十五 麻取を酔い潰せ!

文字数 4,353文字

 午後六時過ぎ。
大広間の隣席で、年輩の男が下田広治と名乗り、亮子が扮した真理に訊いた。
「小田さんは、祖先に外国の方がいるんですか?」
 麻取、つまり麻薬取締官の下田広治は神崎誠より長身痩躯、白髪まじりの髪でメガネをかけて、一見、外交官風に見える。佐介は、麻取たちの会話を、胸のペン型ボイスレコーダーとポケットのボイスレコーダーで録音している。
「そんなことはねえべ。わかるんは江戸時代までだ。奈良平安の事は知らねえぞ!」
 真理に扮した亮子は、下田広治に臆することなく言ってのけた。まるで友だちを相手にしてるみたいな口振りだ。
「ごちゃごちゃ詮索するタチじゃねえから、言うぞ!
 何を訊きてえ?それともなにかい?
 あたしとサスケに、大麻の件でこれ以上取材するなってか?」

 真理の声を聞きながら、佐介は、下田広治が否定しなければ事件として成立してると思った。佐介は風呂で神崎誠から、
『我々は佐伯警部の尋問結果次第で、今後、何をするか判断します。くれぐれも捜査のじゃまはしないで下さい』
 と言われている。
 神崎誠と下田広治は、真理がちょっとやそっとで他人の意見を聞き入れる性格ではないと知って、圧力をかけるらしい・・・。

「佐伯警部の親戚と聞いてます。情報は流れてるんでしょうね?」
 下田広治は穏やかに話しながら夕食を食っている。
 麻取の二人は酒を飲まないが、他の客はビールや酒を飲んで大広間は繁華街の喧噪のようだ。客は大麻に関係する事件が話されているなど知る由もない。
「そうでもねえさ。伯父さんだって守秘義務がある。
 漏らしていい事と、そうでない事は、わきまえてるベ。
 ほとんど、あたしが顔色読んで推測してるんさ。
 なんなら神崎の考えてる事、当ててみっか?
 信州信濃通信新聞社の上部へ連絡して、早く口封じしとけ、だベ」
 目だけで神崎誠を見ながら、亮子は夕食を食べてビールを飲んでいる。
 亮子が扮した真理に言われても神崎誠は押し黙って夕食を食っている。

 真理は、ちょっとくらいの酒で酔うような体質ではない。この亮子が扮している真理は真理と一卵性の双子だ。体質も同じはずだ。
「温泉に来てビールも飲まねえんじゃつまらねえベ?
 まあ、飲め!」
 ビール瓶を片手に亮子が神崎誠に詰め寄った。
「まっ、待ってください!ボクは飲めないんで・・・」
 神崎誠はエキゾチックな容姿の亮子に圧倒された。
「そう言わず一杯飲め!飲まねえと協力しねえぞ!」
 亮子がニタニタして神崎誠の頭を見ている。

 湯上がりの髪が、しおれた野菜のようで、神崎はそれを気にしている。
「ちょっとだけですよ」
 神崎誠がグラスを差しだした。
「大の男がこんなんじゃだめだベ!
 おーい、ジョッキ二つ!」
 亮子はその場を通った仲居を呼んで、通路のワゴンに用意されているジョッキを持ってこさせ、二つのジョッキにビールを注いだ。
「飲め!湯上がりだへさ!うまいべ?
 空きっ腹で飲むと胃がやられんぞ!
 適当に食ったら、胃を冷やさねえもんを食って飲めば、悪酔いしねえって!
 若い時、悪酔いしたんだべ?アハッアハハハッ!
 今も若いよな!サスケより、ちょっと老けたくらいだもんな!」
 亮子は、腹が出始めた神崎誠の髪を見てゲラゲラ笑っている。

