3ー3 N2B細胞代替薬

文字数 4,861文字

「あの店は個人で宇宙船を持つ方が集まると聞いて、依頼を受けてくれる人を探していたんです」
 ブライム・ラハーンディは準導師というだけあって、その薄茶色の瞳の奥底からは十分な知性が窺えた。初対面の際にはいかにも場違いな店内の雰囲気に気後れ気味であったが、こうして素面の状態で向かい合うと、落ち着いた表情が似合う青年であることがわかる。
 昨夜の酔いの回ったリバーだけでは、翌日改めてブライムと顔を合わせることは出来なかっただろう。彼と再会出来たのは、実はリバーよりもはるかに酒に強いビコが、酩酊した船長に代わって打ち合わせの予定を組み直したお陰であった。
 リバーたちが泊まる安宿の一室内が、その仕切り直しの場である。
「まだ依頼を受けるとは一言も言ってないぜ」
 リバーにしてみれば、わざわざ個人の宇宙船(ふな)乗りを直接探して回る人間など、面倒事を抱えているとしか思えない。ビコに対しては手際の良さを褒めるどころか、余計な手間を増やしたことを怒鳴りつけたい気分であった。
「それはもちろんです。ですがまずは僕たちの話を聞いて頂きたい」
 そう言ってブライムは、彼の左隣りに顔を向けた。今日の彼はひとりではない。彼の妻という女性を伴ってきていた。
「初めまして、ブライムの妻のハーレと申します」
 夫と並んで腰掛けた若い女性は、にこりとした笑みを浮かべてそう名乗った。長い黒髪はところどころ丁寧に編み込まれて、彼女の両肩にも細い三つ編みが揺れていた。彫りの深い顔立ちの両眼の奥には、大きな黒い瞳が覗く。栗色の肌に覆われた、ほっそりとした身体(からだ)全体に控えめな雰囲気をまとって、準導師というブライムにはいかにもお似合いだ。
「ジャランデールまで連れて行って欲しいって話だったな。それぐらいならわざわざ俺に頼まなくとも、普通の旅客会社を頼った方がよっぽど割安だし確実だぜ」
 夫妻と向かい合うようにして肘掛け椅子に腰掛けていたリバーは、脚を組んで片腕を背凭れの後ろに回した格好でそう告げた。ベッドの上で胡座をかくビコがひやひやとした表情を向けるが、リバーはぶっきらぼうな態度を崩すつもりはなかった。
 彼が言うようなことは、ブライムもハーレも当然わかっているだろう。そしてその当然の方法が出来ない理由があるから、リバーに依頼を持ちかけたのだ。
 多少の無礼など気にしていられない、切羽詰まった状況であるに決まっている。
「旅客会社からは、全て断られてしまいました」
 眉をひそめながらのブライムの回答は、リバーにしてみれば案の定であった。
「このミッダルトに出入りする旅客会社がいくつあると思ってんだ。その全部に断られたってのか? まさか重大犯罪の前科があるとかじゃないだろうな」
「ハーレは、先天性のN2B細胞欠損なんです」
 リバーの邪推に対して首を振りながら、ブライムは心苦しそうな口調で答えた。その隣りでハーレが長い睫毛を心持ち伏せる。
 若い準導師の言葉は、リバーを納得させるには十分であった。
「生まれつきN2B細胞がないってことか。なるほど、それはどこも断るわけだ」
「N2B細胞がないと、なんか不味いんでしたっけ」
 首を傾げるビコの顔を、リバーはあからさまに馬鹿にした目つきで見返した。
「定期健診のチェック項目に入ってるだろうが。N2B細胞は宇宙線障害や惑星ごとの固有の風土病から人体を守る、星間旅行には不可欠な器官なんだよ」
「てことは、どの旅客会社からも断られたってのは……」
「この奥さんをうっかり宇宙船(ふね)に乗せて、ジャランデールに着くなりぶっ倒れられたりしたらかなわんってわけだ。責任を問われかねないからな」
 リバーに片手で指し示されて、ハーレがますます顔を俯かせる。だがリバーは彼女の心情などお構いなしに、突き放すように言い放った。
「俺だって御免だぜ。宇宙船(ふね)の中でいつくたばるかわからない人間なんて乗せるつもりはない。悪いがお引き取り願おう」
「ハーレはもう、大丈夫なんです!」
 早々に話を切り上げようとするリバーに、ブライムが語気を強めて反論した。
「彼女の身体(からだ)はとっくに完治しているんです。そのことを何度も訴えたのに、どこも取りつく島がなくて。それであなたのような貿易商人に依頼することにしたんです」
「完治したってなあ。先天性のN2B細胞欠損とか、それ自体があまり聞き慣れないのに。そんな珍しい症状をわざわざ治そうっていう奇特な奴が、そうそういるわけが……」
「いますとも。それもこの銀河系中で最も聡明として知られる方が、ハーレの治療に取り組まれました」
 そう言い切るブライムの目には、それこそが彼の最も言いたいことであるかのように力強い光が宿っていた。
「彼女の治療を担当したのはドリー・ジェスター師。あなたも名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう? ミッダルト総合学院の院長にして、この銀河系人類社会でも右に出る者のない、N2B細胞研究の第一人者ですよ」

