2ー3ー6 遺言

文字数 9,582文字

 セランネ湾を囲むように突き出たふたつの岬の内、南側の岬の付け根に当たる部分には、ささやかな平地が開けている。
 中心街区であるセランネ区から見て東方に位置することから、単純に東セランネ区と名づけられたこの一帯で暮らすのは、テネヴェの入植当初から水産業を生業とする住人のほかに、湾を望むことの出来る高台に構えられた屋敷を所有する人々だ。
 屋敷の大半は別荘として利用されているが、定住する人々もいなくはない。特にセランネ湾の一画に連邦区が設けられてからは、通勤の便が良いこともあって東セランネ区に住宅を構える銀河連邦関係者が増えつつあった。
 ローザン・ピントンも、この東セランネ区の高台に散在する邸宅のひとつを住まいとした。彼の邸宅からは遠目ながらも連邦区にひしめく銀河連邦関係の建物群を望むことが可能で、「ピントン事務局長は自宅に居るときも連邦を監視している」というもっぱらの噂だ。
「あながち噂と言い切れないところが、この人の怖いところなんですよ」
 現像機(プリンター)に頼らず、自ら淹れた紅茶が入ったティーカップを乗せた盆を手にしながら、ピントン夫人がそう言って眉をひそめた。
「帰宅してからもいつも窓越しにこう、連邦区を見下ろしていることが多くてですね。家に着いたら仕事のことは忘れなさい、と口酸っぱく言っているっていうのに、この人は本当に昔から変わらないんです」
 小柄で肉付きの良い夫に劣らず、ピントン夫人もまた小柄でふくよかな容貌の中年女性だった。ふたりで並ぶと夫婦というより兄妹のようだ。夫同様に人の好い笑顔が似合いそうな顔立ちで苦情を零されても、微笑ましく思えるのは人柄だろう。
「いい加減にしなさい。そんなことを言われても、ベンバ様が困るだろう」
 ピントンにたしなめられて、夫人が頬をぷうっと膨らませる。テーブルに並べられたティーカップのひとつを手にしながら、ロカは夫人の言葉に相槌を打った。
「いえ、奥様の仰ることはよくわかります。事務局長と言えば連邦でも精勤の権化として有名ですから。少しは手を緩めてくれないと、下の者も気が抜けないと、よく局員たちが嘆いていますよ」
「ベンバ様まで。これでは私の立つ瀬がありませんな」
 大きな額をぴしゃりと叩きながら、ピントンはそう言って肩をすくめる。
 ロカは今日、ピントン家の客人として邸宅に招かれているところであった。
 この屋敷をピントンに提供したのは彼の主人アントネエフだが、物件を用意したのはロカと聞いて、ピントン夫人から是非にと招待されたのである。だがピントン自身が多忙なためになかなか日程を合わせることができず、ようやく夫人の招待に応じることが出来たのは、ピントン夫妻がこの屋敷で暮らして一年以上経ってからのことであった。
「テネヴェに移り住むと聞いて、最初はどうなることかと正直心配でしたが、住めば都ですわね。ここは新鮮な海産物も豊富だし、なんと言ってもテネヴェ産の小麦で再現したパンに慣れてしまうと、もうスレヴィアには戻れません」
「そこまで喜んで頂けると光栄ですな。テネヴェは農産物も豊かな星なので、ほかにも色々と美味しい料理がありますよ。今度、家庭用の現像機(プリンター)でも扱える、特製の設計図(レシピ)集をお届けしましょう」
「まあ、本当ですか? それは楽しみですわ」
 上機嫌になった夫人を見て、ピントンが小さく苦笑する。外見は夫にそっくりだが、中身は明らかに家庭的な夫人が、テネヴェに永住するには相当の覚悟が必要だったろう。そんな不安を努めて振り払おうと振る舞う彼女を見て、ロカは内心複雑な想いだった。
 セランネ湾を眺め下ろすピントン家の居間で、三人はしばらく談笑に興じていた。お喋りの主役は夫人が務めることが多く、時折りピントンがたしなめて、ロカがささやかに混ぜっ返す。ロカは久方ぶりに心から会話を楽しんでいたが、それも夫人の顔に苦悶の表情が浮かぶまでのことであった。
