六 ちんちくりん

文字数 6,564文字

 夕刻。
 婚姻届を市役所二階の戸籍係に提出した。
 一階へ降りる階段で真理が言う。
「このまま、Pandoraに寄ろう」
「わかった」
 佐介は階段を降りながら真理の手を握った。周囲にはハイヒールで階段を下りにくい真理を、佐介が支えているように見える。


 真理の実家は佐介と同様に群馬県にある。真理は大学の関係でこの長野市に来たまま長野市に住みついた。佐介と違うのは、真理は裕福な家庭の娘で、大学の時から5LDKの一戸建てに住んでいた。
 そして、いつも真理を監視するように現れるのが、真理の母の妹、叔母の原田伸子。チビでちんちくりんのノブチンだ。

 ノブチンはJewelry Pandoraの経営者の奥方だ。ノブチンはいつも笑顔で話して常に相手の腹と財布の中を探るような裏と表がある二重思考の人物だ、と真理は言う。真理に言わせれば、ノブチンはまさに商売人なのだ。
 だが、貴金属類を買うとなれば、そこは身内。ノブチンも真理には仕入れ値で貴金属を販売する。
 佐介から見た真理は質実剛健、実質的だ。世の女たちが飛びつく物に全くまったく興味が無い。貴金属類についてコメントさせようものなら、
「無用の長物。人間の美にまさる物はない。そうでない者には、貴金属が必要だ」
 とノブチンを見ながら言ってのけるから始末が悪い。その後をとりなすのが佐介の役目だ。

 ノブチンには子どもがいない。真理を我が子のように思っている。
 真理は、厚化粧して値の張る衣装を身に纏い貴金属で飾るなど、ノブチンの言う女らしい身なりなど七面倒臭い事はゴメンだと思ってる。そんな身なりをしたら、現在の仕事ができないばかりか、貴金属類が引き起す事故に遭遇する可能性がある。
 かつて、真理は事件を追っている際、ブレスレットが非常階段の鉄骨に引っかかり、手首を捻挫したことがあった。誘雷の可能性があるため、高地取材に金属類など身に着ける訳にはゆかないし、仕事から離れれば、気楽な服装で、貴金属とは無縁な家庭菜園の手入れをする真理なのだ。
「サスケさん。真理ちゃんに、もっと女らしくするように言ってね」
 電柱にまとわりつくチンのように、ノブチンは佐介に躙り寄ってそう言う。

 真理は、S大入学当初から、実家が買い与えた現在の一軒家に一人で住んでいた。
 ノブチンは真理を心配して無い知恵をしぼった挙句、下宿人を住まわせる事にして下宿人の候補者を探した。
 一方、S大入試を取材した真理は、試験の下見に現れた長身の佐介に目をつけた。試験前日から試験が終るまで密着取材して佐介をノブチンを紹介した。
 佐介はノブチンに気に入られ、S大合格前に真理の家に下宿先が決まった。そして、教養課程の一年を長野から松本の教養部に通い、二年目から長野の工学部へ通った。
 
 佐介は真理に会った時から初対面な感じがしなかった。何処かで会ったことがある友だちの姉さん、あるいは親しい従姉といった気さくな印象で、二人で居るとおちつけた。そのせいか、何処へ行っても周囲から姉と弟、あるいは従姉弟同士に思われた。
 佐介は周囲の勘違いを否定せず、そのままにしておいた。佐介はこの状態がこのまま続くだろうと思っていた。そして、S大を卒業して三年でその通りになった。


 市役所から車で五分ほどで駅前に着いた。車を立体駐車場に入れて繁華街へ歩く。
 日頃、いろいろな事を話す真理が今は何も話さない。いつも佐介を引き連れるように先を歩く真理が佐介の腕をしっかり抱きしめている。
 佐介は何か話そうと思ったが、真理のすがるような気持がわかるので、何も話さずに、佐介の腕を抱きしめている真理の手の甲に手を添えた。真理の背中をさするように真理の手の甲をさすり、騎手が馬の首筋を軽くポンポンと手で叩いてなだめるように、何度か軽くポンポンと真理の手の甲に触れた。
 真理の肩から力が抜けてフーッと溜息が聞こえた。充分、佐介の気持ちは真理に伝わっている。
「俺に任せておけ。ノブチンの思い通りになったんだ。何も言わないさ。
 タヌキの事は、俺が編集長から釘を刺されたと話すよ。それでノブチンも、何も言わなくなるさ」
「うん・・・」
 真理はまだ気になる事がある。
「あとは、成るようになるさ。神のみぞ知る、だよ」
「うん。早く済ませて家に帰ろうね」
「早く帰ろう。帰って思いきり抱きしめるぞ・・・」
「うん・・・」
 真理は佐介の手を握った。

