三十三 麻取の極秘任務

文字数 3,401文字

 午後八時。
 風月荘のフロントに、カジュアルな服装の間霜刑事が現れた。
「はい、これ・・・。伯父さんに伝えたとおりださ」
 やはり、カジュアルな服装の間霜は、何を着ても休暇中の自衛官だ・・・。そう思いながら、若女将に扮した真理はボイスレコーダーと紙袋を渡した。
「いやあ、またまた、すみませんなあ」
 間霜刑事はボイスレコーダーを上着の内ポケットに入れて紙袋を持った。
「今日は、鮭とタラコと昆布のおにぎりが各一個ずつと、サンドイッチださ。飲み物はコーヒーにしといた。ブラックだ。好きだベ」
「アハハッ、佐伯警部に聞いたんですね」
 角刈りの頭をさすって、間霜刑事が照れている。
「ああ、そうだ」
「では、帰って検討します」
 間霜刑事はジャケットの内ポケット部をポンと叩き、敬礼しようとした。
「おっと、習慣はコワイですな。ではこれで・・・」
 間霜刑事は御辞儀するとフロントから去って玄関を出ていった。
 これで決まりだ。だけど、本人たちの会話が無い。証拠としては死んでるべか?あれだけで証拠になるべか?若女将の真理は、他に証拠がないか記憶を探った。
 何もねえな、サスケ・・・。

 何もねえな、サスケ・・・。真理に扮した亮子は、大広間の夕食の席で麻取たちをからかいながら、そう佐介に伝えた。あいかわらず姐御風を吹かせて、麻取たちを酔い潰して何か訊きだそうとしている。
 コイツラしゃべらない。証拠は爺さんの話で充分だ。ゆっくり飲もう・・・。佐介は考えを亮子と真理に伝えた。一応、麻取たちの会話は、胸のペン型ボイスレコーダーとポケットのボイスレコーダーで録音している。
 なんかすっきりしねえなあ。こいつらの腹ん中はわかってんのに、あたしらの感覚は物的証拠になんねえからなあ・・・。そう思う亮子は悔しそうだ。

 しばらくすると、佐介に寄りそってビールを飲んでいた亮子が、弾けたように佐介から離れた。
「神崎!下田!飲め!」
 ビール瓶を取って麻取の前にかざしている。こいつらと飲むのもこれで最後だ・・・。
「はい!姐御!」
 麻取たちが改まって正座した。ジョッキを飲み干して亮子へ差しだしている。
 ビールが二本、空になった。亮子は仲居を見つけて
「お姉さ~ん、焼き肉ね~。ビール、追加~。
 サスケ!、ビール、注げ!」
 と喚いている。
 佐介は、手元にあるビールを取って、麻取たちのジョッキにビールを注いだ。
「姐御とサスケさんとは、今夜でお別れですね・・・」
 神崎誠は、佐介が注いだジョッキのビールを飲んでいる。酒を飲まないと言ったあの麻取は今何処である。

「お嬢さま!お待たせしました!追加があると思って、用意しといたんですよ!」
 仲居の今井がそう言って、焼き肉と野菜サラダとビールを座卓に置いて、佐介に目配せした。
「ありがとう、今井さん。
 さあ、二人とも、飲んでください。焼き肉も来たから、食ってください」
 佐介はそう言って麻取に焼き肉と野菜サラダを勧め、ビールを注いだ。
「いやあ~、いろいろ、ありがとうございました。それと、今日もありがとうございます」
 麻取は今日の麻の一件を気にしている。

 佐介は神崎の心に訊いた。
『麻の先祖返りを見つける指導をしてたんですね?』
『ええ、まあ、そうですね』
 と神崎誠の心の声。
『どの程度までですか?』
『昔の栽培方法を知っている人たちですから、肥料の使い方と防虫だけですね・・・』
『そうなんですか・・・』
『ええ、だから、任せました。栽培を・・・』
『どうしてですか?』
『肺癌専用薬の研究用の原料なんですよ・・・』
『麻取が原料調達の指示をするんですか?』
『特務ですよ。ミッション・・・』
『誰からの指示です?』
『上層部です。我々は上層部の駒です。何があっても、保護されてます』
『保護されるんですか・・・』
『まあ、そんなとこですね』
『どのように保護するんですか?』
『上から指示が行くはずです・・・』
『厚労省から内閣府を経て国家公安委員会から警察庁のルートですか?』
『そうなるでしょう・・・」
『県警などは手を出せないと言う事ですね?』
『そうです・・・』
 この神崎誠の心の中だけでは証拠にならない。証拠は爺さんの発言だけか・・・。
 佐介は麻取たちを見た。麻取は亮子にかまわれながら、陽気にビールを飲んでいる。
 厚生労働省地方厚生局麻薬取締部の指導と監督の一環として、麻取たちが大麻栽培を指導して新薬の原材料を手配するなんて事があるだろうか?

