3ー6 フーゴの伝言

文字数 7,291文字

「冗談じゃねえぞ、全く!」
 何度そう口にしたかわからないリバーの悪態を聞き流しながら、ビコは端末棒(ステッキ)から引っ張り出したホログラム・スクリーンをチェックしていた。スクリーン上ではタンク一杯にしたはずの推進剤が、通常の倍以上のスピードで目減りしていく様子が表示されている。
「この調子だとファタノディまでは保つでしょうけど、ゴタンでまた推進剤を補充しないと駄目ですね」
「クーファンブートで満タンにしたばっかりじゃねえか。冗談じゃねえぞ!」
 リバーが両手で頭を掻き毟りながら罵声を上げ続けるのも無理はなかった。ジャランデールを慌てて出立した『ボンバスティカ号』は、極小質量宙域(ヴォイド)での超空間航行を除いた航程の大半を最大出力で突き進んでいる。当然ながら推進剤の消費量も普段の比ではない。
 目指すは銀河連邦の中心にして貿易商人協会本部のある、惑星テネヴェだ。
「期日の延期を求めるなら本部で納付しろとか、協会の連中ってのは本当にクソばかりだな!」
 ジャランデールに貿易商人協会の支部がないと知って、リバーは文字通り目を剥いた。道中で通過したトゥーランには支部があるはずだと慌てて引き返したが、時既に遅し。期日超過を理由に登録料の払込を断られたリバーが、トゥーラン支部の事務員に袖の下を押しつけてなんとか聞き出した最後の手段が、テネヴェにある本部での登録料の直接納付であった。
 本部による集計の締めが二週間後なので、それまでに納付すれば便宜も図ってもらえるだろうと告げられて、リバーは早速航程について考えを巡らせた。
 トゥーランからテネヴェに至るにはふたつのコースがある。
 ひとつはブライムやハーレと出会ったミッダルトまで戻り、いわゆる従来の銀河連邦域内を通る、リバーも何度も使い慣れた航路だ。
 今ひとつは外縁星系(コースト)を突っ切るコースである。こちらは前者に比べれば距離を三分の二に短縮出来るのだが、いかんせんリバーにとっては未知の航路であった。しかも開通してからまだ十年も経っていない、ろくな整備も期待出来ないルートである。道中の危険が増すのは間違いなかったが、ともかく今は時間が惜しい。
結局リバーが選択したのは後者であった。
「さっきのあのデブリ群はヤバかったですね」
 ビコが冷や汗を拭いながら漏らした言葉には、リバーも頷くしかなかった。初見の航程のようやく半分を無茶なスピードで踏破して、リバーもビコも心身共に疲労困憊だ。
 特にクーファンブートに隣接する無人星系は恒星が極めて不安定で、周囲には広大な小惑星帯が散乱する危険宙域であった。不安定な磁場や空間の歪みにも悩まされながら宇宙船を最大出力で飛ばし続けて、リバーも寿命が何年縮んだことかわからない。
「航宙局の手抜きだな。あんな掃宙も済んでないような危なっかしいルートじゃなくて、もっとまともなルートを引き直せってんだ」
「でもまあ、外縁星系(コースト)を突っ切るのはこれで最後ですから。ファタノディからはもっと安全に運行出来ますよ」
 危険すれすれの操船から解放されて、リバーは両肩を交互にぐるぐると回した。筋肉が解されていく感触を覚えて、我知らず全身が強張っていたことを痛感する。
「ビコ、当直を代われ。俺はしばらく休む。お前も仮眠を取りながらでいい、次の極小質量宙域(ヴォイド)に達するまでは自動操縦任せで構わん」
「当直受け取りました。船長もお疲れでしょうから、しっかり休んでください」
 ビコの気遣う声に片手を上げて応じながら、リバーはブリッジを後にした。
『ボンバスティカ号』の就寝用スペースは、船長も乗員(クルー)も同室である。簡単な区切りは設けられているが、割り当てられた空間にあるのは寝袋のほかに私物を保管するささやかなロッカー程度だ。寝袋の中に身体(からだ)をねじ込みながら、リバーは疲労がこびりついている頭を軽く振った。
 長時間の緊張を強いられた直後のせいか、体中が休息を欲しているはずなのに異様に頭が冴え渡っている。普段は放っておいても下がってくる瞼が、一向に閉じる気配がない。興奮の残滓が蒸発するまでは眠気が訪れることもないのだろう。だからといって下手に睡眠導入剤を使用すれば、今度は起床に苦労することになる。
 リバーは辛うじて視界に収まる位置にある小窓に目を向けながら、眠気の訪れを待つことにした。外界に広がる外縁星系(コースト)の星空を目に入れると、ここしばらくのトラブルの連鎖が思い返される。
