2ー2-6 女帝誕生

文字数 8,228文字

《スタージアン》は自分たちと同じだけの能力を手にしたタンドラやイェッタに、その活用法を授けた。彼らはこの、ヒトとも機械とも《繋がる》ことの出来る特殊な精神感応力を、決して秘匿しているわけではない。タンドラたちのように自ら契機をつかんだのであれば、その先を促すことも躊躇わない。
 タンドラたちがこの能力をどのように使ってみせるか、むしろその点に興味を示している。
(つまり連中は、私たちがどんなに足掻いても、自分たちの足元にも及ばないと思っているのよ)
 イェッタの苦々しげな思考が、タンドラの脳裏に割り込んだ。
(どこまでも上から目線、自分たちだけ次元が異なるという具合に。ふざけた奴らだわ)
(あんたがそこまで根に持つのも珍しいね)
(あの超然とした態度、私とは相容れない)
 スタージアから戻って以来、イェッタは《スタージアン》のことをことのほか毛嫌いしている。その感情はタンドラにも否応なく伝わってくるが、かといって全面的に共感しているわけではなかった。
 むしろ《スタージアン》の能力をもってしても、支配できるのは一星系に限られるという事実が、彼女にとっては驚きであり、懸念でもある。彼らよりはるかに卑小な我々が、惑星同盟をも呑み込むような、テネヴェが主導する形で銀河連邦を築き上げる、その方法を模索しなければならないのだ。
(どのみち《スタージアン》のやり方は参考にならないわ。あれは支配ですらない、《繋げる》ことで相手を咀嚼していると言うべき。問答無用で私たちに襲いかかってきた、クロージアの生態系と同じよ。まさか銀河系の人間を全て《繋げ》ようなんて考えているわけじゃないでしょう?)
 タンドラの懸念をイェッタは一笑に付した。確かに彼女の言う通り、銀河系中の人間が《スタージアン》のように《繋がって》いる世界を想像すると、タンドラだってぞっとしない。
(むやみに《繋げる》相手を増やせば、またディーゴみたいな犠牲が出る)
 その点についてはタンドラにも異論はない。余程の必要性が生じない限り、タンドラもイェッタも新たな誰かを《繋げる》という発想はなかった。
(今はこの、テネヴェ中の機械と《繋がる》ことができる能力を、せいぜい活かすことにしましょう)
 それこそまさに、この書斎でタンドラがモトチェアに腰掛けながらこなしている作業のことであった。
 タンドラが書斎で務める役割とは、テネヴェ中の機械同士を結んだネットワーク上を行き交う、様々な電子情報を余すことなく収集し、有用なものを取捨選択することだ。当面は市長選の推移について、そして今現在イェッタが赴いている地についての情報を、優先的に掻き集めている。
(それにしても、あんたの支持率が未だに五十パーセント台っていうのはどういうことなの。ヴューラーの支持だってあるっていうのに)
 イェッタはヴューラーが市長選に出馬して空席となったサスカロッチャ選挙区の、補欠議員選挙に出馬している。
 イェッタの地元であり、彼女の父は地元の農業共同体幹部であり、何よりヴューラーが彼女の支持を明言していたが、イェッタ自身は圧倒的な支持を集めているというわけではなかった。
 市長補佐官のスタッフだったという経歴がかえってネックとなり、たとえヴューラーとキューサックが協力を表明したとしても、保守的な気風が残るサスカロッチャでは少なからず拒否反応がある。彼女の対立候補も、元はヴューラー派だった地元出身の人間だ。タンドラはヴューラーが支持していると言うが、実際にはヴューラー派がふたつに分裂して、その一方からの支援を受けているという表現が正しい。
(選挙結果に手を加えるのが手っ取り早いと思うけどね)
 機械に《繋がった》彼女たちにとって、選挙結果を自然に操作することなど、今や造作もないことだ。
(それは最後の手段よ)
 イェッタはやんわりと、だがきっぱりとタンドラの意見を拒否した。
(票が割れているのは、銀河連邦構想を支持するかしないかの現れだわ。逆に言えば、半分以上は支持する人がいるってこと)
