九 取材

文字数 3,416文字

 午後。
 佐介と真理は出社して県内製薬会社に電話した。大麻については話さず、十数社にテトラヒドロカンナビノールについて話すと、食いついたのは三社だった。

「アポイントが取れた!厚生労働省も裏で妙な事してるぞ。さてどうしたもんだべ・・・。
 なんでサスケがあたしから離れた反対側の窓辺に居るんだ?話しずらくって困るベさ!
 そしたらここに座るベ・・・」
 真理は何か閃いたらしく、名ばかりの編集長デスクから佐介を呼んだ。一応、真理はキャップで肩書きは編集長、つまりデスクだ。
 真理は自分のデスクの横の、資料が積みあげられたデスクから椅子を引き出してデスクの上の資料と椅子の上の資料を窓辺の棚に載せた。
「内密の打ち合せをしなきゃなんねえんだ。離れてると困るベさ・・・」
 引き出した椅子をポンと叩き、いつもより優しい眼差しで佐介に、座れ、と目配せしている。
「打ち合せと言ったって、いつもの取材と同じだ。特別な事はないよ・・・」
 他人にはわからないが、結婚した事で真理の気持が安定したのがわかる。
「あたしがあるんだ。これが取材先だ・・・」
 真理は笑ってメモを佐介に渡した。何か不気味だ。

 メモに、長野県中部の製薬会社の名が並んでいる。
「なっ?大いに興味あるべ?」
 真理が佐介の顔を覗き込んでいる。製薬会社の一つは大学時代同期だった知人の会社だ。真理の表情が変った。
「その岡松って、よく遊びに来てたあの岡松だベ?社長の倅だベ?サスケと同期の・・・。
 かつての御学友に会いに行くベさ。他の二社も近くだベ」
 真理は、かつての佐介の学友が勤務する、松本の岡松製薬へ乗り込もうとしている。
 他の二社はそれぞれ坂城町にある。松本からより長野から近い。
「いったい何時のアポイントを取ったの?」
「岡松製薬は今日の三時だ。トーヤ製薬と寺田製薬は明日の十時だ。
 行くべ!」
 真理はバッグを持って席を立った。佐介は慌てて取材機材のバッグを掴み、真理を追った。


 午後三時過ぎ。
 松本市郊外の岡松製薬に到着した。かつての学友、岡松誠之介専務は、応接室に真理と佐介を招いた。
「真理さん、お久しぶりです。結婚、おめでとう。サスケをよろしく。
 アハハッ!こんな事を言ったら、僕がサスケの身内みたいだね!」
 一連の挨拶を済ませると岡松誠之介は真理と佐介に、オフレコだ、と確約させて大麻の栽培と新薬について語った。
 岡松製薬は厚生労働省から特別認可を受けて、社内施設で大麻を栽培し、大麻から抽出した成分に手を加えた合成薬物を研究していた。

 真理もオフレコを条件に、
「今朝、〇時頃、長野大通りで十数台の玉突き事故があった。警察はスピードオーバーの事故と発表したが、運転席に大麻の鉢植えが転がってた。
 二十代のカーマニアたちに、大麻の種か、苗を流した者がいるらしい」
 と訛りなく話して岡松を見ている。
「これもオフレコだ。自動車部に草野と言うのが居た。サスケも憶えてるだろう。
 昨年、アイツが訪ねてきた。漢方薬などについて質問されて、大麻とは言わず、大麻の種を収穫する部屋を見せて、ちょっと部屋を留守にした間に、大麻の種を持っていった。
 アイツが帰ってから、種が減ってるのに気づいた。監視カメラは人の出入りを主体に監視してる。室内の監視カメラには写ってなかったが、種が減ってたのは確かだった」

「なんで追及しない?」
 佐介は、若かりし頃のアラン・ドロンの顔を日本人的に横へ引き延したような、端正な岡松の顔を見た。
「草野は監視監視カメラに背を向けてた。映像に、種を持ち去った記録はなかった。証拠が無い・・・。
 草野も真理さんやサスケと同じ理系だ。調べれば大麻の栽培なんかすぐ可能だ」
 確かに、理系の学生はパソコンやギターを自作する者。楽器を何でもこなす者。部品を集めて車を作る者。自分で下宿の内装工事をする者など、多才な者が多かった。

「草野は、今も仲間を集めて車の改造をしてる、と言ってた。
 長野大通りの事故を起こした者の中に草野が居れば、大麻の出処はここだ・・・・」
 岡松は床を指さした。
「ここから大麻が拡がったんなら、今度の事故で流れは止められる。
 他に、大麻か、大麻の成分に関する情報が漏れる可能性はあるか?」
 真理は、佐伯警部の捜査を考えているらしい。

