2ー1ー6 開眼

文字数 8,195文字

 アントネエフの家は元々、独立惑星国家だったスレヴィアの一地方領主に過ぎなかった。だがスレヴィアを含む十の独立惑星国家がローベンダール惑星同盟を結成し、その結果同盟戦争が勃発すると、当時の当主アイヴァンは一軍を率いていち早く戦場に馳せ参じた。以後アイヴァンは常に最前線に立ち続け、特に同盟戦争中最大規模の会戦だったダレグリーズ星系での戦いでは、彼が率いる一軍の活躍が同盟軍の勝利を決定づけた。一連の功績を認められたアイヴァンは、戦後のローベンダール惑星同盟内でも有数の実力者としての地位を得る。
 バジミール・アントネエフはアイヴァンの孫に当たる。長じるにつれて祖父の面影が色濃くなった容貌以上に、彼の資質は紛れもなく祖父の血を受け継いだ、武門の育ちであることを示していった。
 戦後のローベンダール惑星同盟が新たに組み込んだ独立惑星国家は五つあるが、最近のふたつはアントネエフが主導したものだ。ただいずれも軍事力を前面に押し出して強引に屈服させた結果であり、加盟に持ち込ませたものの反対勢力の活動が後を絶たない。版図の拡大という成果はその統治の困難さと相殺され、アントネエフの評価は必ずしも芳しくなかった。
 アントネエフが新たに攻略に取りかかったテネヴェは、開拓当初こそバララトの支援を受けているもののその後の影響は希薄で、抵抗される要因は少ないと見られていた。なおかつ第一次産業を重視し輸出できるほどまで発展させた国力は、軍事力重視の余り国内産業が追いつかないローベンダールにとって非常に魅力的だった。
 この星を下すに当たって、アントネエフはこれまでとは異なり交渉主体の方針で臨む。
 極力テネヴェの実力を損なわぬまま、丸ごと同盟に取り込むことが国益となる。何より彼自身、力業ばかりではない、政治力を備えていることを内外に示す必要があった。
 だが今のところ、その方針が目に見える成果をもたらしているとは言い難い。
「アントネエフ卿は先日、テネヴェのソーヤ市長と相見えたそうだが」
 ローベンダール惑星同盟の最高決定機関である加盟国代表会議で、独り言のように発せられた言葉は、一瞬にしてその場の空気に緊張感をもたらした。お互いの表情を探るような無言の目配せが交わされる中、当のアントネエフは顔色ひとつ変えずに発言者へと目を向ける。
「サカ王の即位式でたまたま鉢合わせただけです。立ち話程度の会話は交わしましたがね」
「武門のアントネエフ卿がここのところ、祖霊祭やら即位式やら頻繁に出席されるようになったな。腕っ節以外も身につけられようとされているのなら、結構なことだ」
 皮肉を隠そうともしない発言者は、同盟の名に冠される惑星ローベンダールの代表、ドーロ・ブリュッテル。一本の髪の毛も見当たらない剃髪に、削ぎ落とされたかのように痩けた頬と、落ち窪んだ眼窩の奥にガラス玉の如き瞳を持つ老人だ。
 アントネエフが代表会議入りした時から変わらぬ幽鬼のような男は、アントネエフが率いるスレヴィア派と同盟の主導権を争う勢力のひとつ、ローベンダール派の首魁でもある。
 ブリュッテルは若かりし頃から実際に同盟戦争を戦った世代の生き残りであり、戦後半世紀に渡って同盟を導いてきた重鎮だ。齢は九十を超えるはずだが耄碌する気配も見せず、権力の中心に居座り続けてきた。
 彼の巨大な実績は、代表会議における発言でも、他に比類ない重さを持つ。
「それでソーヤ市長との立ち話で、なんぞ実りはあったかな」
 老人の問いに、アントネエフは努めて平静に答えた。
「そうですね。我々に隠れてこそこそと進めていた惑星開発計画とやらが失敗して、連中ののらりくらりもそろそろ限界のようです」
「ほう」
「次のテネヴェ議会では、惑星同盟への加盟の是非が問われることになるでしょう。ここまで来れば、テネヴェの加盟もそう遠いことではないかと」
「それは重畳」
 節くれ立った両手の指を組み合わせたり開いたりしながら、ブリュッテルはもっともらしく頷いた。