 ドリー・ジェスターという研究者の存在は、リバーも当然知っている。
 というよりもよほど世間に疎い者でなければ、一度は耳にしたことがある名前だろう。
「俺、その人知ってますよ。なんかのニュースで見たことある。ちっちゃいけどやけに目力の強いおばあちゃんですよね」
 ようやく自分にも理解出来る話題と思ったのか、ビコが嬉々とした顔で口を挟む。彼の発言にブライムもここぞとばかりに力強く頷き返した。
「そうです。そのニュースは多分、ジェスター師が先日の連邦評議会で外縁星系(コースト)の新規開拓を訴えた演説を報じたものですね」
 ドリー・ジェスターはN2B細胞研究のみならず人体に関するあらゆる分野に通じ、それどころか歴史など人文科学にも造詣が深い、巨大な才能の持ち主としてその名を銀河系中に轟かせる存在だ。
 銀河連邦は外縁星系(コースト)開拓に関する指針をまとめるために、当代の知識人や専門家たちに意見を仰いだ。そして連邦評議会の場で代表して回答したのが彼女だったのである。
「かつてスタージアに端を発した人類の活動範囲は、今や百を超える惑星にまで及びます。ですが銀河系の広大さには、まだまだ比するべくもない。同盟戦争以来百八十年もの間停滞していた惑星開拓の動きが昨今復活しつつあることは、社会が再び活性化する兆しであり、人類にとって真に喜ばしいことだと言えるでしょう」
 連邦評議会ドーム中央の壇上に立ったドリー・ジェスターは、並み居る評議会議員たちを前にして力強く唱えたという。
「私たちはこの流れを全面的に支持します。銀河系は広い、人類は拡散するべきです」
 彼女の「銀河系は広い、人類は拡散すべし」という言葉は瞬く間に外縁星系(コースト)を目指す人々の間で格好の標語となった。世情に疎いビコが彼女の存在を知っているということ自体が、よほど銀河系中に流布したという証しだ。彼女の言葉に力強く後押しされて、銀河連邦が主導する外縁星系(コースト)開拓の動きは一層加速している。
「そのジェスター師は、長年取り組まれてきたN2B細胞研究の結果、N2B細胞の機能を代替する新薬の開発に成功しました」
 ブライムいわくその新薬によって、N2B細胞の特徴である身体調節機能を、N2B細胞以外の既存の体内器官で補完することが可能だという。
「その新薬のことを我々はAltN2B――N2B細胞代替薬(オルタネイト)と呼んでます。オルタネイトは数年前に既に開発されていましたが、実用化の目処が立ったのはハーレのお陰です」
 そう言ってブライムはちらりと横の妻の顔を見やった。夫の視線を受けて、ハーレが少しだけ気恥ずかしそうな顔を見せる。
「つまり奥さんの身体(からだ)を使って人体実験したってことか」
 目の前で交わされる夫妻の無言のやり取りが、なぜか無性に苛立たしく思えて、リバーはわざと身も蓋もない表現を使った。
「船長、いくらなんでも言い方ってもんが」
「いえ、その通りです。でもその効果は想定以上でした。今ではもう、オルタネイトの定期的な摂取さえ欠かさなければ、ハーレは長期間の星間旅行にも十分耐えうる。N2B細胞保有者となんら変わらないんです」
「随分とその、オルタネイトとやらに詳しいんだな。さっきも我々とか言ってたし、あんたもしかしてドリー・ジェスターの部下かなんかか?」
 リバーの憶測は当たっていた。ブライムはドリー・ジェスターの研究室所属で、ハーレの直接の担当者だったという。その事実を知って、リバーは意地の悪い笑みを浮かべた。
「そういう立場の人間が、担当患者とくっつくってのはどうなんだかねえ」
「いや、それはそのですね、私とハーレは研究者とか治験者とか関係なく……」