 青ざめた夫人の身体をピントンは慌てずに抱え、寄り添うように寝室まで連れていく。やがて彼がひとりで戻ってくるまでの間、しばしの時間を要した。
「お見苦しいところをお見せしました。妻は少々、身体が弱くてですね。ここ数日は体調が良かったものですから、安心していたのですが」
 昨日今日の事態ではないのだろう。そう語るピントンの表情は落ち着いたものだった。
「それはいけない。私などがお邪魔などして、お身体に障ったのでなければ良いですが」
「どうぞお気になさらないで下さい。ベンバ様をお招きしたいと申したのは妻ですから。ようやくお会い出来て、少々はしゃぎ過ぎただけです。一晩休めば明日には体調も戻るでしょう」
 思わず腰を上げかけたロカに対して、ピントンは両手を上げて再び腰掛けるように促す。
「スレヴィアに居た頃は、アントネエフ家の主治医も側にいて診てもらえていたのですが、こちらではかかりつけの医者がいても、すぐに来てもらうというわけにもいきません」
「医療ロボットは手配されていないのですか?」
「いえ、もちろんございます。ただ妻自身がロボット治療に慣れておりませんで。そこだけが難儀しております」
 そう言うとピントンは、テーブルの上のティーカップに手を伸ばした。つられるようにしてロカもティーカップに口をつける。夫人が手ずから淹れてくれた二杯目の紅茶は、既にすっかり冷め切っていたが、草の香りを思わせる風味はまだ残っていた。
「この紅茶の茶葉は、妻がわざわざスレヴィアから取り寄せたのですよ」
 カップから口を離したロカに告げるピントンの口調は、どこか誇らしげだった。
「テネヴェの食べ物はどれも美味しそうに食べてくれるのですが、茶葉だけはやはり昔から馴染んだものが一番らしくてですね。嗜好品ということで、なかなか関税撤廃対象に含めてもらえないのが残念ですが」
「事務局長なら通商局にねじ込むことなど、造作もないでしょうに」
 ロカの思ってもいない軽口に、ピントンが声を立てずに笑う。ロカとしてはそれ以上のことは言えなかった。
 夫人の体調を慮るなら、馴染みの茶葉が手放せないのなら、スレヴィアに戻れば良いに決まっている。だが彼にはそれが出来ないのだということを、ロカは既に察していた。囚われの身になぞらえることも出来るかもしれない、ピントンの胸中によぎるのは果たしてどのような想いなのだろう。
「いけませんな。相手の考えが全てわかってしまうというのも、善し悪しです」
 そう言ってピントンが小さくため息をつく。
 彼の言葉を耳にして、ロカはテーブルに戻しかけていたティーカップを思わず取り落としそうになるところだった。そして目の前の福々しい顔立ちの男の顔を見ると、そこにあったのは心底申し訳なさそうな表情であった。
「ベンバ様には余計なお気遣いばかりさせてしまいましたこと、お詫び申し上げます。これまでのいきさつもあって、なかなかあなたとふたりでお話しするという機会がなかったので、今までお伝えすることが出来ませんでした」
 丸々とした指を突き出た腹の上で組みつつ、そしてピントンはさりげない口調で告げる。
「あなたのお察しの通りです。私はレンテンベリ議員とシュレス女史、それぞれと《繋がって》います」
 ロカは全身の筋肉を強張らせたまま、ただピントンの顔を見返すことしか出来ない。
「彼女たちの口からお伝えしても良かったのですが、私からこうして伝える方が確実に信じてもらえると思い、これまで引き延ばしになってしまいました」
「……いつから、彼女たちと《繋がった》のはいつ頃からのことですか?」
 そんなことを訊いても詮無いことだということはわかっていたが、ほかに口にする言葉がロカには思いつかなかった。
「そうですね。確かバジミール様の常任委員長就任の直後でしょうか」
