2ー1ー7 遠い道程

文字数 6,462文字

 テネヴェ・デキシング宇宙港は、独立惑星国家テネヴェが有する宇宙港湾施設の中でも最大規模を誇る、文字通りテネヴェの玄関口だ。
 それまで小型の貨物船舶しか受け入れできなかったテネヴェは、デキシング宇宙港の建設によって百万トン規模のスーパータンカーの寄港も可能となり、物資の搬出入量が飛躍的に向上した。結果、テネヴェの農作物が大量輸出されることで経済は右肩上がりの成長を見せ、国家運営の安定に大いに貢献している。
 宇宙港建設を指揮した当時の指導者ハモルド・デキシングは、その完成を見届ける前に没したが、市民は彼に敬意を表して宇宙港にその名を冠した。
 キューサック・ソーヤは若かりし日にデキシングの下で宇宙港建設に携わり、彼の死後を引き継いで完成に尽力した。彼が市長の座に就くことが出来たのは、宇宙港建設の功績によるところが大きい。
 そのデキシング宇宙港から、今頃は彼の息子が、はるか彼方の銀河系人類社会最果ての星へと旅立とうとしているはずだった。一年と経たないうちに再びスタージアに向かうことになるとは、ディーゴも予想していなかっただろう。
 だが前回と異なり、この出立でディーゴが担う任務の重要性は、はるかに重い。
「そろそろ宇宙船(ふね)が出る時間ですね」
 官邸の市長執務室で、イェッタが心持ち遠い目を窓の外に向けた。キューサックもつられて一瞬窓の外を見るが、普段から目に入る景色に変化があるわけでもない。彼はすぐに窓から視線を外して、イェッタに尋ねた。
「お前は本当に同行しなくて良かったのか。仮にも(せがれ)の秘書だろう」
 既に何度か確認していることではあるが、キューサックは改めて目の前の女に確かめずにはいられなかった。
「実際の外交の現場では、残念ながら私では経験が足りません。前回も同行されたとのことですし、ベンバ様がご一緒の方が間違いがないと思います」
 口ほどには残念そうな素振りを見せずに、イェッタは小さく頭を振った。
「それに例の草案を煮詰める作業が残っています。スタージアとの交渉材料になるよう、最低限の形は整えましたが、まだまだ公に出来るような代物ではありませんから。私はこちらに残った方が、補佐官のお役に立てるかと存じます」
 イェッタはそう言うと、執務室の壁際に設置された現像機(プリンター)から、一杯のティーカップを取り出した。器から匂い立つのは、通常よりも倍以上の濃度で漉されたサスカロッチャ産の茶葉の香りだ。濃緑の液体に満たされたティーカップをデスクの上に差し出しながら、イェッタは琥珀色の瞳に微笑を浮かべた。
「もちろん、ベンバ様不在中の代役が最優先であることは心得ております。ベンバ様に比べれば見劣りするでしょうが、どうぞなんなりとお申しつけください」
「ふん」
 少なくともキューサックの茶の好みについては、ロカからしっかり引き継いでいるらしい。市長は一口茶を啜ると、イェッタが先ほど言及した〝例の草案〟について口にした。
「あの草案は、よくできている」
 ヴューラーの別宅を飛び出したディーゴはその後三日もの間、公式の場に姿を現すことはなかった。四日目の朝にイェッタを伴って市長官邸を訪れたディーゴは、髭も剃らず、目の下にはくっきりとした隈を浮かび上がらせて見るからに憔悴しきっていたが、目ばかりはぎらぎらと異様な輝きを放っていた。通信は信用ならない、と言ってキューサックにメモリーチップを放り渡し、そのまま執務室の応接ソファに勢いよく腰を下ろすや否や、ぴくりとも動かない。よくよく見なくとも、鼾すら立てずに眠りに陥っていた。
「補佐官はろくに睡眠も取られていらっしゃいません。ご容赦ください」
 そう言って頭を下げるイェッタの顔にも、少なからぬ疲労が滲み出ている。ほとんど不眠不休で仕上げたのだということは、言われずとも理解できた。端末に読み込ませたメモリーチップの中身に目を通す間、キューサックが一言も口を開かなかったのは、せめてもの気遣いだったろうか。