 それまで雄弁を振るっていたブライムが、途端にしどろもどろになる。かいてもいない額の汗を拭う素振りを見せる夫に代わって口を開いたのは、それまでほとんど喋り出すことのなかったハーレであった。
「ブライムは治験の期間中も私に対してずっと親身に接してくれました。船長さんはブライムが立場を利用してと思ってらっしゃるのかもしれませんが、その逆です。私の方からブライムを口説き落としたんですよ」
 ハーレはブライムを庇い立てするというわけではなく、それどころか満面の笑みを浮かべて誇らしげですらあった。堂々とした惚気とでも言えば良いのだろうか。毒気を抜かれたリバーは「ははあ」と頷くしかなかった。
「こいつはまた、見た目以上に肝の太そうな奥さんだ」
 半ば呆れ顔で頭をぼりぼりと掻くリバーに、ハーレは穏やかな、それでいて畳みかけるような口振りで言う。
「私は今回のジャランデール行きで、ジェスター師が開発されたオルタネイトの素晴らしさを証明するつもりです。そうして初めて私は、ジェスター師やブライムへ恩を返すことが出来るんです」
「そいつは殊勝な心懸けだが、だからって巻き込まれようとは思わないんだよ」
「失礼ですが船長さんは、当座の金策にお困りだそうですね」
 ハーレが口にする言葉が、突然生臭い内容に変わる。その口調がそれまでとあまりに変わらず穏やかなままだから、リバーは思わず聞き間違いかと耳を疑った。
 昨夜の酒場で酔ってくだを巻いていたところを、ブライムに聞き耳でも立てられていたのだろうか。金に困っているという弱みがあるからこそ交渉の余地があると、もしかしたらブライムにはそこまで見透かされていたのかもしれない。
「……だとしても、あんたたちには関係ない話だよ」
「私たちがジャランデールに赴くことについて、オルタネイト治験の一環という名目でジェスター師の研究室からも相応の支援を受けています。おそらく船長さんにはご納得頂けるだけの対価をお支払い出来ると思いますよ」
 ブライムではなく、まさかその妻から対価について口にされるとは思わなかった。てっきりこの青臭い準導師だけを相手にすれば良いものと考えていたから、リバーは完全に面食らった。そして同時に、交渉の主導権が相手に渡ってしまったことに気がついた。金額の問題ではないと言いたいところだったが、実際には今のリバーにとって金策は何よりも優先すべき問題なのだ。
 あれだけ必死だったブライムは今やすっかりハーレに会話を委ねて、ただ真っ直ぐにリバーの顔を見返しながら交渉の行く末を見守っている。ベッドの上で胡座をかいたままのビコは、心配そうな顔でリバーたち三人の顔を交互に見比べている。
 そしてハーレは穏やかな微笑をたたえたまま、リバーが回答するまでは自ら口を開くつもりがないことが明白であった。
 リバーは大きくため息を吐き出して、ついに夫妻の依頼を引き受けるしかなかった。
「足下見られているのは俺の方だってことはよくわかったよ。あんたたちの依頼を引き受けよう。ただし道中で奥さんがぶっ倒れたとしても、俺たちは責任は取らない。それだけは条件にさせてもらうぞ」
「もちろんです、よろしくお願いします」
 喜色満面で頷きながら立ち上がったブライムが、勢いよく右手を差し出す。リバーはひとしきり頭を掻き毟ってから、彼の手を握り返した。
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登場人物紹介

シンタック・タンパナウェイ:第一部に登場。

ドリー・ジェスター:第一部・第三部に登場。

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