二十四 欲張るな

文字数 1,708文字

 午前十時。
 南北に延びる上山田温泉街の南外れ近くに『パイプと葉巻のハバナ』があり、釣具店はハバナの二筋北の通りを東へ入った所にある。

「どうも、ありがとうな」
 釣具店の前でワンボックスカーを降りて、真理が若女将の亮子に礼を言った。
「うん、お弁当、届けるね。
 その時に、釣りを続けるか帰るか、決めればいいわ」
 亮子は、佐介と真理に微笑んで麻取たちに会釈し、ワンボックスカーをスタートさせた。

 釣り具店で道具を借りて、釣りの許可証を貰って店を出た。
 真理は釣りに関する雑談をしながら堤防の道路を横切って河川敷の公園を抜け、河原がある岸辺へ歩いた。
「いいか、静かに歩けよ。潜水艦のソナー知ってるよな。音は空中より、水や石に伝わりやすいんだ。プールで泳いでると、水の中でいろんな音が聞えるベ。あれさ・・・」
「真理さん、大学は理工系ですか?」
「かんざき~、それはねえべ~。酔ったときと別人じゃねえか。
 姐御でいいべ。姐御で~。
『言葉は人格を表す、敬語は立場を現す』ってな。飛田佐介、サスケの名言。表すと現すの違いがいいべさ!」

 俺が言ったのは『言葉は人格を語る。敬語は立場を語る』だったはずだ・・・。

「んじゃあ、姐御は理工系か?」
「ああ、サスケと同じ工学部さ」
「専攻は?」
「あたしは環境工学ださ。サスケは高分子ださ。
 神崎は法学部か?下田もか?」
「ええ、まあ・・・」
 神崎誠が言葉を濁らせた。正体を知られたくないらしい。だけど、みずから佐介に正体を明かしたのだから、矛盾してる。
「キャリアか?」
 真理が何気なく言う。聞き上手だ。
「ええ、そんなところで・・・」
「あたしも、経産省の国家公務員試験、受けたぞ。
 三点不足で、筆記試験不合格だった」
「惜しかったですね、姐御」
「バカ言うな。落ちたヤツには、みんな、そう言うんだ。慰めっつうか、思いやりっつうか・・・」

 河川敷の公園を抜けた。目の前に千曲川の河原が拡がっている。
 だけんど、合格しなくて、良かったべさ・・・」
「何でですか?」
 神崎が真理を見つめた。何か気になるらしい。
「あたしは、特別枠で受験した・・。
 受験当日の午後。試験中に、試験会場の経産省の庁舎屋上から、キャリア組のヤツが飛び降りたさ・・・。仕事で行き詰まって」
「どうなったんですか?」と神崎誠。
「救急隊員がスコップ持って、処理に来た・・・」
「・・・・」
 下田広治は言葉を無くした。
「滅入る話はやめよう。魚に嫌われる・・・」
 佐介は麻取たちの意を汲んでそう言った。佐介は、真理から何度もこの話を聞いている。


 河原に着くと、麻取たちは真理の説明どおりに動き、深みがあって流れの遅い淵の上流側に陣どった。
 釣り鉤に餌をつけただけの釣り糸を、フライフィッシングの如く、流れの上流へ飛ばす。釣り糸に重りはついていない。流れの深さに見あった白い羽毛の目印がついている。完全なる脈釣りだ。釣り糸から竿をつたって手に伝わる、魚が食いついた一瞬の感覚が勝負だ。

 全員が千曲川の西の岸部から流れに釣り糸を垂れた。陽射しによる人陰は川原に落ちて、川面にはおちていない。
「岸から離れた流れに糸を垂れるから、水中の魚には人影も人陰も見えねえはずださ」
 真理のメガネは偏光レンズだ。メガネは水面が反射する陽光を押さえて、真理は水中が見えている。真理はなぜそんなに釣りに詳しいんだと佐介は思った。
 佐介の思いに真理が答える。
「小さいころ、よく、釣ったさ」
 真理の魚釣り。思わず、大きなタヌキの置物を想像した。釣り竿を肩に、手にしているのは釣った魚だ・・・。

 全員が川の風景に同化した頃、真理の竿がしなった。
 釣りあげたのは大きなウグイだった。
「うわっ!大きいですね!」
 麻取が歓声を上げた。
「静かにしろ!」
 麻取は真理に注意された。
「キャッチ・アンド・リリースだな・・・」
 真理は浅瀬でウグイの釣り鉤を外した。
「あんまり欲張るんじゃねえぞ・・・。欲、出せば、捕まる」
 そう言ってウグイを流れへ放している。
 これは麻取への警告だ・・・。佐介はそう思って麻取を見た。麻取は何も感じていなかった。
 その後、全員にキャッチ・アンド・リリースが続いた。
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