 ピントンは丸い指をこねくり回しながら、淡々とした口調で答える。
「初めてお会いしたときからレンテンベリ議員は危険な存在と認めていたつもりなのですが、まさかこんな目に遭わされるとは、さすがに想像を超えていました」
 そう言ってピントンは、彼らしからぬやり切れない表情を浮かべた。
「バジミール様とはいずれお別れしなければならず、病弱な妻を無理矢理に呼び寄せる羽目となった。何より故郷の地を踏むことは、もはやかなわない。あんまりな仕打ちだとは思いませんか?」
 いささか芝居がかった口調で悲嘆してみせるピントンの恨み言はどこまでが本気なのか、ロカには推し量ることが出来なかった。仮に全て本気なのだとしても、それは全く不思議ではない。もしロカが同じ立場に立たされたとしたら、絶望のあまり身を投げたくもなるだろう。
「本当にベンバ様という人の性根は、優しく出来てらっしゃる」
 ロカの胸中を見透かしたのだろう、ピントンは穏やかな笑顔を浮かべてそう言った。
「残念ながら、私には自殺という手段も選べないのです。彼女たちがそれを許すはずがありませんから。《繋がった》者が自ら命を絶つということは、様々な意味で有り得ない。でもまあ、ご安心下さい。先ほどの泣き言が嘘だとは申しませんが、今は彼女たちと随分と混じってしまったのか、私もこの状況を受け入れております」
「……そんなことを告白されて、私にいったいどうしろというのですか」
 膝の上で拳を握り締めながら、ロカはピントンにそう尋ねるしかなかった。
 イェッタたちに囚われることとなったピントンへの同情は尽きないが、同時に彼は今や彼女たちと《繋がる》、一心同体の存在へと変質しているはずだ。彼のことをローザン・ピントンという個人として捉えるべきなのか、それともイェッタやタンドラと同一に見做すべきなのか、ロカは混乱に陥っていた。
「何も。今まで通りにあなたがあなたらしく振る舞うことを、〝我々〟は望んでいます」
 そう語るピントンがロカを見返す目には、何かを無念がるような、諦めに似た表情が浮かんでいた。
「本当は我々も、真実を明かすつもりはありませんでした。ですがあなたの心に、ローザン・ピントンもまた《繋がった》のではないかという疑念が生まれてしまった。疑念を疑念のまま放置しておくことは、今後我々がベンバ様と付き合っていく上で大きなリスクになります」
 そこに合理的な理由が存在するということを聞かされて、ロカの胸中に一瞬怒りとも失望ともつかない感情が芽生えかける。だがそれも、ピントンが発した次の言葉によってすぐ打ち消されてしまった。
「何よりレンテンベリ議員は、これ以上真実を伏せておくことに耐えられなかった。今日の私の告白は、あなたに対して誠実でありたいという、彼女なりの意思の表れだと思って下さい」
 イェッタなりの誠実さ。その言葉をピントンの口から聞かされるという状況が未だ呑み込みきれず、ロカの内心はとても落ち着くことは出来なかった。
 ディーゴを失ってから、イェッタとタンドラが新たに《繋がる》という手段を初めて選択して、ロカは激しく動揺していた。彼女たちはもうこれ以上は《繋がる》こともないだろうと、なぜか勝手に思い込んでいたのだ。
 だがそれはあくまで彼の思い込みに過ぎず、イェッタもタンドラもその手段を封じると口にしたことは、一度もなかった。
 それにしても、どうして今になってそんな手段を取ることを決めたのか。悩むまでもない。その理由はロカにも容易に想像がついた。
「その通りです。ここから先は、彼女の口から直に聞いてあげて下さい」
 またしてもロカの思考に答える形で、ピントンがわずかに身を乗り出しながら告げる。
「タンドラ・シュレスの寿命は、間もなく尽きようとしています」

「もう、いつお迎えが来てもおかしくないね」
 タンドラの口調は、ロカが想像していたよりもずっと明瞭だった。