 サスカロッチャ区での出馬の際、イェッタはヴューラーが市長選立候補演説で唱えた銀河連邦構想に全面的に賛同し、その推進を表明していた。
 もちろん銀河連邦が成立すれば、加盟国間の移動の自由や関税障壁の撤廃によって、サスカロッチャ区の主要産業である農産物の輸出を後押しするだろうという、具体的なメリットがあることも説明している。だがそれ以前に、少なくとも市民にとっては突然降って湧いたような銀河連邦という概念がどれだけ受け入れられるものか、そこがイェッタにとっては不安の種だった。
 五十パーセント以上という支持率は、イェッタにしてみればむしろ望外の数字なのである。
(この土地に戻って、人々の気持ちに触れて実感したけど、私たちが想像していた以上に現状に危機感を抱いている人は多いのよ。こんな田舎でもね)
 惑星開発計画が失敗した今となっては、わずかでも希望に縋りたいという人々は、思いの外多い。それがたとえ誇大妄想狂の大法螺じみた話だとしても、だ。この書斎から一歩も動かずとも、この星の住人たちの思念を受け止め続けているタンドラだから、イェッタの言うこともよくわかる。
 いずれにせよ、イェッタは補欠議員選挙に不自然な手を加えるつもりはない。万が一に落選したとしても、それはそれでやりようがある。そうであればタンドラもこれ以上口を挟むつもりはなかった。
 だがそれとは別に、タンドラには指摘しなくてはいけないことがある。
(機械が足りない)
 余計な手出しは控えて情報収集に徹するにしても、世に溢れる電子情報の量は膨大過ぎる。全ての情報を網羅するにはタンドラとイェッタと、彼女たちに《繋がる》機械を計算資源に充てるとしても、とても足りないのだ。厳選した情報だけでもあっという間に記憶容量が一杯になってしまい、それ以前に取捨選択の段階での取りこぼしが多すぎた。
(電力はまだなんとかなる。ただテネヴェ中の計算資源を掻き集めても、情報を全て収めるのは不可能だわ)
(情報が多すぎてパンクしてしまう、というわけではないのよね)
(パンクしそうになる前に、自動的に蓋が閉まる。それがしょっちゅうだから、大事な情報も見過ごしかねない。不要と判断した情報はその都度削除しているけど、スピードが追いつかないよ)
(計算資源なんて一朝一夕で増やせるものじゃないわ。私たちがなんとか慣れていくしかない)
 それにしても、とタンドラは思う。彼女たちはテネヴェ中の機械と可能な限り《繋がり》、それぞれの本来の機能を損なわないぎりぎりの範囲まで、計算資源に割り振っている。にも関わらずテネヴェという惑星を飛び交う情報はとても捌ききれていない。
 それでは二千万人以上のヒトと《繋がって》、なお外の知識を集め続ける《スタージアン》は、いったいどれだけの計算資源を必要とするのか。いくら歴史に差があるとはいえ、想像も出来ない。
(奴らは何か、とてつもない機械でも抱えているのかしら)
《スタージアン》が確保しているに違いない無尽蔵な計算資源の存在を、イェッタはごく自然に羨んでいた。
 その気持ちを、タンドラも完全に共有している。
 今や彼女たちは砂漠に水を求める旅人のごとく、機械と《繋がる》ことを欲している。
 先日までケーブルに直結して生き永らえている自分の姿はまるで化け(オーグ)のようだと自嘲していたが、それどころではなかった。自嘲する余裕すらない、浅ましくも機械と《繋がろう》とする今の姿こそ、まさしく化け(オーグ)そのものだ。
(だとしたら、《スタージアン》こそが《オーグ》なのよ)
 どうしようもない現状への苛立ちから、イェッタは憎々しげに言い放った。
(奴らは《星の彼方》から追い出されたんじゃない。きっと自ら《星の彼方》を飛び出した、《オーグ》そのものなんだわ)

 市長選は大方の予想を裏切ることなく、ほかの候補に圧倒的な大差をつけて、グレートルーデ・ヴューラーが第十六代目のテネヴェ市長に就任することに決まった。
