2-3-5 渦の中心

文字数 8,600文字



 アントネエフが常任委員長に就任して翌年、銀河連邦は大きな転機を迎えた。複星系国家三強のひとつであるサカの王が、公式にテネヴェを訪れたのである。
 建国当初よりスタージアと積極的に交流することで王制の権威を保ってきたサカだが、そのスタージアが銀河連邦に加盟してしまったために、国内で混乱が生じていた。銀河連邦におもねってサカを裏切ったスタージアとは決別すべしという革新派と、銀河連邦の存在を認めてもスタージアとの交流を保つべしという守旧派による対立が生じてしまったのだ。
 数年に及ぶ争いが決着したのは、ほかでもないアントネエフが常任委員長に就任したためである。
 現サカ王とは即位式以来友誼を深めてきたアントネエフはサカ国内でも知られた存在であり、彼が統べる銀河連邦であればということで国内世論は銀河連邦を認める方向へと傾いた。その結果がサカ王のテネヴェ訪問である。
 それまで複星系国家三強は銀河連邦と正式な交流を持たなかったが、ついにその一角が崩れることとなったのだ。
 銀河連邦はサカの承認を得ることで対外的にも公の立場を確保し、サカは今や国内の大勢を占める守旧派を納得させることが出来る。何より銀河連邦という巨大な市場に真っ先に食い込むことで経済的な恩恵を受けるメリットを、老獪なサカ王は良く理解していた。
 お互いの思惑が合致した末に実現したサカ王のテネヴェ訪問は、アントネエフにとっても格好のパフォーマンスの機会であった。
「遠くこのテネヴェまで、よくぞお越し頂きました。銀河連邦市民を代表してこのバジミール・アントネエフ、陛下のご来訪を謹んで慶び申し上げます」
 テネヴェのシャトル発着港に降り立ったサカ王を、常任委員長はそう言って長身を折り畳みながら出迎えた。彼の姿に感激したサカ王は、豊かに蓄えられた髭を震わせながらアントネエフの面を上げさせると、長年の親交を確かめ合うように抱擁を交わす。
 ふたりが親しげに抱き合う様子は連絡船通信を通じて銀河系中に報じられ、その映像を見た人々は複星系国家と銀河連邦の間に張り詰められていた緊張感の雪解けを予感した。
 連邦史上のみならずテネヴェ史上においても最上級の国賓を迎えたとあって、国内は一斉に歓迎ムードに包まれる。シャトル発着港から歓迎式典の会場となる迎賓館までの道程は、沿道にひと目サカ王の姿を見ようという群衆でひしめいた。オープン型のオートライドの後部座席に、アントネエフと肩を並べて座るサカ王が、押し寄せる人々に向かって鷹揚に手を振る。その度に湧き上がる歓声に見送られながら、ふたりを乗せたオートライドは迎賓館の敷地内に吸い込まれていった。
 サカ王が滞在中を過ごす迎賓館は、銀河連邦関連施設がひしめく連邦区に隣接した区画にある。歓迎式典をつつがなく終えた館内では、大広間で歓待の宴が催されていた。
「こうなるとエルトランザやバララトも、いずれ銀河連邦を認めざるを得ないだろうな」
 大広間の前室でシードルの入ったグラスを手にしながら、ロカはそう独りごちた。宴に参加するイェッタが会場内に入るのを見届けて、彼自身は前室で待機しているところだ。
「別に一緒に入っても、あなたなら誰も文句を言わないのに」
 イェッタはそう言ったのだが、ホスト側の評議会議員が秘書を伴って宴に参加するのは礼を失する、と言ってロカは断った。実態はイェッタの言う通りだろう。イェッタ・レンテンベリ自身が既に十分な存在感を放つ大物政治家としての地位を確立しており、彼女に常に付き従うロカ・ベンバも下手な評議会議員よりよほど影響力を持っている。
 ロカ自身はそんな評価に左右されることなく、あくまで主人であるイェッタの裏方に徹してきた。秘書は何を置いても主人を念頭に置くべしというという哲学は、キューサック・ソーヤに仕えていた頃から培われてきたロカ・ベンバのアイデンティティとも言える。
 だがイェッタの下で働くことになった当初、その哲学は大きく揺らがざるを得なかった。