 常に冷静を保ってきたタンドラらしく、ベッドの上で身動きが取れなくとも取り乱すということはない。だが時に辛辣ですらあったふてぶてしさは影を潜め、落ち窪んだ眼窩に痩けた頬ばかりが目立つその容貌は、分厚い疲労に覆われていた。
 天井から吊された大きな透過パネル型端末と、右手が届くようにコントロールボールが配されたベッドの上で、細く息をする度に胸を小さく上下させるタンドラの姿は、かつて惑星クロージアから帰還したばかりの彼女自身を彷彿とさせる。
 今さら慰めの言葉をかけても何もならないことは、ロカもよくわかった。彼が口にしたのは、もっと直接的な質問であった。
「だからピントンと《繋がった》のか?」
 タンドラの枕元に寄せたスツールに腰掛けて、ロカはそう問いかける。
 詰るつもりはない。ただ、ここまで来たら真実を知らないわけにはいかなかった。
 何より彼女と《繋がった》ピントンから、真実はタンドラの口から聞き出すように促されたのだ。
「あんたにはどこまで話したものか、本当に悩んだんだよ」
 枕の上でロカの顔を見上げていたタンドラは、そう言って隈が目立つ目を伏せた。
「ピントンと《繋がる》まで、つまりつい最近までのことだけど。イェッタと私は《繋がって》いながら、それまで個々の人格を保つことが出来ていた。それぞれの考えが混ざり合うことはあるけれど、それはふたりの間で、思念を通じてコミュニケーションを取った結果だった」
 彼女の言葉が過去形であることを、ロカは聞き逃さなかった。今、彼女たち以外の人物と新たに《繋がる》という選択をしたことで、もはやそうではなくなりつつあるのだということを、タンドラは暗に示唆している。
「私たちふたりがそれぞれのままでいられたのはロカ、多分あんたのお陰なのさ」
 タンドラの言葉を耳にしても、ロカは意外には思わなかった。むしろそうなのかという納得の想いが、彼の胸中を占める。
「私は、お前とイェッタが《繋がって》いることも、一心同体であることも理解していたつもりだ。だが、お前たちが同一人物であると思ったことは一度もない」
 かつてスタージア宇宙港でイェッタに誓って以来、彼女に仕えるようになってから以後も、ロカはそれまでの自分を貫くことに努めてきた。その結果、イェッタとタンドラはそれぞれの人格を維持出来ていたというのなら、それはおそらくロカにとっては献身が報われた結果と言って良いのだろう。
「ありがとう、ロカ。あんたのお陰で私は、タンドラ・シュレスのまま死ねる。夢に見た銀河連邦の成立を見届けることが出来たのは、望外の幸運だったよ」
「銀河連邦を成立させた立役者のひとりは、間違いなくお前だ。傍観者みたいなことを言うな」
 タンドラは口角の片方だけを上げて、小さな微笑を浮かべると、やがて瞼を閉じた。少し疲れたのだろうか、二度三度とゆっくりと呼吸する。
 本当に、彼女はもうすぐ死んでしまうのだ。
 目の前のタンドラを見て、ロカはただ唇を噛み締める。そうしていないと、胸の奥からこみ上げてくる感情を抑え込むことが出来なかった。
「そんな顔をするんでないよ。わざわざ頭の中を覗かなくとも、思考がだだ漏れだ」
 いつの間にか目を開いていたタンドラが、幼子をあやすかのような口調で言う。
「あんたにはまだ、色々と言っておかなきゃならないことがあるんだ」
「……お前の死後の、イェッタのことだな」
「そうだよ。長くなるけど、あんたには知っておいて欲しい」
 そう言うとタンドラはロカから視線を逸らして、病室の天井に目を向けた。だがその目は淡い光を放つ天井に焦点を合わせているのではなく、もっと遠いところを思い浮かべているように見えた。
「あんたも察している通り、ピントンと《繋がった》一番の理由は、イェッタを道連れにしたくなかったから。確かめたくもないけれど、ふたりきりのままだったらおそらく、私と一緒に彼女も命を落とすことになったと思う」
