第59話 禁断の真実とは

文字数 2,402文字

 その喫茶店には、年配の女性が奥の席に座っていた。沙也香は入り口のドアを開けて入ると、直ぐに目についてそれが母親だとわかった。その女性は、沙也香を見つけると、椅子から立ち上がって沙也香を待った。

「遅くなりました。神崎と申します。お電話での……」
「はい。ありがとうございます。愛菜の母の東堂房江と申します。お忙しいところ、申し訳ございません」
「いえ、どうぞお座りください」
「はい」

 その女性は、着物をキチンと着こなした中年の美しい人だった。やはり、顔はどことなく愛菜によく似ている。年齢のせいか雰囲気が落ち着いていて、物腰が柔らかい。

「あの、愛菜さんのことですよね」
「はい。愛菜を預かって頂いているようで申し訳ありません。そのことで、愛菜に直接話さなければいけないのですが、あれ以来、娘は戻ってきませんし」
「ご心配は良く分かります」
「始めてお会いする貴女に、こんなことを言うのはどうかと思いますが、愛菜のお友達と思い、思い切ってお話しいたします」

「ありがとうございます。必ずお伝えしますので、ご安心を」
「実は、部長の浦島真一郎さんのことなんですが」
「浦島は、私の上司になりますが……」
「はい。実は私、大分前に真一郎さんとは、お付き合いをしていたことがあります」
「えっ?」

 意外な彼女の話に沙也香は驚いた。いきなり、そんな話が出るとは予想さえしていなかったからだ。彼女が(娘に話しておかなければならない大事な話し)とはなんだろうか?
 愛菜の母親の顔からは、並々ならない決意が感じられた。そんな大事な話があるのなら、なぜもっと早くそのことを、自分の娘に……という思いがする。

「真一郎さんと私はそのころ、深く愛し合っていました。いずれ一緒になる約束さえしていました。でも、ある事情があってそれはかないませんでした。それで、私は自分から黙って彼の元から去っていったのです」

「はぁ、そんな事情があったのですか。でもなぜ?」
「ごめんなさい。それを今ここで話す事はできません」
「そうですか。わかりました」

 房江は、浦島慶次から手切れ金をもらって別れたなどとは、他人にはとても言えなかった。
「彼と別れたとき、その時に私は妊娠していました」
「えっ……」
 勘のいい沙也香は、もうそれを理解していた。
「その子供が愛菜さんなのですね」
「はい」 房江は目に涙を溜め、ハンカチで目頭を押さえていた。
 沙也香は、しばらく声を出すことができなかった。

「では、では……愛菜さんと真一郎さんは親子……」
 沙也香はあまりの驚きに、その言葉を最後まで言うことができなかった。
 房江はハンカチを口に当てて、黙って頷いていた。
 しばらく二人の間で沈黙が続いていた。
 あえて沙也香はその言葉を口にした。

「二人が親子ということであれば、近親相姦ということなのですね」
「はい。そのことを早く愛菜に伝えて、二人を別れさせなければならないのです」
「そうですよね」

 沙也香は、今はその言葉しか言うことができなかった。
 しばらく言葉を選んでいた。
「では、二人が合う前になぜ愛菜さんにそのことを言わなかったのですか?」
「愛菜には、とてもそのことは言えませんでした」
「では、愛菜さんには、今まで父親は誰と言っていたんですか?」

「ええ。愛菜が生まれた後、病気で死んだと伝えましたが、大きくなってからはどうもそれを信じていないようなのです。あの子は感性が鋭いですから」
「はぁ、そうですか。でも私がそのことを愛菜さんに伝えたとしても、二人が別れるかどうか……」

「そうですね、愛菜は一途なところがありますから、それが怖いんです」
「でも、その話を真一郎さんには言わないのですか?」
「いまさら言えません。それにあちらにもご家庭がありますから」
「わかりました。いずれにしても、そのことは彼女に伝えます」
「よろしくお願いいたします」
「あの……もう少し聞いてよろしいでしょうか?」
  沙也香は立ち上がろうとした房江に言った。

「はい? どうぞ」
「もし、もしですね、二人が別れないとなった場合に、お母様はどうなされますか?」
 房江は座り直して少し考えていた。

「そうですね。真一郎さんは奥さんのある立場ですし、愛菜でなくても、他の人を愛することが許されることではありませんよね。まあ、百歩譲ってほかの女性なら私が口出しすることではありません。しかし、愛菜が真一郎さんを父親と知った上で、このままの関係を続けるのなら、私も考えなければなりません。でも、そういうようにならないようにしたいと思いまが、今はまだ……」
「そうですよね。分かりました」

 沙也香自身も真一郎と関係を持っているが、それは彼女の前では言えなかった。それを言えばさらに、愛菜の母親を混乱させるからである。

 それから二人は挨拶を交わして、その店を出た。
 房江は店の準備のために、沙也香は愛菜に彼女の母親のことを告げるために、それぞれの家路を急いだ。
 沙也香は、真一郎と愛菜が別れることが、沙也香自身にも、そして母親にもベターなのだが、そう簡単にはいかないと思った。正常な理性の持ち主なら、タブーに気がついたとき、熱いその関係を解消することになるのだろうが、この問題はその当事者に掛かっている、どうなるか予想が出来ない。

 愛菜と房江の親子は、真一郎という同じ一人の男性を愛してしまった。それは、あってはならない現実に直面している。しかし、それは本人たちの知らないとすれば、ある面ではやむを得ない。しかし、問題はそれ以降のことである。

 この時点で愛菜だけでなく、真一郎もこの現実を知らなければならない。そうしなければこの関係を絶つことができない。果たして真一郎が惚れ込んで愛人にまでした少女が、自分の娘だと分かった場合に彼女を抱くことができるのだろうか。そして、愛菜自身も……。
 そこには、微妙に沙也香自身も絡んでいるのだ。



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