十四 再従妹

文字数 5,609文字

 五月二十一日、金曜、午後。
「大浴場で、麻薬取締官の神崎誠という人に会った。花山明義と大学で同期だと言って、真理さんと俺の事を知ってた。佐伯さんから聞いたと言ってた」
 風月荘の五階の客室で、佐介はタオル掛けにタオルを掛けた。
「お兄ちゃんの知り合いよ。神崎さん、真理ちゃんたちを知ってたんだ。
 驚いたわ。どういう関係?
 佐伯の伯父さんも知ってるんだ。
 神崎さん、公務員と言ってたけど、麻薬取締官なら警察関係の人を知ってるわね」
 亮子は独りで話して納得している。

「何か言われたか?」
 真理が不安な顔で、座卓に座った佐介を見ている。
「捜査のじゃまをするなと言ってた。俺たちが得た情報は全て知ってるとも言ってた。
 佐伯さんの指示に従えと暗に示しているような感じだった」
 亮子の手前、そこまでしか真理に言えない。
 佐介はお茶をもらえないかと真理に話して、話題を変えようと思った。

 亮子がお茶を淹れて茶碗を座卓に置いた。佐介の前に移動させて微笑んでいる。真理そっくりの表情だ。
「全部話していいぞ。亮ちゃんちゃんには全部話したんだ。こう見えて、あたしと同じで、口は堅いんだ」
 真理と亮子が佐介を見ている。

 佐介は二人の真理におちつかないまま、座卓の茶碗を取った。
「神崎は、玉突き事故の当事者がどうして麻を入手したか、経路と目的を調べてるらしい。
 佐伯さんが玉突き事故の関係者を尋問するから、その結果次第で、神崎は、今後、何をするか判断する、と言ってた。俺たちと前後して聞き込みしてたらしい」
「それで、ジャマスルナか・・・」
 真理の言葉を引き継ぐように、困った表情で亮子が言う。
「取材していけないんなら、仕事にならないね・・・」
 佐介は亮子を見つめた。こんな表情も真理そっくりだ。これでメガネをかけて妙に訛ればまさに真理だ・・・。

「サスケ!どうした?亮ちゃんに見とれてるんか?」
 真理がはっきりそう言った。
「メガネかけて訛ったら、まさに真理さんだなあと思って・・・」
 佐介の正直な言葉に亮子の表情が変化した。
「まあ、うれしいなあ。いっそのこと、仕事を入れ代わろうか」
 亮子の頬がほんのり赤くなった。真顔で真理を見ている。
「若女将か・・・。それも悪くねえな・・・」
 真理が亮子と視線を合わせて頷いた。嫌な予感がする・・・。
 真理は冗談を言わない。言いだしたら後へ引かない。ネズミの如く狭い所が好きで部屋や通路の隅を好むくせに、いったん事を決めるとイノシシの如く突き進む。ネズミからイノシシへ性格の豹変は凄まじい。物事に対する真理の意思の表れだが、真理を知らない者は、感情の起伏が激しい女だと勘違いする。
 真理は、亮子はあたしに似て口は堅い、と言った。容貌と体系が似てるから個性も真理と似てるのだろう・・・。

「髪をアップにして目尻を下げた化粧をして、コンタクトしたら、気づかれないわね。
 入れ代わったらサスケさんの奥さんもしてみたいなあ・・・。
 サスケ!肩、揉むべ!」
 亮子は佐介を見てケラケラ笑っている。
「亮ちゃん、一目惚れしたべ、サスケに。
 亮ちゃんならいいよ。奥さん、入れ代わっても・・・。
 まだだベさ?」
 真理が亮子を見つめている。亮子の頬が赤くなった。何か妙な雰囲気だ。
「缶ビール飲んでくるよ」
 佐介は慌てて部屋を出た。


 通路をエレベーターホールの方向へ歩いてラウンジへ出た。
 真理は一度決めれば、後には引かない。これぞ真理の進む道。変更は無しだ。真理がネズミからイノシシへ変身しようしてる・・・。
 佐介はいつものようにそんな事を考えながら自動販売機で缶ビールを買ってソファーに座った。缶ビールを一口飲む。湯上がりの火照った身体に冷えたビールが染み渡る。
 いったい真理は何を考えている・・・。亮子もだ・・・。いかんいかん、俺は何を考えてる・・・。二人の真理を思ってにやけている自分に気づいて、佐介は思わず頬を叩いていた。

 ラウンジは風月荘の各階北側ある。風月荘周辺の東方と北方、そして西方の冠着山(かむりきやま)から続く峰々の山麓にへばりつくような千曲川西岸の上山田温泉街を展望できる。今、上山田温泉街は背後の峰の陰になって、いち早く夕闇が迫ろうとしていた。
 風月荘の玄関は千曲川に面した西側にある。ここ五階ラウンジから見下ろすと、玄関その物は見えないが、風月荘に出入りする人と車がよく見える。
 佐介は夕闇迫る上山田温泉街から風月荘の一階へ目を移した。玄関から出てきた二人の男がノンビリ千曲川の方向へ歩いている。神崎ともう一人の男だ。大浴場で佐介が見た二人は衣類をつけていなかったが、眼下の男は間違いなくあの二人だ。二人は温泉客らしいラフな格好だ。夕食も済んでいない日没前だ。繁華街へ繰り出すようには思えない。
 佐介は缶ビールをいっきに飲み干してエレベーターへ走った。