 迎賓館でテラス越しにアントネエフと言葉を交わしたあの夜以来、ずっとロカが抱き続けてきた疑念を、タンドラは簡潔に解き明かしてみせた。
 しかし、だからといってロカの心が晴れるわけはない。
 むしろ納得出来ないという想いが、彼の胸中に明確な形を成して湧き上がってくる。そんな理由ならば、なぜピントンを選んだのか。疑問と言うよりも激しい、訴えに近い言葉が、喉の奥から込み上げる。
 だが彼が口を開くよりも早く、タンドラが口にしたのは衝撃的な一言だった。
「今、私たちと《繋がって》いるのは、ピントンだけじゃない」
 大きく目を見開いて、ロカは辛うじて尋ね返すことしか出来ない。
「……何?」
「連邦の中に、十三人。それ以外にも八人。私とイェッタを合わせれば、全部で二十三人の人間が《繋がって》いる。この数字は今後も増えこそすれ、減ることはないだろう」
「二十三人……」
 タンドラの言葉を繰り返しながら、ロカは呆然として彼女の顔を見返した。タンドラは相変わらずロカと目を合わせようとせず、天井を見つめたまま語り続ける。
「以前ならこんなに大勢の人間と《繋がる》のは不可能だった。でも、ここ数年のテネヴェ全体の急激な情報産業の発展で、《繋がる》ための計算資源を確保出来るようになって、ようやく可能になったんだ」
「何を言っているのかわからん。お前たちが《繋がる》のに計算資源がどうのこうの、なんの関係がある」
「ロカ、私たちが《繋がる》には、計算資源としての機械と、それを動かすだけの電力が必要なんだ」
 そこまで言い終えてから、タンドラは枕の上で再びロカに顔を向けた。既に生命力が失われつつあるというのに、その目には力強く訴えかけるものが込められている。
 ロカは自分がどのような顔をして彼女と目を合わせているのか、もはやわからない。ただ脳裏に一瞬、忌むべき言葉がよぎってしまったことには気がついていた。
「あんたが今、思い浮かべた通りさ。機械と共生して生き永らえる、まるで《オーグ》のようだろう」
 タンドラの言葉に自嘲の響きはない。ただ、彼女がこれほど悲しげに口を開くのを、ロカは初めて耳にした。
「でもイェッタは責めないでおくれ。ピントンと《繋がる》ことを薦めたのは、私だ」
「……それにしても、そんな無節操に多くの人々と《繋がる》必要があったのか」
「ピントンと《繋がる》ことを選んだときから、そんな縛りは無意味になってしまったんだよ」
 ふっと一息ついたタンドラの顔には、何気ない会話を交わすだけでも蓄積していく疲労が色濃く滲み出ている。
「イェッタは、死ぬことを恐れている。心の底からね。これは彼女の本質的なものだ」
 当然のことを聞かされて、ロカが訝しげに答える。
「それは、誰だってそうだろう」
「イェッタの場合は、それが度を超している。追い詰められた彼女は、死を逃れるためにどんな手を講じることも躊躇わない。クロージアから脱出するとき、彼女が私を無理矢理に延命した理由はただひとつ。私がいなければ宇宙船の操縦が出来なかったからさ」
 かつて決死の思いで帰還した状況が思い返されたのか、タンドラはそう言って瞼を伏せた。
「そして正気に返った途端、激しく後悔するんだ。私が半身不随のまま回復が絶望的と知って、彼女はとてつもない引け目を感じていた。自分が生き延びるために取った手段のせいで、私が生きながら苦しむ羽目になったってね。その引け目につけ込んで、私は彼女を銀河連邦なんていう妄想に付き合わせたんだよ」
 タンドラは生気の乏しい顔の片頬だけを吊り上げて、偽悪的な笑みを浮かべようと試みる。
 だがロカは、彼女の言うことに頷くことは出来なかった。
「だとしても銀河連邦は実現したし、そのことを多くの人々が歓迎している。動機が何であれ、お前たちが果たした功績は計り知れない」
「ディーゴを犠牲にしていなければ、私も胸を張ってそう言えたよ」
