2-2-5 市長選

文字数 5,204文字

 抜けるような青空の下を、一頭の馬に跨がる人影が駆け抜けていく。黒鹿毛をまとう馬の肉体は暴力的なほどの筋肉に覆われて、草原をひた走る姿はそのまま絵画に収めたくなるほどに荒々しい美しさだ。豪奢な装飾が施された鞍の上では、バジミール・アントネエフの逞しい体躯が、悍馬を手脚のように操っている。筋骨隆々とした背中に背負われているのは、狩猟用のブラスターライフルだ。
 アントネエフが黒鹿毛の馬と共に駆けるこの草原は、彼の家が代々惑星スレヴィアに所有する広大な領地の一画――狩猟用地に充てた区画である。彼がこの狩猟地へと馬駆けに出るときは往々にして、内心に鬱屈したものを抱えているときであった。
 テネヴェ攻略は遅々として進んでいない。
 テネヴェの臨時議会が招集されない可能性をブリュッテルに指摘されて、アントネエフはテネヴェ市長キューサック・ソーヤへの連絡を取ろうとした。だがその矢先にキューサックの息子ディーゴが不慮の死を遂げ、会談を申し込むタイミングを失ってしまった。
 今もキューサックは失意のまま表に顔を見せず、公務も滞りがちらしい。そのままなし崩しに臨時議会招集も見送られ、現在に至っている。
 ディーゴ・ソーヤとは去年の祖霊祭で顔を合わせた記憶がある。痩せぎすの、おどおどした表情ぐらいしか印象に残っていない、いかにも小物然とした男だった。あんな男でも、先立たれれば落胆するものなのだろうか。アントネエフにはふたりの息子とひとりの娘がいるが、皆アントネエフ家の子息に相応しく利発に育っている。キューサックの心情は理解出来ない、あるいは理解しようとも思わなかった。
 鞍の下で荒ぶる悍馬の動きを、アントネエフは文字通り腕力でねじ伏せていた。この黒鹿毛の馬を乗りこなせるのは、彼以外にはいない。圧倒的な力を振るう馬を、さらに上回る力で支配することに、アントネエフは喜びを感じる。彼という男の本質は、力と力の正面からのぶつかり合いを好む。だからこそ、ひたすら逃げに徹するキューサック・ソーヤという男は、理解の範疇外の存在だった。
 テネヴェにローベンダール惑星同盟への加盟を迫るに当たって、アントネエフは強圧的ではあったが隠し立てをしようとはしなかった。する必要も感じなかったというのが正確なところだが、同時にアントネエフという男なりの、テネヴェに対する誠実な申し出のつもりでもあった。しかしキューサックはそれに対する返答を、様々な理由をつけて引き延ばし続けている。武力行使を控えざるを得ないというアントネエフの立場を見越すかのような対応に、彼のさして余裕のない忍耐力もそろそろ限界を迎えつつあった。
「はっ!」
 アントネエフが馬鞭を振るうと、馬の尻の筋肉がぐっと盛り上がって、草原を駆けるスピードがさらに増す。そのままの状態でアントネエフは手綱から手を離し、背中のライフルを素早く構えた。
 並みの人間なら振り落とされてしまうであろう振動を、鍛え上げた両股でがっしりと鞍を挟むことで抑え込み、はるか先に見える小高い丘陵に狙いを定める。間を置かずして銃口から一筋の光線が放たれ、獲物の微かな啼き声が聞こえた。アントネエフはスピードを緩めずにライフルを背負い直すと、そのまま丘陵の頂きまで馬を走らせる。
 丘の上では、まだ一歳に満たないであろう瀕死の子鹿が、息も絶え絶えにその身体を横たえていた。熱線に貫かれた腹部からは、皮膚や筋肉が焦げたとき特有のすえた臭いが鼻につく。
 獲物が虫の息であることを確認すると、アントネエフは右手だけでライフルの先を子鹿の頭部に向けて、躊躇わずにトリガーを引いた。子鹿は一瞬だけ全身を痙攣させて後、動きを止める。
 足元に横たわる物言わぬ(むくろ)を一瞥すると、アントネエフは手綱を引いて、今来た方向へと馬の鼻先を向けた。そのまま屋敷へと駆け戻る道中、悍馬の背に跨がる金髪の偉丈夫の顔には、未だ晴れぬ心中が去来している。
 屋敷まであと半刻余りというところで、アントネエフの左手首に嵌めたブレスレット型端末が、振動と共に小さな明かりを点滅させた。馬脚を緩めて、左手首を口元に寄せる。
 報告者はアントネエフが重用する部下のピントンという男であった。彼が馬駆けをしている間は、余程のことがない限り通信を控えるという不文律は、ピントンもよく知っているはずだ。