「加盟国間の航宙・通商・安全保障を確保することにより域内の安定を図り、経済的発展を促す。連邦結成のポイントをこの三点に絞ったのは正解だろう。これ以上になると賛同者も得にくくなる。遅かれ早かれ処理すべき課題も増えていくだろうが、発足当初はこれでいい」
「市長閣下にもヴューラー議員にも、一発でお眼鏡にかなうとは想像しておりませんでした」
「あの女も、議会を牛耳るだけあって力量は確かだ。見誤ることはなかろう」
 そう言ってキューサックはティーカップをデスクの上に置き、しばらくの間顎髭に手を当てていた。何かを考え込んでいるような顔の市長は、やがてイェッタに顔を向けた。
「ロカには既に話してあるが、お前にも伝えておこう」
「なんでしょう?」
「ディーゴが無事にスタージアを説得できた場合、私は次の議会前に市長を退くつもりだ」
 衝撃的な告白を受けて、だがイェッタはそれほど驚いた表情は見せず、代わりに市長の真意を推測する言葉を口にした。
「……惑星同盟への対応を引き延ばす、最後の一手というわけですね」
「スタージアを引き込むことが出来たとしても、おそらく次の議会まででは、まだ時間が足りん。となるとアントネエフの窓口だった私が追いやられたことにでもしないと、これ以上の引き延ばしは難しい。間に市長選を挟めば、それなりの時間が稼げるはずだ」
「そうなると、次の市長には十中八九ヴューラー議員が就任されることになると思いますが、それでよろしいのですか?」
「構わん」
 そう答えるキューサックの皺だらけの顔には、市長の座への執着は見られず、むしろ満足げな笑みすら浮かんでいる。
「ここから先の大事には、今以上に様々な困難が待ち受けているだろう。あの魔女に苦労を押しつけられるというのなら、いっそ痛快というものだ」
 まんざら冗談でもなさそうな表情で、キューサックがくつくつと笑みをこぼす。彼にしては珍しいことだ。キューサックが肩を小刻みに揺らす間、イェッタは口を挟まないようにして次の言葉を待っていた。
「私が引退した後、ロカには(せがれ)の補佐を頼んである」
 ひとしきり笑った後、再びいつもの憮然とした表情を取り戻してから、キューサックはそう告げた。
(せがれ)の目を覚ませてくれたこと、お前には感謝している。ただお前自身も言った通り、経験不足だけは否めん。その点でロカは役に立つだろう」
「私など、ベンバ様の足元にも及びません。足手まといにならぬよう、一層気を引き締めて参ります」
 イェッタが折り目正しく姿勢を正す。その姿を見て、キューサックは表情を保ったままにわずかに頷いてみせた。
「少しはまし(・・)になったとはいえ、(せがれ)はまだまだ半人前だ。ロカと一緒に支えてやってくれ」
「誓って、全身全霊を尽くします」
 イェッタは迷うことなく即答した。仕えて一年にも満たない主人に対して、随分はっきりと忠誠を誓うものだ。普段のキューサックであればそう訝しんだかもしれない。
 だが引退の決意を告げた今の彼にとっては、後事を託せる安心感が勝った。
 彼女の返事に再び頷いて、デスクの上のティーカップに手を伸ばす市長の横顔には、ほんの微かではあるが安堵の気配が漂っていた。

 ディーゴとロカを乗せた宇宙船は、デキシング宇宙港を出発してそのままスタージアに直行するわけではない。
 遠く離れたスタージアまでの直行便が出るのは祖霊祭のある時期ぐらいのもので、今回は途中三度も宇宙船を乗り換える必要があった。用件が用件だけに、チャーター便を用意するような真似をして、目立つわけにはいかないのだ。
 今回の旅程で経由する星系の数は、合計すると二十を超える。そのうちの半数以上に独立惑星国家が存在し、つまりその数だけ各国の入出国審査を経なければならない。テネヴェからスタージアまでの道程が往復で二ヶ月近くかかる理由には、ディーゴも指摘した通り距離以外の要素も多分に含まれている。