 Jewelry Pandoraに入ると、勘の良いノブチンは佐介たちの目的に気づいて、チンが尻尾を振るように愛想をふりまいて近寄ってきた。
「やっと来たわね。おめでとさん。それで結婚指輪でしょう?
 あーら、わかるわよ。真理ちゃんの事だもの、式は身内だけでひっそり済ませるか、無しにして、その分、他の事にまわすわよね。
 あたしも、今さら世間体がどうのこうのなんて言わないわ。
 で、どうなの。届け、出したんでしょう?」
「はい、ここに来る途中で。
 保証人は田辺安文編集長と吉本武編集長にお願いしました。
 記者として情報を漏らさず、中立で報道するよう忠告されました。
 結婚指輪を作りたいので来ました。サイズは以前知らせたとおりです。
 真理さんにデザインを見せてください」
 佐介はノブチンに伝えた。

「あら、そうなの?他言、できないか・・・」
 佐介の言葉にノブチンは失望した様子だった。
「田辺安文編集長も、そつが無くなったわね・・・」
 情報は無理か、と呟きながらノブチンはデザイン画をショーケースの上に拡げた。
「瑠理さん。真理ちゃんに説明してあげてね」
 Pandoraには店員が三名いる。ノブチンは店員の一人、沢村瑠理を呼んで結婚指輪の説明を任せ、真理に聞こえるように話し始めた。
「あたしも主人も歳だから、いずれ老齢者医療施設のやっかいになるの。
 でも、建設する老齢者医療施設は遠いでしょう。ここから・・・。
 専用の車で送迎するでしょうけど、長期療養なんて時は自宅と老齢者医療施設の行き来が大変だわ・・・・。そうなると、近くが良いのよ。総合病院のように・・・」
 ノブチンはそんなに歳だったろうかと佐介は思った。

「でも、自然環境が整ってるのも、魅力よねー街中で樹木が見えないのは殺風景よねー」
 ノブチンはなにかと話題を『老齢者医療施設』へ持ってゆこうとしている。関係情報を聞きたいのだ。
 佐介は、『老齢者医療施設』に関する情報を聞き出すよう遠藤院長に頼まれたんですね、と訊こうと思ったが、はぐらかされるに決まってると思った。
 すると、真理がポツリと言った。
「だいじょうぶだ。あたしが居るから心配ねえぞ・・・」
 真理の家は旧市街の中央北東部だ。タヌキの育善会総合病院に近い。旧市街北部の鳥羽医院や、市街地からさらに北西丘陵地に建設が決った老齢者医療施設から離れている。
 一方、ノブチンの家は旧市街中央南部。最寄りの総合病院は赤十字病院だ。

「・・・また、タヌキから、老齢者医療施設の事を探れって言われたんだべ。
 今度は何を交換条件にされたんだ?」
 真理はデザイン画を見ながらそうつけ加えた。
「老後の医療よ!老齢者医療施設が総合病院内にできれば、いつでも利用できるようにするって言われたのよ・・・。
 でも、どこの病院だって、行ってすぐ診察できた事ないのに・・・。
 あたし、馬鹿だった・・・」
 この時になってノブチンは何かに気づいたらしく後悔している。

「まっ、人間だからまちがうこともあるべさ・・・」
 真理はデザイン画のページをめくり、
「これにすべ!サスケ、見て!」
 真理がとんでもない笑顔で佐介にデザイン画を見せた。佐介にはごくありふれたプラチナの指輪にしか見えないが、
「特別なデザインだべさ」
 と真理は言う。そう言われると、佐介は、ありふれていると思っていたデザインがこの世に一つしかないデザインに見えてきた。

