第53話 二人の美しい女

文字数 2,626文字

 沙也香と愛菜は駅前のおしゃれカフェに立ち寄った。昼間のその店は比較的空いていて、ゆったりとしていた。ここでは女同士なので 男の視線を気にせずに、ゆっくりと甘いものを楽しむことができる。
 まずは、いきなり本題に入る前に、お互いの心を和ませることが必要だと沙也香は考えた。注文して運ばれたパフェを窓際の席で二人で食べる。

「美味しいわね。愛菜さん」
「はい。私はこういうのが大好きです」
「そう。わたしもよ。良かったわ」

 パフェを口に運びながら顔を見合わせ、二人の女は少しずつ和んでいた。食べ終わり紅茶を飲みながら二人は一息ついていた。
 この若い少女が、真一郎が好きになった人かと思うと沙也香は分かる気がした。自分はこの少女のようには若くない。この溌剌とした若さに負けそうになりながらも、負けたくない自分もいた。その自信は長年、真一郎に仕え、全てを彼に尽くしたてきた自負でもある。

「こんにちは。改めまして、愛菜と言います。お世話になります」
「愛菜さん。真一郎さんの会社の秘書をしている沙也香といいます」
「はい。私は少し前まではあの会社で働いていました」
「そうですよね。あなたのことは部長から伺っています」
「はい」

 愛菜が見た沙也香は美しく、そして洗練された女性だった。事業部長の部長秘書ともなれば、女性社員の憧れである。この二人の女は、同じ真一郎と言う共通の男性の関係として初めて対面した。その共通したところが、性的な関係だと言うことが皮肉である。
 一方は若くはち切れそうなフレッシュな少女であり、他方は熟練されたキャリア・ウーマンと言う対照的な二人の女だった。

「愛菜さん。私はあなたをしばらく私のマンションに来てもらうように、部長に頼まれているの」
「はい。真一郎さんとのことで、母と言い合いをしてしまって、そのいきがかりで家を出てしまいました。それで、真一郎さんに相談したのです」
「そうよね、それは聞いているわ。それで、あなたさえよければ、しばらく私のマンションにいても良いのよ」
「ありがとうございます。無理を言って」
「いいえ」
「ここで少しお互いを知ったほうがいいわね」
「はい。そうですね」
 沙也香は紅茶をすすって、愛菜と向き合った。

「では、私から言うわね。実はあなたのことは真一郎さんからよく聞いています。この間、ホテルで朝まで愛し合ったこと。その時に愛菜さんを愛人にしたこともね」
 そう言って沙也香は、じっと愛菜の顔を見たとき愛菜は思わず下を向いた。
「はい」
「でも、あなたは何も欲しがらなかったみたいですね」
「はい。でもそんなことまで?」
「だって専属の秘書ですからね」
 そう言って沙也香はにこやかに微笑んだ。

 駅前のおしゃれなカフェの中で、沙也香は愛菜をじっと見つめながら彼女を観察していた。
「愛菜さんは、真一郎さんが好きなんですよね」
 愛菜は少しはにかみながら応えた。
「はい」
 愛菜は真剣な目をして、沙也香を見ていた。沙也香には、その眼がキラキラしているようで眩しかった。潤んだその黒目がはっきりしていて、まつ毛も長い。マスカラを付けていないのに、その目は魅力的だった。
 最近、こんなに美しく澄んだ目を見たことがない。自分よりも若いのに、沙也香はその目の中に吸いこまれそうな気がした。頬もふっくらとして餅のようで女の自分でさえキスしたくなるような柔らかさだった。

(この女性なら真一郎さんでなくても、彼女に惹かれるのは仕方ないわね)と思いたくなる。
しかも、それを誇示するわけでなく、その微笑みさえも、女の自分を魅了する不思議な少女だった。
「どんなところが好き?」
「優しいからかしら。それとセックスが上手だし」
 そう言いながら。口に手を添え愛菜はくすっと笑った。その仕草さえチャーミングだった。愛菜はだいぶ沙也香に慣れてきたようだ。思わず沙也香は。愛くるしい彼女に引き込まれそうになる。
「うふふ。すごいわね」
「でも。同性にこんなこと言うのは恥ずかしいです」
「そうよね。あなたは若いし綺麗だから。真一郎さんはぞっこんなのでしょう」
「そんな……」
 紅茶を(すす)りながら今度は愛菜がきいた。
「あの……沙也香さんは。ずっと真一郎さんの秘書なのですか?」
「いえ。途中からだけれど。でももう何年もお仕えしていますよ」
「そうですか」
「では。真一郎さんのことは。色々とご存知なのですよね」
「ええ。まあ。だいたいは……今度みたいなこともありますけどね」

 そう言って、沙也香は笑った。本心は、この少女に(自分も真一郎さんの愛人なのよ)と言いたかった。しかし、今は伏せておいたほうが良いと思いそれには触れなかった。年下の彼女を前にして大人げないと思うからである。
 だが、いつまでも黙っている自信は無い。何かの拍子で言ってしまいそうな気がするのだ。それは、自分が真一郎を誰よりも愛しているからである。この熱い思いは誰にも負けない。しかし、今は、それを誰にも言えない寂しさと辛さがある、これが本当の愛人の辛さなのだから。
(今は日の目を見なくても、自分こそ彼に愛されている一番の女性なの!)
 そう思われたいし、言われたい。この思いは不倫する女性達の本音でもある。自分はその心を知っているという自負もある。

 真一郎は野心や野望などを、沙也香を抱きながら語ったことがある。そういう彼の本当の心の内面を知っているのは、自分だけだという思いが沙也香の心を支えていた。今までに、真一郎に近づいた女達は沢山いたが、それは彼に抱かれる為だけの女だった。自分よりも劣るところがないかを探す女の悲しい習性……。

 すでに沙也香の心の中には、愛菜とのライバル意識が大きく芽生えたようである。そう思う時点で、沙也香は目の前の美少女に或る意味では負けていたのかもしれない。それは美しさではなく、心の問題でもある。

 沙也香は少し勘違いしているようである。彼女がこの少女に負けているのは、容貌などの外見ではなく、純粋な心……ひたむきな素直な心なのだ。いつも何かに怯えている沙也香の心、素直でない自分。愛菜は、ただ真一郎が好きなだけだった。母と喧嘩して家を飛び出すような純粋な少女だった。沙也香も少し前まではそういう心を持っていたはずだった。

 しかし、いつの間にか心が色褪(いろあ)せてきたのは何がそうさせたのか。それを理解したときが、彼女の本当の愛が得られるときかもしれない。

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