 人の心を読み取る能力を持つという人物を主人に仰いで、いったい自分はどう振る舞えば良いのだろう。しかもイェッタは、かつて彼がキューサックの引退後に仕えようとしたディーゴ・ソーヤのパートナーであり、同時にその死に大きく関わった人物だ。ロカはキューサックの指示によってイェッタの秘書となったが、忸怩たる想いを抱えたまま彼女に従うのは、苦痛以外の何物でもなかった。
 そんな想いと決別するために思い出したのが、イェッタの中にディーゴが混じっているという彼女の言葉だった。
 イェッタや、彼女と《繋がる》というタンドラの中に、もしかしたらディーゴの面影を見出せるかもしれない。そう考えることで、ようやくイェッタに正面から向き合うことが出来たのだ。
 以来十年以上の付き合いの中で、イェッタやタンドラの表情や仕草、振る舞いの中にディーゴの名残を思わせるものを見かけたことは、実のところ一度もない。しかし今となってはむしろ、その方がロカにとっては自然な在り方なのだと言える。
 イェッタはイェッタだし、タンドラはタンドラなのだ。
 ふたりが《繋がって》いることは理解しているし揶揄することもあるが、実際に接する際には異なる人格として、今の今まで接してきたのだ──
 グラスを軽く呷り、小さく頭を振る。周囲を見渡すと、ロカと同じように主人を待つ人々の姿が何人も散見された。
 自分が今、余計な独り言を呟きかねない心境であることを自覚して、シードルの残ったグラスをテーブルの上に置き去りにしたまま、ロカはその場を離れた。迂闊なことを口にせずに済ませるのが一番だが、万一の場合にも周りに聞かれない程度の注意は払っておきたい。終宴にはまだ時間があり、しばらく建物の外にいたとしても問題はないはずだ。それにイェッタなら、自分がどこに居ようとも必ず突き止められる。少し夜風に当たってくる、と内心で呟いてから、ロカは迎賓館のロビーを通って外に出た。
 建物の外は既に陽も暮れて数刻経ち、周囲に広がるはずの見事な庭園も、せいぜい照明に照らし出された一部しか堪能出来ない。ロカは建物からあまり離れないようにしながら、その周縁に沿った小径をゆっくりと歩き出した。
 快晴だった日中に比べて、夕刻から曇り始めた空は、今やすっかり雲に覆われて星明かりのひとつも見当たらない。幸い、建物の中から漏れる灯りと庭園に配置された照明で、歩き回るには不自由はしなかった。ロビーの真裏、宴会場から大きく迫り出したテラスが目に入る辺りで足を止めたロカは、雲が低く押し迫る夜空を見上げて、小さくため息をついた。
 自身の精神状態が不安定である理由は、わかりきっていた。アントネエフの常任委員長就任から前後して、タンドラの体調が目に見えて悪化しているためだ。
 頭脳の働きに衰えは見えないものの、あの調子では遠からずモトチェアから再びベッドに戻ることになるだろう。タンドラは明らかに寿命を削り続けている。そんな彼女を見舞う度にロカの脳裏をよぎるのは、彼女たちと同じく《繋がって》いたディーゴの死に様ばかりであった。
 突然目を剥き、膝をついて苦悶の表情を浮かべて、文字通り断末魔の叫びを上げるディーゴを前にして、ロカに出来たことといえばただ狼狽えて、彼の絶命の瞬間までその名を呼びかけ続けることだけだった。
 タンドラは自らの肉体の衰えによって死に至るのかもしれない。そうなったとして、残されたイェッタはいったいどうなってしまうのか。ディーゴが絶命したときと状況が異なるのはわかっている。だがイェッタがディーゴと同じ道をたどらないという保証もないのだ。
 今度はイェッタの名を呼び続けるしか出来ないのだとしたら、ロカは己の運命を呪うしかない。
 暗い表情を浮かべたまま闇夜に溶け込んでしまいそうなロカの耳に、談笑する男たちの声がおもむろに飛び込んできた。
 頭を切り換えて顔を上げると、いつの間にかテラスにふたりの人影がたたずんでいる。目を凝らさずとも、窓明かりに照らし出されたふたりの容貌は十分に見て取れた。
 ひとりは豊かな髭の気品溢れる紳士、もうひとりはオールバックの金髪の堂々たる体躯の持ち主。今夜の主賓であるサカ王と、ホストのアントネエフのふたりだ。
 社交辞令に塗れた会話に飽いたのだろうか。いくら迎賓館の警備が厳重を期しているとはいえ、ふたり揃って会場を抜け出して屋外で語らうとは、彼らの長年の親交とやらはどうやら本物らしい。テラス席で会話を交わすふたりの横顔は思いの外リラックスして見える。
