第48話 危うさの中で

文字数 1,330文字

 沙也香は彼に愛され、自分の全てを捧げられる人が彼だということが嬉しかった。始めは小さなワンルームマンションだった。自分の誕生日に彼を誘ったとき、高級のワインを持って来てくれたときは本当に嬉しかった。

 沙也香は真一郎だけが生き甲斐だった。広いマンションに移り、それから繰り広げる世界は自分が待ち望んでいた世界だった。彼が性欲の処理の為にマンションに立ち寄り、愛を交わす度に驚喜する自分がいる。
 そんな夜は精一杯、彼の好きな料理を作り、彼に甘えた。
 今回のことで真一郎のピンチを救えたことがとても嬉しかった。

 彼女は再婚した母の連れ子である。その父親から愛された記憶が無い。父は普段は大人しいのだが酒を飲むと人格が変わる人だった。時々、酔った勢いで母を弄んでいるのを見たことがある。少女の頃はそれを嫌悪していたのだが、いつのまにかそれに感化されている沙也香だった。

 その日の会議では、秘書の沙也香の機転で真一郎は何とか危機を回避できた。プレゼンテーションは上手くいったようである。しかし最近の彼は前ほどの精彩を欠いていた。
 その原因は、彼には欠かせない様々な女達の存在であり、飽くなき性欲である。

 これから株式会社・浦島機器製造を背負って立つという一角を(にな)う真一郎には、その人間としての資質と経営者としての自覚を問われているのだ。その大きな要因は、彼の秘書である沙也香と新しい愛人となった若い愛菜の存在が大きい。

 昼過ぎに真一郎と別れた後、愛菜は家に帰った。愛菜は、母から何かを言われることを覚悟していた。昨日無断で家に帰れなかったことや、どうして帰らなかったのかを聞かれるに違いない。まだ結婚する前の娘が何にも告げずに、一晩帰ってこなかったのだから。

 母親が心配するのは当然だろう。母親の房江は小さな居酒屋をやっていた。その二階に住み、房江と愛菜のそれぞれの部屋がある。店の営業は夕方からなので、房江は暖簾(のれん)を降ろした店の中で、店で出す為の煮物を煮たり漬物の下準備のために忙しい。
 狭い後ろの棚には、いろいろな各地の銘酒がずらりと並んでいる。これを客の好みに応じて、コップで飲ませるのである。

 滅多に飲めない地方の地酒などが安く飲めるので評判が良い。その店は房江が一人でやっているが、たまに娘の愛菜が手伝うと客達は喜ぶ。

「いやいや、美人ママと、娘の愛菜ちゃんの二人がいると酒がことさら旨い!  愛菜ちゃん、酒を注いでおくれ。おじさんにも、お願い!」
「はいはい。源さん」
 たまに店の手伝いをしている愛菜が、指名されて酒を注いだ。一仕事終えた大工の源太郎は、ここで飲む酒が唯一の楽しみなのだ。

「いいなぁ。源さん!」と馴染みの客がハヤシ立てる。
 房江にとっては、この小さな居酒屋でなじみの客に酒を振る舞い、自分が作った料理を出し、それで客が喜んでくれる事が嬉しく、それが房江の生きがいになっていた。

 美人で気っ風が良くて、サービス精神が旺盛で、サッパリとした性格の彼女の客の受けは良い。いつもその店は、会社帰りのサラリーマンや近くの男衆で賑わっている。時々、上司に連れられてくるOL嬢も男達の癒しになっていた。

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