第63話 それぞれの愛の行方

文字数 2,923文字

 最近、沙也香は思い悩んでいた。それは、愛菜の存在が大きく関係している。
 沙也香と愛菜には共通しているところがあると沙也香は思うときがある。
 それは、真面目なところや一途なところが、自分に似ていると思う。同じ男性を愛しながら、その人が愛菜の父親だったとは……。

 でも、彼女は乱れることなく、耐えていた姿に感動さえ覚える。自分なら、あのように平静にはなれないと思う。しかし、愛菜の心の中は複雑な思いが交錯しているに違いない。

 今、冷静になってみれば、沙也香は一途に今まで真一郎に公私共に尽くしてきた。今までにも真一郎には、たくさんの女達がからんでは消えていった。それを目の辺りにしながら、ただ黙々と仕事をし、彼に尽くしてきた。 

 彼が自分のマンションにきて、彼が求めれば体を開いたし、彼の全てを受け入れていた。それは自分が彼を尊敬していたし、好きだからである。
 仕事は十分にやりがいがあった。その仕事が、彼女を育ててくれたともいえる。
 しかし、今まで自分は何のために生きてきたのだろうか?  自分のため?  それとも真一郎さんのため?  今度の愛菜のことを目の当たりにして思うことがある。

 もうこのへんで、自分を見直してみよう。
 人のためでなく、少し自分を大事にしようと思う。
 そう考えてみると、当然それは真一郎とのことになる。今までの自分は彼にとって「都合の良い女」だった。彼の秘書になる前には、そんなことを考えていなかったはずだった。
 もう、そういう生活は終りにしよう。

 結婚できない男性に、身も心も尽くしていく人生……それでいいの、このままでいいの?
 今までは考えてもみなかったことが、最近いろいろ考えさせられる。
 真一郎と愛菜の親子が知らないとはいえ男と女の情愛という形で結びついていた。今までその関係が知らなかったとは言え、愛菜がそれを知ってしまった以上、彼女はもうその関係を終わりにすると言う。

 それは賢明な選択だと沙也香は思った。
 苦渋の中で決断した愛菜は素晴らしいと、沙也香は今更ながらに思う自分がいる。
 その結果、沙也香が彼の愛を独り占めできると言う結果になった。

 漁夫の利ではないが、真一郎を自分のモノに出来るという幸運。だが、そうまでして欲しかったのだろうか? そう思うと、沙也香は急に真一郎という存在が、どうでもよくなってきた。
 あれほどまでに彼を好きだと思っていた心が、色あせた花のようにつまらなくなってきた。
 こんな気持ちになったのは初めてだった。

(彼と別れよう。それを精算するためには、この会社も、このマンションも……)
沙也香は決心した。今までのことを、全て失う事は非情に彼女にとっては厳しいことではあるが、また新なる新しいものを手に入れる喜びもあるだろう。
 今の彼女は、数年前の彼女では無い。会社で技術もセンスも身に付けて、今は自分ひとりでやれる自信をつけていた。

 それから四日後に、真一郎が沙也香のマンションを訪れるとき、沙也香は自分の思いを彼に告げる決意をしていた。いつものように、その夜、真一郎は沙也香のマンションにやってきた。
 沙也香は会社の中で、真一郎に依頼された書類を渡すときに言ってあった。

「あの、部長、もし宜しければ近いうちに来ていただけませんか?  私のことで少しお話がありますので」
 真一郎が見た沙也香の表情はいつもと違って堅かった。
「わかった。今夜でも行こう」
「ありがとうございます」

 沙也香はいつも仕事とプライベートを几帳面なほど、分けているので、さほど違和感はないが、しかしそれにしてもその日の沙也香は、どこか違っていた。
 ここ数日の中で、沙也香は思い詰めているようである。愛菜が自分の娘と分かって、自分から去っていったことに関係あるのだろうか? 真一郎は、いつものように沙也香の部屋を訪れていた。
 彼は好物であるコーヒーを飲んで沙也香と向かいあっていた。

「さて、沙也香、私に話とはどういうことだろう?」
「はい。では、はっきり申し上げます。実は真一郎さんとの関係を終わりにしたいのです」
「えっ?」
 何か話があるとは思っていたが、それは唐突なことだった。

「真一郎さんには、今まで大変お世話になってきました。本当にありがたく思っています。実はわたし、いろいろ考えることがあって、今までのこの生活を変えたいのです。会社も辞めて、このマンションも出ていきます。一からから出直したいのです。ごめんなさい」

 沙也香は目に涙をためていた。真一郎は、その涙の中に沙也香の強い決意を感じていた。
 彼女自身も心が苦しかった。本当ならこのままの生活を続けたいと思う心がある。
 でも、もう終わりにしなくては、自分が駄目になる……。
 その決心をさせてくれたのがあの愛菜だった。

「そうか、わかった。私との関係も終わりにしたいんだね」
「はい。申し訳ありません」

「いや、いいんだよ。今まで君には世話になったし、力になってもらった。君がそう思うのなら仕方がない。でもこのマンションを出る必要はないんだよ。君に上げた物だ。今まで通りに使っても構わないんだ」

「ありがとうございます。そのお気持ちで充分です。でもけじめとして、はっきりとさせたいと思いますので……」
「そうか、わかった。それでどこか行く当てがあるのかい?」
「いえ、まだです。これからゆっくり考えます」
「そうか」

 こうしてあっけなく、真一郎と沙也香の関係は終わった。ここにきて、真一郎は自分の娘である愛菜と、長年、彼に尽くしてきた沙也香の二人の女を同時に失った。

 沙也香はこうして新たに自立していくことになる。彼女は会社で培った技術やノウハウを生かして、新たになる挑戦を目指すことになるだろう。

 愛菜は房江とよりを戻し、母親の店を手伝いながら新しい仕事を見つけている。母と娘は、それ以来、真一郎と会うことはなかった。愛菜は前よりも明るい少女になっていた。
 そして、真一郎の秘書だった沙也香の後釜にはベテランの女性がなった。真一郎が、自ら仕事が良くできる優秀な人を選んだのである。
 しかし、その秘書は目立たない平凡な女性だった。



 その後、浦島機器製造の会社では、浦島慶次は会長に退き、後継の総括社長として浦島真一郎が選出された。
 慶次の秘書だった青木ひろみは、慶次が退いた後で秘書を外されたが、蒼井幸雄が担当するソフトウェア事業部に移籍した。
 そこでの彼女は一切の化粧はせずに、ハイヒールから、低い靴に穿き替え、社員と同じユニホームを着ていた。そんな彼女がかつてあの前社長の秘書だとは誰も気が付かない。

 そこで頑張り、持ち前の能力を買われ二年ほど後で新設された情報処理課の初代課長となった。その地位で女性がなったのは彼女が初めてだった。その事業部での青木課長の評判は悪くない。


 愛菜と房江の親子、沙也香そして真一郎はそれぞれの道を歩くことになる。

 人には様々な人生がある。この人達のように真剣に愛を貫き、そして去っていった愛もある
 それぞれの人の『愛の行方』は誰にも分からない。

          



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