2ー1ー4 暗躍する補佐官

文字数 5,078文字

 ロカ・ベンバの曾祖父母はテネヴェの第一次開拓団の一員としてこの星に降り立ち、人の手の入らない土地を切り拓くことに一生を捧げたという。そのふたりの間に誕生した祖父は、テネヴェで生まれ育った最初の世代に当たる。
 開拓初期のテネヴェにおいて、ベンバ家が従事したのは主に鉱山開発である。
 テネヴェの開拓団は入植当初こそバララトの支援を受けていたが、間もなく同盟戦争が勃発すると支援元のバララトには全く余裕がなくなってしまう。惑星の気候調節自体は入植前に完了していたため、人口を賄うだけの最低限の食糧生産は果たせていたが、社会インフラ設備を充実させるための資材が圧倒的に不足していた。土木建築用の機材や加工用の大型現像機(プリンター)は貸与されたままとなっていたものの、その後支援されるはずだった資材が途絶えてしまったのである。よって惑星そのものから資源を調達するしかなかった。
 その一環として鉱山開発も活発となり、ロカの祖父たちもその中で働いていた。
 入植後に生まれた祖父を取り巻く環境はお世辞にも恵まれたものとは呼べなかったが、生まれた時からその環境で育ってきた祖父にとっては当たり前のものでしかない。幼い頃から両親を手伝い、十代になるかならない頃にはひとりでロボットを操作したり、時には自ら重機を操縦している。成人する頃には既にひとかどの鉱山開発技師として、周囲にも認められるようになっていた。
 やがて妻を娶り、三人の子を儲けて、開拓地で生まれ育った男に違わず力強く地に足のついた人生を送っていた祖父は、四十歳を迎える直前に事故に遭う。祖父が監督する鉱山のひとつで落盤事故が発生し、その救助に当たっていた際の二次災害に巻き込まれたのだ。
 最初の落盤事故を含めて死者こそなかったものの、重軽傷者三名。内一名の重傷者が祖父であった。この事故で祖父は右腕を二の腕の先から切断し、現場から退くことになる。
 ロカが物心ついた時から、祖父は右腕のないままの姿であった。まだ幼かったロカは、当時後進技師を育成する指導官だった祖父に、どうして義手をつけないのかと尋ねたことがある。すると祖父はしばらく唸った後、「《オーグ》にならないためだ」と答えた。
「《オーグ》?」
「機械というもんはヒトがヒトのために生み出した、とてつもなく便利な道具だ。俺も鉱山を掘り出すのに散々世話になった。しかし機械に自分の身体まで呑み込まれちまうと、いずれ自分と機械の境目がわからなくなっちまう。その境目を見失うと、ヒトは《オーグ》になる」
「《オーグ》になるとどうなるの?」
「ヒトじゃない、別のもんになる」
 祖父は幼少のロカにどう説明するべきか、考え考え口を開いた。
「大昔に《星の彼方》に住んでいた俺たちのご先祖は、自分たちが生み出した機械にどんどん呑み込まれていって、やがてそのほとんどが《オーグ》になっちまった。そして《オーグ》になることを拒んだわずかな人々を《星の彼方》から追い出したんだ。今銀河系で暮らす人々は皆、《星の彼方》を追い出された人たち――《原始の民》の子孫だ。誰も彼も、機械と繋がろうと思う者はいない」
「でも、義手や義足の人はたまに見かけるよ」
「そうだな。義手をつけた程度で本当に《オーグ》になるわけじゃない。だからこれは、俺の心構えってやつだ。たとえ右手をなくそうと、機械と繋がるつもりはないぞってな」
 肩の先に短く生えた、だが丸太のように太い右腕を振って、祖父は笑った。
「俺たちは機械なしに生活することなんて出来ん。だがな、その便利さに溺れると《オーグ》になる。あれは利用するもんであって、繋がるもんじゃない。お前もそこんところをよくわきまえて、上手に機械を使いこなせ」
 ロカにはまだ難しかったかな、そう言って祖父に髪の毛をくしゃくしゃにされたことは憶えている。厳しくも優しかった祖父はその会話の三年後、肺炎をこじらせて息を引き取った。
 ベンバ家の中でも学業優秀だったロカは、長じてセランネ区の法学院を卒業後、テネヴェ市政府の職員となった。主に議会運営の調整役を務めていたロカは、そこでの働きぶりが市長になったばかりのキューサックの目に止まり、秘書に招かれる。ロカもまたキューサックの人物に触れて招きに応じ、以来彼の忠実な片腕として十年余りを過ごしてきた。
