2ー2ー2 裂傷

文字数 5,283文字

 人間大の細長いカプセルを縦に半分割ったような形状のベッドに身を横たえながら、タンドラは辛うじて自由の効く眼球を動かして、周囲の様子を改めて観察した。
 彼女が身体を預けているのは、モトチェアを改良した医療用のモトベッドだ。元々は医院の屋内をスムーズに移動するためのものだが、彼女が使用しているのは屋外のみならず恒星間移動にも耐えうる、特別仕様だった。モトベッドの移動は通常、外付けのコントロールバーを付き添いの人間が操作することで行われるが、ベッドの内にあるコントロールボールからも操作可能となっている。ベッド自体を椅子型に変形させることも出来るので、言ってみれば大型のモトチェアのようなものだ。
 コントロールボールに触れたタンドラは、ベッドの上体だけを起こす形で、周りの様子を視野に入れるだけの姿勢を確保した。
 普段は据え置きのベッドが置かれているであろうスペースに彼女のモトベッドが鎮座し、その足元には一人掛けのソファが二脚と、間に簡素な卓がある。モトベッドの右手に見える大きな窓には、数多(あまた)の星が瞬くこともなく散りばめられた宇宙空間が映し出されていた。左手に控えているのは、円筒の上に半球が乗っかったような形状の、ちょうどベッドと同じ程度の高さの医療用ロボットだ。円筒の、床面に近い部分から太いケーブルが伸びてモトベッドの背面に接続されており、ベッド自体からはタンドラの身体に直接何本もの管を繋げて、タンドラの体調維持・管理を果たしている。
 身体中から生えた管を意識する度に、化物(オーグ)のようだという自嘲が何度頭の中をよぎったことか。
 本来タンドラは外出が許されるような状態ではなかったのだが、医師資格を持つイェッタが付き添うことを条件に、この医療用ロボットを伴うことで特別に許可を得ていた。
 イェッタがキューサックとロカに全ての事情――タンドラとイェッタが惑星クロージアの探査から帰還後も意識を共有していたこと。帰還後も他者の感情や意識を読み取ることが出来たこと。そしてイェッタとの性交によってディーゴとも意識が共有されてしまったことを告白してしまっても、タンドラには責めることは出来なかった。
 むしろディーゴを喪失して残るふたりも想定外の危機的状況に陥り、キューサックたちに助けを求めるためには、タンドラも同じ行動を選択しただろう。
 あの日、不信感に満ちたキューサックとロカを前にイェッタが訥々と告げた内容を、タンドラは我がことのように振り返ることが出来る。

「ディーゴが超空間航行に入った瞬間、私たちが感じたのは猛烈な恐怖でした」
 今のタンドラと同じように上体を起こした格好のベッドの上で、そう口にするイェッタの顔は、ほとんど死人のように青ざめていた。 
「どんな恐怖にも勝る恐ろしさでした。ひとりの人間で例えるなら、突然手足がもぎ取られる、という感覚でしょうか。喪失感と言い換えることも出来るかもしれませんが、それだけではとても足りない」
 イェッタの、微かに震える唇から語られる言葉を、キューサックもロカもただ黙って聞き入っている。
「それでも私たちは多分、まだまし(・・)でした。私とタンドラのふたりがいる側が、言ってみれば心臓がある側、生き残る側だということを、本能的に察していました。でも失われる側だったディーゴの恐怖は、どれほどだったか……」
 そこで口をつぐんだイェッタは、切れ長の目から大粒の涙を溢れさせた。彼女の言葉を聞いて、キューサックの憮然とした顔はほとんど黒ずみ、ロカが両手で顔を覆う。
 ディーゴの死が、想像を絶する恐怖によってもたらされたものであるという事実は、ふたりの苦悩をいや増すだけだっただろう。
 つまるところ、三人を結びつけていた《繋がり》の有効範囲は、通常の直接通信と同じく一星系が限界だった。ディーゴがその限界を超えて飛び出そうとすることは、無理矢理《繋がり》を断ち切ろうとするに等しかったのだ。
 その代償として、彼は命を落とすほどの精神的ショックに見舞われることになった。
「タンドラ・シュレスとは、何者だ」
 重苦しい沈黙を打ち破ったのは、キューサックによる新たな問いかけだった。あるいはこれ以上、ディーゴの最期がつまびらかになることについて耐えきれなかったのかもしれない。
