二十二 午前〇時過ぎの入浴

文字数 3,217文字

 五月二十三日、日曜、午前〇時過ぎ。
 日付が変った。佐介は昨夜のように、酔っぱらった亮子をだっこして五階の自室に戻った。夕食前。客室に備えつけの温泉に入った亮子は、もう一度、温泉に入ると言いだした。脱衣室のドアを開けたまま衣類を脱いで、
「ねえ、背中、洗ってぇ~。つよ~い力で~。
 ゴシゴシしたらダメだよ。柔肌なんだから!」
 和室に居る佐介を見て手招きしている。
「はいはい、わかりましたよ、姐御!」
 佐介は座卓の前から腰を上げた。
 真理は頭の先から足の爪先まで、自分で洗う気はない。それに、力を入れずに洗えば、背中の背骨にそったまん中が良く洗えてないとか、もっと指先に力を入れてシャンプーしろとか、とにかくうるさい。力を入れ過ぎると、アザになるとか、皮が剥けるとか、ぶつぶつ文句を言う・・・。そんな事を考えながら佐介は脱衣室へ行った。

「あーっ、バカにしたな!言ってる事かハチャメチャだって考えてるだろ?」
 亮子が佐介を見てプッと頬を膨らませた。
「そんなことない!そんなことない!」
 佐介は首を横に振りながら、浴室へ亮子を送りこんでドアを閉めた。
 しばらくすれば、湯船の縁にもたれて眠りこける。そしたら、こっちに運んで衣類を着せればいい。
「オ~イ!サスケさ~ん!」
 浴室に亮子の声が反響した。
 なんで眠らない?いつものパターンと違う。なぜだ?亮子だからか?
「作戦を練ろうよ~。閃きで麻取に話したんだぞ~。何も考えてねえんだ・・・」
 浴室が静かになった。佐介がドアを開くと、亮子は浴槽に浸かったまま、縁にもたれて眠っていた。やれやれだ・・・。


「亮ちゃん、寝たか?」
 部屋に若女将の真理が入ってきた。
「今日は早く寝たよ。疲れたみたいだ」
 佐介は缶ビールを飲みながら、襖が開いたままの別室を見た。
 亮子は布団に包まれて静かに寝息を立てている。あどけなさが現れた表情は真理そのものだ。そして、ここにいる若女将も真理だ。
「いろいろ頼んだからな・・・。
 さて、ひとっ風呂浴びて一杯飲むか。
 いっしょに入るか?」
 若女将の真理が和服の帯を解いて襦袢だけになった。脱衣室へ行きながら、目で佐介を誘っている。
「亮ちゃんも、洗ってやったんだろう?」
 肌着になった真理が、脱衣室から佐介に微笑んだ。なんだか不気味だ・・・。

「明日の打ち合せをしようと言いながら、浴槽に浸かったら、縁にもたれたまま眠ったんで、運んできて寝かせた・・・」
 佐介は缶ビールを飲んで、話の間を作った。
「あたしと同じだな・・・。区別つかねえべ?
 なあ・・・サスケ・・・」
 真理が、早く来いと手招きした。やはり、真理の身体を洗う事から逃れられない運命らしい・・・。
「うん、区別してない。二人とも真理さんで、二人とも亮ちゃんだ。二人で一人だ・・・」
「聞いたんか?意識も心も入れ代われるって事・・・」
 真理は、なおも、早く来い、と手招きしている。
「ああ、教えてもらった・・・。気にしてないよ」
 佐介は缶ビールを飲み干した。
「そうか・・・」
 真理が浴室へ入った。ドアは開いたままになっている。
「いっしょに入って、背中、洗って欲しいんだ・・・」
 真理にしては、しおらしい。訛りが少なくなっている。何があったんだろう・・・。
「何もない・・・。サスケといっしょにいないと、妙な感じだ・・・」
 何度か湯を身体にかける音がして、静かになった。浴槽に浸かっているらしい。
「サスケがいないと、寂しいな・・・。
 亮ちゃん、いつもこんな寂しさを感じてるんだ・・・」

 佐介は脱衣室へ行って、衣類を脱いだ。
「意識を入れ代われるなら、そんな事は無いだろう」
「離れてると、二人の意識が同調するんは、心の余裕が必要なんだ・・・。
 あたしに余裕があっても、亮ちゃん、忙しいからな・・・。
 だから、亮ちゃんが長野に来た時、入れ代わってた・・・」
 真理は湯の中で手をひらひら動かしている。
 人は大人になっても基本的な性格は変わらないというのが真理の持論だ。だから、小さい時からの癖で、手で金魚のまねをする、と・・・。眠っている亮子も同じ事をするのだろうか・・・。俺はそう思った。