「貴卿がテネヴェの加盟工作に取りかかってから、既に二年を費やしている。そのことを思えば、あと一年かかったとしても大した未来ではないな」
 ブリュッテルの奥歯に物が挟まったような物言いに、アントネエフが口角をわずかに歪ませる。
「来月にはテネヴェの臨時議会が招集されます。結論が出るのに、一年もかかることはないでしょう」
「私が懸念するのは、その臨時議会が招集されないまま、来年までやり過ごされてしまうのではないか、ということだよ」
 そう言って老人のガラス玉のような瞳が、目を見開いたアントネエフの顔に向けられる。金髪の偉丈夫はそれ以上の動揺を見せることはなかったが、反論する声音は明らかにトーンダウンしていた。
「……そのようなこと、議会が納得するとは思えませんが」
「なに、老人の戯れ言よ。そんなに恐ろしい顔をするものではない」
 ブリュッテルはアントネエフから視線を逸らし、代表会議の列席者の顔ぶれを見回した。誰も彼も、ふたりの会話に巻き込まれないように無表情を貫いているか、もしくはふたりの視界に入らないよう身を縮込めている。老人はしばらく彼らの顔を無言で眺めて後、低い、だが確実に列席者の耳に入るような声で独りごちた。
「老い先短い身としては、願わくばテネヴェを手中に収める日を迎えたいものよ」
 老人の当てつけがましい嘆息を、アントネエフは無言で聞き流す。だがテーブルの下では両膝に置かれた厳つい拳が、今にも震え出さんばかりに握り込められていた。

「あと一年だ」
 キューサックはそう言って、モトチェアの向きをゆっくりと左に回転させた。
 重厚な窓枠に嵌め込まれた大きな窓に、年季の入った皺が刻み込まれた市長の顔が映し出される。窓の外は既に夜の帳に覆われて、そこに見えるはずの丘陵も、その向こうに広がるはずの木々も、黒々とした輪郭だけをぼんやりと浮かび上がらせていた。
 彼がこの時間にヴューラーの別宅に集うのは、既に何度目になるだろう。
「アントネエフには次の議会まで結論を待つよう、言質を取った。それまでに我々は、銀河連邦構想の実現――少なくともその入口にまでたどり着かねばならん」
「一年って、もしかして臨時議会を招集しないつもり?」
 ソファに長身を横たえながら尋ねるヴューラーの口調には、非難めいた響きがある。
 テネヴェの市民議会は毎年半年間に渡って招集される定例議会のほか、不定期招集の臨時議会がある。といっても実際には定例議会終了後の翌月には招集されるのが常で在り、当たり前のように議会日程には組み込まれている。
 その臨時議会を、キューサックはあえて招集しないというのだ。目的はもちろん、アントネエフの要請への返事を引き延ばすためである。
 彼女の向かいの席で脚を組んでいたディーゴが、取り繕うような笑みを浮かべた。
「不満を持つ議員も多いだろうが、なに、グレーテなら抑え込むのも容易いだろう?」
「簡単に言わないでちょうだい」
 ヴューラーの大きな目に睨まれて、ディーゴは大袈裟に肩をすくめる。
「仕方ないだろう。ほかの独立惑星国家を説得するには、一年でも全然足りない」
 そう言ってディーゴはワインの入ったグラスを軽く傾けた。目の前のテーブルの上には、ヴィンテージものであることを示すラベルが張りついたボトルが封を切られている。すっかりこの屋敷に通い慣れてしまったディーゴは、ヴューラーに断り無く秘蔵の酒を口にするのも気兼ねしない。
「ディーゴの言う通りだ」
 キューサックは再びモトチェアを回転させてふたりに向き直った。眉間にくっきりと浮かび上がる縦皺が、ひときわ深い。
「他国の首脳陣には打診しているものの、反応は薄い。サカ王の即位式でも列席者にそれとなく声をかけてみたが、多少でも乗り気を見せたのはチャカドーグーの首相ぐらいだった」
「あそこは私たち以上に同盟の圧力を受けているからね。藁にも縋りたいところでしょうよ」
「やはりテネヴェが主導する形では、思うように賛同者も集まらん」