 さすがにこの場にのこのこと顔を出すのはばつが悪く、ロカはふたりから見えないであろう位置まで音を立てないようにして引き下がった。
 建物の角に隠れるようにして、だが来た道を戻るのではなく、そっとテラスの様子を窺い見る。両首脳のふたりきりの会話に立ち会うという貴重な機会を前にして、その場から引き返すという選択肢はない。
 といって耳をそばだててみても、ふたりの会話を聞き取るにはいささか距離が離れすぎていた。遠目に和やかに会話する様子を眺めても、彼らの胸中を察することなど出来るはずもない。それこそイェッタが得手にしていることだと思い当たって、ロカは自分の振る舞いが不意に馬鹿らしくなってきた。
 やがて建物の中から呼びかけられたのか、サカ王がアントネエフの側から離れて屋内へと姿を消す。後に残されたアントネエフは、右手にワイングラスを手にしたまましばらく夜の庭園を眺めていたが、その視線はロカが潜んでいた建物の角に向けられたところで停止した。
「そこに隠れているのは誰だ」
 武人らしい野生の勘は、常任委員長に就いても衰えていないようだ。ここで下手に立ち去ってもかえって立場を悪くすることを悟って、ロカはおとなしくアントネエフの前に姿を現した。
「……ベンバか。レンテンベリの秘書が、こんなところで隠密気取りか」
 アントネエフは当然ながら何度もロカと顔を合わせている。だが直接口をきいた回数は数えるほどしかない。彼がロカの名前を呼んだのは、もしかしたら初めてのことかもしれなかった。
「夜風に触れようと庭を散策していたところに、おふたりがテラスにいらっしゃるのを見かけました。邪魔をするのも憚れてつい身を隠してしまいましたが、お気に障りましたら申し訳ありません」
「主人に似て、よく回る舌だな。滑らかに言い訳出来るところまでそっくりだ」
 恐縮して頭を下げるロカに向かって、アントネエフが辛辣な言葉を投げかける。しかし常任委員長はそれ以上ロカを責めようともせず、黙ってテラスの手摺りに片手をついていた。
 このまま立ち去るわけにもいかず、ロカは頭を下げたままの姿勢で彼の声を待つ。だが次の叱責が降りかかる気配は訪れず、いい加減に痺れを切らしかけたその矢先に、常任委員長の呟くような声が耳に届いた。
「陛下とどんな話をしていたのか、聞きたいのだろう。教えてやるから近くに寄れ」
 ロカが顔を上げると、アントネエフは片頬に笑みを浮かべてこちらに目を向けている。
「いえ、そのようなつもりでは……」
「いいから、聞け。陛下は仰っていたよ。アントネエフは変わった、とな」
 否定しようとするロカをまるで意に介さず、アントネエフは語り始めた。
「私が陛下とお会いしたのはもう十年以上も前のこと、陛下の即位式で謁見したときだ。その頃の私は野心に燃え、自信に満ち溢れていた。この手で惑星同盟を牛耳り、やがては銀河系を手中にするつもりでいた」
 事実、手中にしたではないかと、ロカは声には出さないままその言葉を口にした。
 銀河系の全てをというには語弊があるが、銀河連邦常任委員長という地位には銀河系最高の権力者に匹敵する響きがある。それとも複星系国家三強を従えなければ、まだ満足出来ないのか。
「銀河連邦常任委員長に就いた今、その野望は達成されたものとお前などは思うだろう」
 ロカの内心を見透かすように唇を皮肉めいた形に歪ませて、アントネエフは言う。
「私もそう思っていたよ。常任委員長に就任したことで、私は銀河系の頂点に立ったのだと。ローベンダールも、イシタナも、そして私の目の前をあれだけうろちょろと邪魔し続けてきたテネヴェも、ついに屈服させたのだと」
 多少挑発的な口調も、不思議に嫌みには聞こえない。同じ銀河連邦内に属する者として、苦笑しつつ聞き流すことが出来た。アントネエフの語りを遮らないように注意しながら、ロカは彼の言葉に耳を傾ける。
「だが今、私が感じているこのもどかしさまではわかるまい」
 そう言って金髪の偉丈夫の視線は庭園よりもさらに高い、曇天の夜空に向かって注がれた。