 エレベーターの下りボタンを押した。
「サスケ!」
 エレベーターホールの先から呼ぶ声がする。
 亮子だ・・・亮子は俺をサスケと呼び捨てにしないぞ・・・。そう思って佐介はよく見た。髪をアップにした着物姿はどう見ても亮子だった。
 近づく亮子の歩き方がなんだか酔っているようで歩き方がぎこちない。目尻が下がった優しい眼差しは、やはり亮子・・・、ではないぞ・・・。
「騙されたべ?よく似てるベ?神崎はあたしを知らねえから、ちょっと探ってくるよ。
 ああ、気にしなくっていい。ばれても、臨時の若女将代理とでも言っておくベさ」
 真理は佐介を見て瞬きし、ポーズをとっている。
「へえーっ。そっくりだね。若女将に・・・。
 ああーっ!今、神崎たちが外へ出ていった!
 追うつもりなんだが、どう思う?」
 佐介は真理の姿に見とれた。
 
 エレベーターのドアが開いた。真理は乗りこんで言う。
「もうすぐ夕食だ。神崎たちはここで夕食を食べると亮ちゃんが言ってた。
 なんでも、いつも飲んでる薬が切れたんで、亮ちゃんが近くの処方箋薬局を訊かれたらしい。すぐ戻るベ。
 神崎の部屋は三階だから、行って、神崎に会ってみようと思うんだ。
 サスケは神崎に顔を知られてる。缶ビールでも買って、部屋で亮ちゃんの相手してやれ。
 亮ちゃん、サスケに一目惚れしてる。いっときだけ、奥さんにしてもいいぞ」
「どこまで奥さんにしていい?」
 佐介は真理の冗談に合わせた。
「サスケ次第さ。全部していいぞ・・・」
 真理は佐介を見てニタッと笑い、エレベーターのドアを閉じた。冗談がきつい・・・。


 ラウンジへ戻って缶ビールを二個買い、佐介は部屋に戻った。
 ジーンズにトレーナーの真理が鏡に向って髪を梳いている。いや、真理のジーンズとトレーナーを身につけた亮子だ。姿も顔立ちも真理そっくりだ・・・。
 佐介は思わず缶ビールを落としそうになって、慌てて持ち直し、プルトップを開けて亮子にビールを渡した。
「はい、これ・・・」
 真理に渡す時も、こうするだろうか?ここに置くよ、と座卓に置くはずだ。そうなら俺は亮子との直接的接触を期待してる。第一次接近遭遇・・・。
「座卓に置いといてね」
 はっきりした口調で亮子が言った。怒っているような顔をしている。

 さっきまでの亮子と違う。怒っているような感じだ。緊張してるのだろう・・・。
 真理なら言葉乱暴だが、その一つ一つに優しさが溢れているのを感じる。六年間、同じ屋根の下で暮して、互いの性格に慣れ親しんできたのだから当然と言える。亮子とはそういう事が皆無だ・・・。
「ああ、置いとく・・・。どうして入れ代ったんだ?」
 佐介はいつも真理に話すような口調でそう言った。
「だっておもしろいベサ」
 亮子が訛ってクククッと笑いを堪えてる。怒っているような感じが消えた。最初に会った亮子が戻ってきた。
「真理さん、全部、奥さんにしていいと言ってた。どういう意味だ?」
 佐介はわかりきった事を何気なく訊いた。亮子は真理より二歳下。佐介より二歳上だ。
「うん、サスケさんならいいと思って・・・」
 亮子が両手の拳を畳について鏡台から座卓に向きを変えた。畳に両手の拳を着いて正座した姿勢のまま、すーっと座卓に近づいた。なんだか表現しようのない意志の塊が近づいてきた感じだ。佐介は亮子に告白されつつある。そして、しかけたのは真理だ・・・。
 真理との間で、こんな告白場面はなかったが、決定的な事があった。

 大学に入って間もない頃。
 佐介が昼食を調理していた時、背後から真理が近づき、背中に抱きつかれた。
 酔っぱらった真理を介抱する時、しばしば抱きつかれていたから、また、そんな事だろうと思っていたが、真理は佐介の腰に腕をまわして、背中に頬をくっつけたまま何も話さずにいた。調理が終って昼食ができても、真理はそのままだった。
「飯ができた。食ったら、またこのままでいようか・・・」
「いつまで?」
 そう言う真理の腕を、佐介は解こうとした。佐介の腰から腹にしっかり腕を絡めたまま、真理は腕を放そうとしない。
「今日も、明日も、ずっとだ」
「本気か?」
 そう言う真理の腕を佐介は擦った。
「本気だ。真理さんも本気だろう。今は腕を擦ってる。身体も触れてる。酔っ払った時は、ベッドへ運んでパジャマに着換えさせた。下着も換えてくれと言われた時は・・・」
「アホ!そう言う事じゃねえべ・・・」
 背中にくっつけた真理の頬が熱い。佐介は向きを変えて真理を抱きしめた。
「イタイベサ・・・。肋骨が折れるベ!。あたしを潰すな、ウワッッ、ウゥ・・・」
 佐介は真理の口を封じた・・・。