 ディーゴの名を口にされて、ロカはそれ以上反論することが出来なくなってしまった。
 ロカ自身、ディーゴの死を軽んじることが出来なかったからこそ、今の今まで銀河連邦の実現に向けて尽力することが出来たのだ。彼の死の当事者とも言えるイェッタやタンドラにしてみれば、なおのことだろう。
「ディーゴを死に追いやってしまったことで、私たちも後戻り出来なくなってしまったんだよ。もう途中で諦めるわけにはいかない、そう思って今までやってきた。結果はあんたもよく知る通りさ。色々あったけれど、ここまでは上手くいった。でも最後の最後、私が先に死ぬのが誤算だった」
 そう言うとタンドラは苦悶して顔を歪めた。それが命の尽きつつある人に等しく訪れる表情なのか、それとも後悔の表れなのか、ロカには判然としない。
「私はイェッタより先に死んではいけなかったんだよ。イェッタが先に死んでしまうのなら、私は彼女と一緒に寿命を迎えても構わなかった。でもイェッタは違う。彼女は死にたくないんだ。そしてどうすれば生き永らえるかを知っている。多くの人と次々と《繋がって》いけば、たとえ肉体が死んでも残った人の思念と混じり合って、永遠に生き続けられるということを知っているんだ」
「《繋がる》ことで永遠に生き続ける、だと」
 名状しがたい表情を浮かべたまま、ロカはタンドラの言葉を反芻する。
「馬鹿馬鹿しい。そんなことをイェッタが望んでいるわけがない」
「イェッタの理性は望んでいない。むしろ毛嫌いしているぐらいさ。でもそれは、自分の正体を無意識に自覚して抑え込もうとする、彼女の努力の結果に過ぎない」
 苦しげに眉をひそめながら、タンドラは喋ることを止めようとはしなかった。ロカに全てを伝えなければならないという意志だけが、瀕死の彼女の唇を動かしている。
「イェッタの本能は、どうしようもなく生き延びることを求めている。ふたりであり続けられたイェッタと私が、唯一完全に混じり合ってしまったのは、その強烈な生存本能だった。私もいつの間にかイェッタの本能に呑み込まれて、そしてピントンと《繋がる》ことを後押ししてしまった」
 そこまで一息に喋りきったタンドラは興奮のせいか、不意に激しく咳き込みだした。ロカが可動式ベッドを操作して上体を起こし、彼女の背中を擦る内に咳は少しずつ治まっていく。息も絶え絶えに、角度のついたベッドに凭れるようにして身体を預けたタンドラは、土気色となった顔に懇願するような表情を浮かべていた。
「ロカ、《繋がる》者同士が混じり合うってのは比喩じゃない。放っておけばどんどん混ざる。私とイェッタが混ざり切らないで済んだのは、ひとえにあんたのお陰だった。でも私が死んだら、その先はどうなるのかわからないんだ。彼女のことを頼めるのは、あんたしかいない」
 死を目前にしたタンドラが初めて見せる必死な表情を目の当たりにして、ロカは何度も首を縦に振る。たとえどうすれば良いのか見当もつかないとしても、力強く頷くロカの気持ちに偽りはなかった。
「案ずるな。私はイェッタの秘書だ。私が彼女の面倒を見ないで、誰が見る」
「……それでこそロカ・ベンバだ。後のことは、任せたよ」
 ロカの言葉を聞いて、タンドラがどれほど安心できたのかはわからない。だが疲れ切ってそのまま眠りに陥った彼女の顔に、微かな笑みが浮かんでいるように見えたのは確かだった。
 タンドラ・シュレスがセランネ区中央医院の病室で眠るように息を引き取ったのは、それから一ヶ月もしない内のことであった。
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登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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