 ふっと思いついて、佐介は麻取たちに訊いた。
「下田さんは、大学院で何を専攻したんですか?」
 麻取の二人は大学卒ではないはずだ・・・。
 下田広治が口からジョッキを遠ざけていった。
「私は薬学研究科、専門は薬草学です・・・」
「神崎さんは?」
「僕は農学研究科の漢方薬学ですよ」
 神崎誠は焼き肉を箸で摘まんで口へ入れてビールを飲んでいる。

「なんだ!大学院修士課程終了か、法学部じゃねえのか!二人とも、植物と化学に詳しいんじゃネエか!ところで、ちぃっと、教えろさ。
 アレ、持ってんのか?」
 ジョッキ片手に不敵な笑いを浮かべて、亮子が神崎誠に詰めよっている。
「アレって?」
 神崎誠が口元からジョッキを遠ざけた。訝かしそうに亮子を見ている。
「これださ・・・。九の次、十一の前・・・」
 亮子は、神崎誠の前に左手を差し伸べて、握った左手の人差指と親指を開いた。右手はジョッキを持ったままだ。
「銃ですか?」
 神崎誠は亮子を見たまま、箸で焼き肉を摘まんで口へ入れた。
「うんだ・・・」
 亮子が、グビリ、と喉を鳴らして、ジョッキのビールを飲んだ。
「今回は持ってません。取締りの時は持ってますよ・・・。
 それが何か?」
「いやあ~、ただ、訊いてみただけださ」
 亮子は神崎誠を見てニタニタしながらジョッキを置いた。 
「ほんとにそうですかあ?我々が、銃を使うような捜査をすると思ってたんでしょう?
 そんな事、無いですよ。今回は麻の栽培指導だけです」
 神崎誠はジョッキを口へ運んでビールを飲んでいる。

「神崎、それくらいでやめとけ!」
 下田広治がジョッキを座卓に置いた。
「これで全てですよ。今日は現場へ行ったんです。今更、ごまかす事も無いでしょう」
 神崎誠がジョッキを座卓に置いた。下田広治に居直っている。
「・・・」
 下田広治は何も答えられずに焼き肉を箸で摘まんだ。
「で、あの村で栽培してたんを、なんであたしたちに言わなかったんだべさ・・・」
 亮子はそれとなく呟いてビールを飲んだ。
 下田広治が焼き肉を食いながら呟いた。
「我々が指導していた村ではないと思ったんです。
 観光道路を登り始めて、あの村だとわかりました。それで、我々の指導を知られたくないので、栽培種を処理させました・・・。
 しかし、あんな事をすべきでなかった。あなたたちに理由を話して、協力してもらうべきでした・・・。
 厚生労働省地方厚生局麻薬取締部の指導と監督の一環として、大麻栽培を指導して、新薬の原材料を手配してたんです。極秘任務なんです」
 下田広治の説明に違和感を感じない。事実を話している。腹を括ったようだ。

『極秘任務が、大麻が絡んだ自動車玉突き事故という思わぬ事件に発展したため、こいつらは、それなりの処分を覚悟しているらしい。
 こいつらは、厚生労働省地方厚生局麻薬取締部上層部の指示で動いていたに過ぎないが、麻取りだからと言って、こいつらのような行為が許されるだろうか?権力によって、大麻栽培が正当化されていいはずがない。佐伯警部は、あの録音をどう判断するだろう・・・。
 佐介がそう思っていると、亮子が麻取と話しながら佐介に呟いた。
「国家権力の極秘任務なら、県警も手を出せねえべさ・・・」
 おそらく厚労省上層部は、こいつらの行為を無視するよう警察庁を通じて県警に指示するべさ。信州信濃通信新聞社にも報道禁止の圧力が掛かって、録音は握り潰される。腹立たしいがそう言う事だ。まったく腹が立つ!佐伯の伯父さんの立場でも、どうにもなんねえかもしれねえな。サスケ!適当に話して晩飯を終りにするよ!』
 亮子の怒りが佐介に伝わった。 
 ああ、そうしよう。だが、これだけで終りにはさせない・・・。佐介はそう思った。
「神崎!飲め!」
 亮子は、ジョッキを置いてビール瓶を取った。
「はい!姐御!」
 神崎誠がジョッキを亮子に差しだした。亮子がジョッキにビールを注いでいる。
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