「他に坂城の二社が大麻を栽培してる。栽培管理者も研究員も経営者の一族で四十代だ。
 草野のような若い者とは関連がないと思う。
 坂城の方も取材するんだろう?」
 岡松は、大学時代に佐介が下宿していた真理の家に来た時と同じ口調で話してる。
「ああ、取材は明日の午前中だ・・・」
 真理が考え込んでいる。いつも閃きで動きまわる真理が、こうして人前で思案するのは、深刻な事態を予測している証拠だ。
「どうした?」
 佐介は真理に訊いた。
「大麻の成分から合成した薬品の効果は一般に発表された物だけか?」
「これも、オフレコだ。
 特に米国で発表された薬品の類似品を試験生産している段階だ。
 だからまあ、これと言った新しい物は無いな」
「どこで臨床試験する?」
 真理の眼がメガネの奥で光った。
「今は動物実験中だ。臨床試験は厚生労働省からの指示で行われるから当社では決められない。オフレコだよ」
 岡松が真理と佐介に確認している。

「わかってる。サスケもわかってる・・・。
 それじゃあ、話はここまでにするさ。忙しいのに済まなかったな。
 長野に出てくる機会があるんだろう?
 今度は寄ってくれ。大学時代みたいに飲もう!なっ、サスケ!」
 真理はソファーから立ちあがりながら佐介を見た。佐介も岡松に笑顔で言う。
「長野に来たら忘れずに連絡してくれ。それとも専務の仕事で忙しいか?」
「そんな事はないよ。長野へ行ったら連絡する・・・。
 早く子ども作れ!時間は待ってくれないぜ・・・」
 ソファーから立ちあがった岡松は、佐介にそう言って真理に微笑んだ。
「ああ、わかった。努力する」
 佐介と真理は岡松に礼を言って岡松製薬の社屋を出た。

 車が発進すると、真理は玄関で見送る岡松に手を振った。
「なんか、繫がったな・・・」
「そうだな・・・」
 佐介は岡松に手を振りながら、車を岡松製薬の門へ走らせた。快晴で空が眩しい。これで、明日、坂城へ取材に行く必要がなくなった気がする・・・。
 出構ゲートで一時停止すると、反対側の入構ゲートに黒の高級車が停止した。スモークガラスで搭乗者は見えない。二人のようだ。佐介は守衛に挨拶して、入社証を返却し、ゲートから車道へ車を走らせた。

 一般道から高速道に入った。真理は前方から迫りくる高速道路の路面を見ている。岡松から聞いた内容を思考中で、『五キロ前方で事故あり。速度を落とせ』と表示が出た事など認識していないだろう。佐介がそんな事を考えていると真理から寝息が聞こえた。


 翌日、五月二十一日、金曜、十時過ぎ。
 坂城のトーヤ製薬から情報は得られなかったが、寺田製薬の広報担当者は取材内容を心得ていた。オフレコを条件に単刀直入に説明した。
「栽培禁止薬草を特別認可を受けて栽培してます。採取成分から新薬を合成するよう厚労省の指示に従っています。薬草も種も紛失した事はありません。
 育善会総合病院の遠藤院長から連絡があり、新薬の臨床試験を育善会総合病院で行なって欲しいと言ってきました。どこから嗅ぎつけたのかは不明です。
 臨床試験は厚労省からの指示で行なわれます。当社では決められません。そう話して断りました。その後、連絡はありません」
 担当者の説明に嘘はなさそうだった。
「そうですか。ありがとうございます。」
 真理と佐介はオフレコを守ると確約して担当者に礼を言い、応接室を出た。
 担当者は応接室の外で見送ったまま、岡松のように、社屋外まで見送る事はなかった。

 寺田製薬の駐車場を出ると、
「ここまで来てトンボ帰りもねえべ。国道を戻って戸倉上山田温泉入口の交差点を曲がってくれ。昼飯食って夫と二人で温泉に浸かりたいって風月荘に連絡しといたさ・・・」
 真理はあっけらかんとそう言った。風月荘は戸倉の名の知られた温泉旅館だ。
「日曜までゆっくりしてゆくべ。田辺編集長に、今日の休暇をもらったんさ。
 親戚の旅館へ結婚の挨拶に行くついでに、坂城で取材すると連絡してきた・・・」
 今日は金曜だ。いつのまにか真理は休暇の手続きをしていた。
「わかった」
 佐介は、車を国道十八号線へ走らせた。
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