七 玉突き事故

文字数 4,092文字

 五月二十日、木曜、〇時。
 何かが蠢いている。走りまわり、右往左往している・・・。
 佐介は息苦しくなって目が覚めた。同時に意識が覚醒し、フル回転で巡る、巡る。
 真理が佐介の胸の上に顔を乗せて佐介を見ている。息苦しいはずだ。
「さっきからたくさんの緊急車両が走りまわってるんだ。妙だと思わないか?」
 真理は顔を動かさずにそう言った。事故か事件か、いろいろ考えている。

 確かに妙だ・・・。ここ真理の家の西方に、遠藤院長の育善会総合病院がある。救急車で運ばれる患者がいても、多くの緊急車両が動きまわる事など過去になかった。大事故があって多数の重傷者が出て、救急車の出動が間に合わず、現場と育善会総合病院を救急車が往復しているのだろうか?
「妙だ。確認する・・・」
 佐介は長野中央署へ連絡した。

 中央署の報道担当職員は、長野大通りで多重玉突き事故があり、救急車が関係者を育善会総合病院へピストン輸送中だと説明した。

「サスケ!ゆくよ!」
 すでに着換えた真理がベッドサイドから、ジーンズとトレーナーとジャンパーを投げた。
 仕事がらただちに外出できるよう、着換えはベッドサイドに整えてある。撮影機材は玄関の機材バッグの中だ。
 真理のスマホが鳴った。真理は髪をポニーテールにして、イヤホーン端末で通話に出た。
「了解!現場は確認した!すぐ行く」
 そう言って真理は玄関へ移動した。佐介は素早く着換えて機材バッグを持って真理を追った。


 長野市内は、勝手知ったる第二の地元だ。昼間は駐車禁止区域でも深夜は駐車できる裏道がある。車を裏道へ走らせて長野大通り付近の裏道で車を降りた。
 長野大通り付近は野次馬でごった返していた。長野市街地北部から長野駅へゆく下り勾配の長野大通りが、善光寺の東側で直線から左カーブしてさらに右へカーブする。このS字カーブは傾斜が逆バンク気味だ。
「バカメ!S字カーブを曲がり切れずに突っ込みやがった!」
 真理が苦々しくそう呟いた。

 事故現場は事故処理車の投光器が車道と歩道の橅の大木を照らし、警官が路面とブナの幹を確認している。
 車道にはリアーウイングをつけた車高の低い白い車が転がっていて、そこへ十数台の車が玉突きしていた。車道を塞いでいる白い車は速度オーバーで車道から飛びでて、歩道の大きな橅幹にぶつかって車道に戻ったらしく、橅の幹は皮が剥がれて白い塗料がべったり幹にこびり付いている。車道にブレーキ痕は無く、高速でこのS字カーブを走り抜けようとしていた事がわかる。

「夜な夜な、うるさいんだよ・・・」
「深夜サーキットさ・・・」
「いくら取り締まっても、その時だけで、取り締まらなくなれば、すぐにレースだよ。いつかこうなると思ってたよ・・・」
 ボイスレコーダーを向けている野次馬たちが、真理の質問に答えている。
 佐介は事故現場を撮影し続けた。

 佐介は、車道を塞いで転がっている白い車の横で警官と話す私服刑事に気づいた。
 佐伯警部だ。自動車事故現場に、なぜ、特務官が出動するんだ?単なる自動車事故じゃないな・・・。特務官が現場で指揮する事態が起きてるんだ・・・。
 佐介はそう思った。

 真理の再従伯父、長野県警の佐伯福太郎警部は特別権限を持つ特務官だ。福太郎の名前の通り小柄の小太りで、禿頭のお多福が垂れた細目に眼鏡をかけたような、田舎教師を連想させるのんびりした風貌だ。そして、特務官の存在は極秘事項だ。真理と佐介はその実態を知らない事になっている。

「サスケ!佐伯の伯父さんだ!単なる事故じゃねえ!向こう側へ行くよ!」
 真理が現場の警官に近づいて何やら捲し立てた。警官が頷いて規制線の黄色のテープを持ちあげた。
 真理が、こっちに来い、と佐介に手招きした。真理と佐介は規制線を越えて佐伯警部に近づいた。

 佐伯警部は警官と共に、縮んだアコーディオンのようになったメタリックブルーの車を見ていた。先頭の白い車にぶつかってエンジンルームは潰れ、後続の車に追突されて車体後部も潰れている。かろうじて残った運転席と助手席に人が居た。潰れた車体に挟まれて身動きできずにいる。
「怪我は軽いんだから、待っててください。
 なにせ、後続車の被害が酷いもんで・・・」
 警官は、後続の潰れた車から怪我人を救出するレスキュー隊を示している。
 潰れた車の側面から、ファイバースコープを携えた事故処理担当官と救急隊の緊急医が出てきた。
「どうですか?」
 佐伯警部が担当官に訊いている。
「今のところ、身体に損傷は無いです。二人には鎮静剤を与えました。
 しかし、うまく作ったもんですね・・・」
 担当官と緊急医によれば、運転席と助手席はアンチロールバーに保護されて搭乗者はほぼ無傷だった。衝突の衝撃が大きかったため、エアバッグが作動した直後から、しばらくの間、気を失っていた。

「おや?真理さんと佐介さんじゃないですか!ここまでよくは来れましたね。
 ははあー、また係官を言いくるめたんでしょう?」
 佐伯警部がこっちを見て、刑事に不釣り合いな笑顔で微笑んだ。

