3ー1 記憶

文字数 4,674文字

「船長は昔、博物院にスカウトされたことがあるって、本当ですか?」
 まだ少年の面影を残す若い乗員(クルー)が何気なく発した問いに対して、宇宙船の操縦席から振り返ったリバー・シャフツィーは、太い眉を力一杯にひそめてみせた。
「なんだそりゃ。誰から聞いた?」
 表情のみならず声音さえ不機嫌そうなリバーに、乗員(クルー)は全身を縮こまらせながら「船長です」と答える。
「俺が?」
「チャカドーグーで連れて行ってもらったお店で、船長がそう言って女の子を口説いてたんですよ」
 チャカドーグーといえば、彼らの乗る小型貨物宇宙船がつい一週間前に後にしたばかりの星である。ちょうど久方ぶりの大型取引を終えて懐具合が潤ったこともあって、目の前の若者を伴って夜の街に繰り出したことを、リバーは思い出した。
「……待て、ビコ。お前と一緒に飲みに行ったのは確かだが、そんなことを話した記憶はないぞ」
「ああ、確かにあの夜は船長、相当酔っ払ってましたからね。最後は酔い潰れちゃって、宿まで連れて帰るのも大変だったし」
 ビコと呼ばれた乗員(クルー)はブリッジの天井に視線を漂わせてその夜の記憶をたぐるが、彼が口にしたことはいずれもリバーには憶えのないことばかりであった。思い返せることといえば、翌朝目覚めたときにはベッドに着の身着のままで突っ伏していたことと、頭が割れるような宿日酔いに襲われたことだけである。
 だがビコがそう言うこと自体には、実のところ心当たりがあった。自分がしたたかに酔ったとき、つい口にしてしまう常套句があることを、リバーはこれまでの経験上知っている。それを、よりによってこの若造の前で口走ってしまうとは。どうやら己が犯してしまったらしい失態を誤魔化すように、リバーは伸び放題の赤毛を乱暴に掻き毟った。
「もしかして、聞いちゃいけない過去だったりしました?」
 ビコが遠慮がちに上目遣いで尋ねてくる。その顔を見返すリバーの表情は、いかにもばつが悪い。
「そういうわけでもないが……博物院にスカウトされたことがあるってのは本当だ。もう二十年近く昔の話だがな」
「本当なんだ、そりゃ凄いや! 俺は学がないからよく知らないですけど、確か博物院生って超エリートでしょう」
 ビコは目を輝かせながら素直に感心し、その後に当然の疑問を口にする。
「でも今は貿易商人をやってるってことは、博物院には入らなかったってことですよね。なんでまた」
「断ったんだよ」
 至極つまらなさそうなリバーの答えに、聞き返すビコの口振りにはますますもって驚きが増す。
「断った、どうして?」
「どうしても何も、この銀河系で一番お堅いに決まってる、あの博物院だぞ。そんな伝統でがっちがちの組織になんか入って、この俺がやっていけると思うか?」
 憮然として腕を組むリバーの顔を、ビコはまじまじと見返した。
 鳶色の瞳は常に重そうな瞼に半ば塞がれて、その下には年中睡眠不足を思わせる隈が張りついている。尖った鼻先の下の血色の悪い薄い唇は歪な形の笑みこそがよく似合い、削げ落ちた頬を結びつける顎先は無精髭で覆われている。おまけに一年以上は散髪していない赤毛は、うなじの辺りで無造作にひとまとめにしないと収まりがつかない。
 何より中背に痩せぎすの背格好はやや猫背気味で、お世辞にも爽やかとは言い難い。リバー・シャフツィーとは、零細の貿易商人を絵に描いたような容貌の持ち主であった。
「まあ、澄まし顔で博物院生をやってる船長とか、想像もつきませんね」
「だろう? 賭けてもいいが、俺が博物院なんて入ったら、堅苦しすぎて初日で窒息するぜ」
 リバーの力説ぶりがよほどおかしかったのだろう。ビコは彼の顔に向かって堪えきれずといった体で吹き出した。
「お前、船長に向かってその態度はなんだ!」
「だってそんなに力一杯に言い切らなくても……」
