二十六 麻取の証言

文字数 3,158文字

 正午過ぎ。
「珍味、食うか?」
 真理が手籠から弁当と飲み物を取りだして麻取に渡し、透明な密閉容器を取りだした。
「何ですか?」
 麻取の下田広治が物珍しげに訊いた。信州の珍味を知らないらしい・・・。
「佃煮って言うか、甘露煮って言うか・・・」
 真理が開けた一つ目の容器は鯉の甘露煮だった。川原の石の上に置いて、鯉の甘露煮について説明した。

「うまい!ビールが欲しくなるなあ!」
 説明を聞いた神崎誠が甘露煮を摘まんでそう言った。
「ビール、あるぜ!」
 真理は手籠の保冷ケースから缶ビールを取りだして麻取たちに渡した。
「すっかり酒飲みだな。なら、摘まみがいるべさ・・・」
 真理は、さらに三つの容器を開けて、川原の石の上に置いた。
「・・・」
「姐御、これは・・・」
 麻取たちの動きが止っている。

「何度もこっちに来てながら、こんなのも知らねんか?
 イナゴの佃煮だベ。こっちは蜂の子、こっちはザザ虫だベ。
 たんなる昆虫の甘露煮だべ。うめえぞ・・・・」
 真理はイナゴの佃煮を摘まんで口へ放りこんだ。かみ砕くと口を左右に動かし、
「後ろ足のトゲトゲが残ってっから、口の中にひっかかりやすいべ。よく噛めよ!」
 と言って、またイナゴを口に入れた。
「信州は山ん中だ。昔は蛋白質が不足してたから、こんなもん食ってたんさ。それが、珍味で残った・・・。だけんど、蛋白質の補給としては理にかなってんぞ・・・」
 真理がイナゴを苦も無く食うのを見て、神崎誠がイナゴを摘まんだ。口へ入れるなり、
「うまいっすね!これ、ビールに合う!」
 蜂の子も摘まんでいる。蜂の子はスズメ蜂などの幼虫、ざざ虫はトビケラなど水棲昆虫の幼虫だ。佐介は信州に住むようになって、初めて食った珍味だ。

「狗肉の策が珍味で残ったか・・・」
 何か思いだしたように、下田広治がボソッと呟いた。
「クニクを何だと思ってる?」
 真理が訊いた。
「羊頭狗肉の狗肉でしょう」
 下田広治の表情が変った。不思議そうに答え、真理に反感を持ち始めている。
「苦肉の策は苦肉だべ。狗肉、犬肉じゃねえぞ。
 苦肉は、肉を苦しめるという意味で、我が身を苦しめる事だべ。
 三国志演義に出てくる。己や味方を苦しめて敵を騙す策の事だ。
 信州珍味は時代の理にかなった食文化だベ。
 羊頭をかけて狗肉を売る、は、羊だと言って犬肉を売る食品詐欺だぞ・・・・。
 そんなんも知らねんか。信州の先人に失礼だぞ・・・」

 信州の先人と聞き、佐介は蝦夷(えみし)を想像した。佐介の故郷は北関東だ。遠い祖先は蝦夷かも知れない・・・。さしずめ麻取は南方アジア系か・・・。そう思いながら、場の雰囲気が珍味から言葉使いに変わってきているのが気になった。
「苦肉の策で何かあるんですか?」
 佐介は、真理に反感意識をもたげた下田広治の気を逸らせた。
「しかたないですね。あなた方だから話すんです。オフレコですよ」
 下田広治が真顔で真理と佐介を見ている。
「わかった。サスケもいいな?」
「ああ、了解した。オフレコにする」
 真理と佐介は真顔で答えた。何か白状する気になったのか?そうは思えない・・・。

「取材で大まかな事を知っていると思います。厚労省は肺癌の特効薬を開発しようとしてるんです。そのために大麻の新種を探してます」
 下田広治は顔を伏せた。

 佐介は、下田が顔色を読まれるのを気にしていのを感じた。この話は嘘だ。新種を探すなら植物学者を同伴する。根っからの麻薬取締官の二人だけで大麻の新種探しなんかしない。そんな事は、ちょっと気の利いた考えをする者なら、記者でなくてもわかる・・・。
 佐介はそれとなく真理に意識を向けた。すると、佐介の意識が高まり、真理の考えと同調しているのがわかった。だが、真理の右耳上あたりに違和感が現れているのが感じられる。真理も下田広治の嘘を見抜いてる・・・。