 指輪が売れると、それ以後、そのデザインを廃番にするのがノブチンの主義だ。この点、ノブチンは顧客を大事にしている。Jewelry Pandoraのような小さな店が潰れずにいるのも、こうしたノブチンの苦労の賜物、商魂と言える。
 しかし、ノブチンも相手を見る。経済的に不可能な相手に押し売りはしない。相手の懐具合を探るノブチンを、真理は腹黒いと言う。
 真理も、叔母の店だから安く買えると考えて指輪を見にきたのだから、似た者だ同士だと佐介は思った。そして、真理の家に下宿が決まった時から、佐介は、子どもがいないこの叔母とは切れない縁がある気がしていた。

「ああ、いいね!これに決めよう!」
 佐介は真理が示すデザインに決めた。
「うん!ついでに、我家の爺と婆を予約しとくべ!」
 真理がノブチンを顎で示している。
「もしかして」
 佐介は真理のお腹に手を当てた。
「まだやることやってねえべ。これからだべ」
 佐介は真理の言う事がわからなかった。

 真理は実家からそれとなく、ノブチンの老後をみるよう言い含められていたらしかった。
 まあ、ノブチンたち夫婦と同居も悪くはないと佐介は思った。ただ、真理とノブチンの気が合わないのが気になる。犬猿の仲と言うより、ネズミと犬だ。あるいは狸と犬だ。タヌキはイヌ科ではなかったか?ふたりは今も、相手の不得手な部分には立ち入らないように接しているから、いずれうまくゆくだろう。そう思っているとノブチンが俯いた。
 佐介は真理に目配せした。
「どうした?」
 真理が佐介に気づいて、奇妙な顔で佐介を見ている。
「うん・・・」
 佐介は隣りにいるノブチンを示した。ノブチンは声を殺して泣いている。

「またあ~。ノブチンにあたしがいるからって、婆に予約したからって、今までと変らないべ。気を緩めんじゃないよ。
 だいたい、ノブチンが仕事しなくなったら、ボケんでしょ。
 子どもの教育も頼むんだから、今からしっかり勉強すんだよ。
 子どもに、幼児語で話すんじゃないよ。
 たっぷり愛情を注いでもらうけど、自分で考えて自分で行動できる、自立した人にしてね。子どもじゃないよ。自立した人だよ」
 真理はノブチンに捲し立てている。
「・・・」
 ノブチンがポカンと口を開けて真理に目を向けた。
「サスケとあたしの子どもは優秀だべ。
 だから、子どもを、何もできないアホな幼児にすんじゃないよ」
「・・・」
 ノブチンが口をパクパクさせている。
「だから、あたしもノブチンをババア扱い、しないよ。
 家に帰っても、韓流ドラマばっか見てんじゃないよ。
 児童心理学と語学と数学、しっかり勉強すんだよ」

 ノブチンの呼吸が荒くなった。眼差しに光が増している。
「ふんっ、あたしだってね、やればできるんだわさ!」
「戻ったベ?」
 真理が、デザイン画を説明していた瑠理さんに呟いた。
「ええ、戻りました。いつものノブさんですね!」
 デザイン画を説明していた瑠理さんこと、沢村瑠理がクククッと笑っている。
「じゃあ、指輪は従業員価格で。
 それでいいべ、ノブチン!」
「ええ、いいわ。あたしも未来の後継者を予約しとくわ。商売の勉強してね!」
「ああ、わかったさ!
 サスケ!しとけよ!」
 真理の返答に、沢村瑠理と店員が大笑いしてる。
 佐介は笑いながら真理を見た。なんで俺に話を振るんだ。沢村瑠理と店員が笑ってるぞ。ノブチンの後継者はアンタだろう・・・。
「サスケ。これからも頼む・・・」
 真理の言葉に重みが増した。この時になって佐介は、Jewelry Pandoraに来る以前、真理が緊張していた原因がわかった。叔母の今後について真理は悩みに踏ん切りつけたのだ。
「ああ、任せろ・・・」
 佐介は覚悟してそう言った。


 帰宅後。
 真理は実家へ連絡した。
「ああ、母さん、夕方、届けを方出したよ。ノブチンにも話しといた・・・」
 真理はじっと母親の話を聞いている。婚姻届の事はずいぶん前から煮つまっていたようだ。
「うん、ノブチン感激してた。だから、気、抜くんじゃねえって、活、入れといた・・・。
 ああ、今からボケたら困るベ・・・。代るか?うん、待って・・・。
 サスケ、お袋が代れって・・・」
 真理が電話を代った。