 ヴューラーの市長当選祝賀パーティーは、セランネ区でも最高級の誉れ高いホテルの大会場を借り切って催された。
 パーティーには各界の著名人がこぞって参加し、新市長との知己を得ようと躍起になる姿が至るところで見受けられる。会場に駆けつけた面々に対して、それまでの親密度を問わず、ヴューラーは等しく笑顔で対応した。
 会場中央で多くの人々に取り囲まれる彼女は、常日頃から放っていた威圧感に替えて、絶対的な強者にしかまとうことの出来ない余裕に身を包んでいる。彼女のことを「魔女」と呼んでいた人々もその姿を見て、今や彼女こそがテネヴェの最高実力者である「女王」なのだということを認めざるを得ない。
 宴も半ばに差し掛かったところで会場の受付に新たに現れたのは、男性の二人組だった。先に受付に声を掛けたのは、小柄に比してやや体重過多な、人の好さそうな笑顔を浮かべた中年男性。もうひとりはオールバックの金髪に堂々たる体躯の偉丈夫――すなわちバジミール・アントネエフである。
「ローベンダール惑星同盟より、ヴューラー新市長の就任祝いに駆けつけました。急な参上で恐縮ですが、何卒新市長へのお目通りを願えますでしょうか」
 恰幅のよい小男が、受付に向かってひたすら低姿勢に伺いを立てる。だがその後ろで無言のままたたずむアントネエフの姿は、それだけで受付の女性に威圧感を与えるには十分だった。
 すっかり萎縮して満足に受け答えが出来ない受付女性に対して、アントネエフがこめかみに青筋を浮き上がらせつつあったそのとき、彼の名を呼ぶ声があった。
「そこにいらっしゃるのは、アントネエフ卿ではありませんか?」
 アントネエフと、それにつられて小男も一緒に、声がした方向へと振り返る。
 彼らの視界に映ったのは、白い肌にすらりとした肢体を目の覚めるような濃紺のフォーマルドレスに包み、蜂蜜色の長い髪を両肩に垂らした、端整な顔立ちの女性であった。
 女性はふたりの男たちと目が合うと、迷うことなくその側へと近づいてくる。アントネエフの目の前で立ち止まると、女性は艶やかな笑顔を浮かべながら挨拶を口にした。
「お初にお目にかかります。テネヴェ市民議会議員のイェッタ・レンテンベリと申します」
 目の前に差し出されたイェッタの白く細い右手を、アントネエフの筋肉質で大きな手が包み込むように握り返す。
「バジミール・アントネエフです。申し出もなく突然の参上となり、ご迷惑をお掛けします」
「とんでもない。まさかアントネエフ卿にお越し頂けるとは思っておりませんでしたから、市長(・・)もきっと喜ぶでしょう。さあ、ピントン様もご一緒にこちらへどうぞ」
 イェッタはそう言ってドレスの裾を翻し、会場の奥へとふたりを誘う。彼女の背中から三歩ほど遅れて後を追いつつ、アントネエフは傍らのピントンに小声で囁きかけた。
「誰だ、あの女は」
「美人ですなあ」
「お前の感想は聞いていない。何者なんだ」
 ピントンはイェッタの優雅な後ろ姿を見惚れたように目で追いながら、その口調は確かだった。
「イェッタ・レンテンベリは、サスカロッチャ区でヴューラーの後釜として議員になったばかりの女です」
「ヴューラーの後継者か」
「元々は医師から惑星開発調査員に転じ、その後は故ディーゴ・ソーヤ市長補佐官の専属スタッフとして働いておったそうです。ディーゴ・ソーヤの後継者とも言えるかもしれません」
 鼻の下を伸ばしたままの表情に似合わない事務的な口調で、ピントンはイェッタの経歴を説明する。そして最後に「思った以上に油断のならない女ですな」と一言付け加えた。
「どういうことだ」
 アントネエフが尋ねると、ピントンはおもむろに肉付きの良い顎を撫で回した。それが感心するときの彼の癖であることを、アントネエフは知っている。
「彼女はバジミール様のことだけでなく、私の顔と名前まで知っておりました。初見で私のことを知る人物に出会ったのは初めてです」