「ああ、つまんねえ話で時間を無駄にした。だいたい次の極小質量宙域(ヴォイド)を越えたらミッダルトに着くんだから、お前も余計な話を振ってる暇があったら荷揚げ前の最終チェックでもしとけ!」
 理不尽に怒鳴りつけられるまま、肩をすくめたビコがブリッジを出て行くのを見届けてから、リバーはふんと鼻を鳴らして操縦席の前に広がる光景に目を向けた。
 ホログラム・スクリーンやモニタ類に埋め尽くされたコンソールの上には、操縦窓越しに漆黒の宇宙空間が広がっている。眼前に広がる一面暗黒のような闇には、目を凝らせば大小無数の星明かりが張りついていることがわかるだろう。この二十年来ですっかり見飽きた景色を眺めながら、リバーの脳裏にはビコとの会話によって呼び覚まされた過去の記憶が去来していた。

 中等院の巡礼研修でスタージアを訪れたリバーはその最終日、滅多に余人の目に触れることがないという博物院の院長室に招かれた。
 初めて間近に見る院長導師は、室内に浮かぶ巨大な天球図のホログラム映像を背にして、肘掛け椅子にゆったりと腰掛けていた。院長はリバーに対して楕円形の長机の向かいの席に座るよう仕草で薦めると、おもむろに「君を博物院生に迎え入れたい」と切り出した。
 予想だにしなかった事態に、リバー少年は思わずせせら笑ったものだ。
「冗談きついですよ」
 しかし院長は少しも動じることなく、その表情は至って真剣であった。
「冗談ではないよ、リバー・シャフツィー。我々は君の資質を高く評価している」
 黒い瞳に真摯な眼差しでそう語りかけてきたあの院長の名前は、いったいなんと言っただろうか。浅黒い肌をした温厚そうな、壮年の紳士だったことはよく覚えている。
 院長が本気でスカウトしているのだということはわかったが、だからといってリバーは感銘を受けるような性質(たち)ではなかった。むしろ冗談であってくれと願っていた程である。有り体に言って博物院への誘いとは、リバーにしてみれば有り難迷惑以外の何物でもなかった。
「そいつは光栄ですけど、正直勘弁して欲しいなあ。だって銀河系で一番の伝統を誇る博物院でしょう?」
 そもそもリバーは幼い頃から、集団生活というものを苦手にしてきた。そのつもりがなくとも、多数の中にいるとどういうわけか歩調を乱す原因になりやすいのだ。もっとも周囲と馴染めない現実に思い悩むというような可愛げともまた無縁だったから、結果として今日まで単独行動ばかりの日々を過ごしてきた。
そんな自分が博物院のような巨大かつ歴史ある組織の中に放り込まれたら、格式張った息苦しさに目眩を起こすに違いない。集団の中で浮き上がった自分が容易に想像出来て、リバーは力一杯に首を振った。
「俺の何を評価してくれたのかわかんないけど、無理ですって。博物院に入ったとしても、何していいかわからずにひとりでうろうろしているとこしか想像出来ませんよ」
 それ以上に――と口にしかけて、リバーは寸前で口をつぐんだ。
 彼は巡礼研修の一週間を、全体講義などごく一部の時間を除いてほとんどひとりで過ごしてきた。その方が気楽だったからだし、級友もそのことを承知しているからわざわざ誘われることもない。リバーはひとりきりで博物院の建物の中やその周囲を取り囲む博物院公園、さらにその周りに広がるスタージアの街並みを漫然と歩き回り――その至る所でどうにも落ち着かない、居心地の悪さを感じていた。
 少年がぽつねんとあちこちをうろつき回ろうとも、常に多くの巡礼客で賑わうスタージアでは目立たない。実際、研修期間中に彼に声をかけるような人間は、飲食店の店員以外にはひとりもいなかった。
 にも関わらず、リバーは自身に注がれる関心に気づかないでいられなかったのだ。
 誰と視線が合うわけではない、耳をそばだてられているわけでもない。なのに一挙手一投足を見張られているような、監視されているという感覚が拭えない。