「立って・・・」
 そう言って佐介は亮子を見つめた。
「えっ・・・」
「立って、後ろから俺の腰を抱きしめて背中に頬を当てて・・・」
 佐介と亮子は立ちあがった。亮子が座卓をまわって佐介の背中に抱きついて腰に腕をまわした。亮子の緊張が佐介に伝わってきた。
「真理さんがこうして、後ろから抱きついた。俺は、これからもずっとこうしていようと言って、互いに結婚を決意した・・・」
「ごめんなさい・・・」
 亮子が腕を解こうとした。佐介は亮子の腕を掴んでそのままにさせた。
「真理さんと亮ちゃんの立場が入れ代わってたら、亮ちゃんと結婚してたと思う。
 亮ちゃんの性格は真理さんと同じだ。もちろん姿も同じだ。
 入れ代ってたら、同じ事をしてたと思う。違うか?」
 佐介は亮子の心を傷つけてはいけないと思った。これで真理と亮子の妙な提案は消滅するはずだ・・・。
「あたしの方がノンビリしてるけど、ほとんど同じ性格だから、無理ないね。
 でも、ほんと、よく見てるんだね」
 亮子が佐介の背に頬を強く押しつけて溜息ついた。
「さて、どうする?」
 佐介は、佐介の腹から亮子の手を持ちあげようとした。
「うん。もう少しこうしててね。
 あたし、真理ちゃんに頼んでみるね。あたしも奥さんにしてねって」
 佐介の腰に絡んだ亮子の腕に力が入った。

「ちょっと待て・・・。慌てるな・・・」
 ウソだろ!どうしてこうなるんだ?佐介は慌てた。
「だって真理ちゃんも、いいって言ってるんだよ!
 真理ちゃんとあたしは同じだからって・・・」
 そんな事はない。真理は亮子じゃない。性格も容姿もそっくりだが、二人は・・・。もしかして・・・。
「亮ちゃんと真理さんは一卵性の双子か?
 それにしたって、歳が合わない。生年月日を変えたのか?」
「うん。そうだよ。花山の父母が、女の子を欲しくて、あたしを養女にした。
 生まれた日を真理ちゃんの二年後にして・・・」
 佐介は言葉がなかった。小田の父母と花山の父母の間に何があった?佐介は見当もつかなかった。


 その頃。真理は三階の麻薬取締官の部屋に居た。若女将の亮子らしく挨拶し、
「六時から夕食です。二階の広間においでください。
 それとも、こちらで夕飯を食べますか?」
 夕食の時間を告げた。
「広間へ行くよ。食う所と寝る所が同じだと、ケジメがつかない気がしてね。
 若女将は信濃通信社の小田さんと再従姉妹なんだってね。兄さんから聞いたよ。
 今日、小田さんたちが来てるね。どういう人かな?」
 神崎は真理が煎れたお茶をうまそうに飲んでいる。真理が扮した若女将が、湯上がりだからビールでもいかがですかと勧めたが、神崎ともう一人の客は、僕らは二人とも飲めないのでお茶でいい、と言ってビールを飲もうとしなかった。

「そうね。私と同じかしら。性格も姿形もよく似てるから、よく間違えられて、違います、と言っても、信用されないんですよ」
 真理は思いだしたように微笑んだ。亮子が人前で見せる社交的な本性を見せない頬笑みだった。
「小田さんって、どんな性格かな?」
 神崎が、座卓から千曲川が見える窓辺のソファーへ移動した。夕日は冠着山に続く峰々に隠れて上山田の温泉街はすっかり陰り、街に灯りが見える。

「さあ、どうでしょう。どうしてそんな事をお聞きになるのですか?」
 真理は、そろそろ戻らなければなりませんので、と言い、
「なんなら、夕食の膳を、小田さんたちの隣りになさいますか?」
 と訊いた。
「おお、それは良いですね!そうしてもらいましょうか!」
 年輩の男が座卓から茶碗を持って立ち上がり、窓辺へ行って神崎に目配せしている。
 コイツが立場は上だ。神崎は偉そうにしてるがパシリだべ・・・。
「ではそのように手配しますね。それではこれで失礼いたします」
 真理は丁寧にお辞儀して部屋を出た。

 昔とった杵柄だベ。花山の女将に、若女将の所作を鍛えられてて良かった・・・。まあ、ばれることはねえべ・・・。部屋を出て一時間か・・・。亮ちゃんうまくやってっかな。あたしと同じで主導権を取りたがるから、サスケ、タジタジだベな・・・。
 亮ちゃんのことだ。絶対、亮ちゃんも嫁さんになる、なんて言いだすベさ・・・。それも、悪くねえな。昔からの約束だもんな・・・。
 そう思いながら、真理は階段で一階へ降りた。
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