 だが足腰に不安を感じたキューサックが二年前、モトチェアを使用するようになった時、ロカは自分でも驚くほどのショックを受けていた。
 そのショックの原因を探れば、義手を拒んだまま片腕で生涯を終えた祖父にある、ということに思い至る。
 自分の中に《オーグ》への嫌悪感が染みついているということに、ロカは今さらながら気がついた。機械に囲まれ使いこなしつつ、機械と一体となることからは一線を引いていた祖父と、モトチェアによる補助を躊躇いもなく求めたキューサック。ふたりともロカにとっては尊敬に値する人物だが、同時に決定的な違いもあるのだということを、まざまざと知る。

 今まさにモトチェアに揺られながら、キューサックは市長官邸の執務室を出たところだった。斜め後ろに控えながらキューサックの後を追うロカの目に、官邸の玄関ホール中央に立つひとりの人物の姿が映る。
 痩せぎすな中背に黒髪をなでつけたやや面長の顔は、よく見慣れたディーゴ・ソーヤのそれであった。
「ご機嫌麗しゅう、市長閣下。少しばかりお時間をいただきたい」
 ディーゴは芝居がかった言い回しと共に、仰々しい仕草で頭を下げた。モトチェアを止めたキューサックが眉をひそめる。無言の市長に代わって、ロカが尋ね返した。
「市長はこれから現像工房組合との会合が入ってる。別の機会にしてもらえないか」
「組合のお歴々との会食ね。あれはもうキャンセルしといた」
 なんでもないような口調で、ディーゴはさらりと言い放った。今度はロカの右眉がぴくりと跳ねる。相手はテネヴェの経済界を代表する有力団体だ。軽々しく扱って良い相手ではない。
「お前にそこまでの裁量を与えたつもりはないぞ。どういうつもりだ」
 明らかに不機嫌な声音で、キューサックが問い質す。するとディーゴはおもむろに腰を屈めてモトチェアに座るキューサックと視線を合わせると、ずいと顔を突き出した。
「大事な話があるんだ。顔を貸してくれ」
 それまでの軽薄な調子が一変して、父に向けられたディーゴの眼差しは真剣だった。
「引き合わせたい相手でも居るのか、誰だ」
「市民議会最大会派の領袖、グレートルーデ・ヴューラー」
 予想だにしない人物の名前を耳にして、キューサックはさすがに目を丸くする。
「……お前、あの女と面識があるのか」
「俺も先週、初めて顔を合わせたばかりだ。だがそんなことはどうでもいい。親父と非公式に会うことについては、ヴューラーにも承諾を得ている」
 目を見開いていたのは、キューサックの後ろで控えるロカも同様だった。唐突な振る舞いといい、口にする内容といい、目の前のディーゴはこの十年間で初めて見る姿だ。だがディーゴはロカの驚愕などまるで無視し、畳みかけるように父の説得を続ける。
「先ほど向こうから、今から三十分後に一時間だけなら時間が取れる、と連絡があった。親父もいい加減、ヴューラーと膝つき合わせて話すしかないとわかっているだろう。組合の皆様には申し訳ないが、この機を逃すわけにはいかない」
「……あの魔女以外に同席する者はいるのか」
「いない。親父とヴューラー、それに俺の三人だけだ」
 父子がほとんど睨み合うようにして向き合う間に、張り詰めた空気が流れる。だがそれもほんの一瞬のことだった。モトチェアの背凭れに寄りかかりながら、キューサックは溜息交じりに口を開いた。
「よかろう、ヴューラーと会う。案内しろ」
「市長、よろしいのですか。いくら補佐官の口添えがあるとはいえ、相手はあのヴューラーです。なんの準備もなしに会談に臨むのは、いささか性急では」
 当然の懸念を口にするロカに対して、キューサックが振り返って見せた目には、諫言を許さない光が宿っていた。ロカもそれ以上口を開くような真似はせず、キューサックと共に黙ってディーゴの後に付き従っていく。
 三人が乗る市長専用のオートライドが向かった先は、セランネ区の郊外に広がる森林地帯の、ところどころに点在して盛り上がって見える小高い丘の上に立つ一軒家だった。広大な敷地を囲う外壁の唯一の入り口である門を通過して、なお数分後にたどり着いたのは、広さはあるが意外なほど質素な外観の平屋建ての屋敷である。その玄関前にたたずんでいた人影は、オートライドの光を見つけてこちらに顔を向けた。
