三十二 麻の苗は始末した

文字数 2,683文字

 午前十一時前。
「ここださ・・・」
 山間部の村に着いた。軒先に蕎麦の看板がある農家の庭先へ車を乗りいれると、家から老齢の夫婦らしい二人が出てきた。佐介はいつもの取材の要領で、ボイスレコーダー片手に窓ガラスを下げて、蕎麦を食えるか訊こうとした。
 二人は佐介に気づかず、そそくさと、このディスカバリーの後ろの麻取の車へ近づき、麻取の車の窓ガラスが下がり始めると、白髪の男が大声で、
「言われたとおり、草野に大麻の苗を渡しといたズラ。
 先祖返りの麻なん、見つかんねえズラヨ・・・」
 といった。爺さんは麻取と大声で話してる。耳が遠いらしい。

「アイツらの話、録音、できたか?」
 真理がドアミラーを見たまま囁いた。佐介の顔が窓から出てないか、ドアミラーで確認している。 佐介は窓ガラスを下げただけで外へ顔を出していなかった。その代わり、ボイスレコーダーの指向性マイクを外へ出していた。何事も録音する記者の習性だ。レコーダーはこの車ディスカバリーと同系色のグレーだ。ちょっと目にはボイスレコーダーが窓から出ていたとは麻取に気づかれていないだろう。
「うんだ、気づいてねえな・・・」
 亮子が麻取の気配を読んで囁いた。佐介はホッとした。同時に、草野が大麻を入手した件に麻取が絡んでいたのを確信した。
「まだ、確実じゃねえぞ。あの爺ちゃんの一方的な話だ。麻取の声は録れてねえ。麻取の車ん中の声、聞けねえかな・・・」
 真理がそう囁いた。
「集音マイクあるよ。野鳥観察用の・・・。サスケの足元のケースに入ってる」
 亮子が助手席側の、後部シートのフロアを示した。ジュラルミンのケースがある。
「集音マイクをセットするヒマはねえぞ。爺ちゃんたちがこっちにきた。麻取もいっしょだ・・・」と真理。
 婆さんが麻取たちから離れた。一足先に家へ急いでいる。
「婆ちゃん、何、慌ててるんだ?」と佐介。
 佐介の囁きに真理が舌打ちした。
「しまった!連絡する気だ。大麻の栽培を、あたしたちに知られねえようにする気だ」
 麻取の車から離れた婆さんは、佐介たちがいるディスカバリーに近づかずに家に入った。
「この村の人たちは大麻を栽培して、麻取に売ってるんだ」
 婆さんを見ていた亮子が呟いた。
「これで、麻取がここに来てたんはハッキリしたべ・・・。
 だけど、戸倉の薬局で麻の事を訊いたんは、何だったんだべ?」
 真理は婆さんが入った家を見たまま、近づく麻取の気配を探っている。
「パフォーマンスださ!」
 婆さんの気配を探っていた亮子も麻取を探っている。
「この状況じゃ、突っついても、何も出てこねえな・・・・」
 麻取は、俺たちが麻取を監視してるのを、どうやって気づいたんだろう・・・。
 佐介がそう思っている間に、麻取が車に近づいてきた。
「だば、ソバ食って、ちっとばっかしパフォーマンスして帰るべ!」
「うんだ。ソバ食うベ!」
 真理と亮子が同時にドアを開けた。二人は何があっても食う事だけは忘れない・・・。
「信州信濃でソバ食わねえバカがどこにいるべさ・・・」
 佐介の思いを感じて二人はそう呟いている。

 蕎麦の看板が出ている農家の座敷に上がった。
 座敷に現われた白髪の爺さんに蕎麦を注文をすると、しばらくして爺さんが座卓に蕎麦を並べた。
「あたしゃ、アンタのそばがいいってね!」
 蕎麦を食べながら真理と亮子がケラケラ笑って佐介を見ている。二人から、録音しとけ、と指示が伝わってきた。言われるまでもなく、佐介のジャケットのポケットにあるボイスレコーダーはスイッチがオンになっている。
 亮子が感激したように言う。
「これ、蕎麦粉、十割だ!」
「うんだ、十割だベ。この天ぷら、うめえなあ~。この天汁がいいなあ~」
 付け合せの山菜天ぷらに、真理が舌鼓を打っている。
「ウドだね。こっちは、コゴミ・・・」
 亮子も天ぷらを食べている。

「町中のソバ屋には、繋ぎにいろいろ入れてんのがある。蕎麦に混ぜ物するなんて邪道だべ!」
「輸入物の小麦粉、入れてるとこもあるよ」
「詐欺だべさ!アハハハッ!」
 話しながら、二人とも蕎麦をズルズルすすっている。
「そうずら。十割ずら。混ぜ物なんか、してねえずら」
 白髪の爺さんが、蕎麦湯の椀を持ってきてそう言った。
 麻取たちは隣の座卓に居て、真理と亮子たちの話に耳を傾けている。
「麻はどうしたさ?」
 真理が何気なく老人に訊いた。
「わからないように、片づけましたずら・・・」
 爺さんがそう言った。
「大麻か?」
「はあ、大麻と麻ずら。下田さんと神崎さんに言われたように、大麻の苗も麻の苗も、始末するよう、婆さんが連絡したずら。今頃、みんなに連絡がまわって、大麻の苗を片づけたずらよ」
 爺さんはケロッとしている。隣の座卓で、麻取が苦虫を噛み潰したようにしている。
 サスケ、録音は完璧だな、と真理と亮子が思いを伝えてきた。
 ああ、完璧だ。これで麻取が何か言えば、りっぱな証拠になる・・・。これだけで、充分かも知れない・・・。

 爺さんが蕎麦湯の椀を、佐介たちの座卓に置くと、
「ソバ湯、もらえるか?」
 神崎誠がふてくされるように言った。神崎誠は爺さんを見ていない。戸外へ視線を向けて感情を殺している。下田広治は静かに蕎麦を食っている。
「はいはい、ちゃんと、お持ちしてますよ・・・」
 爺さんは麻取たちをふりむいて、麻取のたちの座卓に蕎麦湯の椀を置いた。
 神崎誠が爺さんを睨んだ。
『余計な事を話すんじゃない!』
 と目が伝えている。しかし、爺さんは、大麻の処分は終ったと気を抜いている。
 無理もない。その昔、この村の人々は、大麻をタバコ代わりに吸っていた過去がある。大麻がいかなる代物か、気にしていないらしい。一方、神崎誠はイライラしている。爺さんにいろいろ口添えをしたいが、俺たちの手前、何も言えずにいる・・・。そう佐介は爺さんと麻取の考えを読んでいた。

「さあ、ソバを食ったら、帰るべか?」
 真理が麻取たちにそう言った。爺さんは座敷から台所へ歩いている。
「姐御、麻を栽培していた畑へは、行かないんですか?」
 神崎誠がそう言ったが、村の中を歩く気などこれっぽっちも無いのが、神崎のホットした顔からわかる。
「今の話、聞いたべ。婆さんが連絡して、栽培してた麻を片づけた。今さら、探したって、麻を育ててた証拠や、先祖返りの麻は出てこねえべさ」
 真理は何事もなかったようにそう言った。亮子が頷いて相槌を打っている。
「はあ~、それじゃあ、帰りますか・・・」
 佐介が録音しているのも知らず、神崎誠はホッと一息いれている。これで大麻についての調査が一件落着すると考えている。
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