「全てを支配しているという感覚ではないのだ。むしろ逆、全てに支配されていると言っても良い。常任委員長の就任式で宣誓した、銀河連邦に属するあらゆるものにこの身を捧げるというあの言葉は、まさに常任委員長という立場を評するのに相応しい」
 滔々と語るアントネエフの横顔は、ロカを意識しているようには見えなかった。たまたま居合わせたロカをつかまえて、ただ己の胸中を吐露したいだけ――少なくともロカの目にはそう映った。
「『銀河連邦市民を代表して』という私の言葉を聞いて、陛下はたいそう驚かれたそうだ。かつての私からは想像もつかない、銀河連邦という〝国〟に仕えているのだという印象を受けた、と。もはやスレヴィア第一だった頃のアントネエフではないのだ、と」
 そこまで吐き出してから、アントネエフは大きな口を真一文字に引き締めた。視線を夜空からロカに向けたその顔には、思いがけず穏やかな表情が浮かんでいた。
「今ならわかるぞ。お前たちが推し進めてきたこの銀河連邦とは、惑星同盟も独立惑星国家たちも、テネヴェすらも分け隔てなく巨大な存在に巻き込むことで、テネヴェを支配されることから守ろうとした、壮大な策だったのだと。喜べ、ベンバ。お前たちの策はこれ以上ないほどの成功を収めた。私もまた、言い訳出来ないほどに巻き込まれていることを認めよう」
 アントネエフの言葉から滲み出るのは、敗北感とも諦観ともつかない、ひょっとしたら銀河系の頂点に立った男にしか醸し出すことの出来ない余裕なのかもしれない。ロカは一歩前に踏み出して、テラスの手摺り越しに立つ金髪の偉丈夫を仰ぎ見た。
「恐れながら申し上げます。これまで私はテネヴェが何者にも、いえ惑星同盟に屈することがなきよう、微力を尽くして参りました」
 聞きようによっては無礼と罵られてもおかしくない台詞を口にするロカを、アントネエフはただ黙って見下ろしている。
「ですが我が主人レンテンベリは、閣下が常任委員長に就任される際にこう申しました。アントネエフ卿はもはや敵ではない。そろそろ仲間と呼んでも良い頃だと」
 アントネエフの眉がわずかに跳ね上がったが、それも一瞬のことであった。テラスの上から睥睨する偉丈夫の姿からは、かつての獰猛な気配に代わって王者の風格すら漂っていることを、ロカも認めざるを得ない。今のアントネエフなら、どのような諫言でも耳を傾けることだろう。
「閣下は銀河連邦に巻き込まれていると仰いましたが、それは我々も同じことでしょう。連邦に属する者の中で、もはやこの巨大な渦から逃れられる者はおりません」
 ロカの言葉を聞き終えたアントネエフは、唇の片端を微かに吊り上げながら、一度だけ頷いてみせた。
「渦とは言い得て妙だな。それも渦を引き起こした張本人のひとりに言われるとは、なんとも皮肉だ」
「恐縮です」
「まあ良い。ところで、同じく渦に巻き込まれた者同士として、ひとつお前に頼みがある」
 ふたりの間に張り詰めていた緊張感は、既に弛緩していた。アントネエフは、それまで片手を乗せるだけだった手摺りに肘をついて、おもむろに大きな身体を乗り出してくる。
 わざわざ自分に頼み込まなければならないようなことなのだろうか。ロカは当惑しながら尋ね返した。
「私の手に負えるようなことであれば良いのですが、どのようなご用件でしょう?」
「この連邦区に通うに適した、手頃な邸宅を探して欲しい」
 予想外の依頼を受けて、ロカは思わず首を傾げた。アントネエフを始めとする銀河連邦の要職者には、連邦区の敷地内にあるホテルの一室がテネヴェでの住居として割り当てられているはずだ。
「不動産ですか。ホテルを出てお住まいになられるのですか?」
「ホテルを出るのは私ではない。ピントンだ」
 アントネエフの口から出たのは、彼の腹心の部下の名前であった。
「ピントンはスレヴィアの家を引き払って、テネヴェに骨を埋めるつもりだそうだ。既に家人も呼び寄せている」
「ピントン事務局長が? テネヴェに永住されると?」
 驚きのあまり、ロカの声がやや大きくなってしまった。その反応にアントネエフが苦笑する。
「これもまた、お前たちが引き起こした渦がもたらした結果だ。ピントンも巨大な渦に巻き込まれて、ついにテネヴェへの移住を決意した。銀河連邦に死ぬまで尽くすことが、私への忠義を果たすことになると言ってな」