 外縁星系(コースト)産のレアメタルに商売を邪魔され、その埋め合わせのために訳ありの夫婦を外縁星系(コースト)まで届け、これで首の皮が繋がったかと思えば未だ協会の支部がないという外縁星系(コースト)ならではの事情のせいで、積荷も空のままテネヴェまで直行する羽目になった。
 延々と外縁星系(コースト)に振り回され続ける自分に、ほとほと嫌気がさす。
「畜生、さっさと外縁星系(コースト)に手を出していれば」
 フーゴから『ボンバスティカ号』を買い取った直後、リバーは結局外縁星系(コースト)への進出を手控えてしまった。無秩序な外縁星系(コースト)は、フーゴならともかく自分にはまだ手に余ると判断したからだ。直前にフーゴが口にした、外縁星系(コースト)の不安定な情勢が記憶に残っていたせいもある。当時はまだ素人同然のビコを弟子入りさせて無茶する余裕がなかったのも、理由のひとつだ。
 だが最終的に外縁星系(コースト)に乗り込もうとしなかったのは、彼自身が決めたことである。もし早々に外縁星系(コースト)での取引を開始していれば、現地の情報にも通じて今回のような右往左往もなかったであろう。もちろん痛手を被った可能性も大いにあるが、それはどんな新規事業の開拓にもつきもののリスクだ。
 ――判断力を磨くのは一にも二にも経験、とりわけ他者との交わりこそ肝要だ――
 今さらのようにあの博物院長の言葉が思い返される。せっかく外縁星系(コースト)に目を向けたというのに、足踏みしてしまった結果がご覧の有様であった。これもあの院長に言わせれば、リバーの判断の甘さによるものなのだろう。
「何が《スタージアン》だ、偉そうに」
 頭の後ろに両腕を回して、狭い船室の内に視線を漂わせる。薄暗い照明の中で彼の視界に浮かび上がるのは装飾の欠片もない内壁ではなく、脳裏に焼きついたハーレの笑顔であった。思わず口にした単語から連想されたのは、ジャランデールに向かう道すがらに交わされた彼女との会話の内容だ。
 ハーレという女性は読心者という体質を差し引いても、リバーにしてみれば調子の狂う相手だった。人の心を読み取れるという割に、そこに己の打算を押し重ねない。ただ思うがままを口にして、読心術もコミュニケーションの足し程度にしか考えてない。
 それはおそらく周囲の人間全員と親しく交わることが可能な、少人数の田舎育ちならではの人となりなのだろう。
「人類の新たな可能性とか、本気で信じているのかね」
 ドリー・ジェスターという権威に褒めそやされたことで舞い上がっている、ただそれだけとは思えなかった。あるいは新天地での生活への不安を払拭する、彼女なりの拠り所なのかもしれない。住み慣れた土地を離れて新たな星へ移住することとは、特に彼女のような閉鎖的な環境で育ってきた身にはとてつもないストレスであるはずだ。
 それにしても人類の新たな可能性とは、ドリー・ジェスターも大きく吹いたものだと思う。
 銀河連邦のみならず、銀河系人類社会でもその名を轟かせるほど聡明とされる彼女について、リバーは世間に伝わる名声以上のことを知らない。ただそれほどの才女が忌避するという《スタージアン》という存在について、一歩間違えればその集団の一員になるところだった彼としては、思いを巡らせないわけにはいかなかった。
 精神感応的に《繋がり》、訪れる者の知識を吸い上げては蓄え続けるという人々。ハーレの口振りによれば、おそらく博物院生に限らないより多くの人間から構成されるのだろう。なるほどドリー・ジェスターのような知識人や、この銀河系人類社会を動かしてきた指導者層には、連綿と知識を集積し続ける存在とは恐るべき連中に見えるのかもしれない。
 だが一介の貿易商人に過ぎないリバーにとって、いったいそれがなんだというのか。そんな集団がいたからといって、彼の生活にいかほどの支障があるとも思えない。せいぜい危うきに近寄らぬよう君子たれば良い話だ。
「だいたいそういう連中に対抗するにしちゃあ、やり方が情けなくねえか」
 スタージアは銀河系人類社会の端も端、いわゆる《星の彼方》方面を背にした辺境にある。ただでさえそのほかの有人星系から距離があるはずなのに、ドリー・ジェスターは彼らからさらに距離を取ることを提唱したのだ。「銀河系は広い、人類は拡散すべし」という彼女の名言はつまるところ、《スタージアン》の監視を逃れてとにかく離れよという意味なのだろう。
 彼女の言う通り生活圏を広げ続ける人類は、いつしか《スタージアン》も想像つかない多様な発展を遂げて、やがてその影響力をものともしなくなる。その構想はリバーにとってはあまりにも気が長すぎて、いささか消極的にすら思えた。
