十九 互いの心が入れ代わる

文字数 3,139文字

 午後三時。
 処方箋薬局は戸倉温泉の商店街にあった。麻取の二人はこの薬局で薬剤師に麻の栽培
地を訊いていた。
「もう、この近辺では栽培していませんよ、安曇野の山間でしょうね、と話したんですよ。
 そしたら、今日にも訪ねてみると言ってましたよ」
 そう話して、田中薬剤師は亮子に、母国はどこですか、と訊いた。
「私の家内がフィリピンでして、オタクは欧米の方なんでしょう?」
「あたしは純国産ださ。生まれは関東ださ。
 教えてくれてありがとう。奧さんによろしくな」
 亮子は笑いながら、亮子の訛りに驚く薬剤師に礼を言って薬局を出た。

「明日には、麻取も動けるようになるベ。こんなんじゃ酔い潰すんじゃなかったな」
 風月荘へ戻る道すがら、そう呟く亮子の声が聞える。
「そうでもないさ。酔い潰れたから麻取の行動が妙なのがわかった。
 佐伯さんも気になるから取材を頼んできたんだ。
 麻取が動かずにいるから、こうして、出てこれた」
 佐介は亮子の手を握り、千曲川の堤防に平行した道路を風月荘へ歩いた。
「二度目だベ、こうして歩くの・・・」
 亮子が、佐介の腕を抱きかかえるように抱きしめた。
「あの時、いっしょにいたのは真理だろう?」
 こんな風にして歩くのは結婚の報告でノブチンの店に行った時と二度目だ。
「ああ、あたしだ・・・。いや、真理ちゃんであたしだ。
 実はなサスケ・・・」

 佐介は自分自身をサイキックだと思っている。その事を誰にも話していないが真理は薄々気づいている。すると真理に扮した亮子が驚く事を言った。
「実はなあ・・・、あたしたちは自由に入れ代われるんだ・・・」
「どう言う事?」
「つまりだな・・・」
 亮子の説明によれば、真理と亮子は離れていても、二人の意志で、意識も心も入れ代われると言う。つまり、ここに居るのは亮子だが、亮子と真理が承諾すれば、身体はそのままで、意識も心も入れ代わる。
 亮子の説明はわからなくもないが、現実離れしている。佐介だからまともに聞いているが、世間一般の人なら本気にしない。
「今も入れ代われるんか?」
「ああ、真理ちゃんが納得すればな・・・。
 今、若女将は身体が真理で心は亮子だ。あたしの身体は亮子で心は真理だ」

「だって朝は・・・」
「ああ、朝は二人とも亮ちゃんで真理だった。
 まあ、しょっちゅうこんな事があったんさ。
 だから、黙っててゴメンな・・・」
 亮子が佐介の腕を抱えたまま、身をすり寄せてきた。
 この気持の表し方は亮子か・・・。
「だめだべ。二人を区別しちゃなんねえべ。
 二人は一人のために、一人は二人のために。
 そしてサスケは二人のために。二人はサスケのために。
 新三銃士だべさ」
 そう言って笑いながら亮子が佐介の胸に頬をすりつけている。
 この仕草はノブチンの雰囲気だ。やはり血は争えない。真理の母系の血筋だ・・・。まあ、真理は銃士より、どこかの姐御が似合ってると思ったが、あまりにぴったりなので言わずにいた。

「うん?どうした?」
 亮子がメガネの奥から、近眼の大きな薄茶の目で見つめている。メガネは、薄茶の目を保護する、紫外線カットの偏光レンズだ。佐介は、真理がメガネをする理由が薄茶の目にあったのを思いだした。一卵性の双子は二人とも近眼で大きな薄茶の目だ・・・。
「二人を相手している気がしない。妙だな・・・」
「バーカ・・・」
 亮子は身をすり寄せて、クククッと思いだし笑いをこらえて呟いた。
「さあ~て、ゆっくりできるのは今夜だけだぞ・・・」
 もしかして・・・。佐介は思わず想像した。
「当たり前だべ。そんな事、おおっぴらにしたら、恥ずかしいべさ」
「何を言ってる。亮ちゃんも同じ想像をしてるじゃないか」
「まあな・・・。サスケ・・・」
 亮子が佐介の胸に頬をすりつけた。
「なに?」
 佐介は、佐介の腕を抱きしめている亮子の手をさすった。
「あたしを、あいしてるベ?」
 亮子は佐介の胸に顔を伏せた。こんな時だけいじらしい。