「ああ、するぞ。小さい時、二人で同じ事してたな・・・。
 あの時は気がつかなかった・・・」
 浴槽で真理が手をひらひら動かしながらそう言った。
「なんの事?」
 佐介は浴室に入って、頭から湯をかけた。
「独りでいる事・・・」
「真理さんも、亮ちゃんも、独りで居たことは無いだろう」
「物理的にはな・・・。
 精神的に、亮子は独りだった。
 だから、よく長野まであたしに会いに来た。
 あの時、気づくべきだった・・・」
「気づいてたら、どうしてた?」
 佐介は浴槽に入った。

 真理が佐介に背を向けて、もたれてきた。
「いっしょに暮してたな。二人で一人なんだから・・・」
「どこで暮してた?」
 佐介は真理の肩凝りを感じて、肩に手を載せた。それだけで肩凝りが緩和し始めた。
「長野でサスケといっしょに・・・。そしたら、亮ちゃん寂しくねえし、サスケとあたしにいろんな相談ができる」
 真理が右へ首を傾けた。左肩が凝っている。
「今は誰にも相談してないのか?」
 右手で真理の右肩を支え、左の首筋から肩へと左手で擦る。いきなり揉むと痛みがでやすい。
 真理が気持ちよさそうにして言う。
「長野に来た時、あたしに相談するくらいかな」
「今から、亮ちゃんもいっしょに暮すか・・・」
 佐介は何気なくそう言った。不思議な事に、二人がいっしょに居ても、二人だという気がしない。
「うん・・・。いいんか?」
 そう言いながら、真理が首を左に傾けた。今度は右肩だ・・・。
「ああ、いいよ」
 佐介がそう答えると、浴室のドアが開いた。

「二人で勝手に決めるな・・・」
 亮子が顔を覗かせ、佐介を見て微笑んでいる。
「同じ部屋に、あたしも居るんだ。考えが筒抜けだベさ。
 あたしも長野で暮すってか?いいねえ。この気持ちはホントだぞ。嘘じゃねえ」
 亮子の訛りは真理より酷くなってる。北海道、東北、北関東と、いろいろな地方がまじってる。実家の北関東だけではない。
「だけど、若女将はどうする?
 あたしは長野で何すんだ?」
 亮子は浴室のドアを開けたまま、パジャマを脱いで浴室に入ってきた。顔から笑みが消えない。
 この時、佐介は気づいた。真理と亮子は頻繁に入れ代わって真理と若女将を演じてたため、俺は亮子に違和感を感じなかったのだ・・・。

「今までどおりにして、もっと頻繁にここに来るか、頻繁に入れ代わるしかねえべ。そうすりゃあ、温泉にも浸かれるベ。この世は、一人を二人で演じる社会じゃねえべな。
 なっ、サスケ!
 真理ちゃんの隣りに入るベ!」
 亮子は湯を浴びて浴槽に入ってきた。亮子の言葉に、佐介は驚いた。真理が思ってるほど亮子は落ちこんでいない。
「ここに来な」
 真理は右隣に亮子を座らせて、二人して佐介に背をもたれた。佐介は少しずつ浴槽の縁へ追いやられている。 

「だば、明日の予定を立てるベ」と亮子。
「その前に、ニュースだよ。
 アメリカが低温になったんで、合衆国政府が異常事態宣言したって言ってたよ」と真理。
「異常のねえアメリカは存在しねえベ。異常ばっかだベ」と亮子。
「あっははっ、うんだな!アメリカの正常は、異常状態だべさ」と真理。
「うんだ、うんだ。異常事態がアメリカの正常状態だべ」
「それ、いいべさ!」
 午前〇時過ぎ。二人して浴槽でガッハハッと大笑いしてる。真理が亮子に感化されている。

 亮子が言うように、今までどおり、二人交互に入れ代わるほうがいい。二人が顔を合わせるたびにこの大笑いでは、俺はともかく、周囲が驚く・・・。
「うん?どうした?両手に華だベ!」
「うんだ。華ださ!」
 二人が同時に佐介を見つめた。

『花は、みずからを花だと言わないほうが風情がある。
 みずからを誉めて花を散らす必要は無い』
 俺にしては名言だな・・・。佐介はそう思った。
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