 深くため息を吐き出すキューサックの顔に、やや疲れが見える。ヴューラーとディーゴに説き伏せられたとはいえ、銀河連邦構想を首肯したのは彼自身だ。だがなかなか好転しない状況下では、経験豊富なキューサックであっても疲労感を拭えなかった。
 銀河連邦というアイデア自体は、実はさして珍しいものではない。
 古くはスタージア初の初期開拓団によって、最初の入植先である惑星エルトランザが切り拓かれた頃から、既に将来的な人類社会の理想型のひとつとして語られてきた。後に開拓の拠点となったエルトランザからはさらに多くの開拓団が旅立ったが、彼らがエルトランザをリーダーとして仰ぎ続けたのであれば、いずれ銀河連邦の雛形が形成されていっただろう。
 だが実際には多くの開拓団が、それぞれの入植先で独立した国家の形態を取る。
 様々な事情があるが、最大の要因は距離であった。エルトランザを含めて、それぞれが有機的に連動するにはあまりにも距離が遠すぎたのである。
 近隣の星系に入植可能な惑星が見つかることはごく稀な話であり、その稀少なケースを活かして複星系国家へと発展したのがエルトランザ、バララト、サカであった。その後宇宙船の性能が向上し、開拓初期ほど距離に悩まされなくなった頃には、既に三つの複星系国家とその他大勢の独立惑星国家という図式が出来上がってしまっていた。
 そういう意味でローベンダール惑星同盟という国家は、銀河系人類史上でも異色の存在である。既存の独立惑星国家たちが手を取り合い、複星系国家に抗って初めて主権を確立したのだ。
 それまでも航宙権や通商権益を巡っての争いはあったが、既存の枠組を覆すまでに至ったのはローベンダール惑星同盟が初めてである。
 それは銀河系人類社会が新たな段階を迎えたことを、人々に否応なく認識させる出来事であった。
「銀河連邦は今や夢物語でもなんでもない。独立惑星国家たちによる共同体の可能性は、それこそ惑星同盟自身が証明している」
 ディーゴがそう言うのも、あながち的外れな話ではないのだ。
 だがこのままでは埒があかないのもまた事実である。銀色の薔薇を象った、豪奢な飾りをまとうベープ管の先を無軌道に振り回しながら、ヴューラーの表情は険しかった。
「私たちが思った以上に見くびられた存在であることはよくわかった。ならばこの際、銀河系で最も影響力がある者の力を借りるしかないでしょう」
 寝そべったままの姿で市長の顔を横目で見返しながら、ヴューラーはベープ管の吸い口を咥えた。軽く吸って吐き出された煙が、彼女の派手な顔立ちを覆う。
「だからスタージアを頼るというのか」
 白煙に隠し立てされたヴューラーの顔に向けられた、キューサックの視線には渋い表情がたたえられていた。
「連中の影響力は疑いようもない、だがいかんせん遠すぎる。そもそも長年辺境に引きこもり続けて、信仰と知識を集めるばかりだった連中をどう説き伏せる?」
「だったらその信仰と知識の安定供給を保証してやればいい。連邦が成立した暁には加盟各国にスタージアへの巡礼を義務づけるとか、いくらでも交渉のやりようはあるわ」
 スタージアを引き込んで、彼らの口から銀河連邦の結成を呼びかけさせる。そうすることで局面を引っくり返そうというのが、ヴューラーの主張である。
「むしろ惑星同盟を内から切り崩して味方につけるなんて、その方が非現実的だわ。一歩間違えれば、奴らの版図拡大に手を貸すだけになりかねない」
 惑星同盟内の派閥対立を利用すべしとはキューサックのかねてからの持論であるが、その考えにヴューラーは懐疑的であった。
「あと五年、いやせめて三年あればその手も有効でしょう。でもあなたが言った通り、私たちに残された時間は少ない。ここは一手で逆転出来る可能性に賭けるところよ」
「銀河連邦が成立したとしても、惑星同盟勢が一定の力を持ち続けることは疑いようもない。そうであれば早い段階から手を打つべきだろう」