「それは……いや、任期を終えましたら、てっきりスレヴィアに戻られるものとばかり」
「驚いたのは私も同じだ。まさか奴がそんなことを言い出そうとは、思いもよらなかった」
 そう言うアントネエフの顔からは、一抹の寂寥感が窺える。
 イェッタとロカに比べるべくもない、長年の主従であることは周知の事実だから、彼がそんな表情を見せるのも無理からぬことであった。
「お前も知っているだろうが、あれは長いこと私に良く尽くしてくれた。せめて最後に相応しい住まいでも用意して報いてやりたい。お前ならテネヴェのそういった方面にも顔が利くだろう」
「……畏まりました。そういうことであれば伝手をたどって、当たってみましょう」
 ロカの承諾を確認して満足そうに頷いたアントネエフは、そのまま迎賓館の建物の中へと戻っていった。後に取り残されたロカも、アントネエフとのやり取りに随分と時間を取られてしまったことに気がついて、慌てて来た道を引き返す。
 建物沿いの小径を早足で歩く間、ロカは今し方アントネエフと交わした会話を反芻していた。
〝渦〟という比喩は深く考えて口にしたわけではなかったが、アントネエフの言う通り的確な表現だったかもしれない。
 イェッタとタンドラのふたりから発した銀河連邦という渦は、ディーゴもキューサックもヴューラーも巻き込んで、渦そのものを打ち消そうとしていたアントネエフすら逃れることは出来なかった。ロカ自身、その渦の流れに身を委ねている。この巨大な渦は今や銀河系人類社会を巻き込んで、今後の歴史に大きな影響を及ぼしていくだろう。
 それにしても、とロカは迎賓館のロビーにたどり着いたところで足を止めて、記憶を振り返る。
 まさかピントンがテネヴェに移住することになろうとは。しかも、あのアントネエフの言い様から推し量ると、ピントン自身の強い意志によるものなのだろう。もしかしなくとも、主人の反対を押し切った結果だということは想像がつく。少なくともアントネエフは、ピントンがテネヴェに残ることを望んでいるようには見えなかった。
 いったい何がピントンをそこまで突き動かしたのか。優秀な実務家として銀河連邦に携わっている内に、その巨大な渦に巻き込まれて、中心にまで達してしまったのだろうか。
 彼がテネヴェに残って銀河連邦に関わり続けるのであれば、連邦にとってプラスであることは疑いようもない。連邦に貢献することが引いてはスレヴィアへの貢献に繋がり、主人アントネエフへの忠義を果たすことになるという理屈も、わからないでもない。
 だが渦の中心にいるのは、イェッタであり、タンドラだ。ふたりとピントンがたとえ敵同士ではなくなったのだとしても、長年忠義を尽くしてきた主人との距離を置いてまで、テネヴェに止まり続ける理由があるのだろうか。 
 そう、渦の中心はあくまであのふたりなのだ。
 手に届くあらゆるものを巻き込んで、中心にたどり着いたものはきっと呑み込んでしまう。呑み込まれたヒトはどうなってしまうのか、ロカはよく知っている。まだ渦が生まれたばかりの頃に呑み込まれて、見違えてしまった人物の記憶を、忘れるはずがない。
 ロビーで立ち尽くしたまま、前室の向こうに見える大広間の扉に視線を向ける。豪奢な装いが施された大きな扉の向こうでは、間もなく宴が終わりを告げる頃合いだった。
 やがて扉が開いて、出会ってから十年以上を経てもなお美しさを保つロカの主人が顔を見せるだろう。
 彼女は美しいだけでなく、彼が胸中に思い描いたことなど全てを見通してしまう、異能力の持ち主だ。今、ロカがひとつの結論にたどり着いてしまったことも、きっと彼女にはもうとっくに知られている。
 だとしたら彼は、どんな顔をして彼女を出迎えれば良いのだろう。
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登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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