二十七 麻取の生霊を排除

文字数 1,740文字

 佐介は下田広治へ意識を向けた。
「下田さんは、釣りをした事があるんですね」
「子どもの時に、海釣りをしました。生れは浦安ですよ。
 昔、ハゼ釣りしましてね。堤防から鰺や鰯を釣りました。
 今も、釣れるのだろうか・・・」
 下田広治は、幼少期を懐かしむような眼差しを川面へ向けた。
 水面が昼の陽光を反射してキラキラしている。東京湾岸はドンドン昔の面影を消している・・・。子どもの頃の懐かしい東京湾は、下田の記憶の中にある・・・。
 一瞬、川面の反射光とともに、喫煙のイメージが佐介の脳裏に現れた。何だ、これは?
 下田広治が、古い喫茶店のような空間でパイプを燻らせてる。ここは喫茶店じゃない。ハバナだぞ・・・・。下田の記憶だ・・・。

「・・・、サスケ、サスケ!」
 真理の声がする・・・。
「なに?」
 佐介は異次元空間から現実世界に引き戻された。傍に座った真理が笑顔で優しい眼差しが佐介に向けている。それにくらべ、先ほどの空間は、喫煙する下田広治も含め、表現できない殺伐とした雰囲気が漂っていた。いや、そうじゃない。殺伐とした雰囲気の中に、あの喫茶店のような空間が存在していた。下田広治の心象だろうか・・・。
「さあ、ゆくよ!」
「どこへ?」
 佐介は、真理に笑顔で訊いた。
「魚釣りを再開するよ」
 真理は穏やかに岸辺を示した。すでに麻取の二人は岸辺で釣り糸を垂れている。
「ああ、了解した・・・」
 どうも体調が悪い。肩が重く、首筋が凝ってる。嫌な予感がする。
「どうした?顔色が悪いぞ・・・」
 真理が、佐介の目を覗きこんだ。
「何があった?」
「ぼんやりしてた・・・。見えたんだ・・・」
 佐介は、ふたたび麻取を確認した。二人とも岸辺にいる。
「下田広治が喫茶店のような店で、パイプを燻らせてた。ハバナだと思う・・・」
「そうか・・・。二人ともタバコはやらねえと言ってたな・・・」
 だけんど大麻はやるんだ、と真理は思っている。
 ふと、佐介は思いついた。
「もしかしたら・・・」
「かもな・・・」
 真理の両手が佐介の頬を包んだ。
「さっきの続き・・・」
 佐介を引きよせ、真理のメガネが佐介の鼻に触れて、唇が触れた。

 真理の顔が離れた。両手は頬を包んだままだ。
「サスケ・・・、下田広治は肺癌の中期だ。生霊と邪霊を排除しとくべさ・・・」
 真理の両手が離れ、真理が麻取を背にする位置へ移動した。右手を刀に見たてて、佐介の前で、『無上霊宝神道加持』と小声で九字を唱え、
「エイッ」
 小さいが気合いのこもったとかけ声とともに、佐介の影を左肩から右脇腹へ袈裟懸けに一刀両断した。そして、ふたたび九字を唱えて、かけ声とともに右肩から左脇腹へ袈裟懸けに一刀両断し、さらに九字を唱えてかけ声とともに、垂直に佐介の影を一刀両断した。
 真理の家系に伝えられている秘伝、魔除けの秘技だ。
「これでいいな・・・。注意しろよ・・・」
 真理が立ちあがった。佐介の手をとって立つように促している。日頃からよく食うだけあって、真理は心身ともにタフだ。

「ありがとう・・・。助かったよ」
 愛する二人を守る立場が、守られていたのでは、どうしようもない。不用意に下田広治の無意識領域へ入りこんでいた。事前に魔除けすべきだった。今度から必ずそうしよう。
 そうでなければ、真理と亮子に被害が及ぶ。二人で一人に成れるのだから、亮子も秘伝を知ってるだろう・・・。
「ああ、知ってるぞ。心配するな。さあ、あと二時間くらいは釣るべ」
『反省は己を省みて次のステップへ進む。後悔は過去を見て、悔やむだけだ。進歩が無い』
 サスケはいつも前向きだ・・・・。愛すべきサスケだべさ・・・。
「後片づけしとく。真理ちゃん、二人を頼む・・・」
 佐介は真理の思いを感じながら、弁当が入っていた手籠を示して立ちあがった。
 二人を頼むと言っても、麻取の監視ではない。釣りに付き合ってくれという意味だ。二人とも川原にいる。他所へ逃れようがない。逃れるとすれば、あのハバナへ思いを馳せるくらいだ。二時間もたてば釣りを終えてハバナへ行く。今この場で、麻取の思いを探る必要は無い・・・。
「そう言う事だべ・・・」
 真理が佐介の頬に手を触れた。
「じゃあ、片づけ、頼むぞ」
「あいよ!」
 佐介は真理の竿を取って、真理に持たせた。
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