 照れ笑いしながら真理は佐伯警部に近づいた。係官を言いくるめたとは、佐伯警部を伯父さんと呼ぶ真理がいつも使う手だ。
 佐伯警部は真理の伯父ではない。再従伯父だ。系図の途中を抜いて話すから、誰もが小柄な佐伯警部を真理の伯父と思っている。周囲が勘違いしるのを承知で、佐伯警部はその事を否定しない。佐伯警部の妻の良子と真理の気が合うのも、その要因かも知れない。

「薬物がらみの事故だべか?」
 真理は佐伯警部にそう訊いた。
 近くにいる警官と事故処理官が緊急医と共に後続の事故車へ移動するのを見計らって、佐伯警部が呟いた。
「正式発表じゃないから報道はダメですよ。オオグサです・・・」 
 目の前の潰れたメタリックブルーの車を見たまま、真理も呟く。
「野生だベか?」
 佐伯警部は頷いた。
 佐介は、佐伯警部が言うオオグサの言葉から、大学時代の学友が話していた事を思いだした。
「俺の祖父さんなんか、若い時、煙草代りに野生の麻を採って吸ってたって言ってたぜ。
 うまかねえし、なんもねえって。だから、幻覚症状なんて信じられんとさ」
 大麻の幻覚作用は、個人差があるらしいと佐介は思った。

「車内で吸ってたんか?」
 真理の質問に佐伯警部が頷いた。真理が潰れた後続車を目で示した。
「後続車も吸ってたんか?」
 また佐伯警部が頷いた。真理が佐伯警部を尋問しているように見える。
「あれがそうか?」
 真理が潰れたメタリックブルーの車の助手席を示した。鉢植えが転がり、植物が散らばっている。
「山で採取した物を、皆で分けて栽培する気だったようです・・・」
 佐伯警部によれば、集まった全員が大麻を煙草代りに吸っていたらしい。
「大麻吸引で暴走 十五台玉突き事故 重軽傷者二十三名」
 新聞の見出しが佐介の脳裡に浮かんだ。だが、こんな見出しでは真理は首を縦に振らないだろう。

「サスケ。後続車も撮れ・・・」
 佐介は頷いた。佐伯警部と真理の背後を後続車両へ移動して、潰れた車と、運転手や助手席に居る者を救出するレスキュー隊を、カメラで動画撮影した。
 佐介は妙な事に気づいた。救出される者たちに重傷者も重体者もいない。引き返してその事を真理に話すと、真理は佐伯警部にその事を質問した。
「速度違反をする者たちですが、いわゆる暴走族とは違いますなあ・・・。
 一人一人が車とスピードのマニアです。だから、車両の事故対策は万全ですね」
「伯父さんは、事故の連絡を受けてここに来たんか?」
「タレコミがありましてね。この先の城山公園でオオグサを分けると・・・。
 現場へ行こうとしたら、これですよ・・・」
 佐伯警部は大通りの先、北部を目で示し、何か考えこんでいる。

 真理は、これ以上じゃまをしてはいけないと感じたらしく、
「伯父さん、ありがとう。そのうち遊びにゆく。
 ああ、昨日婚姻届を出した。そのうち挨拶にゆくよ」
 佐介を目で示して照れ笑いした。 
「おおっ!やはりそうでしたか!うん、佐介さんは良いお相手ですね!」
 佐伯警部が真理と佐介に微笑んだ。真理を気にかけていた様子が漂ってくる。
「佐介さん。真理をよろしく頼みます。根は優しい娘ですよ」
 佐介は佐伯警部にお辞儀した。
「こちらこそ、これまで以上に、よろしくお願いします。
 折をみて、正式に挨拶に行きます。
 伯母さんによろしくお伝えください」
 佐介は深々とお辞儀した。
「伯父さん、じゃあね。行くよ。
 週末、風月荘に結婚の挨拶に行くんだ。その前に、結婚の事、伯父さんに伝えたかったんさ。風月荘から帰ったら、挨拶に行く。伯母さんによろしくな・・・」
 真理は佐伯警部にそう言い、その場を離れた。


 車へ戻ると真理が言う。
「サスケ、クサを栽培してる所があったな。繊維を採る目的で」
「確か、畑がフェンスで囲われて、二十四時間、監視がいたはずだね」
 麻を栽培して麻から繊維を採り、麻布を織っている村があった。
 麻の栽培は一般には禁じられている。合法的に栽培している地域は国内では限られる。その一ヶ所がここ長野県だったか群馬県にあったはずだ。栽培麻の盗難を考慮して地域名は一般には公表されていない。

「麻の栽培地は県境だったな・・・」
 信州信濃通信新聞社へ行く車中、真理はタブレットを半画面表示して玉突き事故の記事を書きながら、同時進行で麻の栽培地を探している。器用というより、真理が慌てているようにしか見えない。

 真理のスマホが着信を知らせた。
「田辺編集長。玉突き事故だ。原因はスピード違反だべ。
 県警のオフレコ情報だと原因はクサだ。実は伯父が・・・」
 真理は耳にセットしたスマホ端末で田辺安文編集長に事件の概要を伝えた。
「玉突き事故はスピードの違反だと記事にして送る。
 写真にクサが映ってるけんど、クサの無いのを選んどくれ・・・。ああ、いいよ。新聞社へ行くさ・・・。じゃあ」
 真理は、
「車とスピードのマニアが暴走 十五台玉突き事故 重軽傷者二十三名」
 を送ってスマホ端末を切り、
「急いで、新聞社へ行くべ」
 と言った。
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