 アントネエフにしてみれば、ピントンが初見で警戒を露わにした人物こそ初めてである。ふたりの先を歩くあの青いドレスの女は、それほど危険な存在なのか。女は時折り足を止めて、アントネエフたちが後をついてくる様子を確かめるように振り返る。肩越しに微笑をたたえた横顔を覗かせるその仕草が、絵になることは認めよう。だがアントネエフには、絶妙に媚びを売ってみせる、外面が良いだけの女にしか思えない。
 青いドレスをまとうイェッタに連れられた先には、ワンショルダーの深紅のドレスに血色の良いチョコレート色の肌という組み合わせの、ほとんどアントネエフに並ぶ長身の女が待ち構えていた。
 長い黒髪は何本も細かく編み込まれており、その下に目も鼻も口も造形の大きい、派手な顔立ちがある。映像では何度も目にしているが、現実に目の当たりにしたグレートルーデ・ヴューラーは、ただそこに居るだけで存在感が図抜けていた。
「音に聞くアントネエフ卿がわざわざ駆けつけて下さるなんて、恐悦至極ですわ」
「グレートルーデ・ヴューラーの噂は、我がスレヴィアにも轟いておりますよ。あなたがテネヴェ市長になると聞きつけて、居ても立っても居られなくなりましてね、こうして飛んで参りました。突然の無礼をお許し下さい」
 満面の笑みを浮かべるヴューラーと、紳士然とした態度で応じるアントネエフが、衆目を集める中で握手を交わす。
 一見和やかにすら思えるその光景を見て、無邪気に喜ぶ者はその場にはひとりも居ない。アントネエフがわざわざ祝賀パーティーに合わせて顔を見せた意味を考えれば、彼らの握手を見たままに受け取る気になれないだろう。
 しばらくは型通りの、つまり中身のない社交辞令としての会話を交わしていたふたりだったが、やがて本題を切り出したのはアントネエフからであった。
「ヴューラー市長は今回立候補するに当たって、画期的な構想を提唱されたと伺っております」
 シャンパンの注がれたグラスを手にしたまま、アントネエフの口調はいかにもさりげない。ヴューラーもまた取り立てて反応を見せず、笑みを崩さないままに答える。
「それはお耳汚しを失礼しました。次代の市長として市民に示したヴィジョンはいくつかありますが、どれもまだまだ煮詰め直す必要があり、とても卿にお話し出来る段階ではありませんわ」
「はて、だとすると私の聞いた話とは異なりますね」
 アントネエフが太い首を傾げる。金髪の偉丈夫は顔をしかめたままにそれ以上の言葉を発しようとしないから、ヴューラーはやむを得ずその先を促さざるを得なかった。
「というと?」
「前市長のキューサック・ソーヤ氏、彼が非公式に方々を渡り歩いている、という噂を聞きました」
「まあ」
 大きな口を隠すように右手で覆って、ヴューラーが驚いた仕草を見せた。だが彼女の目に動揺の陰は見受けられない。アントネエフはグラスの中のシャンパンに視線を落としつつ、喋り続ける。
「キューサック氏が訪れた先というのがチャカドーグー、ゴタン、ミッダルトと、いずれもテネヴェとよく似た独立惑星国家ばかりです」
「私の応援演説を頼もうにも、すっかり雲隠れして連絡が取れないと思ったら、一足早く引退気分を満喫していたのかしらね」
「そこで彼が説いて回ったという話が、実に興味深い」
 そこで一度話を区切り、アントネエフはゆっくりと面を上げた。視線がかち合った先のヴューラーは既に右手を下ろして、微笑未満の表情で彼の顔を見返している。なるほど、魔女と噂されるだけはあるようだ。一向に動じる気配を見せないヴューラーに感心しつつ、アントネエフは口を開いた。
「独立惑星国家たちによる共同体――銀河連邦と言いましたか。その設立を熱く語っていたそうですよ」
「あら、まあ」
「その内容たるや非常によく考えられたもので、余程前から練り上げられた構想に違いない」
「まるで直に聞いたように仰るのね」
「チャカドーグーの首相から聞いた話ですから。間違いということはないでしょう」
 アントネエフの言葉の端々から、勝ち誇った響きが滲み出る。するとヴューラーは表情はそのままに身体の向きを少しだけ変え、アントネエフの顔を正面に見据えてから口を開いた。
