第61話 愛しあう親子の和解

文字数 1,889文字

 次の朝、愛菜は初めに来た時と同じ大きなバックをもって帰っていった。
 沙也香は、もう真一郎を独り占めできる。そう思いながらも複雑な気持ちだった。
 愛菜は大きなバックを持ちながら、重い足取りで家に向かって歩いていた。母にこれまで育ってもらったたくさんの愛情。

 楽しかった沢山の思い出。それらの思い出が、何か違った感覚でよみがえってくる。
 母が愛した人、私が愛されたあの人とは……同じ人。
 真一郎さんが愛したのは、自分の娘に対する愛ではなかった。彼は自分をセックスの対象として抱いた。自分自身も、彼を男として身体で受け入れた。私に詫びに来たあの日。

 交わったその時は、優しく素敵な男性だった。でも、その人を今度は父親と思わなければいけないなんて……。

 愛菜は混乱していた、頭がおかしくなりそうだった。しかし、このままではいけない。
 ちゃんとケリをつけなければいけない。これからその後に、父と娘として付き合うのか。
それとも、全てこれで終わりするのか……。
 そう思いながら歩いてると、居酒屋兼の自宅にたどり着いていた。いつもと違ってその日の裏口の扉は妙に重く感じた。

「ただいまぁ……」
 いつものように元気のいい愛菜の声ではなかった。

 母親の房江は、相変わらず着物の上に割烹着で、店の準備をしていた。店の中には、煮物の良い匂いが漂っている。母親の房江は愛菜を見つめて言った。

「おかえり、愛菜」
 もうその時には、房江はいつもの優しい母親に戻っていた。
「うん。ただいま、ごめんね、お母さん」
「ううん、良いのよ。私だって愛菜に謝らなければいけないことがあるから」
「そう?」

 愛菜は母に出て行ったことを、怒られると思っていただけに拍子抜けしていた。でも嬉しかった。房江は、作業の手を休めて愛菜の前にきた。

「今日は少し冷静になって二人でお話しよ。お母さんも愛菜に謝らなければいけないことがあるから」
「わたしも」
 今の二人は、この間と違って冷静になっていた。
「今日はお母さんの部屋で、お菓子でも食べながらゆっくりお話しよ。愛菜も着替えてきたら」
「うん。そうする」

 口げんかをしたといっても、やはり二人しかいない親子である。いつもは仲の良い親子なのだから。二人は房江の部屋で茶菓子を前に置いて座っていた。
「お母さんごめんね。あんなことを言って家を出てしまって」
「ううん。良いの。お母さんも愛菜にちゃんと言っておけばよかったことがあるの」
「うん。あたし真一郎さんの秘書の沙也香さんに聞いたのよ。あたしのこと。生まれたときのことだった」
「そう。あの秘書の人、優しい人ね。ちゃんとお母さんの話を聞いてくれたわ。 それで愛菜のことで、ずっと本当のことを言わなくてごめんね。聞いたと思うけれど、愛菜は私と真一郎さんとの間での生れたの」

「うん。凄く驚いた。でも何でそのことを言ってくれなかったの?  前に、そうすればこんなことには……」
 愛菜は、衝撃的なことを聞いた時から少し立ち直り、今は冷静になっている。
「そのことで、愛菜には、ちゃんと言わなければいけないわよね。どうして真一郎さんと別れなければならなかったかを……」
「うん。聞きたい」

「昔、真一郎さんとお母さんは付き合っていて、結婚まで約束した仲なの。それで或る日、彼の会社の社長さんから呼び出されて、彼を跡取りにしたいので付き合いはやめて欲しい、と言われたの。当然お母さんはそれを断ったわ。でも、彼の出世のために我慢して欲しい、ということでね」
「そんなことがあったんだ。でもひどい話!」
「何度も何度も言われて、もう断りきれなくて、でも好きな彼の将来を考えればそのほうがいいかなと思うようになって……」
「うん。それで?」
「このお店も、その時の……なの、わかるわよね」
 愛菜はその時の手切れ金が、この店の資金になったということを理解した。

「わかったわ。ようやくそのことを理解できた気がする」
「でもこのことは真一郎さんは知らないの」
「そうなんだ」
「だから、愛菜が真一郎さんの愛人になるって聞いて反対したの。その意味はわかるでしょ」
「うん。そういう理由だったのね」
 愛菜は、今までに疑問に思っていたことがようやく理解できた。

「それでね、お母さん」
「なあに?」
「あたし、もう真一郎さんと付き合うのはやめるわ。でもきちんとあってお話ししたいの。今度は愛人でなく娘として、彼も私が合わなくなくなった理由を知らなければ、私と同じことになるから。どうして別れたのか……」

「そうね。一人で大丈夫?」
「うん。大丈夫よ」
「わかったわ」
 これでようやく親子は和解したようである。



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