オルタネイトの効果を実証するために治験者を探し求めていたところでした。そこで僕たちは無償でオルタネイトを提供し、ハーレたちからサンプルデータを得ることにしたんです。両者にとって絶妙のタイミングだったと思います」
「お互いの利害が見事一致したってわけだな。そいつは幸運なことだ」
 リバーが多少ささくれだった言い回しをしても、夫妻は平然としている。彼の言うような幸運は、誰よりもふたりが実感しているのだろう。そのことを改めて思い返しているのか、ブライムは感慨深げに言った。
「今回のこの旅でハーレの無事が確認出来れば、ミッダルトに残る村人たちも全員が安心して移住出来ます。そしてオルタネイトも正式に新薬として認められるでしょう」
「不治の体質と診断され続けて一時は絶望しましたが、今となってはブライムとも出会うことが出来たし、人生何がどう転ぶかわからないものですね」
 そう言ってハーレが心底幸せそうな笑みを浮かべる。彼女の微笑にあてられてむず痒くなったリバーは、思わず話題を変えた。
「それにしても住人の一割以上がその、N2B細胞欠損だってのは尋常じゃないな」
「研究室で調査を進めてますが、風土的な要因で変質した遺伝子が脈々と受け継がれてきたものと思われます。彼女の村はあまりよそと交流がなく、村内で血を保ってきたそうですから」
「聞けば聞くほど今どき珍しい一族だな。そんな閉鎖的な連中に、よくあんたみたいなよそ者が受け容れられたもんだ。言っちゃ悪いが学院の準導師なんて、いかにも警戒されそうなのに」
「それは……」
 ブライムは困ったように言い淀んで、妻の顔を見る。するとハーレは先ほどにも増して輝くような笑顔を見せた。
「船長さん、忘れてませんか? ブライムを口説き落としたのは私の方だってこと」
「ああ、そういえばそんなこと言ってたか」
「それにブライムは私たちのこの体質を治してくれた恩人です。父は確かに気難しい人ですが、彼のことは快く認めてくれました」
 得意満面なハーレの顔を、リバーはどうにも直視しづらかった。彼女の振る舞いは田舎育ちらしい純朴さといわれれば、理解出来なくもない。だがそれにしてもストレートな感情を臆面もなく表に出すところは、自分とはまるで正反対だ。
 そのくせ妙に他人の心の動きに聡いように思えるのは、リバーの穿ち過ぎだろうか。思わず嫌み混じりの言い回しが口を突いて出てしまう。
「まあ、旦那に準導師の地位をほっぽり出させる程だからな。大したもんだよ」
「それは違いますよ、船長さん。ハーレたちの移住は切欠のひとつではありますが、僕がジャランデールに移り住むことを決めた理由はほかにあります」
 彼の捻くれた性根を知ってか知らずか、ブライムもハーレも一向に気にした素振りを見せないのが、またなんとも言えない気分になる。リバーはほかの理由などどうでも良いとばかりに頭を掻くが、ブライムはそんな彼に畳みかけるように身を乗り出した。
「最終的に決め手になったのは、ジェスター師の言葉でした」
「ジェスター師って、あんたの上司だったんだろう? 患者に手をつけたのがばれて追い出されたのか?」
「違いますよ!」
 ブライムは大きく頭を振ってリバーの言葉を否定すると、まるで演説でもするように両腕を広げてみせた。
「『銀河系は広い、人類は拡散すべし』という、あの言葉ですよ。あの言葉を聞いて、僕はジャランデールへの移住を決めたんです」
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登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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