「お待ち申し上げておりました、市長閣下。ヴューラー議員はこの中でお待ちです」
 モトチェアの自動姿勢制御によって着地音もなしにオートライドから降りたキューサックを見て、イェッタ・レンテンベリが深々と頭を下げた。キューサックは彼女の顔を一瞥しただけで何も言わず、その前を通り過ぎていく。ディーゴとロカがその後を追うと、イェッタも三人に続いた。
 玄関をくぐると外見同様に質素、というよりは重厚な内装が施された小ホールが広がっていた。奥の応接間に至る前室なのだろうが、それにしてはゆったりとくつろげるだけのスペースがある。そこで三人を待ち構えていたのは、褐色の肌を真っ赤なドレスに包んで見事なコントラストを身にまとった、この家の女主人だった。
「ようこそ、我が別宅へ。歓迎するわ」
 長身を誇るように背筋を伸ばしたグレートルーデ・ヴューラーが、両腕を広げて客人を出迎える。そこで初めて市長は口角を上げた。
「お招きに預かり光栄だ。こんな素敵な別宅を所有されているとは、議員もなかなか趣味が良い」
 市長の言葉に続いて、ディーゴが頭を掻きながら口を開く。
「遅くなって申し訳ないね、グレーテ。これでもパイプ・ウェイをかっ飛ばしてきたんだが」
「いいのよ、ディーゴ。急に呼び出したのはこちらなのだから、気にしないで」
 ファースト・ネームを呼び合うふたりを見て、ロカは驚きを隠すのに苦労した。モトチェアの上でわずかに頬を動かしたキューサックを見て、ヴューラーが微笑を向ける。
「あなたの息子は大した大法螺吹きね。あんまりにも法螺が過ぎて、気に入ったわ」
 ヴューラーの言葉に、キューサックが不審げに首を傾げた。
「はて、こいつは脛齧りではあっても、そんな風呂敷を広げるような気宇があったとは思えないが。何か失礼でも働いてしまったのなら、お詫びしよう」
「失礼なんてとんでもない。今日はその大法螺について話し合うために呼んだのよ」
 ヴューラーが両手を広げて市長の発言を打ち消す素振りを見せる。そんなふたりのやりとりに、ディーゴが割って入った。
「ここで突っ立ったまま話し込むのもなんだ。続きは腰を落ち着かせてからにしないか」
「あら、失礼。せっかくお越し頂いたんだから、どうぞ奥へ入って。少しだけどアルコールも用意してあるわ」
 ヴューラーに導かれてキューサックとディーゴが応接間へと姿を消す。その後ろ姿を見送ってから、ロカはようやく一息をつくことが出来た。ここから先はあの三人だけの時間だ。秘書である自分はしばらくこの前室で待機することになる。
 ふと横を見ると、彼と同様にイェッタもまた三人の背中を目で追っていた。だが自分の横顔に注がれるロカの視線に気がついたのだろうか、すぐにこちらに顔を向ける。
「待機中、現像機(プリンター)は好きなだけ使って良いと言われています。ベンバ様、何かお飲みになりますか?」
 ヴューラーの別宅だというのに、イェッタの勝手知ったる手際が引っかかる。だが急展開について行くのが精一杯で、喉がからからなのもまた事実だった。
 ロカがブラックのコーヒーを頼むと、イェッタは頷きながら壁際のパネルに指先を走らせた。程なくしてパネルの下の取り出し口に、二杯のコーヒーが入ったカップが現れる。イェッタはカップが乗った二枚のソーサーを手にして、玄関から見てやや右手寄りに設置されたテーブルの上に置いた。膝丈ほどの高さの、太い木枠に分厚いガラスの天板が嵌め込まれた丸テーブルを挟んで一人掛けのソファが二脚、向かい合うように据え置かれている。イェッタはそのうちのひとつに腰を下ろして、ロカを手招きした。
 いつの間にか同じ席に着くように誘導されているような気がしたが、主人たちの会談が果たして予定通り一時間で済むかはわからない。ロカは促されるままにイェッタの向かいの席に腰掛けた。
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登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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