十二 尋問

文字数 2,407文字

 五月二十一日、金曜、午後。
「話して良いと許可が出ました。話せますか?」
 佐伯警部は草野にそう言った。ここは育善会総合病院の個室病棟だ。佐伯警部の隣りに担当医の星野誠医師が待機している。
「あ・・・、ちょっとなら・・・、まだ顎が・・・」
 草野は頬骨と顎を骨折している。頭は固定されたままだ。
 その時、
「ご苦労様・・・」
 遠藤院長が病室に入ってきた。感情に左右されやすい遠藤院長から魂胆ありそうな気配が漂って顔に緊張が現われている。
 遠藤院長から漂う気配を感じ、星野医師が遠藤院長に退室を促そうと口を開きかけた。すかさず佐伯警部は、
「事故の事を訊こうと思いましたが、具合が良くないようなので、日を改めます。
 草野さん、星野さん、ありがとうございます」
 草野と星野誠医師にそう言って遠藤院長を見た。
「草野さんは、まだ話せる状態ではないようです・・・。
 院長に伺いたい事があります・・・」
 佐伯警部は星野医師を残して、遠藤院長を病室の外へ誘った。

「院長は、草野さんと面識があると伺いました。どのような縁があったのですか?」
 病室を出ると佐伯警部は遠藤院長に訊いた。
「私は、長野市の給付型奨学金制度の審査員をしています。
 大学卒業後は十年以上地元に定住して、地元企業に従事する事が給付条件です。
 草野君は奨学生でした。
 私は彼が大学一年の時、奨学金制度の対象者として審査し、彼は合格しました。
 奨学生の卒業後は、調査員が調査して奨学金審査会に報告し、審査会が結論を下します。
 彼も十年間は審査対象です」
 遠藤院長はエレベーターの方へ通路を歩き始めた。

「前回、彼に会ったのはいつですか?」と佐伯警部。
「最近は会っていません。会ったのは彼を面接審査した大学一年の時です。
 大学卒業後は大手自動車会社のディーラーの工場で、チーフエンジニアをしていると聞いてます。彼と私に何かあるのですか?」
「関係者にいろいろ訊いていましてね。
 ここだけの話ですが、よろしいですか?」
 佐伯警部は周囲に誰も居ないのを確認した。
「ええ、わかりました」
 遠藤院長は佐伯警部を見ずに答えた。
「草野さんが、車の違法改造をしてましてね・・・」
「ほおっ!仕事外でも車を。車好きですからなあ。で、何台も改造してたんですか?」
 遠藤院長は太ったおむすび頭の顔の細い目を見開き、あからさまに驚いている。

 大学一年の時に会っただけだと話したのに、草野の車好きをどうして知っているのだ・・・。こいつ、見え見えの演技だ・・・。奨学金審査会の審査員を務める遠藤院長が草野の素行を知らぬはずはない。担当医でもないのに、尋問しようとする草野の病室に現われて、さらに草野の素行を知らぬ振りをするのは、草野と関わりがある証拠だ・・・。
「今回の玉突き事故の全車両を、彼が中心に改造していたようです。
 自宅ガレージの他に、ディーラーの整備工場を使っていました」
 佐伯警部は遠藤院長がどう反応するか様子を見た。
「よく、工場長が許可しましたね」と遠藤院長。
 こいつ、ディラーの整備工場の使用許可を出すのが工場長だとどうして知っている?
 やはり、真理ちゃんが言うように、こいつはタヌキだ。話す事と腹の中は大違いだ。
 佐伯警部はエレベーターホールへ歩いて、
「では、私はここで」
 遠藤院長に挨拶してエレベーターのボタンを押した。そして、その場から去ろうとする遠藤院長を呼び止めた。
「ああ、遠藤院長!近いうちに、もう一度、遠藤院長に話を訊きに伺います。
 では、また・・・」
 ふりかえった遠藤院長に一礼し、エレベーターに乗った。


 病院の玄関を出た佐伯警部は、周囲に人が居ない所まで歩いて、ポケットからスマホを取り出した。
「佐伯です。間霜くん。長野大通りの玉突き事故で、救急車の出動要請と重軽傷者の搬送指示を、誰がどのように出したか調べて下さい。
 事故現場に一番近いのは育善会総合病院なのはわかってます。怪我人が全て育善会総合病院に収容された要因を知りたいのです。
 頼みますよ」
 佐伯警部はスマホを切った。何らかの形で遠藤院長が動いたはずだ・・・。

 まもなくスマホが振動した。
「間霜です。中央消防署に出動要請したのは育善会総合病院の遠藤院長です。事故の通報とほぼ同時に、『全ての重軽傷者を受入れる』と消防署に連絡があったようです。
『事故を予想していた印象を受けた』と担当官が言ってました」
「ありがとう。とても良い情報です。助かりました」
 佐伯警部は通話を切った。

 これで、草野と遠藤院長が関係していたのが明らかになった。院長と草野を繫ぐのは大麻だ。草野たちが大麻の苗を分けて仲間内で栽培しようとしているとタレコんだのも院長だ。院長は大麻を吸引した草野たちが事故を起こす可能性を考えていた。草野に仲間内で大麻を栽培するよう指示したのが院長なら全ての辻褄が合うが、そう決定する要因は何もない。草野に訊いても口を割らないだろう・・・。
 そう思いながら、佐伯警部はスマホで麻薬取締官の神崎誠に連絡した。

「佐伯です。
 草野の病室に遠藤院長が現われました。尋問を中止して院長に質問したら、草野とは面識があったのは、草野が大学一年の時だけだと話したが、最近の草野の行動を知ってました。玉突き事故の重軽傷者を育善会総合病院に収容するよう指示したのは遠藤院長です。遠藤院長が大麻の種の入手と栽培を指示していたと見るべきですな」
「全員を尋問するのはいつだ?」と神崎。
 玉突き事故の関係者全員が大麻取締法違反の容疑者だ。全員に逮捕状が出ているが、小物を逮捕しても背後の大物を逮捕できない。今は小物を逮捕せずに泳がせているだけだ・・・。そう思いながら佐伯警部が言う。
「遠藤院長を、事故関係者から遠ざけないといけませんな。
 育善会総合病院は危険です。事故関係者全員を転院させましょう。
 それでは・・・」
 佐伯警部は通話を切った。
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