「タンドラは航宙管制官と宇宙船操縦士の資格を持つ、宇宙船運用のプロフェッショナルです。その経歴を買われて調査隊に抜擢され、調査船の操縦からメンテナンス、運行スケジュール管理まで一手に引き受けていました」
 タンドラのプロフィールを事細かに説明されても、キューサックは納得しない。だが次に彼女が発した言葉は、彼を刮目させるのに十分だった。
「彼女の父はジャンマール・シュレス、そして母はヴィニ・デキシング」
「……なんだと」
「タンドラはあの、ハモルド・デキシングの姪に当たります。デキシング氏の存在がタンドラに少なからず影響を与えたのは事実です。彼女自身、調査隊員というキャリアを経て、将来的には航宙行政に携わることを望んでいました」
 自身が師とも仰ぐ人物の血を引くと知って、キューサックは初めて腑に落ちた顔を見せた。同時に呟かれた声には、どこか敗北感の混じった響きが込められていた。
「つまり、銀河連邦構想を発案したのは、そのタンドラ・シュレスというわけか」
 ロカもまた、同様に苦い表情を浮かべている。
 銀河連邦という途方もない大法螺を、曲がりなりにも実現に向けて動き出すことになった切欠のひとつが、発案者ディーゴという事実であるのは間違いない。少なくともこのふたりにとっては、モチベーションの少なくない部分を占めていた。
 だがそれは全てまやかしだった。壮麗な手品の舞台を鑑賞した後に、種明かしされてしまった内容のチープさに戸惑うような、失望感に似ている。ディーゴその人を喪っただけでなく、その遺産すら仮初めのものだったと告げられて、ふたりが受けた衝撃は小さくない。
「仰る通り、タンドラは惑星クロージアでの経験を元に、銀河連邦構想の着想を得ました」
 追い打ちを掛けるかのように、イェッタが頷く。しかし彼女の言葉には続きがあった。
「ですが先日仕上げた銀河連邦草案、あれはディーゴの手によるものです」
 暗い目つきをしたロカが、イェッタの顔を振り返った。その表情から滲み出る不信感を隠そうともしていない。
「適当な言葉で我々を慰めようというのなら、しばらく黙っていてくれ」
「こんな話を聞かされた後だから、私の言うことが信じられないというのはわかります」
 ロカの目を、イェッタの真剣な眼差しが見返した。
「でも草案の骨子を閃いたのは、間違いなくディーゴです。タンドラの知識がベースにあったのは確かでしょうが、彼と《繋がって》いなければ草案が産み出されることはありませんでした」
 イェッタは今度は右に首を回して、モトチェアの上で微動だにしないキューサックの顔を見る。
「この数ヶ月を共に過ごして、私たち三人は互いに混じり合っている――そう感じています。切欠が何であれ私たちは三位一体、いえ、一心同体でした。一心同体の私たちが編み出した草案は、つまりディーゴが編みだしたものであると断言できます」
「詭弁だ」
 彼女の言葉を、キューサックは一顧だにせず切り捨てた。
「生き残る側と、失われる側とに別れた。お前自身がそう言ったばかりだろう」
「確かに言いました。ディーゴ・ソーヤという肉体は死んだ。でも」
 イェッタは両手をついて横たえていた半身を起こし、腰から上を捻ってキューサックの側に身体を向けた。病み上がりで乱れたままの蜂蜜色の髪が流れて、顔の半分を覆い隠す。右手はベッドの上についたまま、ブランケットがはだけた病衣の胸元に左手の拳を当てて、切実な光をたたえた琥珀色の瞳がキューサックに訴えかける。
「彼の意識はまだ、ここにある。私の中にしっかりと混じっている。混じって、ひとつになったから、引き裂かれる恐怖に耐えきれなかったのよ!」
 口調は徐々に上擦っていき、最後の方はほとんど掠れ声の叫びに近かった。気がつくと、目尻から再び涙が伝っている。キューサックとロカ、彼らにここ数ヶ月のディーゴを否定されることだけは、耐えがたい。そのためにイェッタが心の奥底から絞り出した、嘘偽りのない言葉だった。
 キューサックがモトチェアのコントロールボールに指先を触れる。モトチェアは微かな稼働音を立てて、ベッドのすぐ傍らまで近づいた。そのままキューサックは、肩で息をするイェッタの顔を覗き込むように、皺だらけの顔を近づける。
「お前の中に、ディーゴが生きている。そう言うのだな」
 その瞳は底の見えない谷底のように、一片の光も宿って見えなかった。