 スタージアの影響力を利用して一息に銀河連邦構想を推し進めようというヴューラーと、惑星同盟とのコネクションを築いて内部から抑えようというキューサックの意見は、何度も平行線をたどっている。
 そしてディーゴはこの期に及んで、未だ己の意見を明言していなかった。
「どっちにしても、相手を口説き落とす材料ってのに欠けるんだよなあ」
 このところの会合でディーゴは何度も同じようなことを呟きながら、酒を呷り続けるばかりである。
 ただその瞳は決して酒精に濁っていないことに、キューサックは気がついていた。それどころか今夜のディーゴの目には、何かしら含むものが見え隠れする。
「お前からは何か言うことはないのか」
 堂々巡りから抜け出そうと呼びかけた父に、ディーゴは傾けたワイングラスを透かしながら目を向けた。
「親父がスタージア案に反対する一番の理由は、距離が遠すぎるってことだよな」
 赤味が差した息子の顔を視界の端で見返しながら、キューサックは憮然とした顔で頷いた。
「片道二ヶ月近くかかるような遠方にある星と手を取り合うには、少なくとも共同体の創立時期には無理がある」
「対してグレーテの言い分は、惑星同盟を内から引っ搔き回すには時間が足りないと」
「そうよ」
 ベープ管を咥えたままのヴューラーは白々とした顔つきで答えながら、唇の端から白煙を吐き出した。
「市長の手腕を疑うわけじゃないけど、一年やそこらで同盟を切り崩すのはいくらなんでも難しい」
「なあ、どうせ力も無い、時間も無いの無い無い尽くしなんだ。だったらいっそ両方試してみないか?」
 そう言ってディーゴは飲みかけのワイングラスをテーブルの上に戻すと、さながら真打ち登場といった面持ちで、おもむろに一人掛けのソファから立ち上がった。自然、モトチェアに腰掛けたキューサックと、ソファに横たわるヴューラーは、彼に見下ろされる形になる。
「今夜の俺はアルコールの回り具合が絶妙だ。さすがヴィンテージものは違うな。酔うどころか頭が冴え渡る」
 ふたりから仰ぎ見られる格好で、ディーゴは口角の右側だけ微かに上げてみせた。
「スタージアは確かに遠い。俺も二ヶ月近い船旅には辟易させられた。だけどあれは物理的な距離だけの問題じゃない。有人星系を通過する度に喰らう各国の審査をすっ飛ばせれば、少なくとも時間的な距離は相当短縮出来るはずだ」
 キューサックの片眉がわずかに跳ね上がる。だが父の表情の変化を気に留めることなく、ディーゴはゆっくりと己の両手を持ち上げると、その掌を見つめながら語り続けた。
「今まで曖昧だった銀河連邦のあるべき姿がやっと見えてきたんだよ。銀河連邦の骨子は加盟各国間の航宙の確保だ。域内の航宙路の安全を確保し、こいつを安定して運用することで、移動に伴う面倒は大幅に省略される。それこそが連邦の要だ」
 ディーゴの頬が紅潮しているのは、アルコールによるものだけではない。口にするまでの時間までもがまだるっこしいのか、彼の喋り口は徐々に早口になっていった。
「自由な航宙が確保出来れば、通商活動も活発になる。可能な限り関税は撤廃しておきたいな。そうなれば域内の経済が活性化し、銀河連邦全体が大いに発展していくだろう。そしてこれら全てを守る安全保障体制も必要だ」
 いつしかディーゴはモトチェアとソファとテーブルの間を忙しなく歩き出していた。いったい誰に向かって話しかけているのか、時折り「そうだ」「いや」などの独り言が混じる。その様はまるで頭の奥底で固く詰まっていた栓が抜けたかの如く、次々と湧き出すアイデアそのままに銀河連邦の具体的な姿が紡がれていく。
 キューサックはわずかに目を見開いて、ヴューラーはついにソファから半身を起こして、徘徊するディーゴの姿をただ視線で追うばかりだった。
「スタージアに協力を取りつけつつ、惑星同盟への工作も並行して進めるんだ。奴らを上手いこと連邦に取り込んだとして、その後連邦を好き勝手にされたんじゃ意味がない。少しずつでいいから奴らの力を削ぎ落として……そういうのは親父の十八番だぜ」