 スタージアに《原始の民》が降り立って以来、銀河系人類社会の歴史が刻まれて既に五百年以上が経つ。現にドリー・ジェスターや、そしてリバー自身もその存在に勘づいていたように、その長い歴史の中で《スタージアン》の存在を察知した者はほかにもいたはずだ。《スタージアン》とやらが恐るべき存在なのだとして、その存在を知った者全員がドリー・ジェスターのような対抗策しか思い浮かばなかったとも、あるいはリバーのように傍観者たろうとする者ばかりだったとも思えない。
 何もドリー・ジェスターだけが《スタージアン》に抗しようという最初の人間である必要はない。むしろ彼らの力を恐れて、力で対抗するなり封じようとするなりした者は既にいる、そう考える方が自然である。
 それほど恐るべき存在を封じるだけの、強力な力と言えば――
「――あるじゃねえか」
 突然思い当たったその推察を、リバーはそれ以上口に出して呟くことが出来なかった。
 だがもしその通りだとすれば、様々なことについて辻褄が合うことに気がついてしまった。
 銀河系人類の歴史上、最も強大な存在がある。その成立の過程は不自然なほど平和的で、未だに人類史上の奇跡となぞらえられることも多い。曲りなりにも銀河系人類社会の安定を築き上げ、そしてスタージアをもその内に取り込むもの。
 つまり銀河連邦こそが、《スタージアン》を封じるべく築き上げられた組織なのではないかという考えは、リバーの思考を捉えて離さなかった。
 なぜなら彼にはこれ以上ない確証があったのだ。
 スタージアの博物院生は、一生スタージアから離れることは許されない。そして彼がまさに目指す先、銀河連邦の一大拠点である惑星国家テネヴェには、それまで銀河系を自由に往来していた姿が嘘のように、この五年間一度も宇宙に飛び出さない人物がいる。
 それこそスタージアに引きこもり続ける博物院生の如く。
 リバーの師匠にして『ボンバスティカ号』の前船長フーゴ・ラッセルフは、まさにその条件に適合する人物であった。

「久しぶりだな、リバー。元気そうで何よりだ」
 そう言ってフーゴは、五年前から変わらずに愛用し続けるベープ管を咥えたまま、唇の端から水蒸気の煙を零した。
 銀河連邦の関連施設がひしめくエクセランネ区――かつての連邦区が海上にメガフロートを浮かべてまで拡大した一画に居を構える貿易商人協会本部ビルのラウンジで、リバーはフーゴと向かい合っている。
 なんとか期限ぎりぎりに間に合う形でテネヴェに滑り込んだリバーは、つい先ほど協会の登録料納付を済ませたばかりであった。そこへ、まるでタイミングを見計らったかのように、通信端末(イヤーカフ)を通じてフーゴから直接連絡が入ったのだ。「久しぶりに話さないか」というかつての師の誘いに応じて、リバーは協会本部ビルの二階に設けられたラウンジを訪ねたのであった。
「あんたは少し痩せたな」
 無愛想に口にしたその言葉は、リバーの率直な感想であった。五年ぶりに会う師は、かつての逞しさに比べればやや線が細くなったように見えた。
「ああ、力仕事から解放されて、お陰で筋肉もすっかり落ちちまった。もう昔みたいな無理はきかないだろう」
 二の腕に力を込める真似をして、フーゴが笑う。どこか苦笑じみたその笑い方は、リバーの記憶にあるフーゴ・ラッセルフそのままだ。
「聞いたぞ、リバー。協会の登録料の支払いのために、わざわざジャランデールからここまですっ飛んできたんだって?」
「色々とへまが続いてこのざまさ。積荷が空だった分、足も速かったのがせめてもの救いだ。それにしても随分と耳が早いじゃねえか」
「なに、たまたま噂を聞きつけてな。お前に余計な苦労をかけたのは、ジャランデールに支部を出すのが遅れた協会本部の責任でもある。そこは詫びておこう」
 リバーは半ば塞がり気味の瞼の下から覗かせた鳶色の瞳を、テーブルの向こうで脚を組むフーゴの姿に向ける。彼はフーゴの言葉を額面通りには受け取っていなかった。
 突然突き放されたも同然だった五年前の別れ以来、フーゴとは一切の連絡を取ることはなかった。ただ、その間もフーゴが順調に出世を重ねているという情報は耳に入ってきた。今やフーゴ・ラッセルフは貿易商人協会のナンバーツーであるだけではない。銀河連邦通商局の幹部も兼ねる、文字通り銀河連邦の中枢の一員である。
「すっかり宮仕えが板についたな」
 リバーの口から思わず漏れ出た皮肉混じりの一言に、フーゴは案の定苦笑で応じた。
「そう言ってくれるな。この五年間、あちこちから上がってくる苦情処理ばかりに奔走させられた。クレームの前に先手を打つのは習性みたいなもんだ」