「同盟領を突っ切ることが出来れば、半分ぐらいには短縮できるんだがなあ」
 もちろんそんなことは有り得ないことを承知の上で、ベッドの上で横になったままのディーゴは盛大にぼやいた。
 宇宙船の中で彼にあてがわれた、個室の中である。適度に寛げる程度の広さは保たれているものの、内装といえばシングルベッドに壁際のデスクにパネル型端末、後は小さな丸い卓ぐらいしか見当たらない、シンプルな部屋だ。
「わざわざ拘束されに行きたいのなら、止めはせんよ。現地での待遇までは保証しないがね」
 ベッドに向けたデスクチェアに腰掛けたロカが、ディーゴの不満を受け流しながらエールの入ったグラスを呷った。彼の前の卓には、フライドボールが盛り付けられた小皿が乗っている。デスク脇の現像機(プリンター)から取り出したものだが、ディーゴはひとつだけ口にすると、それ以上は手を伸ばそうとはしなかった。
 エールばかりを喉に流し込むディーゴに、ロカが今後の予定を告げる。
「スタージアの博物院長には出発前に面会を申し込む連絡船通信を送ったが、返事を受け取れるのはミッダルト辺りだろう。向こうでは多少待たされることも覚悟しておくべきだな」
「まだるっこしいな。移動も相当の手間だが、それ以上に通信がなんとかならないもんか」
「そこら辺は各国で研究されているが、可能性の話すら聞こえてこない。恒星間を跨いだ直接通信の実用化は、まだまだ先のことだろうな」
 ロカはそう言うと、小皿からフライドボールをひとつ摘まみ上げた。
「そうでなくとも、原理が解明されていない技術は沢山ある。現像技能や惑星改造、今回の移動に欠かせない超空間航法だってそうだ。どれも根本的な原理は不明だという話を聞いたことがある」
「全部、今の生活に欠かせないもんばっかりだな」
「どれもこれも《原始の民》がスタージアに降り立った際にもたらした、貴重な技術だ。スタージアが銀河系で特別視されるのも、まあ当然だな」
 そこまで言ってからロカは、小皿の脇に盛り付けられたバジルソースにフライドボールをつけて、ひと口囓った。テネヴェ伝統のトマト風味とは異なる味わいだが、悪くない。
「結構美味いぞ。もっと食べたらどうだ」
「俺の肥えた舌が、そういう安物は受けつけないんだ。気に入ったのなら全部食え」
 そんなに繊細な味覚の持ち主だったろうか。かつて暴飲暴食に耽っていたディーゴの姿を思い出してロカは首を傾げたが、口にしたのは別のことだった。
「スタージアがこれまで銀河系の勢力争いに巻き込まれなかったのは、スタージア自身がそのつもりを見せなかったこと、地理的に辺境であることもあるが、何よりも銀河系中から特別視されていること、これが一番の理由だ」
「わかってる」
 それまで片肘をついたまま寝そべっていたディーゴは、上半身を起こすとベッドの上で胡座をかいた。ロカを見返す目には、静かな決意が見て取れる。
「俺たちに必要なのはまさにその、連中が特別視されているという点だ」
「誰も手出ししようとしなかった、言ってみれば禁忌(タブー)に手を突っ込むようなものだぞ。一歩間違えれば、銀河系中の反発を招くかもしれない」
「今さら試すようなことを言うな、ロカ」
 ディーゴはロカの言葉を半ば遮るように制すると、手にしていたグラスを一息に呷った。酔いが回ったのか、空になったグラスをサイドテーブルの上に戻す手つきが、やや心許ない。
「お前が心配なのはわかるが、俺もここまで来て退くつもりはない」
「……わかった。そこまで覚悟が出来ているなら、もう何も言うまいよ」
 そう頷きながら、ロカは我知らず目を細めていた。
 ここ一年足らずのディーゴの変貌ぶりは、長年彼を見守ってきたつもりのロカにしてみれば、いくら驚いても驚き足りない。以前の彼であれば、そのような決意が必要な場面に、そもそも近寄ろうとさえしなかっただろう。たった今、ロカに向かって力強く言い切った彼の眉間に大きな皺が寄ったところなど、キューサックそっくりだ。