「前市長にお忍びは向いてないわね。あの方はどっしりと構えてこそだわ」
「彼が各国首脳に熱心に語ってみせたという話と、あなたが公約に掲げた銀河連邦構想。これは同じものと考えてよろしいですね?」
 畳みかけるように身を乗り出すアントネエフに、ヴューラーは思わせぶりな薄い笑みを返す。
「アントネエフ卿は少々せっかちですこと。先ほどお話しした通り、まだ卿に打ち明けるには時期尚早ですわ。いずれ必ず説明に上がりますので、もうしばらくお待ち頂けないかしら」
「これは、気が急いたように見えましたら申し訳ない」
 アントネエフが形ばかりの恐縮した体を見せる。金髪の偉丈夫はそのままヴューラーの前から引き下がるように見せて、だが最後に忠告めいた一言を付け足すことを忘れなかった。
「嘆かわしいことではありますが、ローベンダール惑星同盟の領内では昨今、密貿易に耽る輩が多い。我がスレヴィア星系でも積極的に取り締まりを強化していく所存です。どうぞご留意下さい」
 唐突な宣言に、周囲で耳をそばだてていた者たちは戸惑った顔を見合わせる。だがヴューラーだけは太い眉をぴくりと跳ね上げたのを、アントネエフは見逃さなかった。彼の言葉の真意は、伝えるべき者だけに伝われば十分だ。アントネエフは満足げな表情で新市長の前から立ち去った。
「まずは納得のいく挨拶が出来たようですな」
 ひしめく人の波を分けるようにして会場を出たアントネエフの隣りに、いつの間にか並んで歩くピントンが声を掛ける。アントネエフは真っ直ぐ前を向いたまま、会場にいる人々たちの耳に入ることも憚らないような太い声で、ピントンに言った。
「あの女が私の足元にひれ伏すまで、テネヴェの荷を積んだ船は徹底的に臨検してやれ。少しでも抵抗するなら問答無用で拿捕して構わん」
「畏まりました」
「ここの連中は、テネヴェとサカの往来にはスレヴィアの通過が必要ということを忘れたか。私の言葉を理解していたのは、あの市長だけだったぞ」
「いえ、もうひとりおりましたよ」
 異を唱えられたアントネエフは足を止め、誰かと尋ねる。主人の大股歩きに小走り気味についていたピントンは、額に浮いた汗をハンカチで拭いながら答えた。
「最初に会ったあの青いドレスの女、イェッタ・レンテンベリ議員です」
「あの女か……」
「ちょうどバジミール様からは見えない位置で、しっかりとおふたりの会話を聞いておりました。スレヴィア星系での取り締まりを耳にして戸惑わずにいられたのは、市長と彼女だけです」
 アントネエフは濃紺のドレスを身にまとったイェッタの姿を思い浮かべた。強烈な存在感を放つヴューラーに比べて、美しくはあるが白磁で造形された人形のように個性が感じられず、ピントンが言う抜け目のなさが連想出来ない。
 外面ばかりが記憶に残り中身を見通すことの出来ない曖昧さに、かえって薄気味の悪い印象がアントネエフの脳裏を占める。生来の武人は一瞬の怯懦に似た感情を恥じて、すぐにそんな考えを振り払った。
「市長もその後継者も、趣きは異なれど魔女の系譜に連なる者ということか」
 ホテルの正面玄関を出たアントネエフは、背後の建物を振り返った。
 街明かりに照らされて星の見えない夜空に向かって、突き刺さるように聳え立つ高層階が自慢のホテルは、アントネエフの目にはさながらお伽噺に出てくるような魔女の住まう古城に映る。華やかなイルミネーションと窓明かりに彩られた建物を見上げて、金髪の偉丈夫は唇の端を吊り上げると、自らに誓うように呟いた。
「いいだろう。魔女たちが集うこの城、バジミール・アントネエフがいずれ手に入れてみせる」
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登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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