 つまりその不文律を犯してでも連絡しなければならない事態が発生したということである。朗報のはずがない。
 報告を受けたアントネエフもそんなことは承知していたが、にも関わらず彼の顔が驚きとも憤怒ともつかない形相に塗り替えられるまで、さほどの時間はかからなかった。「そこまでやるか……」という一言を漏らしたきり、馬上の逞しい人影が動きを止める。通信端末の向こうでは、主人が冷静さを取り戻すまでの沈黙の長さにどれだけ耐えられるか、ピントンの忍耐力が試されている。
 アントネエフを絶句させた急報、それはキューサック・ソーヤのテネヴェ市長辞任の報せであった。

 装飾に乏しい機能的なデスクの上に、三枚の透過パネル型端末が備え付けられている。天井から吊された大型のパネルも含めれば、目の前の端末は都合四枚だ。モトチェアの肘掛けの根元から上半身を抱えるように伸びたポールの先端には、これも透過型のコントロールパネルが設けられていた。このコントロールパネルは不要の場合にはポールごとモトチェアの中に格納できる造りになっており、移動の際には邪魔にならないよう工夫されている。
 これらの機器の内、実際に必要なのはコントロールパネルと透過パネル型端末一枚だということにタンドラが気がついたのは、ロカが全てを手配して設置が完了してからのことであった。さすがに今から返品するのはばつ(・・)が悪くて、四枚の透過パネル型端末には申し訳程度に映像を流すようにしている。
 モトチェアのコントロールボールに触れて向きを変えると、壁一面のガラス窓越しには夜の闇を煌々と照らす、都会の街明かりが広がって見える。
 かつてディーゴの目を通して目にした景色を今、タンドラは自身の目で目の当たりにしていた。テネヴェ市の中心街区セランネ区にある高層住宅のワンフロア――生前のディーゴが住まいとしていた、八十八階建てマンション最上階のペントハウス型のフラットに、タンドラは居る。
 スタージア宇宙港附属医院での治療によって、タンドラはモトチェアに乗って自由に動き回れるようまで回復していた。
 これ以上となると現時点の医療技術では厳しいとのことだが、一年以上病室のベッドの上で首を動かすにも難儀していた身にしてみれば、医院を出て生活できるようになるだけでも御の字であった。
 退院と同時にイェッタの専属スタッフ扱いとなったタンドラは、イェッタのオフィス兼住居となったこのフラットに移り住んで、既に半年以上が経過している。
 元々ディーゴとイェッタが同衾していたこのフラットは、タンドラにとっても十分馴染みが深い。手を加えた部分といえばモトチェアで移動しやすいように若干家具の配置を模様替えした程度だ。外を飛び回ることが多く、帰宅しない日も多いイェッタに代わって、タンドラはほとんどこの部屋の主として生活している。
 タンドラが四枚の透過パネル型端末と向き合っているのは、生前のディーゴが書斎として使用していた個室だった。パネルにはいくつものウィンドウが開き、主にテネヴェの報道機関が報じる様々なニュース映像や記事が映し出されている。
 今日のテネヴェで人々の耳目を集めるニュースといえば、キューサック・ソーヤ市長辞任後の市長選だ。次期市長にはグレートルーデ・ヴューラーの就任が確実視されている。元々の人気実力に加えて、キューサックが後継候補を立てずにヴューラーの支持に回ったため、彼女の当選は九分九厘間違いない。キューサック派とヴューラー派は個々の事案によって是々非々の関係を保ち続けてきたと見られていたが、ここに来てヴューラーの下にひとつの会派としてまとまった。対立候補は数名いるものの、選挙そのものはほぼ彼女の独り勝ちと言って良い。
 ほとんど結果が見えているにも関わらず市長選が白熱しているのは、ヴューラーが立候補の際に唱えた銀河連邦構想が、市民に大きな衝撃を与えたためだ。
「惑星開発計画は、日の目を見ることなく頓挫しました」
 立候補演説の冒頭で、ヴューラーはそう言って初めて惑星開発計画の失敗を公言した。ヴューラーは彼女自身の責任を認めたわけではないのだが、その後に彼女が口にした内容のインパクトが強すぎて、対立候補は彼女の責任をそれ以上追及することが出来なくなってしまった。