「悪酔いか?」
 神崎誠はジョッキを持ったまま呟いて、佐介に視線を移した。
「飲んでも飲まなくても、こんなもんだよ。
 ああ、俺は湯上がりに三本飲んでるから、五百ミリリットルを」
 佐介は、佐介にビールを飲ませようとして睨んでいる神崎誠にそう言った。
「ああ、コイツはダメッ!何を飲んでも全然酔わねえよ。
 無駄だから、飲ませんじゃねえ!飲んでもムダッ!
 アンタ!自分のは、自分で飲むんだよ!
 ホレ!アンタも!」
 亮子は、もう一人の麻取、下田広治にジョッキを空けるように言って、下田が飲むと、すかさずジョッキにビールを注いだ。
「ホレホレ、じゃんじゃん飲めよ!
 オーイ、ジョッキ!二つくれ!
 サスケ、注いでくれ!」
 仲居が持ってきたジョッキに、佐介がビールを注ぐと、真理は一息に飲み干した。
「オーイ!ビール追加っ!」
 亮子は夕飯を食べながら仲居を呼んだ。食べて飲んで、いったいどこにこれだけ入るのかと思うほどよく飲み、よく食べている。

「ホレ!ビールが来たぞ!」
 亮子は、仲居が持ってきたビールを神崎誠と下田広治のジョッキに注いで、佐介と自分のジョッキに注いだ。
「オイ!飲め!飲まねえと協力しねえぞ!
 ここで何してるか、今ここでバラすぞ!
 みなさーん!この二人はっ!まとっ」
「わかりました!のみます!飲みます!」
 神崎誠がジョッキのビールをいっきに飲み干した。
「さあ、ドンドン注いで下さい!飯も食いましょう!」

「ヨシ!よく言った!飲め!」
 亮子は二人のジョッキが空くや否やビールを注いだ。まるで椀子蕎麦のお代わりみたいだ。いつまでたっても、四つのジョッキはビールで満たされている。
「もう、かんべんしてくだ・・・」
 神崎誠が酔い潰れた。
「飲まねえと、協力しねえぞ。サスケ!飲め!」
 この亮子は、佐介が大学の時の真理より迫力があった。その辺にいる男でも女でも、逆らう輩は投げ飛ばす勢いだ。
「はい!」
 佐介は亮子のなすがままにさせた。酔っているように見えるが、亮子の所作はほとんどが演技だ。血は争えない。佐介より凄まじくアルコール耐性が強い。遺伝子の特異性だ。

「真理さん・・・」
 佐介は酔い潰れた神崎誠と下田広治をそのままに、亮子のジョッキにビールを注いだ。
「なに?」
 佐介を見返す亮子の顔はいつもの真理に戻っている。
「何か、ツマミを頼もうか?」
 佐介がそう言う間に、亮子が佐介にすり寄った。佐介に背を向けて佐介の両脚の間に座り、背と後頭部を佐介の胸と肩に預けて言う。
「サスケこそ、何を食いたい?」
 亮子の髪から真理の芳しい香りが漂った。
「チーズを使ったオツマミ。筋力維持に」
 佐介は横に顔を向けて、右手に持ったジョッキのビールを飲んだ。左手は亮子の満腹になった腹部に当てたままだ。亮子の身体が熱い。
「筋力、使ってねえぞ?」
 答えを待つように、亮子の後頭部が佐介の肩を叩いた。そうしながら亮子はビールを飲んでいる。
「これから使うんだ」
 佐介は、亮子を抱きかかえて部屋に帰る事を考えている。オンブしてもいい。
「コイツら、運ぶんか?」
 また、亮子の後頭部が佐介の肩を叩いた。
「いや、二人は仲居さんに頼む。
 すみません!この二人、部屋まで運んでもらえませんか?」
 佐介は、後片づけしている仲居を呼んだ。
「ええ、お任せください!お見事でしたよ!」
 仲居が亮子に目配せしている。大柄な仲居が四人現われて、麻取の二人を連れていった。大広間の客は数人が残っていたが、二階ラウンジで飲み直すため大広間を出ていった。

