十 思わぬ情報

文字数 3,154文字

 五月二十一日、金曜、正午前。
 風月荘の玄関に真理と佐介の車が停止した。ロビーから白髪の年輩の男と和服の年輩の女が飛び出してきた。白髪の男は車を降りた真理と佐介から、撮影機材バッグと大きめのバッグを受け取り、従業員に荷物を部屋へ運んで車を駐車場へ入れるように指示して、女と共に真理に深々とお辞儀している。
「お嬢さま、ご丁寧なご訪問、とてもうれしく思います。
 こちらが旦那様ですね。
 私は支配人の花山明史。これが女将の花山房江です・・・」
 支配人は佐介に女将を紹介した。女将は真理と佐介を見て涙ぐんでふたたび深々とお辞儀した。
「あたしが子どもの頃から、いろいろ面倒をみてもらった支配人と女将さん」
「飛田佐介です」
 真理の言葉を聞きながら、佐介は支配人と女将に深々と御辞儀した。女将は真理の母親に似ている。
「おむつを換える頃から、お嬢さんの世話を・・・」
 女将は真理の尻をポンポン叩いている。
「それを言うな・・・」
 真理は苦笑して女将を抱きしめている。娘が母を抱きしめているように見える。
「部屋へ案内します。いつもの部屋ですよ・・・。
 お母さんと伸子さんは元気ですか?いつも連絡を頂くだけでお目にかかってませんので」
 支配人は真理の母とノブチンを気づかって話し、真理と佐介を館内へ招いた。
 真理は支配人に従って女将と共に臙脂色の絨毯を歩きながら、両手で女将の手を握ってさするようにして歩いている。
「あいかわらずだべ。ノブチンはちっとばかし老けたかな・・・」
「まあ、無理もありません。年寄りばかりでは、どうしても老けますね。
 ですが、真理さんが結婚なさって家族が増えました。
 伸子さんも老けているわけには参りませんよ」
 支配人は笑いながら、真理と佐介をエレベーターに招き入れ、佐介に片目をつぶって目配せしている。早く家族を増やせと言いたいらしい。佐介は照れかくしに笑って頷いた。

 五階でエレベーターを降りた。支配人は佐介と真理を千曲川が見える部屋に案内した。
「さあ、いつもの部屋です。お嬢さまはここからの眺めが好きでして。
 お風呂からの夕陽が格別だなんて、年寄りじみた事を言って、笑わせたものです。
 では、食事を運びますね。その時、亮子が挨拶に来ますから・・・・」
 女将は優しい眼差しを真理に向けている。
「亮ちゃん、久しぶりだ。楽しみだべ。来たら、夕方まで話していいべか。五年ぶりだかんな」
「ええ、かまいませんよ。亮子に話しておきますね。
 では、ごゆっくり・・・」
 丁寧にお辞儀して支配人と女将は部屋を出ていった。新婚の真理と佐介を二人だけにしたいらしかった。
 真理の説明では、この風月荘は、真理の父親が風月荘の株式の八十パーセントを所有する旅館で、真理の母の従妹の女将が経営している。真理の父親は資本家で、不動産経営は全て親族に任せてある。真理は子どもの頃から、夏はこの旅館で過していて、女将とは母と娘のような関係だ。

「なあ、サスケ・・・」
「なに?」
「ちょいと、肩を揉んでくれ・・・」
 真理は上着を脱いで佐介に背を向けた。
 佐介は座椅子に座り、両足の間に真理を引き寄せた。頭頂部から首筋にかけて優しくゆっくり擦った。そして、首筋から肩を優しく擦り、首筋と肩の筋肉のつけ根に相当する腱の部分に少しだけ力を込めて筋肉を擦った。筋肉に力を加えてはならない。同じように首筋を擦り、凝りが残っている部分を集中的にゆっくり強く擦る。首筋から肩を擦り、二の腕から腕、そして手の甲と指を擦る。その後は背骨の両脇と肩甲骨の周りだ。
 一通り擦ったら、また最初に戻り、軽めに擦る。筋肉を圧迫し過ぎないよう注意して頭頂部から首、肩、腕、手へ、押す、擦るをくりかえし、頭頂部から首、背骨の両脇きの背筋、肩甲骨の周りも、押す、擦るをくりかえす。