 そこまで言って足を止めたディーゴは、ようやくキューサックとヴューラーの顔を見返した。半ば唖然としたふたりの顔を見比べながら、ディーゴは自身のこめかみを二、三度突いてみせる。
「ここ数日ふたりの話を肴に美味い酒を堪能できたお陰で、俺の頭の中にはついに銀河連邦構想の具体的な形が出来上がった。こいつを草案に起こせばスタージアだけじゃない、ほかの星に対しても格好の口説き文句になる」
 応接間の中央にそう言い切ったディーゴは、テネヴェの最高権力者たる市長と、市民議会最大会派を率いる領袖を間違いなく圧倒していた。
 それはこれまでの彼の人生で、最も自信に満ち溢れた瞬間でもあったろう。
 少なくとも彼が口にした〝銀河連邦のあるべき姿〟は、キューサックとヴューラーの脳裏に確実に刻み込まれることとなった。
「その草案を仕上げるのに、どれほどの日数が必要だ」
 仁王立ちのディーゴに、キューサックの問う声が投げかけられた。その声に応じたディーゴの顔は幾分落ち着いたのだろう、熱に浮かされたのかのような興奮は既に収まっている。
「そうだな、十日……いや、一週間あれば」
「五日で仕上げろ。そしてその草案を携えてディーゴ、お前がスタージアを説得してこい」
 キューサックの表情からも、息子の変貌を前に隠しきれなかった驚きは、既に拭い去られている。然るべき指示を下す指導者の顔で、キューサックはディーゴに指先を向けた。
「私もヴューラーも、四ヶ月もテネヴェから離れるわけにはいかん。この中で最も身軽なのはお前だ。ほかにおるまい」
 己に向けて突き出された骨張った指先から、キューサックの皺だらけの顔へと視線を移して、ディーゴは得心の笑みで頷いた。
「承った。早速、今から草案の作成に取りかかる」
「任せたぞ」
 父からの、初めて全幅の信頼を寄せた言葉を背に受けながら、ディーゴはあっという間に応接間を飛び出していった。
 補佐官の背中が応接間の扉の向こうに消える。残されたふたりはその様子を見送ってからも、しばらく無言だった。ヴューラーがベープの煙と共に口を開いたのは、しばらくしてからのことであった。
「面白い男ね。やる気がないのかと思えば、突然目が覚めたように捲し立てる。昔からああだったの?」
「いいや。あなたの知る通り、生粋の穀潰しだ」
「その割には迷いなく大役を命じたように見えたけど」
「ふん」
 ヴューラーに指摘されて、キューサックはしかつめらしく鼻の頭を掻く。
「言った通りだ。他に任せられる者もいないだろう」
 その様子をヴューラーは愉快そうな目つきで眺めていたが、次に発せられた言葉は表情とは裏腹に冷静だった。
「テネヴェの命運は、あなたの息子に託された、というわけね」
「不服かね?」
 市長の言葉を、ヴューラーは嘲るかの如く「まさか」と一蹴する。
「そもそも彼の発案に、私もあなたも乗せられてここまで来たのよ。今さらケチをつけるつもりはないわ」
 褐色の肌色が覗く長い脚を組み替えて、ヴューラーはソファに深々と身体を預けた。
「この男に未来を賭けてみるのも悪くない――そう思える程度には、私もあなたの息子に期待している。跡取りがようやく目を覚ましたようで、あなたも少しはほっとしているんじゃない?」
 そう言ってヴューラーが突きつけたベープ管の先で、銀色の薔薇が鈍い輝きを放つ。キューサックは薔薇の輝きに一瞥をくれると、再び「ふん」とだけ唸って、窓越しに屋敷の外へと顔を向けた。
 緩やかに降る丘陵の斜面に引かれた一本道を、ディーゴが乗るオートライドが走り去っていく。その明かりが木々の合間に隠れて見えなくなるまで、キューサックの目は窓の外に注がれ続けていた。
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登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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