「オツマミとビールはここにあります。
 他に必要な物があったら、なんでも言ってくださいね」
 仲居が優しく言って亮子に目配せした。
「ありがとうございます」
 亮子は丁寧に挨拶して、何か催促するように佐介の肩を後頭部で叩いた。
 佐介は亮子のお腹を擦った。あれだけ飲んで食ったのに、思ったほど膨らんでいない。
「そうやって、優しく撫でてね・・・。
 向きを変えたい・・・」
「このまま・・・」
 佐介は亮子が向きを変えないように支えた。
「イジワル、バカ・・・」
 亮子の後頭部が佐介の肩を叩いた。
 真理が扮した若女将は姿を見せない・・・。真理に扮した亮子は真理その者だ・・・。
 さて、これからどうしたものか・・・。
 大広間には真理に扮した亮子と佐介しかいない。亮子は背後から佐介に抱かれてまどろんでいる。

 佐介の背後から衣擦れの音が近づいた。芳しい香りがして吐息が耳にかかった。
「サスケ、今晩は亮ちゃんがあたしだ。頼むぞ・・・」
 若女将の真理が、佐介に頬ずりしてそう呟いた。
「どうして?それでいいのか?」
 亮子を背後から抱きしめたまま佐介はそう言った。亮子にも聞こえているはずだ。
「うん。亮ちゃんもあたしだ。あたしたちを毎晩、やさしく、あいしてね。
 あたしは、もう少し、麻取を見張る・・・」
 小さな声だが断固とした意志が表われた声だった。
「わかった・・・」
 衣擦れの音が背後から遠ざかった。

 毎晩と言う事は、二人がいつ入れ代わるかわからないのか・・・。妙な事になった。抱きしめている亮子は真理そのものだ。二人は一卵性の双子だから、もし黙って二人が入れ代っていたら、俺には区別がつかない。二人を同時に見ているから区別しているだけだ・・・。


 過去にも酔って帰宅した真理をこんなふうに抱きしめた事があった。玄関で酔い潰れた真理は目を覚すと、
「サスケ!ベッドに運べ!」
 と言い、佐介は真理をベッドへ運んだ。そして、
「着換えさせてくれ!」
 上着とジーンズを脱がせてパジャマを着せると、
「パジャマじゃネエ!ブラだよ!ブラ!
 ブラ、取ってくれ!ブラつけて寝れるわけねえべ・・・」
 と言ってジタバタ騒いで肌着に着換えさせ、
「パンツ!パンツもだベ!」
 下着も着換えさせた。
 佐介は初めての経験だったが、真理の裸体に興奮するどころか、バタバタ騒ぐ真理を着換えさせるのに苦労しただけだった。
 開けっ広げの真理の性格から、いつかこき使われるのは覚悟していた佐介だ。そして覚悟していた通りの真理だった。いったい、どういう育ち方をしたのだろうと思ったが、こんな態度を見せるのは佐介にだけだった。
 その後、何度かお着換え騒動があり、真理はすでに佐介を未来の配偶者にすると決意していた。佐介も真理に好意以上のものを持っていたから相思相愛だった。今回、真理に扮している亮子もそうなるのだろうか?やれやれだ・・・。

 亮子が身体を横へずらして、腕を佐介の首に巻きつけて肩に顎を乗せた。
「うーーん・・・。部屋に戻る・・・。おんぶして・・・、だっこして・・・」
 言葉は優しいが、態度は真理だ。佐介に記憶が蘇った。真理なら、ここで気をそこねると大爆発する。この姿勢はだっこだ。佐介は亮子をだっこした。
 俺より小さいのに、この亮子も真理と同じで、すごく重い。飲んで食ったからではない。真理はお腹が空いたと言う時も思いのだ。見た目は華奢なのに、骨密度の高い骨格のようだ。一卵性の双子だから、この亮子も同じだろう・・・。
 佐介は亮子を抱きかかえて大広間を通路へ歩いた。
「ねぇ~、チュウして・・・、チュウ・・・」
 亮子が寝ぼけたように言っている。真理そのものだ。言われるようにしておかないと、真理は大荒れに荒れる。きっとこの亮子も同じだろう・・・。佐介は亮子の頬に唇を触れた。
「サスケ・・・愛してるぞ・・・。あいして・・・」
 亮子は眠った・・・・。
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