「サスケ、枕と座布団・・・」
 真理は座布団の上に俯せになって、枕に頭を載せたいのだ。
 佐介は座布団を並べて真理を俯せにし、枕に真理の頭を載せた。
「気持ち、いいか?」
「ああ、気持ちいい。サスケの指は最高ださ・・・・」
 真理は心地良さに浸っているが、佐介は誰からも肩を揉んでもらった事がない。皆が佐介の大きな身体を気にして肩を揉むだけで自分の肩が凝ると言い、揉むのを嫌う。おそらく今後も肩を揉んでもらう機会は無いだろう・・・。


「失礼します。昼食の用意ができました」
 若女将風の女が仲居二人を従えて昼食を運んできた。
「真理ちゃん!お久しぶり!
 あたし、亮子です。女将の娘。真理ちゃんとは再従妹です!」
 いかにも真理の親戚らしく、物事をはっきり言う若女将だ。
「飛田です」
 佐介は一連の挨拶を済ませて、後は真理に任せた。初対面の亮子と何を話していいかわからない。下手な事を言うより、真理に任せる方がうまくゆく。
 真理も佐介の思いを知り、座卓に食事が並んで仲居二人が部屋から出てゆくと昼飯を食べながら、亮子と真理の想い出話に花を咲かせた。二人が話しこんでいる方が気兼ねなく飯を食えると佐介は思った。

 昼飯が終って仲居が座卓の上を片づけても、亮子は真理と話し込んでいる。
「この春、おもしろいお客さんがいたのよ。
 麻を栽培している村を知らないかって言うの。
 麻の衣服の事を話してたけど、衣料関係者じゃなかったわ」
 亮子はお茶を淹れて茶碗を座卓に置いた。佐介はなぜか、遠藤院長を連想した。
「どうして、そうわかった?」
 真理と佐介は茶碗を手に取った。真理も佐介と同じ判断をしている。
「長年の勘と匂いよ。病院の消毒のような匂いがしたの」
 亮子は自分の茶碗にお茶を淹れて茶碗を手に取っている。
「名前、憶えてるべか?」
 真理は何気なく話しているが小鼻がピクピクしている。気にしてる表情だ。
「遠藤と言ってたわ。タヌキに似たギラギラした人だったから憶えてた」
「おそらく、育善会総合病院の遠藤悟郎院長だ。
 近くに、麻を栽培してる所があるんか?」
 やはり思った通りだ。遠藤院長は麻を医薬品に利用する気だ・・・。真理のメガネの奥で目が輝きを増している。 

「栽培地はあるわ。遠藤という人には、わかりませんと話したけど、あのタヌキはここを出た後、どこかで年寄りに栽培地を訊いたでしょうね。
 ねえ、医療関係者が麻を必要とする事なんてあるの?」
 亮子は医療と麻に興味を抱いている。
「麻の成分が肺癌治療に有効らしい。余命少ない肺癌患者に麻を使いたいんだべ・・・」
「そうなの・・・。医は仁術か・・・」
「そうとも言えねえベ。薬物効果があっても麻を薬に使うのは法律で禁じられてる。
 亮ちゃん、結婚は?」
 真理が話題を変えた。

「まだなのよ。なかなか良い相手がいないの」
 亮子は佐介を見ている。
 佐介は亮子の熱い眼差しを感じた。これは困る。結婚したばかりだ。いや、そう言う問題じゃない。再従妹というだけあって顔立ちも体系も、亮子は真理に良く似てる。性格も似ている気がする。真理より二歳年下だ。真理と亮子の立場が入れ代っていれば、亮子が妻になっていたかも知れない・・・。
「あら、いつまでもおじゃましたら、悪いわね。また夜にも・・・」
 立ち去ろうとする亮子を、真理が引き止めた。
「五年ぶりなんだ。ゆっくり話すべ。
 女将さんにも話しといたさ。亮ちゃんと夕方まで話したいと」
 真理は佐介を見て、適当に時間を潰せと目配せしている。

「大浴場は使えますか?」
 佐介は亮子に訊いた。亮子が笑顔で言う。
「ええ、使えますよ。一階です」
 この笑顔、これでメガネをかけたら、まさに真理だ・・・。
「じゃあ、着換えて行ってくるよ」
 佐介は隣室へ行き、真理が用意したバッグから、愛用のジーンズとトレーナーを取り出して着換え、着換えの下着を持って隣室へ戻り、二人に会釈して部屋を出た。
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