 佐介は一瞬、言葉に詰まった。なにせ、真理が二人いるのだ。二人が一人を演じて、佐介が一人だけを相手してると思っても、二人を意識する気持が佐介のどこかに存在している気がした。
「ああ、そうだ・・・」
「バカッ!ハッキリ言え!」
 口調は荒いが優しさの溢れた話し方だ。 
「あいしてる。二人を。二人で一人なんだから」
 今の佐介にはそこまでしか言えなかった。ここに居るのが誰だなんて考える事も、問う事も思いつかない。真理は真理だ。
「うん、わかってるべ」
 亮子が佐介の胸に頬をすりつけて佐介の考えに納得している。

 佐介は亮子の手の甲を軽くポンポンと叩くように撫でた。
「今朝、話したように、麻取の捜査目的が、草野たちの大麻入手経路と使用目的でないなら、何だと思う?」
 厚労省が特別認可した民間のプロジェクトは厚労省に逐一報告があるはずだ。特別認可したプロジェクトを、麻取が一から捜査し直す事とは無いはずだ。草野たちの大麻入手経路を調べるなら、県警からじかに情報を得る方が早い。県警が事件を解決すれば、麻取の捜査など不要になる。
 昨日、風呂で話した時、麻取は、草野たちの玉突き事故が起こる前からこちらで捜査していたような口振りだった。俺たちが取材するのを監視してた事から判断して、麻取が捜査を始めたのは、俺たちの取材と同時な気がする。

「麻取は、麻薬事件を取り締まるのが仕事で、事件の防止じゃねえ、と言ったんだな」
 佐介の考えを読んだように亮子がそう言った。
「うん、そう言った」
「そんなら、やっぱ、麻取の説明は矛盾するべ」
 亮子が佐介の胸から頬を離した。顔を上げて佐介を見つめている。ゆるくウエーヴした亮子の柔らかな髪を、西陽が優しく包むように射している。
「綺麗だ・・・」
 と佐介が言った。
「バカ、恥ずかしいべ・・・」
 亮子の顔が赤くなった。赤くなったのは西陽のせいだろうかと佐介が思っていると、
「アホッ綺麗だと言ってもらえてうれしいんだべさ」
 と亮子の声が聞えた・・・。
「うん、綺麗だ・・・。話を戻そう・・・。
 麻取の目的は大麻その物か?それとも、大麻を入手して売りさばく気か?」
 大麻に絡んだ事件は県警が捜査してる。麻取が犯罪防止する必要はない。

「伯父さんが取材を頼んできたんは、それださ」
 そう言って亮子が佐介の胸に頬を寄せてクククッと笑いを堪えた。この態度は何か良からぬ事を企んでいる証だと佐介は思った。まさか麻取の二人を・・・。
「悪いか?悪くなかんべさ。大人なんだ。いくらでも断る方法はあるべさ。
 さ~て、なんてって脅すべさ。じかに大麻の話をすっかな?それとも、歴史を溯って、オオグサの話からにすっかな?
 サスケはサイキックだべ。オオグサの話を知ってんよな。
 おお臭さ!じゃねえぞ。大草ださ。あの古代の神事で使った・・・」

 亮子は風月荘へ戻る道中ずっと話し続けた。はたから見れば、仲睦まじいカップルがベタベタとひっついて歩いているように見える。話の内容は古代神事で用いられた大麻の幻覚作用だ。亮子の容貌と訛りのせいで、通りすがりの人たちは、亮子が外国語を話していると思って、関心を持たずにそそくさと通り過ぎていった。
「オオグサの話にすべ。他の客はあたしの言葉を理解できねっから都合がいいべ」
 亮子はまた麻取に酒を飲ませる気だ。昨夜の飲み過ぎで胃がまいっている二人が、亮子のありふれた脅しに乗るとは思えない。そこで、亮子は直接、大麻の事を話す気だ。古代の神事に用いられた大麻を話のネタにして・・・。
「だけど、飲み過ぎで胃をやられてるから、飲まないかも知れないよ」
 道路から風月荘の敷地に入った。
「夕飯、食えば、胃も治るべさ・・・」
 亮子は楽観的名顔で、麻取が居る風月荘の三階を見上げた。
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