 この男に確実に受け継がれているソーヤ家の血筋が、今まさに目覚めようとしている。
「覚悟といえば」
 思わず口元を綻ばせるロカを無視するかのように、ディーゴが話題を変えた。
「お前こそどうなんだ」
「なんの話だ」
 何を尋ねられているのかわからず、ロカは首を傾げた。いつの間にかディーゴの目が、まるで探るかのような上目遣いでこちらを見つめている。
「親父が市長を引退して、お前はそれでいいのか」
 ディーゴの言葉を耳にして、ロカの目はこれ以上ないほどに見開かれていた。黒い肌に覆われた彼の顔に、瞳を取り巻く白目が際だって見える。
「狼狽え過ぎだ」
 ディーゴがたしなめるように声を掛けても、ロカの驚愕はそう簡単に収まらない。
「……その話、どこで聞いた?」
「誰に聞いたわけじゃない。でもまあ、草案を見せたときかな。親父の表情を見て、なんとなくわかった」
「最初に打ち明けられたとき、私などしばらく絶句したものだが」
 ディーゴはさしたるショックを受けた様子もなく、父の市長引退を淡々と受け入れているようだった。普段からコミュニケーションを取れているとは言い難いと思っていたが、なんだかんだとそれが親子というものなのだろうか。
「まだ、すぐ引退されるわけではない。今回のスタージア行きが成功したら、の話だ」
 形だけでも動揺を取り繕いながら、ロカはそう答えた。
「なんにせよ、私は市長の秘書だ。市長が決めたことに従うまで」
「俺が聞きたいのは、そういうことじゃないよ」
 ロカの形式張った回答に、ディーゴは興味を示さない。彼がその先を促そうと口を開きかけた矢先、個室の天井から無機質な音声が降り注がれた。彼らが乗る宇宙船が最初の超空間航行に突入することを知らせる、船内アナウンスだ。
『当機は間もなく、テネヴェ星系とゴタン星系を結ぶ極小質量宙域(ヴォイド)に到達します。極小質量宙域(ヴォイド)に到達して十分後には超空間航行に移行しますので、ご注意ください。体調に不安のある方は、事前に乗務員にその旨をお伝え頂くか、室内にて安静にして頂けるよう、お願いいたします……』
 延々とアナウンスを流し続ける天井を鬱陶しそうな顔で仰ぎ見ながら、ディーゴは頭を掻いた。
「まあ、この話はゴタンに着いてからにしよう」
「そ、そうか」
 話を打ち切られて、ロカは内心で安堵していた。
 ディーゴが何を気にしているのかは、おそらくではあるが予想がついた。市長の引退を知っているというのなら、その後のロカの身の振りようについても推測出来ているだろう。ロカを秘書として迎えることを、ディーゴが素直に受け入れるか。実を言うとロカにも一抹の不安はあった。彼がロカのことを嫌悪とまで言わずとも、苦手にしているだろうことは、よくわかっている。
 それでもロカは、ディーゴの下で働くことを望んだ。
 キューサックの指示だから、だけではない。祖霊祭から帰って以来の彼の覚醒ぶりを目の当たりにして、彼を支えることに十分な意義を見出すことが出来たからだ。キューサックに命ぜられなくとも、進んで仕えるつもりであることを、ディーゴにはしっかりと伝えなければならない。
 幸い、スタージアに着くまでにはたっぷりと時間がある。ディーゴと今後の話をするには十分だろう。二ヶ月に及ぶ道中をいかに過ごすか、思いがけず見出された目的に、ロカの胸が躍る。
 彼の目論見は、だが結果としてかなうことはなかった。
 なぜなら宇宙船が極小質量宙域(ヴォイド)に到達し、超空間航行を終えてゴタン星系に到着した直後、ディーゴ・ソーヤは絶命してしまったのである。
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登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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