 目の前の女は、息子の死を招いた原因であると同時に、息子の比類なき同志であり、そして今は息子の遺志を継ぐ存在である。そんな矛盾そのものの彼女を前にするには、己の感情を分厚い理性のカーテンで覆い隠すしかなかったのだろう。
 にもかかわらず、カーテンの裏側で渦巻くキューサックの激情まで、イェッタには透けて見える。まるで自分がどうしようもなく下衆(げす)な覗き魔に思えて、このときほどイェッタは自分の異能力を恨んだことはなかった。
 キューサックがイェッタをディーゴの後継者に決めたのは、その翌日のことである――

 イェッタの記憶をたどる作業は、部屋のドアがスライドしたことで打ち破られた。
「具合はどうだ」
 ドアをくぐって、ロカの長身が現れる。タンドラは視線だけで彼の顔を見返した。
「お陰様で、気分は上々だよ」
 顔面の右半分が凝り固まったままのタンドラは、口を開くとまだ不自然に引き攣った表情になる。そんな彼女を見下ろすロカの目は、努めて無表情だった。
 タンドラを恒星間移動に連れ出すために、ハード面から必要な手続きまで全てを手配したのが、ロカだ。彼女ほどの重病人が恒星間移動に臨むというのは、前例がないだけに煩雑な作業だったはずだが、ロカは粛々と、速やかに手配を完了した。それだけの必要性があった。
「レンテンベリは今、自室で草案の練り直し中だ。お前には言わずもがなだろうが」
 そう言ってロカは、モトベッドの足元にある椅子を引いて腰掛けた。
「あと二日もすれば、スタージア宇宙港に到着する。そこでまず、お前は宇宙港附属医院で診察を受ける」
「単なる口実だと思っていたのに、本当に診てもらえるとはありがたいね」
「今後レンテンベリが外遊する際にはお前の同伴が必要というなら、せめてモトチェアで移動できるぐらいには回復してくれないと困る」
 イェッタが単身でスタージアに赴いても、ディーゴの悲劇の二の舞になるだけであった。悲劇を回避するには、タンドラの同行が必須となる。そこで口実とされたのが、タンドラを治療するためのスタージア行きであった。
 スタージアには銀河系中のあらゆる知識が集積されており、医療技術もまた最新の水準にある。最新医療を受けるためにスタージアを訪れる者も珍しくない。そこでスタージアで治療を受けるタンドラのために、元同僚にして元医者であるイェッタが同行者として付き添う、という名目だ。
 ただロカの言う通り、単なる口実というわけでもない。タンドラの移動がいつまでも不自由なままでは、イェッタの行動に制約がかかってしまう。
「今でもお前はレンテンベリのブレーンのようなものだ。ある程度動き回れるようになったら、正式に彼女のスタッフとして加わってもらう」
「イェッタのスタッフにはあんたも加わってくれるんだろう。頼りにしてるよ」
 タンドラが笑顔のつもりで顔面を引き攣らせてみたものの、ロカの表情が応じることはなかった。ディーゴの死因に深く関わるタンドラとイェッタに対して、彼の胸中にはまだ忸怩たる想いが渦巻いている。それ以上にタンドラ個人に対しては、生理的な嫌悪感が勝っていた。
「《オーグ》嫌いなのはわかるけど、少しは愛想良くしてもいいんじゃないかい」
「……そういえば、お前たちには筒抜けだったんだな」
 ふっと息を吐き出したロカが、それ以上張り詰めても仕方がないということを悟って肩の力を抜く。
「そこまでわかっているなら話は早い。私個人としても、このままではお前の顔を見る度に胸焼けがする。お前にはモトチェアで動き回れる程度まで回復してくれることを期待しよう」
「そこまで肚の内を言葉にしなくてもいいんだけどね」
 タンドラの言葉は、半ば呆れているようにも聞こえる。だが相変わらず彼女の顔から表情を読み取るのは至難だった。
「私自身でどうにかなることでもないけれど、せいぜいご期待に添えるよう努めるよ」
 彼らの乗る宇宙船がスタージア宇宙港に着いたのは、ロカが告げた通りぴったり二日後のことであった。
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登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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