 自分が精神に異常をきたしたのか、とは思わなかった。なぜなら彼の違和感は、ここスタージアを訪れてから突然に生じたものだったからだ。むしろさすが〝銀河系人類始まりの星〟だと、妙な感心すらしたものである。
 スタージアにはほかの星にはない、特殊な何かがあるのかもしれない。仮にそうだとして問題は、そんな過干渉で鬱陶しい何かが充満するこの星は、リバーとは極めて相性が悪いだろうということであった。
 黙りこくったまま思考を巡らすリバーに、博物院長はふと微かな笑みを浮かべて口を開く。
「我々が君を評価するのはその、最短距離で真実に迫る洞察力だ」
 それはまるで、彼の頭の中を読み取った上で発せられたかのような言葉であった。リバーが軽く目を見開いた視線の先で、院長は小さく首を振りながら告げる。
「博物院は君が思うような堅苦しさとも鬱陶しさとも無縁だよ。そのことは保証しよう」
「でも聞いたことがありますよ。博物院は門外不出が多すぎて、だから博物院生は一生スタージアから出ることは出来ないって。俺は卒業したら貿易商人に弟子入りするつもりなんです。そんな、ひとつの星に一生縛られ続けるなんて御免だ」
 リバーが貿易商人を目指すのは、彼なりの理由があった。独立貿易商人は己の力のみを恃みに、銀河系中を飛び回るのだという。何より集団に属せずに済むという点で、そのときのリバーにはうってつけの職業に思えたのだ。
 そこまで口にしてから、少々喋りすぎたかもしれないということにリバーは思い当たった。気がつけば向かいに座る博物院長は、眉根を下げて残念そうな笑みを浮かべている。
「無理強いはしないよ。君という人材を手に入れられないのは残念だが、君の選択は尊重する」
「……そいつはどうも」
 余計なことを言えば言うほど考えを読み取られそうな気がして、リバーは極力言葉少なに返事した。だがなるべく無表情であろうと努めても、一度抱いた不審が眉間に浮かび上がるのはどうしようもない。既に誘いははっきりと断ったのだから、さっさとこの部屋から退出しよう。そう思って踵を返しかけた矢先、院長の声がリバーを呼び止めた。
「博物院長としてではなくひとりの大人として、ひとつだけ言っておこう」
 足を止めて振り返るリバー少年に、天球図を背にしたまま院長席に腰掛ける博物院長の言葉は、あくまで穏やかだった。
「少ない材料から真実にたどりつく君の力は素晴らしい。だが見出された真実をどのように扱うか、それには洞察力とは異なる、判断力が必要とされる」
 何を言い出そうというのか。リバーは肩越しに院長の表情を確かめようとしたが、先ほどまで読み取れたはずの壮年の紳士の顔は今、漆黒の天球図の陰に紛れて不明瞭だった。
「判断力を磨くのは一にも二にも経験、とりわけ他者との交わりこそ肝要だ。君はもっと多くの人々と交流すべきだよ」
「まさか院長導師から直々に、そんな親切な言葉をかけてもらえるとは思ってませんでしたよ」
 皮肉っぽく言い返したリバーの言葉に、陰と同化した院長の輪郭が軽く身じろぎする。もしかしたら苦笑したのかもしれない。
「人は生きている限り、他者との関係から無縁ではいられない。一方でどれほど大切な関係も、断ち切ることは容易だ。それが己の失態と引き替えに学び得た、年長者としての教訓だよ。私の言葉を戯れ言と聞き流す前に、一度で良いからじっくり考えてみたまえ」
 院長がいったいどういう心づもりでそんなことを口にしたのか、いかに洞察力が優れていようとも、当時のリバーにはまだそこまで推し量るだけの経験が不足していた。結局彼に出来たことといえば、内心で肩をすくめながらせいぜい慇懃に黙礼して院長室を退出するのみであった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み