「それで長野の追突事故の大麻の件は県警に任せ、二人は新種探しって訳か・・・」
 真理が何食わぬ顔でそう言った。このバカ、こんな作り話で、あたしらを煙に巻こうってんか?嘘がバレバレだぞ。辻褄の合わねえ思考すっから、あたしもサスケも右耳上の側頭部から後頭部に違和感を感じてる。いずれ頭痛になりそうだ。こいつはかなり悪質な思考だぞ・・・。

「そうです・・・」
 姐御の真理の舎弟を気どっていた神崎誠が無表情になり、下田広治から表情が消えた。
 佐介と真理の右耳上側頭部から後頭部に違和感が現れた。徐々に痛みに変化している。
 麻取たちには罪悪意識が無い。自分たちの信念が正しいと思っている・・・。

 罪悪意識が無い真の悪なら、痛みはまさに魔女の一撃。一瞬にして衝撃的に現れる。無防備に半径十メートル内の同じ空間になどに留まれない。
 かつて、悪質な思考の持主と同席した佐介は、一瞬に激しい頭痛と吐き気を催し、部屋を退出後に嘔吐した事がある。その体調の激変に、佐介は脳内の病気を連想した。病院で精密検査したが、診察した医師から、健康だ、と太鼓判を押された事がある。

 佐介は警戒しながら、麻取の思考を読んだ。麻取たちが話した事は事実だが、何かを隠していた。それは、真理が公務員試験の最中に起きた、飛び降り自殺に端を発していた。
「さっき、ここに来る時、経産省の庁舎屋上から、キャリア組のヤツが飛び降りたのを話したよな・・・」
 真理の言葉に麻取が反応した。佐介は二人の記憶に熱いものを感じた。
「飛び降りたのは二人の知り合いか?」
 真理はそう言って麻取の顔を見ずに川面へ視線を移した。そのままビールを飲んで信州珍味を摘まんでいる。
「彼は私の同期です。末期の肺癌でした・・・。
 延命治療を拒みました。緩和ケアを望んだんですが、親族の反対に悩み・・・」
 神崎誠がそう言って肩を落とした。
 佐介の頭部が熱い輪をはめたように暖かくなった。神崎誠は事実を話して故人を偲んでいる。親しい間柄だったらしい。

「それと苦肉の策がどう繫がるんだ・・・」
 何気なく話しながら、真理は缶ビールを石の上に置いて、弁当を手に取った。
 麻取たちもビールを置いて、弁当に手を伸ばした。
「上層部に、肺癌の特効薬の研究を進言した・・・」
 そう言った神崎誠が、何か吹っ切るように、勢いよく弁当を食始めた。
「で、テトラヒドロカンナビノールの合成薬物研究へ進んだんか?」
 そう言って真理は弁当を見つめたまま、箸で摘まんだハマチの照り焼きを口へ運んで食っている。真理は、神崎誠から感じた感情変化から、神崎誠の本心が何か、何を考えて結論をどう話か、判断していた。
 真理の問いに、神崎誠が答えた。 
「最初は一方的に拒否された。一介の麻薬取締官が上層部に意見したとえらい剣幕で罵倒されたが、同期の自殺の真相がわかるにつれて上層部の意識が変った・・・」
 神崎誠の弁当に、雫がたれた。涙の雫だった。
 神崎誠の涙に嘘はなさそうだが、まだ何か隠してる。佐介も真理もそう感じた。
 しかし、右側頭部に現れた違和感が徐々に消えている。罪悪意識の無い思考に変ってきてる。神崎誠は自分の考えが正当だと思っているらしい・・・。

「さて、この話はこのくらいにすっか・・・」
 真理も、神崎誠の思考が変ってきたのを感じている。
「そうですね・・・」
 神崎誠も同意した。何だかホットしてる。よほど触れてほしくない事のようだ。
 佐介は神崎誠の思考を読もうとした。すると、見えない拳で後頭部を熱くコツコツと叩かれた。真理だ!警戒の意識を投げている。
 了解したよ。探りは入れない。ああそうか!思考が悪質なんだな・・・。
 そうだぞ。いいか、サスケ!魚釣りを思考するんだ。麻取から警戒が消えれば、麻取は関心事を思考する。話す場合もあるぞ。あたしらが読んだ思考は証言にならない。物証を待つんだ。
 了解した・・・。
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