「計画の頓挫が我々に示したものは何か。それは複雑化する星間情勢、特定の勢力による圧力がいや増す中、もはやテネヴェ一国でこれらの問題に対処するには限界があるという事実です。今、我々に必要なのは、各国間の利害関係の調整や横断的な協力を推進するための仕組みの構築です。テネヴェがテネヴェらしくあるために、またテネヴェのみならずこの銀河系人類社会が安定した発展を遂げるために、私が市長に当選した暁には〝銀河連邦〟の設立を目指すことを、ここに宣言します」
 過去に何度も口にされた〝銀河連邦〟という言葉は、あくまで言葉遊び、机上の空論にとどまっていた。公の場で〝銀河連邦〟という言葉が用いられたのは、このヴューラーの立候補演説が初めてのことである。
 夢想めいた言葉を耳にして戸惑う聴衆に向かって、ヴューラーは一息吸い込んで後、元来声量豊かな声をさらに大きく張り上げた。
「銀河連邦構想の発案者は、先日不慮の死を遂げた市長補佐官ディーゴ・ソーヤ氏です」
 思いがけない名前がヴューラーの口から飛び出して、聴衆のあちらこちらから驚きの声が上がる。
「生前、私は彼が唱えた銀河連邦構想に大いに感銘を受けました。前市長キューサック氏ともわだかまりを解消して協力関係に至ったのは、ディーゴ氏の仲介によるところが大きい。彼が生きていれば、私はむしろ彼の市長就任を後押ししていたことでしょう」
 大した役者だわ、という言葉が、タンドラの口をついて出た。
 ヴューラーのディーゴへの評価と市長への野心がまた別のものであることを、タンドラはよくわかっている。そんな彼女の感想をよそにどよめく聴衆を前にして、ヴューラーは壇上から一歩前に足を踏み出し、両手を大きく広げてみせた。
 褐色の肌にトレードマークの赤いロングストールを身にまとうヴューラーの堂々たる長身は、広場に集う聴衆の目にひときわ映えて見える。
「テネヴェの、そして銀河系の発展を見据えた新たな道を示すことが出来るのは、ディーゴ氏の遺志を継ぎ、キューサック前市長に後事を託された、このグレートルーデ・ヴューラー以外にいないと自負しています。どうか皆さん、私の市長就任に力を貸してください。私には皆さんの力が必要です!」
 力強く訴えるヴューラーの姿は、やがて会場をどよもす大きな歓声に包まれた。
 聴衆に手を振るヴューラーの顔からは、既に勝利を確信したかのような自信に満ち溢れた笑みが零れ出している。
 彼女の演説は従来の支持者だけでなく、キューサック前市長派をも取り込むことに成功した――
 ヴューラーの立候補演説の映像を、タンドラは端末を通して肉眼で見ているわけではなかった。
 モトチェアの背凭れに身体を預けたまま、閉じられた彼女の瞼の裏には、任意に選び出したニュース映像から記事や関連資料などが恐るべき勢いで展開され、また消え去っていく。これらの情報がタンドラの脳裏に刻み込まれる処理速度は、視覚を通した場合をはるかに上回り、常人には及びもつかないペースで次々と蓄積されていった。
 テネヴェという惑星中の情報を、ネットワークを通じて自由に見聞きできる。その術を、タンドラはスタージア宇宙港附属医院での治療を通じて、骨の髄まで叩き込まれていた。
 つい先日までは有線のケーブルを間に挟むことでしか機械と《繋がる》ことができなかったが、今はそんなものを介さなくとも無線通信の範囲内にある機械であれば自在に《繋がり》、その機能を存分に活用することが出来る。
 そして機械を通じたその先にいるヒトの思念もまた、自在に読み取ることが出来るのだ。
 それがN2B細胞が持つ本来的な機能のひとつであり、スタージア――いや《スタージアン》はその機能を最大限に活用して、スタージア星系全域を完全に《繋がり》の下に置いている。そのことを知ったときはタンドラもイェッタ同様に戦慄したが、同時に自分たちの可能性が開けたことにも気がついていた。
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登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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