「サスケさん。真理と伸子、頼むわね。
 いずれ、Jewelry Pandoraも頼むわね・・・。
 あら、こんな事を頼んだら、気が重いか、アッハッハッ!」
 この母はあいかわらず豪傑だと佐介は思った。長男夫婦もたじたじだろう・・・。
「いえいえ、わかってます。下宿した時から、決ってたようなもんですからね」
「実は、伸子の事、だいぶ前からあなたの実家に話してあったのよ。
 お母様は、本人に任せると言ってたから、社交辞令じゃないか確認したわよ。
 そしたら、本気だって。あなたからも聞いてるって言うじゃない。
 後は、あなたと真理が決めればいいと思ってたのよ。
 いつ、伸子の事を考えたの?」
「真理さんに会って、ノブチンの顔を見た時。婚約する前かな・・・」
「あ~ら、伸子といっしょになるんじゃないわよ。どう言うこと?」
「叔母さんに子どもがいないとわかった時・・・」
「伸子のめんどう見なきゃいけないと?」
「まあ、覚悟したんですね。真理さんと二人で世話しなきゃいけないんだろうなと。実家には兄も居るから」
「自分でそこまで考えたの?」
「ええ、もちろんですよ。実家にも話しときました」
「うわっ、あたしのめんどうもみて欲しいわ!」
「アハハハッ、言いますね」
「真理を頼むわね。早く子ども、つくんなさい。
 いつすれば子どもができるかわかるから、観察するのよ。
 真理は好きなはずよ」
「はい、観察します。俺も大好きですよ。最初に会った時から真理を・・・」
「あら、言うわね~!」
「言わせてるのは誰ですか?」
「あたしで~す」
「心配しないでください。これまでの生活を続けるだけです。気持はみんな通じてます」
 そうだ。特別な事をしてはいけない。特別な事は続かない・・・。
「そうね。継続は力よね。そしたら二人を頼みますよ」
「任せてください。それでは」
「では、またね」
 電話は切れた。

「なんだか、寂しそうだな・・・」
 佐介はキッチンの真理に声をかけた。真理は会社での約束どおり夕飯を作っている。
 鮃の煮付け、一夜漬け風の野菜サラダ、根菜類の煮物など、定番の惣菜。しばしば、日本語を話せるかと勘違いされる真理の外観と違い、作る惣菜はいたって和的。料理の腕前は母親譲りだ。
 手を洗って真理の隣りに立つと、
「誰が寂しいんだ?お袋か?」
 確かめるように、真理が煮つけの煮汁を小皿に取って佐介に味見するよう示した。
「うん。お母さん・・・。これはうまい!」
 甘すぎず、辛すぎず、どちらかと言えば薄味で、ヒラメの旨みがよく出ている。
「今まで、ノブチンも含め、さんざん結婚しろってうるさく言ってきたんだ。
 それがすんなり決まったから、気が抜けたんだべ」
「何か、気になる事があるんじゃないのか?」
 佐介はダイニングのテーブルを拭いて箸を並べ、惣菜を並べた。

「あるとすれは、結婚式と披露宴だな。
 ノブチンはあたしの言う事を理解したけど、お袋は無理だな。
 なんせ、古いんだかんな。何かうまい方法はないかな・・・」
 真理は母親の考えを可能な限り穏便に避けようとしている。つまり、結婚式も披露宴もパスだ。誰が何を言おうと、真理は自身の意志を変える気はない。決意するまであれこれ言うが、一旦決まるとその件を蒸し返さないのが真理だ。
 真理のよそったご飯の茶碗と、具だくさんの味噌汁のお碗をテーブルに置いた。真理も佐介も、味噌汁が好きだ。特に具だくさんのが。

 椅子に座り、食卓に着いた。
「知らぬ振りして話を引き伸ばし、そのままfadeoutする」 
 そう言って佐介は結婚式と披露宴に関連する話題を避けた。
「まっ、それしかねえな。よしっ、これは放っておくべ」
 真理は煮物を口へ放りこみ、
「それより、サスケ。タヌキはノブチンにまで手をまわしてたんだぞ。なんか変だベ?どう思う?」
 煮つけを箸で摘まみながら佐介を見ている。
「うん、妙だな・・・」
 佐介も遠藤院長の行動が気になっていた。
 遠藤院長がどう動こうと、『老齢者医療施設医療設備計画』に変更はないはずだ。いったい遠藤院長は何を考えているのだろう・・・。
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