第27話 愛の部屋で

文字数 1,377文字

 その日のお見合いでは、世話人は佐野だった。その場所は有名な高級レストランで行われた。見合いの相手の親の浦島慶次は業界では名が通っていて、真一郎も一目置く存在だった。しかし、その娘の愛子は父親とは違って、礼儀正しかったが、大人しい性格で、とりたててどうという感じでは無かった。

 それは、真一郎が少し前に美しく優しい鮎川房江に出会っていたからだろう。お見合いの席で真一郎の心はそこには無かった。しかし、そんな彼の心を知る人物はいない。
 それからの彼は返事をするのに躊躇(ためら)っていた。彼の気持ちは鮎川房江にするか、浦島愛子にするかを迷っていたわけでは無い。心は房江と決まってはいたが、社長であり恩義がある佐野敬一の顔を直ぐには潰したくなかったからだ。

 お見合いから数日したとき、真一郎は会社で佐野に呼ばれた。
「どうかね、正木君。浦島愛子さんとのことは、もう決めても良いんじゃ無いかな」
「はい、社長。もう少しお待ち下さい。私にはまだやらなければいけないプロジェクトがあります。それを終わらせるまで猶予をお願いしたいのですが……」
「ふむ、そうか。プロジェクト・リーダの君なら仕方が無いが、出来るだけ早く結論を出してくれたまえ。あちらも返事をお待ちなのでね」
「はい。承知しました」

 こうして真一郎は社長室から下がっていったが、この時には真一郎はすでに鮎川房江と親密に付き合っており、彼女に心が惹かれていた。これ以前にも何度か房江のマンションを訪れており、この二人にはすでに肉体関係があった。

 その日、真一郎は房江の小さなアパートの部屋にいた。そこは狭い部屋だったが、キチンと整理され清潔感が漂っていた。最近、真一郎が訪れるためにおそろいのカップや、泊まったときの為の、男性用のパジャマ等をそろえているときの房江は幸せだった。

 真一郎は房江との結婚の約束をしたわけではない。しかし、二人の心の中には暗黙の了解があった。いつか、そのときが訪れたときにと……。
 それはいつも真一郎が忙しいのを房江が知っていたからであり、少し落ち着いたら真剣に話そう……。

 それが房江の偽らざる気持ちであり、真一郎もそれに近い考えだったが、今はそれに浦島愛子のことが重なり、房江を想う彼の気持ちは憂鬱だった。
 それゆえに房江には浦島愛子との見合いの話しはしていない。何度もそれを告白しようとしたが、彼女の心を思うと気が優しい真一郎にはそれが出来なかった。このときの彼の決断の甘さが関わった人々を翻弄(ほんろう)させてしまうことになるとは、彼自身も思っていなかったのだが。

「真一郎さん。また来てくれたのですね。こんな狭い部屋なのに。房江は嬉しいです」
「このところ忙しかったので……ごめん」
「いいえ。いいんです。あなたがこの部屋に来てくれるだけで嬉しくて」
「ええ、僕はこの部屋に来ると落ち着くんです」
「そうですか、真一郎さんにそう言って頂くと房江は嬉しいです」

 愛する者同士が、結ばれるのは自然の摂理と言えるのではないだろうか。お互いを見つめ合い、ひしと抱き合った後で、二人はやがて着ている物を脱ぎ捨ててアダムとイブの姿になった。それから布団の中に潜り混み、抱き合いながら身体をピタリと重ねていた。



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