 役人仕事の苦労を説きながら、フーゴは頭を掻いた。かつては刈り込まれていたくすんだ金髪は、やや長くなって丁寧に整えられている。その中に白いものが若干混じっていることを認めながら、リバーはなおも彼の顔を窺うように眺め続けた。
 この五年間抱き続けた葛藤が、払拭されたわけではない。今でもリバーの胸の内には、師から見放されたという暗い思いがある。
 にも関わらず彼がフーゴと会うことを承諾したのには、理由があった。
「なあ、《スタージアン》って知ってるか」
 リバーのおもむろな問いに、フーゴはベープ管から口を離して首を傾げた。
「この銀河系にスタージアを知らない奴はいないだろう。といっても俺もガキの時分の巡礼研修以来、ご無沙汰だが」
 その答えは質問に対して微妙にポイントがずれていたが、リバーはあえて無視した。
「俺が昔、《スタージアン》にスカウトされたことがあるってことは知ってるよな」
「覚えてるぞ。酔っ払ったお前から何度聞かされたことか」
 フーゴは思い出し笑いを交えながら頷いた。だが対照的にリバーの眉間は微かにひそめられて、どんよりとした表情が彼の顔を覆っていく。
「俺は連中の誘いを断った」
「ああ、いつも真っ赤な顔でそう言ってたな。スタージアなんかに縛られてたまるか、俺は自由を選んだんだって」
「あんたはどうして、協会の誘いを断らなかった?」
 今さらその問いを口にして、いったいなんになるのか。突然放り出されたことについて責め立てようとでもいうのか。それとも五年という時を経て、いい加減に納得したいという思いが頭をもたげてきたのか。
 リバーの言葉はそのいずれをも内包していたが、それ以上に今その質問をすることに意味があった。
 もしフーゴが戸惑ったり、困った顔をしたり、つまり何らか表情の変化を示してくれれば、きっとそれだけでリバーは肺の奥から大きく息を吐き出したことだろう。全ては杞憂だったのだと。自分は何か勘違いしただけなのだと思えたに違いない。
 だがフーゴは相変わらず苦笑めいた表情を一ミリも動かすことなく、そのグレーの瞳でリバーの顔を射貫くように見つめ返すのみであった。
「……断れなかったんだよ、リバー」
 やがてそう答えたフーゴは椅子の背凭れに身体(からだ)を預け、右手に持ったベープ管の先を肩の上にぽんと乗せた。
「お前が受けた誘いには、まだ選択の余地があった。だが俺への誘いは、実際のところ断りようがなかったんだ」
 諦めともまた異なる、かつての師の達観したような表情を目の当たりにして、リバーは薄い唇を半開きにしたまま声を出すことが出来なかった。
「《スタージアン》にスカウトされた」というリバーの言葉に、フーゴが疑問を差し挟もうともしなかった時点から予想はしていた。そもそも本部を訪れたリバーを待ち構えていたようにフーゴから呼び出されたこと自体が、そのことを証明しているようなものであった。
 何よりも師の言葉は、今のリバーにはこれ以上ないほど腑に落ちる。
 同時に彼の胸中に湧き上がるのは、納得以上にやり場のない怒りであった。
「そう怒るな」
 フーゴがそう言ってなだめたのは、リバーが眉間に縦皺を刻んだからだけではないのだろう。
「お前が怒っても、これはもうどうしようもない。俺はもうテネヴェを離れられない。だったらせめてあの宇宙船(ふね)だけでも、お前に託しておきたかったんだ」
 そしてフーゴは右手をくるりと回すと、再びベープ管の吸い口を咥えた。一息吸い込んだ彼の唇から白煙の固まりが吐き出される。
「ちょうど今のお前にぴったりの依頼がある」
「依頼?」
 訝しげに尋ね返したリバーに、フーゴは初めて歯を見せて笑った。
「そうだ。急ぎというわけではないが、ずっと機会を窺ってきた。こうしてお前が現れた、今がそのタイミングだろう」
「おい、俺は引き受けるなんて一言も言ってねえぞ」
 未だ気持ちの収まらないリバーにまるで頓着せず、フーゴは軽く身を乗り出しながら心持ち声をひそめて告げた。
「スタージアの博物院長に、我々(﹅﹅)のメッセージを届けて欲しい」
 リバーの片眉が勢いよく跳ね上がる。その顔を見て、フーゴはにやりとした笑みを浮かべてみせた。
「これはお前にしか出来ない仕事だと思うんだよ」
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シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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