第40話 秘書の秘密の扉

文字数 2,029文字

 彼は、秘書の沙也香を女として見ていないわけでは無い。彼女は完璧すぎるほど能力があり、そういう点では彼女に変わる存在を真一郎は知らない。だが、完璧すぎて性的に意識をしていなかっただけだ。

「部長。沙也香、少し酔ってしまいました。酔いを醒ましてきます」
「そうかい。いっておいで」
「部長は、そこのソファに座っていて下さいね」
「うん、わかった」

 少し酔いが回ってきた沙也香は、酔いを醒ますためにベランダに行き、窓を少し開けた。酔った頬には夜風が気持ち良い。
 暗くなりかけた夜景は宝石をちりばめたようにキラキラとして美しかった。
 部屋には洒落たテーブルとゆったりとしたソファが置いてある。
 そこに腰を掛けた真一郎は、ベランダに行った沙也香の後ろ姿を見た。何故かその後ろ姿が悩ましげだった。自分も少し酔ったのかもしれない。

 ふと目の前にある洒落た書籍ラックが何故か目に付いた。彼は立ち上がり、ラックの前に来て何気なくその中を覗いてみた。
(優秀な秘書は、いつもどんな本を読んでいるのだろう?)

 そのラックの中には、情報誌や事務機器の説明書があり、『情報機器の扱い方』や、『使いこなすアイパッド』等の専門書の他に、真一郎がドキリとする様な本がある。そこの棚の中段にある一冊の写真集のようで、派手な背表紙が気になった。そこには『美しい緊縛(きんばく)』と書いてある。
 それが気になり取り出して中を開けてみると、美しい女が半裸で縄で縛られている写真や、淫らな姿で緊縛されている挿絵と文章が収まっていた。
 思わず見とれ、それをパラパラとめくってっていた。

 その本は使い込んで、よく読まれている感じだった。或るページには「しおり」が挟んである。そのとき後ろに気配を感じ真一郎が振り返ると沙也香が真っ赤な顔をして立っていた。

「あぁ、だめです。それを見ては……」
 沙也香の顔は、ワインで酔って赤くなっていた顔ではなかった。
 真一郎は一言、沙也香にいった。
「これは君が買ったの?」
「……」
 沙也香は黙っていたが、こくりと首を少しだけ動かして頷いた。
「好きなんだね」と言うと返事は無い。頬を赤く染めたその顔は今まで見たことのない沙也香の顔だった。
「そうか。今まで誰かにしてもらったことは?」
 このときばかりは、沙也香は首を強く横に振り否定した。

 真一郎はこの手の写真などを始めて見たわけではない。ずっと前に場末の映画館で偶然この手の映画を見たことがある。そのときの衝撃を思い出していた。そんな世界を始めは知らなかったし、別の世界だと思っていた。

 それは『O嬢の物語』というフランス映画だった。
 主演のヒロインは美しいモデル出身のコリンヌ・クレリーであり、レズシーンや全裸の男女のセックスシーンがあった。妖艶な女優が縛られて陵辱されるという映画だったような気がする。
 そういう類いの本を自分の秘書が興味を持っているとは考えたこともない。この本があると言うことは沙也香が興味を持っていることだと、真一郎は理解した。

 思い直してラックの中を探すと、まだ他にもその手の雑誌が二冊ほどあり、それで真一郎は沙也香の隠れた性癖を確認した。その写真の中の女性と沙也香がダブって見えたとき真一郎の身体の中にある思いが()ぎったのである。
 それは沙也香は私にわざとこれを見せようとしてたのではないか? そうでなければ、こんな場所に無造作に置くわけが無い。

 それをわたしにして欲しかったのか? そう思うと今まで自分に忠実な秘書としては当然だが、自分の指示にはほぼ完璧に遂行するし、反発をしたことは一度も無い。無理なことを押しつけても嬉々としてこなすのもその一環だろうか……。

 それは沙也香のこの性癖と関係あるような気がした。女が誕生日に男を部屋に招くということは、ある種のアバンチュールを期待しているのではないか。それに見られたくない物を隠すことなく、晒しているのは、それをして欲しいという現れではないか、と真一郎は理解した。
 今、自分の前にいる沙也香は秘書の沙也香ではない。一人の性に憧れ、性に溺れたい女なのだ……そう思うと、今まで沙也香に躊躇していた真一郎の思いが吹っ切れた瞬間だった。

 そして自分は今、この瞬間に於いて沙也香が慕う部長ではない。そう理解すると、彼自身が驚くほど冷静になっていた。この場に及んで彼女の欲望を満たしてあげることこそ、今自分が出来る沙也香への『愛』だと確信した真一郎だった。

 彼女には今までに様々なことで助けられた。危ない橋を渡るときには必ず彼女がいた。心から信頼する最高の秘書である沙也香の望みを叶えられないでどうする。
 それがたとえ破廉恥なことだろうが、変態と言われようが『俺は沙也香の心に沿ってあげたい』と心から思う真一郎だった。

今まで仕事では専属の秘書として自分に忠実に従ってきた沙也香だが、どこか超えない一線を感じていた。それを今夜は超えよう。彼女の願いを叶えよう、とそう思っていた。



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